劇ナビFUKUOKA(福岡)

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劇ナビインタビューNo10 劇団四季 代表取締役社長 吉田智誉樹さん

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水上)本日はよろしくお願いします。5年ぶりになります。

吉田)前回インタビューしていただいたのは2016年です。ちょうどこの劇場の長期使用が始まる前でした。

水)今回は、キャナルシティ劇場での最後の公演という時期になりました。

吉)そうですね。

水)いろいろ複雑な思いがありますが、そのお話の前に、昨年からのコロナウイルス感染症による影響が大きかったことと思いますので、まずは四季がどのような苦労をされたのか、この1年を振り返って、この間に起こったこと、そして四季が取った対策、その辺りからお話を伺いたいです。

 

イベント自粛要請による公演の中止 劇団存亡ラインのシミュレーションを行う。

 

吉)コロナ禍はまだ継続しているので、総括する気持ちにはとてもなれないのですが、一種の記録として申し上げます。

やはり最も苦しかったのは昨年の春です。2020226日に政府からイベント自粛の要請がありました。この衝撃は大きかったですね。我々は舞台を上演し、そこから生まれる糧で生きています。糧を生み出すのは満員の客席です。これが問題とされてしまい、言葉にならないほどのショックを受けました。演劇はお客様がいないと成り立たない芸術ですので、社会に寄り添う宿命を持っています。当時、コロナウイルスは未知の疫病でしたし、我々も社会を守るために協力をしなければならない。身を切られるような思いで、要請に従って四季の全ての公演を中止にしました。先も見通せず、非常に不安でした。

 それでも、何としても組織を残さねばならない。最初に考えたことは、俳優やスタッフをどうやって守るかということです。特に公演が中止になり、出演が無くなってしまった俳優たちが心配でした。緊急事態宣言が発出され、ステイホームをしなければならなかった時期、スタッフの仕事は在宅でもできましたが、俳優たちはコンディションを保つため、家で自己鍛錬をするしかなかった。メンタル面で大きな影響を受けたと思います。また彼らの報酬は出演に紐づくため、公演がなくなったことで経済的な不安もあったはず。ですから、先ずはこの不安を解消できるよう、公演はありませんでしたが一定の報酬を支払いました。また、オンラインのレッスンなども導入し、稽古を続けられる工夫をした。再開の日はいずれ来ると信じて、その日のための準備に注力するようにしました。

 同時期に、劇団の「存亡ライン」について、シミュレーションを行いました。

コロナ禍は、おそらく我々が過去に経験したトラブルの中でも群を抜いて大きなものであり、かつ、ライブイベント業界の「一丁目一番地」を直撃した災厄です。そこで公演中止がこのまま長期間にわたって継続したり、あるいは公演が再開できたとしても客席数に大幅な制限がかかったり、さらには入場率が極端に低い状況が続いたりした場合、どのくらいの期間、この組織が存続できるのかというシミュレーションを行いました。資産状況の再点検や、借り入れの可能性の検討などです。その結果、もし公演中止や極めて厳しい客席数制限などが続いても、2年ほどは持ちこたえられる目算が立ちました。具体的なラインが見えたことで、少し平常心を取り戻すことができました。

水)具体的にはいつぐらいの時期に行ったんですか?

吉)昨年の春ですね。

水)4月、5月ですか?

吉)ステイホームが始まったばかりのころですね。

水)割りに早い段階だったんですね。

 

公演再開に向けて

 

吉)5月末ごろで緊急事態宣言が解除される見通しが立ち、公演再開に向けての議論が始まりました。

俳優たちは、最長で3ヵ月半ほどの自宅待機期間を強いられました。ですので、緊急事態宣言が解除されたからと言って、すぐに公演が再開できるわけではない。野球でいうところのキャンプインからやり直さなくてはいけないわけです。この稽古にどのくらいの時間がかかるか、どのように稽古を行うか、といったことを検討しました。

最も気を遣ったのは、感染対策です。600人いる俳優たちが一斉に稽古場に集まることは、感染防止の観点から、極めて難しくなってしまいました。万一感染者が出た場合、全く制御ができなくなってしまうからです。そこで、カンパニーごとに班分けをして稽古を行うことにしました。

 我々には、舞台セットがそのまま入るほどの大きな稽古場が3つあります。当時、6つのカンパニーが再開予定でしたので、まずは6班を半分に分けた。そして前半の3班が、3つの稽古場に分かれて稽古をするようにしました。さらに食事やトイレの場所も班ごとに全部ゾーニングをして、それぞれが交わることの無いよう徹底しました。前半組が稽古場で2週間稽古を行い、彼らが劇場に行ったあと、次の3班が稽古場で稽古を始める。この2段階を経て公演再開に向けた稽古を行いました。

稽古を始める前には、感染制御学の先生にご意見やご指導をいただき、様々なリスクについて理解を深めながら進めていきました。

水)ひとつの班で450人くらいいますね?

吉)そうですね。スタッフまで入れると、さらに多くなります。

 

撮影:重松美佐_O3A0705_m.jpg

 

再開の日が創立記念日

 

吉)劇団員から一人も感染者を出さないよう厳重な注意を払いながら、再開の日を迎えました。714日でした。この日は奇しくも、我々の創立記念日。もちろん、アニバーサリーに合わせた再開など考えたこともなく、冷静な作業工程の逆算から導き出された日程でした。この偶然には、天国にいる先輩たちが後押ししてくれているような、「お前らまだ、くたばっちゃだめだぞ」と言ってくれているような気がしましたね。公演が再開したときには、本当にみんな感動していました。毎日のように公演がある日々を過ごしていた俳優たちが、その仕事を4ヶ月近く奪われて、ようやく舞台に立てた。終演後にはみんな楽屋で泣いていました。客席は収容人数の半数しか入れられない状況だったのですが、それでもいつもより拍手が多かったように感じました。

水)それは、同じような仕事に携わっている人間として、とてもよくわかります。あの拍手ってうれしいですよね。

吉)そうですね。あの日はやっぱり特別でしたね。お客様の中にも、涙を流して喜んでおられる方もいました。

水)それを目撃されたのはどの舞台だったんですか?

吉)KAAT神奈川芸術劇場で上演した「マンマ・ミーア!」ですね。本当は3月に開幕する予定で、舞台稽古、通し稽古までやっていたのですが、そこで公演中止になってしまった。結果的に、この日が初日になったのです。数か月遅れてやっと開幕できた公演だったので、なおさらでした。

水)そうでしたか。714日。創立何周年記念だったんですか?

