劇ナビFUKUOKA(福岡)

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『恋はみずいろ』「老いと演劇」OiBokkeShi

2025年7月6日(日)14:00~ @久留米シティプラザ Cボックス

●『恋はみずいろ』 「老いと演劇」OibokkeShi

作・演出:菅原直樹

出演:中島清廉、竹上康成、植月尚子、金定和沙、吉田省吾、内田一也、粟井美津代、西春華、内田京子、杉本愛、種原大悟、申瑞季、岡田忠雄(特別出演)

舞台監督:中西隆雄、三津田なつみ

作曲・編曲・ピアノ演奏:矢野裕美

舞台美術:森純平

音響・照明:竹内晃(株式会社エスオーエムクリエイション)

音響オペレート:高木由紀(ステージプランニング)

照明オペレート:越尾由美(株式会社ライトビジョン)

サポートスタッフ:栗原立、福島美香、西昌子、芝山祐一郎、武田有史

宣伝美術:hi foo farm

宣伝イラスト:あさののい

制作:武田知也(bench)

広報:陶山里佳、竹下久美子

制作:宮崎麻子、韓ヨルム





 「変化」について考える。


 私たちは、生まれてからしばらくの間は、変化を「成長」と見なしてもらえる。でもいつの頃からかその変化は「老い」と呼ばれるようになる。そこには価値判断が含まれていて、「できなくなる」「遅くなる」「間違う」「劣化」といった言葉でわかるように、単なる変化ではなく下り坂のみじめな状況への変化とされる。もちろん私自身もその価値観にどっぷり浸かっている。「老いは誰にでもやってくる」という言葉と共にエイジズム(年齢差別)を批判していたけれど、裏を返せばその物言いは老いへの恐れであり、ちゃんと向き合わねばという姿勢の表れであり、つまりはやっぱりその価値観に自分が浸かっているのだと痛感する。


 けれど本作を見て、ふと、「そうか、老いも単なる変化なのだ」と思う。


 本作『恋はみずいろ』は、特別養護老人ホーム「青空」を舞台にした物語だ。そこの入居者、スタッフ、訪ねてくる人たちが織りなす人間模様を描いている。軸となるのは、母親に捨てられた青年・由一と、そのいなくなった母親・佐代子、由一が訪ねて来た「青空」入居者の祖父・正雄という一つの家族の物語。そこにかつては中学教師だったが大病をして動きも発話もままならない松村先生--終盤で松村先生の初恋の相手がその佐代子だと分かる――や、入居している母に会いに来た美鈴――久しぶりに来たくせに、身内ではない職員の古千谷が母親の通帳と印鑑を持っていると知って激昂する――、この町に居住を考えて訪ねて来た車いすの島沢さん――どうやら親との折り合いが悪いらしい――などが絡む。特に通帳を返せと言う美鈴と「娘さんには通帳を渡さないでくれと言われた」と言う職員古千谷との辛辣なやり取り、それが耳に入った由一が、他人(ひと)の家族について口出しするなと怒りをあらわにするシーンは、家族の在り方について考えさせる。「母親である前に一人の人間」だの「他人であっても、通帳や印鑑を預けるほどに自分と信頼関係を結んだのだ」と分かった(●●●●)よう(●●)()口をきく古千谷に対して、母親に複雑な思いを抱く由一が耐えられなかったのは当然のこと。きれいごとではすまされない、やっかいな存在である「家族」というものを、観客それぞれが自分事として考えたに違いない。


 だから最後のシーンは、ある意味、観客の受け取り方でずいぶんと違うように見えるかもしれない。由一の母の登場を、現実と見るか幻と見るかである。舞台中央にはベッドで寝ている老人・正雄。彼はきついことを言って娘が離れて行ったことを悔いて、「行かないでくれ」「俺の傍にいてくれ」と手を伸ばしうわごとをくり返す。そこに現れる、娘の佐代子。由一の母である。佐代子が父親の手を握り、静かに澄んだ声で「あなたにすべての花と光をあげたい」と歌う。そのあまりにも美しい声と歌詞に私も涙がこぼれたのだが…この佐代子を幻と捉えるのなら、つまりは実際には彼女は現れなかったのだとするのなら――そこから見える「家族観」はずいぶんと異なるものになる。大団円に終われないシリアスな現実もまた、家族なのだという解釈も可能だろう。


 その様子を思い返しながら、他方で私は「変わる」ことについて考える。頭ごなしに娘を否定していた父親が「俺の傍から離れないでほしい」という本音を吐けるようになった、その変化を、人は「老いて気が弱くなったから」と言いがちだ。それも間違いでないかもしれないが、人は絶えず変わっていくのに高齢者だけが老いのせいにされてしまう。人が変わるのにはいろんな理由があるのに。そしてどんな年齢だっていつだって、変わっていく(る)のに。松村先生が病気で肢体不自由になってしまったのも変化だし、中学時代の佐代子が松村君(後の松村先生)からの告白で一歩踏み出したのも変化だ。その一方で、人は思うようには変われないという現実もある。母に信用されていないと知った美鈴がショックを受け反省しても、今後思うように変われるかどうかはわからない。家庭を飛び出した佐代子も、望む形での変化を遂げられたわけではないだろう。


 私たちは、「変化」に対してあらゆる感情を載せてしまう。変わったことへの後悔、羨望、蔑み、諦め、悲嘆、喜び、(そし)り、怒り。変わることへの願望、恐れ、(やま)しさ、恥ずかしさ、羨ましさ。変われなかったことへの悲しさ、受容、安堵、嘲り。それらの感情をとめることはできないが、そして達観できるほど悟りを開けるわけでもないけれど、変わって当然なんだ、変われなくても当然なんだ…と気持ちが軽くなる気がした。


 同時に、舞台にいるOiBokkeShiの役者たちを見ていて、そのほとんどがワークショップから参加した演劇素人たちだったと聞いて、「変わる力」を眩しく思う。演劇の力であり、仲間の力であり、ヒトの力なのだろう。OiBokkeShiは、「変化」について肯定も否定も何もない、ただ受け止めるという集団なのかもしれない。物語の内容だけでなく、その存在の清々しさに、改めて涙がこぼれた。



公演が終わって

2025.07.24

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柴山麻妃

●月に一度、舞台芸術に関係するアレコレを書いていきまーす●

大学院時代から(ブラジル滞在の1年の休刊をはさみ)10年間、演劇批評雑誌New Theatre Reviewを刊行。
2005年~朝日新聞に劇評を執筆
2019年~毎日新聞に「舞台芸術と社会の関わり」についての論考を執筆

舞台、映画、読書をこよなく愛しております。
演劇の楽しさを広げたいと、観劇後にお茶しながら感想を話す「シアターカフェ」も不定期で開催中。
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