劇ナビFUKUOKA(福岡)

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『注文の多い料理店』注文の多い舞台公演実行委員会

2024年2月25日(日)11:00~ @さいとぴあ多目的ホール


『注文の多い料理店』

注文の多い舞台公演実行委員会

原作:宮沢賢治

脚本・演出:中嶋さと

出演:中嶋さと(FOURTEEN PLUS 14+)、百田彩乃(だーのだんす)、古澤大輔(FOURTEEN PLUS 14+ 劇団ショーマンシップ)

舞台手話通訳:野上まり(TA-net/福岡ろう劇団博多)

字幕:宮本聡(九州大学人間環境学研究院)

手話監修:八百谷梨江(TA-net)、福岡ろう劇団博多

舞台監督:吉田忠司(FOURTEEN PLUS 14+)

照明:中山京(good Light)

音響:諌山和重(Ride on CLAPS)

衣裳:倉智恵美子

音楽:吉川達也、岡田涼生

振付:百田彩乃(だーのだんす)











 演出家・中嶋さと(FOURTEEN PLUS 14+)が難聴者も楽しめる舞台作品を初めて手掛けたのは、2023年1月の『注文の多い料理店』だった(第二弾とはカフカの『変身』)。今回はその『注文の多い料理店』を、出演者や演出を変更しての再演である。一つの作品を上演後は「終わり」にするのではなく、前作より伝わりやすく、よりわかりやすく、より面白くを目指して大事に作り直し続ける姿勢は評価に値する。1年ぶりの本作については備忘録程度になるが、気づいたことを記録しておきたい。以後、前作と表記するのは、2023年1月の『注文の多い料理店』のことを指す。


 前作との大きな違いは3つ。1点目は会場である。前作はぽんプラザホール(福岡市博多区)にて上演、平土間の舞台(客席が見おろす形)だった。今作の上演はさいとぴあ(福岡市西区)の多目的ホールで、舞台も使用してはいたが基本的にはその前面(舞台から階段を下りた地の部分、客席最前列の前のスペース)を使って演技をしていた。舞台上はスクリーン(字幕)がメイン。だが客席前スペースとの差異を利用する形で舞台を使ってもいた。例えば料理店の最後の扉を開けるシーンでは、舞台に上がる階段にライトを当てそこを登っていくことでクライマックス感を演出。また字幕スクリーンが上がると歯を模した白い山形のオブジェが現れ、その左右には大きなナイフとフォーク、いよいよヤマネコの口の中に(いざな)われ進んでいくというイメージを具現化していた。基本的に動きのあるシーンは全て客席前面のスペースで行い、舞台は限られた使い方をするという方法で、中嶋の演出の工夫が見られると思う。ただ、不満を言えばどうしても「学校巡演の芝居」臭さを感じてしまう。これは多目的ホールを使用する限界と言っていい。今回の公演の目的をどこに置いたのか――出来る限り多くの難聴者に見てもらうことか、学校巡演に適した作品にすることか――にもよるが、やはり会場の制約は大きい。作品の洗練度も上げるなら会場を選んでほしいというのが正直なところだ。


 2点目の違いは、字幕の使い方。前作に比べて字幕で出来ることをさらに模索したという印象を受けた。前作の場合は、大きな扉の絵以外には基本的に文字で、その文字のフォントや大きさを変えるという「漫画のオノマトペ表象」が私には新鮮だった。今回は、始まる前からエフェクトをかけた森の写真?のような画面が映し出されており、作品の世界へと観客を誘う。またBGMのタイトルを一つ一つ字幕にしていたのも前作とはちがう所。元からついていたBGMの名前かもしれないが、「まよいの旋律」とか「スキンケアのお時間」などBGMが表したい内容を表示したことは難聴者に親切である。また音符や文字がパラパラと落ちるアニメーションの字幕は、デザインとしての機能も果たしている。私たちは「文字」の役割を「内容の伝達」のみだと思いがちだが、それを記号として、デザインとして、視覚的効果を狙うオブジェにしている。前作以上に字幕の可能性を追求していて、面白い。