吉)67周年です。劇団の歴史に残る日になりました。

 

業界に画期的な動きが生まれる。「緊急事態舞台芸術ネットワーク」の成果

 

水)コロナ禍で吉田さんもいろいろ発信をされました。社会的にも変化がありました。

吉)大きなトピックとしては、「緊急事態舞台芸術ネットワーク」という業界団体が出来たことです。これは、野田秀樹さんと骨董通り法律事務所の福井健策弁護士が、粉骨砕身して作ってくださった組織です。劇団四季もここに参加しています。私は今、代表理事の一人でもあります。

水)それはどんな活動をされているんですか?

吉)公演を行うためのガイドラインを策定したり、政府との折衝を行っています。安全安心な劇場運営のためにどのような対策をすればよいのかというガイドラインを定め、関係機関と協議し、公演の再開を実現するのが最初の目的です。また、演劇界を支援したいと考えていた政府からは、「どこに話をすればいいのか分からない」と言われていました。コロナ禍以前、この業界には包括的な団体がなかった。今はこの緊急事態舞台芸術ネットワークが、演劇界を代表して政府や自治体と折衝を行っています。

私自身は、国や自治体との折衝を担いました。たとえば、緊急事態舞台芸術ネットワークの代表として、当時の総理大臣である菅さんのところに伺い、演劇界の実情をお伝えしたり、補助金の積み増しをお願いしたりしました。また、海外アーティストやクリエイティブスタッフの入国制限緩和をお願いしました。

水)これはある意味画期的ですね。

吉)本当に画期的だと思います。

水)その緊急事態舞台芸術ネットワークによって得られた成果がかなり大きいということですか?

吉)そうですね。成果は確実に表れています。

水)先ほど補助金の話が出ましたが、具体的に、四季が受けた公的な支援はありますか?

吉)経済産業省のJ-LODliveと文化庁の継続支援事業が主なものです。これらの支援には、非常に感謝しています。ただ審査が煩雑で、入金まで長い時間が掛かっています。こうした問題について、今も政府と折衝しています。

 

入場者数の制限撤廃に向けて

 

吉)今緊急事態舞台芸術ネットワークで主張していることの1つが、収容率制限の撤廃です。今(914日時点)は、緊急事態宣言や蔓延防止等重点措置が発出されると、定員の50%までしかチケットを販売できないことになっています。その時点で販売済みのチケットを払い戻す必要はないものの、かなり厳しい制限です。これは是非とも撤廃をお願いしたい(1119日にイベントの開催制限が緩和されました。マスクの着用や大声を出さないことの徹底、密集回避などの感染防止策を行えば、人数上限10000人かつ収容率の上限を100%にすることが認められています。)

水)それを交渉しているんですか?

吉)はい。内閣府のコロナ対策室の方々や、西村大臣(当時)にも直接、お目にかかってお願いしました。劇場では、お客様は基本的に全員前を向いて舞台をご覧になり、上演中は声を出されることもない。現在はどの劇場も感染対策を徹底しており、客席では会話を控えるようお客様にお願いもしています。収容率に制限をかけるのであれば、エビデンスを示していただきたいと思っています。

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福岡市のキャナルシティ劇場入口

水)たしかにそうですね。映画館は、常に換気することで安全性をアピールしています。

 

吉)劇場も、法令によって一定の換気能力を持つことが義務付けられています。これによって、必要十分な換気が既に行われている。さらにお客様には、ご観劇に際しては、自宅や職場から直接劇場にお越しいただき、終演後は速やかにお帰り頂く、つまり「直行直帰」のお願いも行っています。

 

水)早く撤廃してほしいですね、制限を。私も同じ仕事をしている経営者として、融資も含めて2年までは何とか持ちこたえられる準備をしました。先ほど吉田さんが最初におっしゃった「俳優に対しての収入の補償」というのは、経営者としてはとても大切なことで素晴らしいことだなと思いました。経営体力的に持つ期間というのは限られていると思いますが、もうしばらくコロナと一緒の生活様式の中、続けながらやらざるを得ないですね。

吉)そうですね。完全な収束に至るには、まだ時間がかかると思っています。

 

改善の兆しも

 

吉)お客様も徐々に戻って来てくださっています。今年の6月に「アナと雪の女王」が東京で開幕したのですが、特にこれが好評です。現在202212月までのチケットを販売しており、来年の4月頃までは、ほぼ完売している状況です。この作品の好調が他の演目にも影響し、全体的にチケットの販売状況は上がってきています。

水)それこそこの間、東京に出張に行ったときに、そのチケットは、もう全然なかったです。

でも「アラジン」は拝見しました。とても感動いたしました。

吉)ありがとうございます。

水)これから、まだ見通せない部分も多いですがいかがですか。

吉)今後もしばらくの間は、コロナと付き合っていかざるを得ないのでしょう。しっかりと感染対策を行って劇場の安全性を訴えながら、お客様を迎え入れ続けるということでしょうか。幸いにして、当初、劇団の存亡ラインをシミュレーションしたときよりも、状況はかなり良くなっています。

水)回復してきたんですね、良かったです。海外のカンパニーともお付き合いがあると思うのですが、海外でも昨年一年はロックダウンがあったり、パリでもニューヨークでも動きが止まっていました。今、向こうの動きはどうですか?

吉)ロンドンの劇場は7月くらいから再開しているようですし、ニューヨークは、大部分の劇場が今日から再開ではないでしょうか。

水)なるほど、そうですか。世界も少しずつ動きが始まってるようで、明るい見通しが出てくるかもしれませんね。

吉)そうですね。現状を改善するための策としては、やはりワクチンの接種率が高まっていくことだと思います。実感もあります。というのも、福岡での「キャッツ」もそうですが、65歳以上の方のワクチンを接種が進むまでは、若いお客様が多かった。若いご夫婦がお子さんをつれていらっしゃる姿はありましたが、祖父母世代がご一緒されるケースは少なかったように感じました。それが、最近は三世代で来てくださっている姿をよく見かけるようになりました。

水)なるほど。その辺でもマインドが変わってきてるということですよね。

 

四季の創作活動

 

水)コロナの話はこの辺にして、今度は四季のこれからのことをお聞きしたいです。この間「ロボット・イン・ザ・ガーデン」を拝見させていただきました。

吉)ありがとうございます。

水)いわゆる完全オリジナルとして作られましたよね?先日東京の劇場でポスターを拝見しましたが、「バケモノの子」も来春上演予定とのこと。そういう新たなオリジナル作品の創作というのを今始められています。

5年前にお話をお聞きしたときは、「浅利慶太さんが代表の時には、浅利さんの作品があった。それ以降、ディズニーなど海外作品ではないオリジナルのものをどうやって制作されますか?」とお聞きしました。その時には「劇団内でクリエイティブの才能を発掘して育てたり、外部の力を借りたり、様々な方法を考えている。ネットワークを持っているので、海外のスタッフの力をお借りすることもあるかもしれない」とおっしゃっていたのですが、その時からこの「ロボット・イン・ザ・ガーデン」についても考えていたのですか?

