劇ナビFUKUOKA(福岡)

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『イエ系』北九州芸術劇場クリエーションシリーズ

2023年10月26日(日)13:30 @J:COM 北九州芸術劇場

●『イエ系』北九州芸術劇場クリエーションシリーズ

作・演出:松井周(サンプル)

美術:杉山至

音楽:宇波拓

照明:遠藤浩司

音響:塚本浩平

衣裳:山本千聖

演出部:谷川哲郎、瓦田樹雪

照明操作:渡邊拓人、岩井桃子

音響操作:横田奈王子

演出助手:山口大器(劇団言霊)

テクニカルマネージャー:山本祥太郎

舞台監督:木ノ下智博

出演:日高啓介(FUKAI PRODUCE羽衣)、高山実花、中島晴美、寺田剛史(飛ぶ劇場)、小野彩加、福永知花、椎木樹人(万能グローブガラパゴスダイナモス)、鈴鹿通儀、鈴木麻美(にわか劇団けだものの界隈)、上瀧雅大、石本径代、椿直美


 事実は小説より奇なりという言葉があるが、現実の「家族」もまた理想や想定とは違うものかもしれない。よくある保険会社のライフプランモデルを考えると分かりやすい。「適齢期」で結婚した「男女」のカップルが「最適な時期」に「二人ほど子ども」を作り…。そこには不妊やら失業やら病気やら死亡やら離婚やら…による家族の形の変容は含まれない。そもそも現代日本は生涯にわたっての未婚率も高い。家族モデルなんて、ほぼないに等しい時代だ。ところが政府が掲げる家族も、相も変わらず現実から乖離している。そしてそのために却って問題が生じていることが多い――少子化にせよ、夫婦別姓にせよ、同性婚にせよ、離婚後の問題にせよ。つまり様々な生き方を選択している時代になっているにも関わらず、旧態依然とした「家族」のモデルケースに従って制度は成り立ち、それによって苦しむ人たちが大勢いるということだ。


 と、ここで旧来の「家族像」を切って捨てるのは簡単だが、それでもやっぱり私たちはどこかで「家族」を求める。もちろん、以前に比べてその家族の在り方はさまざま――「ふうふ」が同性である家族だったり、戸籍には記載しないいわゆる「事実婚」の家族だったり、養子のいる家族だったり――にはなったけれど、「心から信頼できる仲間、慈しむ相手、守り守られたい大切な者」としての家族を欲する気持ちは変わらない。


 さて、今回とりあげる舞台『イエ系』(作・演出:松井周)は、行政が作った「再家族制度」が話の中心である。まったく関係のない応募者たちが半年(実質3カ月)で「家族」になって「再家族店舗」の経営をする…という、市の鳴り物入りの制度らしい。つまりは疑似家族の話である。登場するのはこの制度20件目となる三上家。ラーメン屋開店を一週間後に控え、父親役と店主を兼ねる和也(日高啓介)は市の広報インタビューも受け有頂天になっている。そこに新たな占いカフェをやるという夫婦と娘一人の大木家が現れる。なんと大木家の妻役と娘役は、和也が昔棄てた恋人と我が子だった。そしてそれが三上家の家族に暴露されると同時に、彼のそれまでの態度が問題となり和也は父親役からペット役へと格下げとなる…。


 大木家の妻役奈々と娘役杏がたびたび口にする「血のつながり」が、本作の一つのキーワードだろう。そして寄せ集めの疑似家族(三上家)と血のつながりのある家族(大木家)が対照的な二つとして並べられるわけだ。まさに、家族において最も厄介なのが、この「血」という考え方である。――遺伝子と違って物理的に同じ血が流れることなどないのに、あたかもあるかのように私たちを縛り付けて振り回す、「血という考え方」。私は、本作において両家を並べ「血」が厄介なものだと述べるに終わってしまったことに、物足りなさを感じている。


 まず、疑似家族を作らせて商店街活性化事業と結びつける…という発想は、芝居として悪くないと思う。「新しそうでいて実は旧来の家族像の押しつけであることに気づいていない」という意味でもいかにも行政がやりそうだ。またそこに乗っかるように、和也だけが妻役と本当に夫婦として関係を持とうとしたり、父親の威厳を見せるためか息子役に厳しく当たったりするのも、人間の(さが)とも家父長制に慣れた男の(さが)ともいえる。「疑似であっても家族だ、一家の長だ」という意識に支配されているのだ。その一方で、妻役真希(高山実花)や子ども役の頼人(寺田剛史)ツクシ(福永知花)らが淡々と冷めた様子なのが面白い。実際の家族っぽいと見ることもできるし、和也だけが古い家族像に固執していると見ることもできる。


 問題は大木家が登場してから。疑似家族の設定を出さなくても、昔棄てた恋人や家族が現在の家族と対峙する話、あるいはそのはざまで右往左往する話などは古今東西の小説にある。従ってここでどう展開していくのかが見どころなのだが、本作では特徴である「再家族制度」をうまく利用できていない気がした。和也の場合は父親役からペット役に変更となるのだが(これは少し面白かった)父親役は不在のまま。ここをうまく利用することで、今なお残る「家父長制」批判や「家族モデル」批判につなげることもできたはずだし、設定の面白さが活かせたのではないか。たとえば大木家も巻き込んでの「再家族制度の再編成」もありだったかもしれない。新しい「家族像」の提示にもなりえたはずだ。(先日読んだ新聞で、パパが3人で養子を育てる家族、異性愛夫婦と実の娘とエイセクシュアル男性による家族、オランダでの「バディー」制度による新しい家族…などがあることを知った。現実には様々な新しい家族形態が生まれているのだ。)そして、終盤、家族について「フリをしていてもいいんです」「メンドーなのが大事」というセリフが出てくるが、本作では本当の意味で「家族の面倒さ」がほぼ出てこず、肩透かしとなった。不思議な存在感を出す三上家の娘役弥穂(小野彩加)による、演劇的に面白い仕掛けもあったが、それで煙に巻かれた感が残る。


 ラストに市役所の田中(鈴鹿通儀)だったか、「この街は寿命がきた、(再家族制度と店舗経営は)終活なのだ、幸せに死んでいくための最後の幻想」と言うのに対して(この辺りの、家族幻想のズレはかなりの皮肉だが、それがどの程度届いただろう?)、「人も街もそんなにヤワじゃねーわ!」という声が響く。…大いに賛成するのだが、果たしてヤワじゃないところがこの芝居で見せられたのかどうか。


 配役に関しては適材適所。和也役の日高啓介やつくし役の福永知花、他の人とワントーン違うところにいる印象の弥穂役の小野彩加が印象に残る。

2023.11.16

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柴山麻妃

●月に一度、舞台芸術に関係するアレコレを書いていきまーす●

大学院時代から(ブラジル滞在の1年の休刊をはさみ)10年間、演劇批評雑誌New Theatre Reviewを刊行。
2005年~朝日新聞に劇評を執筆
2019年~毎日新聞に「舞台芸術と社会の関わり」についての論考を執筆

舞台、映画、読書をこよなく愛しております。
演劇の楽しさを広げたいと、観劇後にお茶しながら感想を話す「シアターカフェ」も不定期で開催中。
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