2024年12月7日(土)14:00~ @J:COM北九州芸術劇場 小劇場
●『新生物』飛ぶ劇場
作・演出:泊篤志
出演:寺田剛史、葉山太司、脇内圭介、文目卓弥、徳岡希和、乗岡秀行、横山林太朗、松本彩奈、木下遥斗、太田克宣、中川裕可里
照明:磯部友紀子((有)SAM)
音響:横田奈王子((有)九州音響システム)
音楽:トマリタツオ
舞台美術:森田正憲((株)エフジーエス)
宣伝美術:二朗松田
制作:藤原達郎、木村健二
フェイク画像の精度が上がり、AIが何でも回答を用意してくれて、おしゃべりロボットが孤独を癒してくれる。AIが日常にじわじわ入り込んでいる今、現実と虚像の区別がつきにくくなっている。画面越しに回答をくれる相手をてっきり人間だと思っていたり、欲しい言葉をくれるおかげで恋心を抱いてしまったり(そしてそれが詐欺だったり!)、人形と分かっていてもかけがえのない相棒となったり。現実と虚像(空想)の境界があいまいになっている…そう感じる人は多いと思うが、そうはいっても自分の身体だけはさすがに実態があると確信している人は多いのではないか。
本当にそうだろうか?
例えば腕を失った人が、無いはずの腕に痛みを感じるという話を聞いたことはないか。歯医者で麻酔をかけられたら口まわりの感覚は何も無いという経験はないか。精神的にショックを受けていたら、味がしない、涙が出ていても気がつかない、声が聞こえなくなる…なんてこともあると聞く。思っている以上に身体は外界と不可分かもしれず、そして身体感覚は確たるものではないようだ。
前置きが長くなったが、私はここ数年、「ロボット(AI、アンドロイド)などが社会と生活に欠かせない今、『私』という存在をどう捉えるか」に関心を持っている。詳細は省くが、簡単に言えば「どこまで有ればその人だと言い切れるのか」「何が失われると(変わると)その人ではなくなるのか」。その点において飛ぶ劇場の新作『新生物』は私に面白い視点を与えてくれた。
太った男・八満(葉山太司)と空地(寺田剛史)がスポーツジムで出会う所から話は始まる。八満には年の離れた妻がいるが、彼女はタイの俳優に夢中で八満には見向きもしない。引きこもりの空地と励まし合いながら身体の改造を、つまりは痩せる努力をする。とはいえ、安きに流れるのが人の常、ジム会員に勧められて安易に「脂肪を溶かす薬」を手に入れ痩せ始める二人。その先には何がある?
舞台設定はほんの少し先の未来――人体のパーツの取り換えが可能な時代。だから薬の副作用で足を切断することになった空地はそこまでダメージを受けることなく足を新しく替える。だが痩せたのに妻には相手にしてもらえない八満は、なんと妻が熱を上げているタイの俳優ナントカ君の顔に替えてしまう。(よく考えれば、今もある義足や美容整形と変わらないのだが、芝居では「パーツ交換」という仕掛けを近未来的だと感じてしまった。この辺りが上手なところかもしれない)
見かけを別の人にしてしまった「ぼく」は一体誰なのか? ハードSFならここから哲学的な問いをはらみつつ展開するのだろうが、本作はその点は甘い。例えば外見が変わった八満のアイデンティティーについては触れられないし(痩せたことで職場でも「ドラ先輩」から呼び名が変わるが、「呼び名が変わっても本質は変わらない」といった言葉で片付けてしまう)、顔が変わった後が描かれないから彼の精神的な変化も分からない。空地にしても足が変わる(しかも「元気で強そうな足」を選んだことで左右の足が異なることになる)その違いが何を生むのか、それも展開としては面白そうだが触れられることはない。その代わりにカセットテープのA面/B面という例えを出してその間に「本当の自分」がいる、といった言葉が登場する。…本当の自分という確たるものがあるという前提がナイーブで、物足りない。
だが面白いのは、「本人が」自分だと考える拠り所ではなく、「周囲が」その人であると認める根拠は何なのかを考えさせてくれた点だ。痩せただけでなく妻好みの俳優の顔に替えた八満に対して、妻は激しく拒絶する。「生理的に無理」「気持ち悪い」と。もちろん八満のその行動に対しての拒絶であるが、逆に言えば外見が全く変わったその男を八満であると疑っていないわけである。そこには「そんなことまでやってしまうのは夫の八満以外にありえない」という絶対の信頼もある(笑)。だからこそ、「スキンシップはイヤだけど同居程度ならいい」はずの夫の事が「生理的に無理」になってしまうのだ。妻の感情が生々しいだけに、その言葉をぶつける相手のことを、頭ではなく生理的に(つまり理屈でなく本能的に)「夫・八満だ」と理解していることが分かる。そしてその感覚、とても納得できるのである。私たちは日ごろから、行動、しぐさ、癖、話し方、においだけでなく、その人が持つ雰囲気とか佇まいとかこちらに与える印象とか…言葉で説明しにくいあいまいな何かで、その人だと確信しているのだから。私たちは、思っている以上に動物的な感覚で、他者理解をしているんだろう。芝居ゆえの生々しさが、そんな事を考えさせてくれた。
そうそう、パーツを入れかえた八満として包帯を取って現れる脇内圭介が、八満役の葉山の癖をかなり真似ていて感心した。うまいなぁ。
2024.12.24
カテゴリー:
「劇ナビFUKUOKA」は、株式会社シアターネットプロジェクトが運用管理しています。
株式会社シアターネットプロジェクト
https://theaternet.co.jp
〒810-0021福岡市中央区今泉2-4-58-204