吉)2016年末には、「ロボット・イン・ザ・ガーデン」が題材の候補に挙がっていたはずですね。おっしゃる通りで、この作品には、演出や台本・作詞など様々な分野で外部のクリエイターが携わっており、パペットデザインとディレクションを担当してくださったのは、ディズニーの「リトルマーメイド」で協業した、イギリスのトビー・オリエさんです。「ロボット・イン・ザ・ガーデン」に登場するロボットのタングはパペットで表現することになったため、迷わず彼にお願いをしました。本来は稽古期間に来日していただいて、指導していただくはずだったのですが、コロナ禍で叶わず、創作も俳優の稽古も全てリモートで行いました。

水)えー、あれを?

吉)イギリスにいらっしゃるトビーさんが、ご自身で作った小さいタングを画面越しに見せながら、足はこういう風に動かすんだよ等、具体的に指導してくださったんです。俳優たちがタングを操作するのも、最初は非常に苦戦していて、ジタバタしているだけで、ただの“物”にしか見えなかったのですが、今は御覧の通りで非常にスムーズですし、彼の意思を正確に表現出来ています。これは全て、トビーさんのご指導の賜物です。

水)久しぶりに作られた新作でパペットを使っているというのがちょっと意外でした。

吉)どうやってタングを表現するかを試行錯誤している中、パペットを使うという結論に至ったのは、トビーさんの存在が大きかった。この人に相談すればいいアイディアを出してくださるんじゃないかと。結果、とても愛らしいタングを作り上げてくださった。お客様にもたいへん人気があります。

 

映像配信

 

水)ちょうど開幕は緊急事態宣言の最中でした。ライブ配信もやりましたよね。

吉)劇団四季として初めてのライブ配信となりました。

水)あれについては、どういう経緯で?

吉)収益の多様化という目的が第一です。ライブ配信が演劇の感動を100%代替することはできませんが、遠方にお住まいの方や劇場に足を運べる環境にない方が、配信を通じて作品をお楽しみいただけるメリットは大切にしたいと考えました。

水)配信をご覧になった方というのはどのくらいの規模いらっしゃるんでしょうか?

吉)こちらの予測を大きく上回る数のチケットをご購入いただきました。本業を補えるほどではありませんが、一定の成果はあったと思っています。

水)本業はもちろん生の演劇。四季はずっと演劇専科でやってこられているのでそれは変わらないと思うんですが、今おっしゃった観劇機会の拡大と収益の多様化のことも含めると、今後の1つの課題にはなりますね。

吉)ライブ配信は今後も継続していきたいと思っています。「はじまりの樹の神話~こそあどの森の物語~」というオリジナルのファミリーミュージカルが今年8月に自由劇場で開幕したのですが、この作品でも2日間で計4公演、ライブ配信を行いました。ただ、ライブ配信や映像の二次使用は、海外から輸入する作品では契約的に許されていませんので、我々自身が権利を持つ作品でないとできません。ですから、今後は新しいオリジナルコンテンツの創作が、ますます重要度を増してきます。先ほど話題になった新作の「はじまりの樹の神話」は、福岡でも来年2月に上演予定ですので、ぜひ生の舞台をご覧いただきたいですね。

はじまり撮影:下坂敦俊_Y5A2294_クレジット入り.jpgのサムネール画像

はじまりの樹の神話

 

新作の魅力を大いに語る

 

水)オリジナル作品の創作活動には期待したいです。

吉)多少無謀だと思われても、「年に1本、新作オリジナルを作る」という目標を掲げ、ここまでは何とか実現出来ています。2019年は「カモメに飛ぶことを教えた猫」というファミリーミュージカルを、昨年には「ロボット・イン・ザ・ガーデン」、今年が「はじまりの樹の神話」です。ファミリーミュージカルと一般ミュージカルを交互に創作しています。そして来年が「バケモノの子」ですね。

水)「バケモノの子」は長編アニメーション映画が原作ですが、オリジナル作品の創作活動はいわゆる原作探しからですか?

吉)先ほど挙がった4作品はすべて原作があります。「カモメに飛ぶことを教えた猫」、「ロボット・イン・ザ・ガーデン」、「はじまりの樹の神話」の三作は小説が原作ですね。「バケモノの子」は、おっしゃる通りで、今年「竜とそばかすの姫」が大ヒットした、細田守監督率いるスタジオ地図製作のアニメ映画です。原作、すなわち題材探しが1番大事です。

水)原作探し。次に台本作成、作詞作曲というスタッフワークがある。

吉)はい。実際の作業に入る前には、クリエイターの布陣を決めなければなりません。「ロボット・イン・ザ・ガーデン」では、長田育恵さんと小山ゆうなさんという2人のクリエイターに、それぞれ台本・作詞と演出を担当していただいたのですが、非常にいいチームになったと思っています。私は長田さんのファンで、以前からよく舞台を拝見していました。特に印象に残っているのが、こんにゃく座のオペラ「遠野物語」。柳田国男の伝聞集を見事なストーリーに組み立てておられて、その構成力に感心しました。新しいオリジナル作品の台本をお願いするのはこの人しかいないとオファーをしたら、ご快諾を頂きました。

水)そうなんですね。そうやって社長自ら、発掘されることもあるのですね。

吉)小山さんの舞台は、世田谷パブリックシアターで上演された「チック」という作品を拝見しました。読売演劇大賞の優秀演出家賞も受賞された作品です。これは、いわゆるロードムービー型のお芝居でした。ロードムービーのようなストーリーを舞台にするのは、様々な工夫が必要で、難しいんです。場所の変化や移動を、限られた舞台上で表現しなければならない。小山さんはそれを見事に捌かれていました。ご覧になってお分かりのように、「ロボット・イン・ザ・ガーデン」は世界中を旅するお話ですからね。こういう複雑な構造を持った物語の演出には小山さんしかいないと思い、お願いをしました。

 

「バケモノの子」

 

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水)「バケモノの子」はいかがですか?

