劇ナビFUKUOKA(福岡)

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『勧進帳』木ノ下歌舞伎

2023年10月22日(日)14:00~ @山口情報芸術センター スタジオA


●『勧進帳』木ノ下歌舞伎


監修・補綴:木ノ下裕一

演出・美術:杉原邦生(KUNIO)

出演:リー5世、坂口涼太郎、高山のえみ、岡野康弘、亀島一穂、重岡漠、大柿友哉

スウィング:佐藤俊彦、大知

音楽:Taichi Kaneko

照明:髙田政義

音響:星野大輔

衣装:岡村春輝

振付:北尾亘

演出助手:鈴木美波

舞台監督:大鹿展明

ラップ指導:板橋駿谷

歌唱指導:都乃

鳴物指導:田中傳一郎




 2016年に北九州芸術劇場で本作を見て以来、私にとって木ノ下歌舞伎は「見逃したくない」存在の一つになった。それから見てきた5演目のうちでもやはり本作が私にとってベストである。何度も見たいと思う舞台がそうそうあるわけではない中で、本作はもう一度見たいと強く思っていた。


 7年ぶりの本作との再会は、YCAM(山口市)にて。劇場の力(吸引力)だろうか、ふらりとやってきて当日券を買う人が結構いることに驚く。壁には木ノ下裕一氏による、「作品の味わい方別・座席位置」が貼りだされていて(こういうの、初めて見た!)面白い。まずは一列目に座ってみるが目線が役者の足の位置だったので、やっぱり俯瞰的に見たいと3列目中央に座りなおす。前回見た時にライティングの妙にも心を奪われていて、そして何より終盤に出てくる光によるボーダーライン(本作の肝である)を再度見届けたく、少し上から見たかったのだ。


 本作は歌舞伎『勧進帳』を現代劇に作り変えたものである。実兄・頼朝に追われた義経一行は、山伏の格好をして奥州へと向かう最中に安宅関で関守の富樫左衛門に止められる。すでに頼朝の命で「義経が山伏に化けていること、捉えるように」との命令が下っていたのだ。越えたい義経らと防ぎたい富樫の、必死の攻防があらすじである。それをベースに木ノ下裕一の監修・補綴、杉原邦生の演出と美術で、歌舞伎とは似て非なる物に生まれ変わらせたのが、本作である。


 7年前に見た時の話から書こう。何よりも私が素晴らしいと感じたのは、「安宅関を越える」という物語を、「境界線を越える」というテーマで描きなおしている点である。弁慶役をアメリカ人のリー5世、そして義経役はニューハーフを自称する高山のえみが演じ、まずはこれだけでも演出の意図が分かりやすく伝わる。そうしてみると、従者であるはずの弁慶が(たとえ助けるためであっても)主人の義経を打つ姿も主従関係を「越える」ことなのかと、歌舞伎では考えもしなかったことに気づく。


 越えることの難しさ。中世において「越える」ことの難しさは言うまでもないが、では現代は簡単なのか。国境も性別も上下関係も「たやすく越えられる、越えている」ように見えるが、それは幻想ではないのかと突きつける。前回の観劇で最も感じ入ったのはこの点だった。ライトによる一本の線・ボーダーラインが舞台に現れた時、それをはさんで義経が手をのばしている姿を見た時、ゾワっと何とも形容しがたい感動と複雑な思いに包まれたのが忘れられない。


 もう一点、歌舞伎とは違う富樫の描かれ方も興味深いと思っていた。歌舞伎では富樫は「弁慶の主人を思う気持ちに打たれた、物の分かる男(?)」だ。弁慶もまた富樫が見抜いていることを分かった上で芝居を続ける。適切な比喩ではないかもしれないが、私のイメージではいつも「実力あるライバル同士が反目しながらも互いの実力を認め合っている。そこには実は妙な信頼関係もある。…というスポーツ漫画の主人公とライバル」を思いうかべてしまう。弁慶と富樫のあいだに生まれたものは、友情、人情、で片付けられる。ところが本作での富樫はそんな単純ではなく人間臭い。義経一行の固い主従関をまぶしく見つめ、自らを孤独に思い、関守とは名ばかりの殺人の虚しさを感じ、主従関係に縛られた自分(言ってみたら彼は中間管理職だ)と突き進む彼らの自由さに頼もしさとうらやましさを感じ、あるいは自分をも託した気になったのかも…こんな富樫を見たことがなく、衝撃的だった。


