2023年9月18日(月)13:00 @甘棠館Show劇場
●『畜生達のエデン』
マジカル超DXランド
作・演出:そめやみつ
出演:溝越そら、风月、沢見さわ、池田千春、松永檀、薔薇園花江
一時代前の匂いのする作品である。貶めているわけではない。チラシが醸し出す雰囲気といい、昭和の漫画風な物語といい、役者の演技といい、時代がかっているという点で統一感があり、振り切れている印象で面白かったのだ。若い人たちにも新鮮に映ったかもしれない。
鉄琴で演奏しているのだろうか、『むすんでひらいて』の曲が流れる中、舞台が始まる。目の粗い網が、客席と舞台のあいだを隔てている。受付も不織布の手術服っぽいものを着ていたし、不穏な雰囲気が漂う。舞台は大学の医学部なのか、網の向こう(=客席側)にいる豚を捕まえて「のうじゅう(膿汁?)」とやらを採取する女たち。灰原研究室のメンバーだという。どうやらこの世には男という性がなく、採取した「のうじゅう」によってのみ人工授精で人間を生み出せているらしい。しかしその技術を持っているのは灰原教授のみ、他は理屈も分からず従っている。その作業をする3人(ユウ、サツキ、ジュン)の会話から、ユウとサツキが恋人同士であるということ、この世では妊婦の二人に一人が異常をきたしてしまい、ユウの母親・フジコもそうであること(精神病棟をぬけ出して徘徊している)がわかる。そして女だけの世界で唯一男の「天主様」がアイドル扱いされていた。そんな中、仕事のできないジュンのミスによって、灰原が隠していた秘密が明らかになっていく。
ネタバレをすれば、『むすんでひらいて』の曲によって洗脳され(?)男がすべて豚に見えてしまう、つまりは認識の歪みで男が豚にしか見えなかったというオチである。灰原研究室での施術は豚からではなく人の男からの人工授精に過ぎず、また妊婦の錯乱も産んだ子が豚に見えたことによるものだった。ユウの母親が「スグル!」と我が子の名を叫んで豚の檻に向かおうとするのもつじつまが合う。そしてこれらは全て、「天主様」の仕組んだことだった…。荒唐無稽ではあるが、破綻がなくこの世界を作り上げていて、その点でノンストレス。藤子・F・不二雄のブラックSFというか昭和の漫画に出てきそうな設定である。灰原ジャコ(薔薇園花江)や茶頭アスカ(池田千春)の演技も昭和的大仰さがあるが、本作にはぴったりで却って味になっている。
しかし、当日配布されたパンフレットに書かれた文章を見て、疑問が生まれる。「ジェンダーという言葉が注目され、多様な性を受け入れようとする活動の一方で反発する声もある、そのドロドロとした対立にやりきれなさを感じて、嫌悪から解放された楽園を作ろうと思って本作を作った」(注:要約)と書かれている。その意図で作られたのだとしたら、本作について単に「昭和的なドロドロ感が面白いわぁ」という調子ではいかなくなる。
なぜなら本作は単純な「男 vs 女」という二項対立の物語だからだ(それが昭和的な印象を与えている大きな要因だろう)。認知の歪みによって男の存在が消されてしまうというのは虚構(フィクション)としては面白いが、そのことによって新しい展開があったわけでも何か発見があったわけでもない。ましてやパンフに書かれている「ジェンダーの問題」は全く関係がない。むしろ警備員である茶頭アスカというキャラは「宝塚の男役」っぽくて、作られた男性像の誇張という意味で「男性性のステレオタイプを助長」していると言える。さらに言えば、現代は「生物学的性(セックス)と社会的ジェンダー」という二元論的な対立項で単純に語られることすら難しくなってきている。本作の単純さは一時代も二時代も前の感覚と言わざるを得ない。
「大真面目に受け取るなよー」と思われるだろうか? いや、「真面目すぎ」「めんどくさい」「わかりにくい」という言葉でいろんな社会的マイノリティの主張や声を封印してきたことを思うと、このことは無視してはいけない気がする。少なくともどこまで考えて作ったのか、社会での問題について理解が及んでいるのかは疑問視しておく必要があるだろう。この設定を「大真面目に」捉え、「めんどうでも、わかりにくくても」発展させれば、今回の荒唐無稽なフィクションではない、何かしらを投じる作品になる可能性もあったのではないかと残念な気持ちになった。
2023.10.14
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