吉)「バケモノの子」の演出は、青木豪さんです。青木さんとは2018年に上演した「恋におちたシェイクスピア」で一度、一緒にお仕事しているのでよく存じ上げています。青木さんも本当に素晴らしい演出家です。キャストと一緒に役を作るような演出をされる。

水)これは2022年の春からですね。今はまだ本の最中なのかな?

吉)台本は劇団のOGで、「アナと雪の女王」の翻訳で知られる高橋知伽江さんにお願いしました。ほぼ出来上がっています。少し前に仮のキャストで読み合わせを行いました。まだ音楽も歌もない状態ですが、非常に素晴らしい出来でした。親子の愛、つまり親が子を想う愛、子が親を想う愛が丁寧に描かれていて、幕切れは非常に感動的になりました。また、異世界の物語ですから、イリュージョンやトリックも使われる予定です。お客様をびっくりさせつつ、最後は大きな感動で包み込みたいと考えています。

水)そうですか。それは楽しみですね。

吉)乾坤一擲の勝負です。劇団四季史上、最大規模の新作オリジナルミュージカルとなります。しっかりと準備して、成功させたいです。また、すぐには無理ですが、将来は海外で上演するといったことも考えていきたい。

水)いいですね。そういう勝負に出られるのは、とっても応援したくなります。

吉)ありがとうございます。頑張って良い舞台を作りたいと思います。

水)楽しみになってまいりました。

 

キャナルシティ劇場の専用使用の終了

 

水)ここキャナルシティ劇場の専用使用が来年で終了ということですが、福岡や九州での今後の四季の活動についてお話を聞かせてください。

吉)20225月でキャナルシティ劇場との契約が終了します。我々は継続したかったのですが、オーナーのご意向を尊重しなければなりません。また、ここまでの間、劇場の占有使用を認めてくださったオーナーには、心から感謝をしています。

コロナウイルスの影響を受けるまでの平均入場率は90%を超えていました。我々としてもしっかりとした成果を残せたと感じています。今後も福岡、九州での演劇活動は続けていきたい。一旦は、全国各地を巡演するツアー公演のスタイルで、福岡や九州の各都市をお邪魔するという形になると思います。必ず年に数回は公演させていただこうと考えています。

水)福岡には劇場が少ないですよね?

吉)おっしゃる通り、長期間お借りできる劇場が少ないので、公共ホールを使って、お貸しいただける期間内での公演をするということになります。最長1週間程度と伺っていますので、公演は45日程というところでしょうか。「キャッツ」や「オペラ座の怪人」、「ライオンキング」といったような設営に長期間を要するものは、現状では上演が難しくなります。

ただ、この状態がベストではないと感じています。これまでずっと拠点劇場を構えて公演をさせていただいた都市ですので、手段がないかを模索していこうと思っています。

水)福岡市では大型ミュージカルが上演出来る劇場がキャナルシティ劇場と博多座と福岡市民会館。市民会館が今、建て替え準備中で、建て変わっても、貸館として手一杯になりそうなんですよ。福岡には劇場が足りていないんじゃないかと思うのですが、いかがですか?

吉)そうなのですね。我々としても、フレキシブルな運用をして下さる劇場がもし福岡にあれば、可能性は広がります。

水)ぜひ働きかけてください。

吉)努力は続けますが、我々だけでは難しいかも知れません。地元のご協力が得られれば力強いと思います。

 

専用劇場は福岡に必要?

 

水)これから福岡では、舞台設営に時間のかからない規模の作品が上演されるということですね。

吉)例えば「ジーザス・クライスト=スーパースター」はツアー公演の実績もありますし、「ロボット・イン・ザ・ガーデン」は来年全国ツアーを行います。そういった種類の作品が主になると思います

水)長期公演が無くなるということは、日常生活にミュージカルが溶け込んでいた生活がスポーンとなくなってしまうという問題もあるわけですよね?

吉)現状では、長期間のロングラン公演は難しいです。お客様には本当に申し訳ないと思っております。

水)あったものがなくなるのですから、そのことに対する働きかけというのは起きてもいいと私は思うのですが。

吉)福岡でも多くの方が「四季の会」という会員組織に入会されていますし、その方々に対してソフトを提供し続ける責任が我々にはあると思っています。ただ、現状では如何ともしがたい。コロナ禍で経営基盤に直撃を受けている状況では、我々自身が劇場を建てるという選択肢も難しい。やはり現在ある劇場をお借りするという形は変えられないと思っています。そして現状、長期間でお借りできる劇場の目処が立っていないということです。

水)今はですね。しかも、建てると言っても劇場の建設には何年かかかりますからね。

吉)そうですね。また仮に長期間お借りできる劇場があったとしても、劇場の予約というのは通常2年先、3年先になります。現状、目処がたっていないということは、少なくとも数年間はツアー公演を中心とした上演になるかと思います。

水)昔、百道浜にキャッツ・シアターを建てられましたね。

吉)はい。ただ、あの劇場はテント型の仮設劇場でした。これは「キャッツ」だから実現したこと。テント型の劇場は外の音も入ってしまいますが、これは都会のゴミ捨て場を舞台にした「キャッツ」だからこそ許される。同じ条件で「オペラ座の怪人」を上演するというわけにはいきません。

水)そうですね。

吉)また、「キャッツ」には、いわゆる吊りものがありません。劇場にはフライタワーという、吊りものを収納する部分があるのですが、「キャッツ」を上演する劇場にはこれが必要ない。ですから、テント型でも上演できるんです。

水)たしかに、おっしゃる通りですね。では、当面は我慢するしかないということですね。

吉)本当に申し訳ないと思っています。

水)劇場を立てるには10年くらいかかりますから、ぜひ、早めに声掛けていただいて、動いてください。実績を使ってですね、プロモーションをぜひ、働きかけをお願いします。

 

コロナ後を見据えて。演劇の唯一無二の体験価値とは

 

水)最後の質問になります。withコロナにおいての我々のエンターテインメントについて、ご意見等があればお聞かせください。

吉)コロナ禍に見舞われ、「演劇とはなにか?」をこれほど考えた日々はありませんでした。「ニューノーマルな業態でないとどの業界も生き残れない」という声を耳にし、では「演劇のニューノーマルとは一体なんだ?」と考え抜きました。

