劇ナビFUKUOKA(福岡)

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最強の一人芝居フェスティバルINDEPENDENT:FUK 23

 

2023年6月10日(土)11日(日)ぽんプラザホール

 1公演30分の一人芝居。30分というのが曲者で、まとまりの良い作品であれば短く感じ満足度も高くなるが、だらける時間もじゅうぶんにあって長く感じてしまうこともある。そして一日に6つもの作品が上演されるのだから、否が応でも比較してしまう。演者にとっては厳しくもあるだろうが、その分、覚悟を持った見応えのある作品が多く毎年楽しみにしている。


 今年は5作品(1作品が演者の体調不良で中止となった)のラインナップ。細田昌宏(出演・脚本、劇団シバイヌ)×宮崎萌美(演出、同劇団)の『泥棒初め』はなんといっても細田の芸達者ぶりに見入ってしまった。落語の(てい)で始まり(「めくり」のジェスチャーからして細かい)、次第に見台(上方落語で用いる、噺家の前に置かれた机)を下げ、「立って演じる落語」となる。犬の鳴き声から長屋の住人たちまで息つく暇なく演じ分け、たたたたたーっと立て板に水の早口から言葉と言葉のあいだを「溜める」間の取り方までその場は完全に彼のもの。泥棒をしとめる時にプロレス技が登場したり、紐で吊られた身体がぶらーんと回っていく様子だったり(そしてそれを必死で元の位置に戻そうとしたり)、本筋には不要なところも細かくて笑いを誘う。そして彼は声がいい。山口の劇団らしいが、一度本公演も見てみたい。


『食べて往くこと』松尾佳美(出演)×田村さえ(脚本・演出、灯台とスプーン)は、ひょっとして脚本を書いた田村の、あるいは演じている松尾の――つまりは演劇を長く続けてきた妙齢の女性の――リアルな声を作品にしたのかと勘ぐってしまった。婚活中の35歳の(売れない)舞台女優・スミコ。婚活アプリで出会う男に騙されそうになったり襲われそうになったり(下に見られているのだ)、「いったい何になるつもりなの」と突きつけられたり(核心をついてもいるけれど、それは応援ではなく自信を喪失させるだけの一言だ)、親に「あなたのためだ、心配しているのだ」と結婚を急かされたり(それは本当に私の幸せのためなのだろうか)、ホームレスの女性を見下すことで自分を保ったり(でも時折、彼女に見透かされている気がして)、深刻な状況にある友人の話を聞いてそれに比べたら自分の悩みはとるに足らないのだからと我慢をしたり(でも私にとって私の悩みは重くてつらいのだ、そのことを誰が分かってくれるというのだろう)、それでも演劇がやめられないのだ、だってすきだから、だって(舞台に立つのが)嬉しかったから! 自分の価値を疑い、迷い、自信が持てない、その心の声は、スミコと同じ環境ではなくとも十分に共感できるはずだ。松尾の無理した笑いや叫びが、ドビュッシーの旋律と絡まって、繊細な作品となっていた。


 奇しくもそれと似た設定の話だったのが、『愛と言わすな』(脚本・演出・出演:荒木宏志、劇団ヒロシ軍)。バイトをしながら芝居を続ける35歳の男の話である。余談だが、過去にも「最強の一人芝居フェス=INDEPENDENT」で設定が似ている作品が二つ並んだことがあったなと思いだした。それは偶然だったのかもしれないが、(こと)今回の2作品の「年齢を重ねた時に演劇を続けること」という類似は、本音を作品にしたのではないか、長く演劇を続けている者たちの内なる切実な声ではないかと思う。だから同じテーマの作品が並んだのではないかと。とはいえ、『食べて…』の悲壮な声に比べ本作はかなり笑いの要素が多い。客席は荒木の一挙手一投足にわく。自虐的ともとれるし、「こんなもんだよね!」という明るい達観にも見える。本作は『食べて…』と同テーマであったがゆえに、裏番組(?)的に面白くなったのかもしれない。


 小学生の頃からの友人との話を淡々と語るのは『Tembo』(脚本・演出:溝越そら、SKYSCRAPER ×出演:青野大輔、非・売れ線系ビーナス)。コンビニのビニール袋を提げた男が、駅から友人のところに行くまでの道すがらにその友人のことを語っていく。小学生の頃に「ゾウ」だといじめられた男が、天保(アマヤス)という友人に助けられた…のだが、どうやらそれはゾウに失礼だということだったらしい。アマヤスと共にあった学生時代や今までを、ビニール袋から出す飲み物と共に語る。牛乳、クリアアサヒ、ソルティライチ、水、ビール…そしてアマヤスがセクハラとパワハラで自殺したことを吐露する終盤。男はアマヤスを失った場所に来ていたのだと分かる。

 タイトルのTemboが何かと調べてみたところ、スワヒリ語で「ゾウ」を意味し、そしてTemboという名前のカードゲームがあることを知った。ゾウの力で動物たちを川向こうの岸まで渡らせるゲームである。そこで初めて合点がいった。ああ、男はゾウになれなかったのだ。いみじくも小1のアマヤスが「こいつはゾウじゃない」と言ったように、男はアマヤスを安全な岸に渡せるゾウではなかったのだと。

 男はアマヤスの死後2年かけてSNSアカウントで調査をして真実を知ったという。男は最後に言う、「ゾウは決して忘れない」と。英語のことわざであるが、単に動物にしては賢いというだけではなく復讐するという意味も含むらしい。男はアマヤスの生前にはゾウにはなれなかったが、これからゾウになるということだろうか。地味だが鋭い刃を隠した作品だと思った。


 ラストは『名前のつかない有様に』(脚本・演出・音楽:勝山修平、彗星マジック × 出演・振付:尾沢奈津子)。大阪からの招聘作品である。正直に言えば、始まってからしばらくは関西弁でまくし立てて少々騒がしいと感じていた。言葉と共に全身を大きく使った動きのせいでそう感じたのかもしれない。それが、「カシャーン」という音と共に誰かとの会話で「君」が病院にいること、「君」の耳は聞こえていないこと、「君」はそれでも笑っていてくれたことが明かされていき――この、うるさいほどの「語り」が「君」に向けてのものだったのだとわかり――そして彼女の言葉が全身である理由がわかると――その饒舌な「語り」に胸が詰まる。

 「大丈夫、ここに、いるよ」。何度も出てくるそのセリフは、手話でもあるのだろうか。圧巻のダンスの中で何度もその言葉が登場する。世界が美しいこと、その中に君も私も存在していること、生きているということ、大丈夫、ここにいるから。君も私も、ここにいるから。そんな言葉が、尾沢の身体の隅々から伝わってくる。

 ダンスは、言葉だ。それが腑に落ちた。


  今年のINDEPENDENT5作品、スタイルも表現方法も異なる濃い30分を堪能させてもらった。

2023.06.15

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柴山麻妃

●月に一度、舞台芸術に関係するアレコレを書いていきまーす●

大学院時代から(ブラジル滞在の1年の休刊をはさみ)10年間、演劇批評雑誌New Theatre Reviewを刊行。
2005年~朝日新聞に劇評を執筆
2019年~毎日新聞に「舞台芸術と社会の関わり」についての論考を執筆

舞台、映画、読書をこよなく愛しております。
演劇の楽しさを広げたいと、観劇後にお茶しながら感想を話す「シアターカフェ」も不定期で開催中。
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