 3点目はラストシーンである。ほぼ原作通りだった前作に比べ、今作はまだまだ料理店から抜け出せないような余韻を残して終わる。最初に扉を開いて猟師二人を料理店に誘っていくのも、最後に扉を閉めるのも、舞台手話通訳者の野上まりである。

 実はラストシーンの違いより印象に残ったのが、野上という舞台手話通訳者の存在である。彼女は舞台手話通訳者として、登場人物のセリフを通訳する時はその話者になりきった演技をするのだが、そうでないときは俯瞰的(・・・)()登場(・・)人物(・・)()眺める(・・・)立場(・・)になり彼らの行動に驚いたり呆れたりといった様子を見せる。「一部でありながら全体をも見る」存在、言ってみれば「狂言廻し」である。狂言廻しとは芝居において作品の進行をさりげなく観客に伝え導く役割のことで、それ自体は珍しくない。登場人物がとつぜん観客に向かって「この時はまだ~が起こるとはだれにも分からなかったのです」などと語り「観客と同じ現実の次元」におりて物語を進行させたり理解をサポートしたりする芝居もざらにある。しかしそれを舞台手話通訳者がやるということ、この特異性に強い関心を持った。


 というのも、舞台手話通訳者を難聴者のためだけの存在として考えたら(=健聴者はその存在を無視してもいいと考えたら)、この芝居において、作品世界と現実(観客)世界を行ったり来たりするような人物はいないことになる。ところが、野上は役者の一人でもあり、その存在感は抜群。従って、難聴者のみならずどの観客にとっても野上はなくてはならない登場人物であり、「全体を説明しながらも、時として猟師の言葉を語り、時として山猫の仲間として猟師を陥れあざ笑う」という不思議な存在を自然に受け入れることになる。中嶋はそのように演出している。


 手話通訳をする立場(対象は難聴者)でありながら、役者である(対象は全観客)、そして全体の音や声を通訳するという特殊性ゆえに、役柄を固定しないという不思議さ。実は、本作を見る1カ月ほど前に『こころの通訳者たち』という映画を見て、舞台手話通訳は「全体の通訳者であり全体の役者である」ことが求められると知ったところだった。もちろん手話ができる者なら誰でも舞台手話通訳をできるわけではなく、演出もその存在をうまく活かした上で芝居を作らねばならない。(言うまでもなく野上はかなり優れた手話通訳者であるし、演出の中嶋も舞台手話通訳の役割をしっかり把握してうまく彼女を活かしていたわけだ。)その意味でも、この舞台手話通訳者とは、従来の芝居においてはかなり斬新な存在ではないだろうか。何しろ、「部分(個々の通訳)でもあり全体(全体の通訳)でもある」、「部分(役者の一人)でもあり全体(芝居そのものを表現)でもある」存在なのだ。芝居の新しい可能性を開くことにつながる気がする。


 まだ舞台手話通訳という新しい存在は浸透していないが、難聴者だけでなく健聴者にとっても新しい芝居の可能性を開いていることが興味深い。野上まりという舞台手話通訳者の存在を得て中嶋がさらに新たな境地を拓いていくのが楽しみである。

2024.04.08

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柴山麻妃

●月に一度、舞台芸術に関係するアレコレを書いていきまーす●

大学院時代から(ブラジル滞在の1年の休刊をはさみ)10年間、演劇批評雑誌New Theatre Reviewを刊行。
2005年~朝日新聞に劇評を執筆
2019年~毎日新聞に「舞台芸術と社会の関わり」についての論考を執筆

舞台、映画、読書をこよなく愛しております。
演劇の楽しさを広げたいと、観劇後にお茶しながら感想を話す「シアターカフェ」も不定期で開催中。
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