ライブ配信は、その一つの答えなのかもしれません。しかし先ほども申し上げた通り、映像がベースになる配信では、演劇の魅力を必要十分に代替できないと強く感じていました。そんな時、ある雑誌に掲載された「チームラボ」の代表者、猪子寿之さんのインタビューを目にしました。猪子さんはその中で、「アフターコロナのようなものはない。以前からあることは加速するが、これまで起こっていないことは、いずれ元に戻る」ということをおっしゃっていました。

その言葉が非常に腑に落ちて、頭の中が整理できました。「これまで起こっていないこと」には必ず理由がある。それは、「起こるべき価値が無かった」からだと思うのです。ライブ配信やzoomを使った演劇は、コロナ以前には存在していなかった。それは、このような手法が、そもそも演劇足り得なかったからだと思います。演劇の魅力の源泉は、人同士が直接その場で相対し同じ空気を共有する「同時性」と、同一公演であっても全く同じ舞台は二度とできないという「一回性」です。配信ではこれがどうしても伝わらない。ネットや映像が演劇の完全な代替足り得るためには、映画「マトリックス」のように、人間の神経組織に直接電気信号を送るような技術でも開発されない限り、恐らく難しいのではないかと思います。世界がどんなにリモート時代に変わろうとも、演劇の魅力は、このアナログで手間が掛かる構造そのものに存在している。だから、「いずれ元に戻る」と思うのです。

撮影:重松美佐_O3A0198_m.jpgのサムネール画像

水)そうですね。観客も舞台を構成するひとつの要素ですよね。

吉)その通りです。お客様がいない演劇というのはありえない。お客様がいなければ、それは舞台稽古にすぎない。演劇は、観客が客席に座って、初めて成り立つ芸術なのです。これまで人類の歴史には様々な疫病の流行や戦争、災害がありましたが、演劇は古代ギリシャの時代から今まで、ずっと同じ形で残っている。演劇はしぶとい芸術なのだと思います。

 

水)最後に力強い言葉をもらいました。ありがとうございます。おっしゃる通りですね。本当に長時間、ありがとうございました。これからの活躍をご祈念いたします。ともに生き残っていきましょう。

 

 

<編集後記>

吉田社長へのインタビューは2回目になります。

コロナウイルスの世界的な感染拡大で大きな影響を受けた演劇業界ですが、いち早く組織の維持に向けて動かれた吉田さん、真っ先に劇団員の生活保障を行ったことは素晴らしいことです。

まだ終息が見通せない中で、厳しい一年間を振り返ってもらいました。

インタビューの中で、一番生き生きと話が進んだのは、作品を語るときでした。

演劇少年のように作品の魅力を語る吉田さんは嬉しそうに笑顔がこぼれて、ああ、ホントに演劇がお好きなんだと感じました。

キャナルシティ劇場とこれからの福岡の話の時には苦しそうでした。質問者側がつい突っ込みすぎまして、いろいろとプレッシャーをかけてしまいました。

今後のコロナ後について、演劇の価値を語っていただきましたが、同業者として共感する話でした。

 

この取材は2021914日に行いました。

内容については、取材時の状況が反映していますこと、ご了解ください。

 

文責:水上徹也

2021.12.17

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劇ナビインタビューNo9 襲名50年を迎えられた歌舞伎俳優 四代目片岡亀蔵さん

歌舞伎俳優 四代目片岡亀蔵さんが、今年で襲名50年を迎えました。

五代目片岡市蔵の次男として生まれ、初舞台は1965年12月。本名の片岡二郎を名乗って、なんと4歳で歌舞伎座の舞台に立ちます。

1969年11月の十代目市川海老蔵(十二世團十郎)襲名披露興行に四代目亀蔵を襲名して、『弁天小僧女男白浪』の「丁稚三吉」として出演。当時8歳の襲名でした。

二世尾上松緑の元で修業し、十八世中村勘三郎の平成中村座やコクーン歌舞伎に常連として参加。

新作歌舞伎での演技は自在で、脇役としての存在感は唯一無二。歌舞伎以外に、映画や現代劇にも出演し、その演技力を発揮しています。

今回、平成中村座小倉城公演にご出演の亀蔵さんを、平成中村座のお大尽席にお呼びして独占インタビューしました。

今回の劇ナビインタビューは、動画でご紹介します。

なお、「平成中村座小倉上公演」は、令和元年11月1日~26日まで、小倉上勝山公園内の特設劇場で上演中です。



片岡亀蔵さん

2019.11.19

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劇ナビインタビュー No8 劇団四季 代表取締役社長 吉田 智誉樹さん

ミュージカル『美女と野獣』が好評のうちに千秋楽を終えました。
福岡で3年間の“キャナルシティ劇場”の専用使用を発表した劇団四季の吉田社長にインタビュー。
浅利慶太氏からバトンを渡され、劇団四季のかじ取りをどのように進めているのか、お話を伺いました。

バトンを受け継いで

水上:浅利慶太さんからバトンを受け継いで2年目になります。浅利さんはカリスマ的なものをお持ちだったと思うのですが、引き継いだ今のお気持ちと意気込みをお聞かせください。

吉田浅利慶太先生は、歴史に何人出るかわからない偉大なカリスマです。本当に多くのことを自らで切り開き、強烈なリーダーシップで組織を率いてこられた。私は凡人ですので、当然同じようにはできません。自分としては、劇団内の各部門と議論し、その上で最善の選択をする。二年間そんな方法で社長業に取り組んできました。これからも変わらないと思っています。
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劇団四季という組織に流れる「血液」の確認

水上:浅利さんはオリジナルのミュージカルも創られていましたが、全国的な劇団四季のこれからをどのようにお考えですか?

吉田:四季は、私が引き継いだ2年前から約1,200名の大きな所帯のままで、俳優が600名、技術者が300名、営業などの経営部門に300名ほどの所属員がいます。浅利先生が退かれた後も、この巨大組織が変わらずに運営され、お客様に作品を届け続けることが一番大切です。幸い、四季には浅利先生の残された理念がある。先生の卓抜したところですが、この理念や、方法論が極めて具体的なのです。抽象的なところが一つもない。俳優、技術スタッフ、経営スタッフ、それぞれに、細かくリアルに残っています。だから、まず我々は、この教えに忠実であろうと考えました。理念を組織の「血液」とすると、全員がこれを共有しなければいけない。カリスマが直接指揮をとることはないが、そのスピリッツで組織を動かすということですね。
しかし、演劇界や日本のお客様も少しずつ変化していきます。教えや理念を尊重することは、それを盲信することと同義ではありません。当然、アジャストは必要になる。時には全く新しいチャレンジも必要でしょう。新体制の3年目以降は、この作業が中心になると考えています。
海外ミュージカルの日本版レプリカを制作することは、今でも問題なく可能です。例えば東京での『アラジン』は大ヒットしていますが、これは新体制になってから作り出したものです。問題はオリジナル作品の創作でしょうか。もちろん、すぐに実現できるとは思ってはいません。ただ浅利先生の時代にも、「昭和の歴史三部作」『ユタとふしぎな仲間たち』など数々のオリジナル作品を生み出していますから、創作を志向するエネルギーは組織の中に蓄積されているはずです。

 

創作のエネルギー

水上:作・演出はやはり劇団内に育てていくのですか?