 つまり「ボーダーという視点」「富樫の内面を描いた点」、この二点のすばらしさに私は圧倒されていた。


 さて今回の公演で新たに感じたことを付け加えたい。それは2023年という今だからこそ感じた変化である。


 4人の家来/番卒を演じる役者は、幕府・頼朝(富樫)側、義経側と立場を変えて二役演じる。走り回って大変な役なのだが、この「わずかな移動と場所の違いで立場が変わる」ことについて、ウクライナとロシアの戦争が重なったのである。本作は、彼ら一人一人のそれぞれ個性(気弱、すぐにカッとなるなど)が立場を変えてもそのまま演じられている。個性を継続させ同一の人間ともとれる描き方をすることで、「その男は、常陸坊海尊でもありえたし、番卒オカノでもありえたのだ」(その二役を岡野康弘が演じている)と気づかせる。つまりは、「所属なんて成り行きなのだ。住んでいる場所があちらだったら、今頃はあちらの人間として戦っている」ということ。帰属意識は本人のアイデンティティー確立に大切なものではあるが、しかし所詮は偶然や運によることも多い。と同時に、「運」で片付けるにはその末路の違いは残酷である。そのことが、今なお続くウクライナとロシアの人々と重なった。


 また、「ボーダーライン」を概念的にラインとしてとらえていた前回の鑑賞だったが、それが「壁」として立ちはだかっているように見えてきた違いもある。それはコロナを体験したからだろうか(当日配布のパンフにも書かれていたが、トランプ前大統領がメキシコ国境に建てようとした壁も確かにイメージとしてダブって見えた)、ラインなら「越える」ことが可能にも思えるがそれが壁となるとはるかに難しくなる。…ひょっとしたら、長方形の舞台の短辺部分に照明機材の壁があったから、という単純な理由かもしれない(前回はその部分の記憶がない)。なんであれ、私には富樫たちが見つめる前方のその先に、壁が見えていたのだ。

 単に「違う」と線を引くだけではない、相手を拒絶する、否定する、入らせない、壁。コロナ以降、他者とのつながり方が変わってしまい、私たちはその「壁」をどう越えることができるのかと途方に暮れている。壁を前にして言葉をつぶやいているだけなのか、富樫のように心を通わせ壁を取り払う存在がいるのか、弁慶たちのように壁の向こうに違う世界があるとつらくとも進んでいけるのか。後からそんな思いが浮かんできた。これもまた、2016年では感じえなかった新たな感慨である。


 本作はずば抜けて完成度が高い。それでも次に見る時には、想像もしない新しい見え方を提供してくれるだろうか。それもまた楽しみである。


富樫役の坂口涼太郎さんが終演後に出てきてくれました!

 追記。弁慶は和歌山の出だから関西弁っぽい話し方なのかとか、富樫が持ってくるお酒が「天狗舞」だったことに安宅は石川だったなとニンマリしたとか、ピクニックシートをあえてレインボーカラーにしているのねーとか、そんな小ネタ(?)も楽しく見た。ラジオの使い方もうまいなぁ。そしてやっぱり計算されたライティングに、今回も鳥肌が立った。

2023.10.23

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プロフィール
柴山麻妃

●月に一度、舞台芸術に関係するアレコレを書いていきまーす●

大学院時代から(ブラジル滞在の1年の休刊をはさみ)10年間、演劇批評雑誌New Theatre Reviewを刊行。
2005年~朝日新聞に劇評を執筆
2019年~毎日新聞に「舞台芸術と社会の関わり」についての論考を執筆

舞台、映画、読書をこよなく愛しております。
演劇の楽しさを広げたいと、観劇後にお茶しながら感想を話す「シアターカフェ」も不定期で開催中。
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