吉田:いま、その問題を議論しているところです。先ずは劇団内から出てきてくれることを願っています。そのためには、組織の中に才能を発掘し、育てるシステムを作る必要がある。一方で演目の多様性のためには、或いは外部の力を借りた方が良い時もあるでしょう。今年も一つトライアルを行いました。それは『ウェストサイド物語』の再演です。既に四季で1400回ほど上演している定番中の定番作品で、福岡でも09年に上演しています。ただ全体のテンポ感や、今のお客様が求めている躍動感などには課題もあると感じていました。そこで『ウェストサイド物語』を作ったジェローム・ロビンスの財団が公認する演出家、振付家であるジョーイ・マクニーリーさん─07年版の振付担当でもあり、浅利先生とも一緒に仕事をして四季のことも理解している─にリメイクをお任せしてみようということになったのです。

水上:確かにミュージカルは、国内の演出家と限らずに世界中から引っ張ってこられます。

吉田:そうですね。海外作品の上演を契機に生まれた人間関係もたくさんあります。

水上:これは福岡公演も考えていらっしゃいますか?

吉田『ウェストサイド物語』新演出版は、この年末年始に福岡で上演されます。上演時間が15分くらい縮まってテンポが良くなりました。

水上:演出に伴って装置も変わったのですか?

吉田:装置は、舞台美術家の土屋茂昭さんによるニューバージョンです。

 

福岡のポジション

水上:キャナルシティ劇場をこの先3年間専用使用されます。福岡というのは全国の展開の中でどういうポジショニングですか?

吉田:九州地区の拠点ですね。交通のインフラが整い、地域のエネルギーもパワーアップし、九州における福岡のプレゼンスは非常に大きくなっている気がしています。そこに定期的に我々の作品を提供できるのは非常にありがたいですね。大切な場所だと思っています。

水上:3年ということですが、その後の継続はお考えですか?

吉田:まずは与えられた3年間、全力を尽くすことだけを考えています。3年後の社会状況、福岡演劇界全体の動向、劇団の創作能力、上演できる作品の有無などを考慮し、総合的に判断したいと思います。

 

海外戦略について

水上:ほかのプロダクションからも言われることが多いですが、福岡はアジアが近くて、上海は東京に行くよりも近い。釜山も1時間で行ける。四季では海外戦略は考えていらっしゃいますか?

IMG_9525.jpg吉田:例えば、インバウンドのお客様が我々のターゲットになるのかどうか。四季の主力ラインナップは、現状では海外の翻訳ミュージカルです。ブロードウェイやロンドンの名作を翻訳して日本で上演しているわけですが、インバウンドのお客様が求めている作品が果たしてこういうものなのか。意志さえあればロンドンやニューヨークにも行ける方々が、福岡や東京で何をご覧になりたいかをしっかりと分析しなければいけない。インバウンド専用の作品を開発する必要があるかもしれません。まず、海外のお客様が日本のショウビジネスに何を求めていらっしゃるのかを知る必要がありますね。

水上:「福岡に来ているから四季を見てもらおう」ということではない、と?

吉田:宝塚や歌舞伎、文楽などは日本にしかないので、海外の方は興味を持つかもしれませんね。我々は慎重に考えたいと思います。

水上:海外公演に行くことは?

吉田:将来的にはオリジナル作品を海外でも上演したいですね。そういう時代が来るよう努力したいと思います。

ミュージカル『リトルマーメイド』

水上:経営者としても手堅い、堅実な印象をお受けします。福岡では具体的には年末に『ウェストサイド物語』を上演されて、そのあといよいよ『リトルマーメイド』ですか?

吉田:その通りです。そして、キャナルシティ劇場での仕事を再開するにあたり、我々は、2010年に常設劇場からスキームを変更した際の出来事を忘れてはいけないと思っています。発言が二転三転し、お約束した公演も実現できず、お客様に迷惑をかけてしまった。だから今回は、先ずは与えられた3年間の中でしっかりと仕事をしたい。無理のないところからチャレンジを始め、将来を考えていきたいと思っています。また「お客様が何をお望みか」を考えた時、やはり福岡で未上演の“新作”が良いと思いました。『リトルマーメイド』は東京で上演中ですが、非常に強い動員力を持っています。

水上:福岡と東京のダブル公演ではなく、東京の舞台を福岡に持ってくるということでしょうか。

吉田:実は名古屋に新劇場を作り、そのこけら落とし公演も同じ『リトルマーメイド』なのです。今年10月にスタートしますが、福岡公演はこれと並行して開幕します。しばらく福岡、名古屋の2班体制です。

水上:それでは役者を2班作らなくちゃいけない。

吉田:2班並行上演は『美女と野獣』『ライオンキング』で体験済みなので、その困難さは十分わかっています。高度な演技力、歌唱力、ダンス力のある俳優を常時複数名シフトしなければならない。大変ですが、良い作品をいち早くお届けするためにはこの方法しかありません。

水上:それは期待が高まりますね

吉田:セットももう一つ作るので、日本初演と同様のエネルギーが必要です。

水上: 動員目標はどのくらいですか?

吉田:できるだけ長く続けたいですね。先ずは一年のロングランを目標に全力を挙げます。

水上:せめて一年は続いてほしいですね。

 

福岡エリアのポテンシャル

吉田:東京の実績を分析すると、福岡でもそれくらいのポテンシャルは十分にあるはずです。

水上:『ライオンキング』は福岡の最初の公演の動員が69万人です。

吉田:公演回数も700回ですからね。驚くべきエネルギーです。福岡の潜在的な文化力を垣間見た体験でした。

水上:他の都市に比べてこの数字はどうなんでしょう?

吉田:例えば名古屋などと比べても遜色は無いですね。

水上:そうですね、名古屋の方が人口的には福岡の倍以上はいますからね。

吉田:当時の福岡における『ライオンキング』の浸透度、プレゼンスは、名古屋以上のものがあったかもしれません。

水上:新幹線ができてから、「北九州芸術劇場に鹿児島から観に来る観客が増えた」という話もあります。九州の交通環境が変わって、九州各県の人たちが移動する距離が大きくなってきているんでしょう。

 

四季版『リトルマーメイド』

水上:実は私、『リトルマーメイド』を以前、ニューヨークで観たんです。装置はすごいのだけれども、なにか不消化に終わって、、。

吉田:私もニューヨークのオープニングナイトを観劇しました。これは、日本で上演するとなると相当なコストが必要になると感じたのが第一印象です。

水上:なるほど。

吉田:結局、ニューヨーク版は四季では上演しませんでした。その後、ディズニーの幹部から新しいバージョンがオランダで誕生するとの話を聞き、直ぐに観に行きました。実は、四季で最初にこの作品を観たのが私なのです(笑)。ロッテルダムのホテルから当時の浅利社長宛てに、「素晴らしい作品だから上演すべきだ」というリポートを送ったことを今でも覚えています。

水上:まさにブロードウェイ版もヨーロッパ版も見たわけですね。

吉田:ナンバーがいくつか追加になり、ニューヨーク版にはない重唱が使用されるなど、物語が深まっているのが特徴です。登場人物それぞれの心情を、しっかりと観客が理解できるようになっています。

水上:それをやることになったわけですね。実際、劇団四季の『リトルマーメイド』の評判はいいです。

吉田:普段は海外オリジナルの舞台をダウンサイジングして日本に持ち込むことが多いのですが、この作品では逆に、ビジュアル面を更にスケールアップさせました。ディズニーと四季のクリエイティブチームが協力して、魚の種類を増やしたり、船をスケールアップしたり、いろんなテクニックを使ってより豪華にしたのです。これが福岡に来るわけです。

水上:ヨーロッパ版とも違う四季版ということですね。

吉田:世界のプロデューサーがディズニー社に『リトルマーメイド』を観たいと問い合わせると、「日本に行って観てください。それが今の我々のスタンダードだから」と言ってくれるほどです。

水上:東京での上演は3年くらいですか?

吉田:そうですね、東京では3年以上上演し、ほぼ満席ですね。

水上:リピーターが多いんでしょうか?

吉田:リピーターのお客様もいらっしゃいますが、初めてのお客様も多いかな。一番多いのはお嬢さまのいるご家族ですね。この作品は娘をお嫁に出す話です。だから、終演時の表情を拝見していると、どのご家庭でも、一番感動しているのはお父様ではないかと思われます(笑)。

水上:それは気になりますね。(笑)アニメと同じ内容ですか?

吉田:ストーリーは同じですが、キャラクターそれぞれの「背景」が追加して描かれ、ドラマが深まっています。アリエルがなぜ陸を目指すのか、エリックがなぜ海に向かうのかという「動機」が、観客に分かりやすく伝わるようになっているのです。

水上:アニメと違って舞台になるとリアリティが大事になりますね。その他には?

吉田:もう一つ特徴を申し上げておくと、フライング技術でしょうか。全てコンピュータープログラムで、動きはプリセットされています。吊られている人はその動きを頭に入れて、ポジションにつくときにどういう演技をするのかを覚えておくわけです。これは普段と逆で、人間が機械に合わせるんですね。

水上:それは難しそうですね。

吉田:とても難しいです。しかし人間が手で綱を引くことでは不可能な、細かい動きが表現できます。「水をたゆたう人魚」を、お客様にリアルに感じていただけるわけです。

水上:その印象は覚えています。ニューヨークで観た時にも本当に水の中のような印象を受けました。
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 ⓒDisney


九州の俳優たち

水上:俳優の人たちが2班なので、たくさん必要という話でしたが、九州出身の俳優の方はいらっしゃいますか?

吉田:ボーカリストは九州出身の人たちが多いですね。そういう意味でも九州での仕事を継続し、これからもミュージカルを志す人たちが四季を目指してくれるといいなと思いますね。

水上:浅利さんがおっしゃっていましたけど、九州の人は喉が強い、だから歌がうまい人が多いと。

吉田:実際にそう感じます。俳優約600名の中で、九州・山口出身者が60名くらいいる。結構な比率ですよね。もちろん東京や大阪の出身者も多いけれど、人口対比だと九州は群を抜いて高くなります。

水上:名古屋と福岡同時ということで、福岡版には九州の俳優が中心になりますか?

吉田:東京初演のオープニングキャストの中に九州出身者が何人かいます。全体のシフトの関係もありますが、彼らが出演してくれればうれしいですね。

 

その次の作品の候補

水上:3年間のうち、最低1年間のロングランを考えてらっしゃるということは、同時並行で『リトルマーメイド』を上演しながら次のことも仕込まないといけないということですよね。

吉田:福岡シティ劇場時代は、企画の決定から上演までの期間が短かった。今回はそれだけは避けようと思います。『リトルマーメイド』を早く発表したのもそのためですし、その次の作品についてもできるだけ早く発表したいと思っています。十分準備に時間をかけて、お客様に周知徹底する機会を作って進めていきたいなと思っています。

水上:その候補は?

吉田:まだ詳しくはお知らせできませんが、新作や、しばらくやっていない作品が対象になります。例えば『オペラ座の怪人』。最後に福岡で上演したのは03年。これは十分再演可能だと考えています。『ライオンキング』も、最後に上演したのは09年。随分時間が経ちました。

水上:前の『ライオンキング』から、もう10年ぐらい経っているんですね。

吉田:再演と新作のバランスをとりながら考えたいですね。

 

人材育成

吉田:作品を供給する体制の整備が目下の最大の課題です。特に「優秀な俳優の確保」ですね。オーディションを行うと、ほぼ毎年、1000名以上の志望者がくるのですが、この人たちを鍛えて、四季の舞台に立てるようにしなければいけません。

水上:毎年1000名の応募があるんですか! その中から何人を採用するんでしょう?

吉田:採用は60名程度ですね。新しい若い才能をどんどん組織に入れて活性化し、彼らが舞台だけで生活できるようにするというのは、浅利先生が作った優れたスキームです。これが四季のエンジンですね。止まらないように常にガソリンを入れていかないといけない。劇団には、もう既に浅利先生を知らない世代もいるんですよ。

水上:すでに知らない人が団員の中にいるんですか?

吉田:俳優、技術、経営を合わせて、毎年100名弱の新人が入団します。新体制になって2年ですから、浅利先生と直接仕事をしたことがない人も徐々に増えている。そういう人たちに、最初にお話したこの組織を貫く「血液」のようなもの、劇団の理念を正確に伝えることが一番大切です。これは、先生から直接教えを受けた我々の責任だと思っている。劇団総会などの機会には、常にこのことに触れています。

水上:ミッションを繰り返し話すことは大事だと思います。

吉田:その通りですね。それだけ大事なことだと思っています。

 

制作という仕事に誇りを

水上:四季に入られたのは経営(営業)スタッフとして入られたんですか?

吉田:そうです。経営の入団試験を受けて内定をいただき、参加しました。今年で29年経ちました。来年30年です。

水上:俳優になりたいとかはなかった?
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吉田:全くないですね。とはいえ、学生時代は演劇をやっていました。初めて演劇部に入ったのは高校時代です。その時は俳優を何回かやりましたけど、もう二度とやるものかと思いました。演技力もありませんし、人前で台詞を言うことが恥ずかしくてたまりませんでした(笑)。昔から裏方の方が性に合っていたのだと思います。そして、裏方には裏方なりの喜びもあります。もちろん我々は、お客様から直接劇場で喝采を受けることはできない。私は若いスタッフに良く言います。「我々は俳優のように直接お客様から拍手をもらうことはない。しかし拍手をして下さるお客様は、我々の仕事の結果、この劇場に足を運んでくれたのだ。そこに誇りを持って、仕事に向き合いなさい」と。

水上:吉田さんの仕事への向き合い方ですね?

吉田:そうですね。不遜かもしれませんが、自分が集めたお客様からの拍手を、「後ろ向きに、最後列で聴く誇り」ですね。
 

 

演劇=観客とセットで成り立つ芸術

水上:吉田さんの信念は何でしょう?

吉田:これも浅利先生から何度も教えていただいたことです。演劇は常に同時代のお客様に劇場に来ていただかないと成り立たない芸術です。絵画、小説、音楽などは書かれた作品が残るので、同時代には酷評されても、百年後に発見されて価値が再評価される可能性はあるわけです。でも演劇にはそれは絶対にない。何故なら演劇の半分の成分は、それをご覧になるお客様だからです。観客の居ない演劇はあり得ない。だから演劇という芸術が成立するには、言葉は悪いけれども、その時代の気分や風俗に寄り添わざるを得ない。そのことを、浅利先生が敬愛していた演出家のルイ・ジュヴェ「恥ずべき崇高さ。偉大なる屈辱」と言っています。本来芸術家は自分の信念だけに忠実であるべきなのでしょうが、演劇だけはそうはいかない。時代におもねる屈辱さ─ある種のプロデュース感覚─が不可欠であり、演劇という仕事の秘密を解くカギはそこにあるという意味なんですね。私は仕事を続けながら、いつでもこの言葉には大きな「実感」を持っています。

水上:今のお話は、舞台芸術の仕事に携わっている者としてとてもよく理解できます。

吉田:だから演劇の仕事では、先ずお客様から見える舞台の「玄関」を出来るだけきれいにして、どんな方にも入りやすいようにしなければならない。芸術的な深みを求めるなら、玄関をお入りになった後、お客様と一緒に奥まで歩んでいけばいいわけです。

水上:台本がしっかりしていると、奥まで歩むことが出来ますからね。

吉田:例えば、先日福岡で千秋楽を迎えた『美女と野獣』には、「人間に戻りたい」というナンバーがあります。物に変えられてしまった人たちが人間に戻れる日を夢見ている歌ですが、幸せに生きるとはどういうことかを問いかける、一種の「幸福論」が歌詞になっている。非常に奥深いことを歌っているんですね。これを、どれだけ深い余韻、含蓄と共にお客様にお伝えできるかが、その舞台の真の実力なのだと思います。

 

街に必要な要素=劇場

水上:福岡で『キャッツ』を上演されて20年くらいになります。

吉田:90年ですから26年前ですね。私が初めて福岡に赴任したのもその時です。入団2年目の広報担当でした。人間関係も何もない中で、名簿一つ持って、演劇担当の記者の方を一人ずつ訪ね歩きました。皆さんからいろいろなことを教わった。自分の仕事のベースを作ってくれた街です。
『キャッツ』初演後も福岡での仕事に縁があり、旧福岡シティ劇場を作ってくださった福岡地所、旧福岡シティ銀行(現西日本シティ銀行)の方から、「良い街に必要な要素はいろいろある。まず一つは相撲の場所、もう一つが野球とサッカーのチームがあること、そして劇場があることだ」と聞いたことがあります。プロスポーツや相撲など、社会的なインフラと同列に演劇や劇場を考えてくださったということがすごく嬉しかった。我々も、このご支援に応えるべく一生懸命やってきたつもりです。

水上:また新たな挑戦がこれから始まるということですね。

吉田:格別の思いがありますね。

水上:今日はありがとうございました。3年を乗り越えて、さらに続いていくことを願っています。
 

※インタビューを終えて

吉田さんの口から、何度も「議論しています」というフレーズが出されました。戦略を練り、集団をまとめ、組織的に前に進む。経営者としては当たり前のことのようですが、「浅利慶太の四季」というイメージが強かった今までの劇団四季という組織を、次のステップに向ける、大きな仕事をされていることがひしひしと伝わってきました。
日本のミュージカル界に優秀な俳優を輩出してきた劇団四季の役割は大きいし、福岡でもミュージカルファンを育ててきました。今後、劇団四季がどのような舞台を創り、新たな人材を輩出していくのか、期待は高まります。
 

取材:水上徹也(株式会社シアターネットプロジェクト 代表取締役)
 

2016.10.06

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劇ナビインタビュー No7 大野城まどかぴあ 文化芸術振興課係長 小磯 上(こいそ ほずる)さん

大野城まどかぴあが、2016年にプロデュース公演を制作すると発表しました。

作者には、劇団☆新感線の座付作家:中島かずきを迎え、南河内万歳一座の座長:内藤裕敬が演出、俳優:池田成志が出演という豪華な布陣が、福岡の演劇関係者を驚かせました。プロデュース公演の仕掛け人である小磯さんに、まどかぴあの行っている事業とここに至る経過、これからの課題をお聞きしました。

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水上 小磯さんが、この仕事を始めたきっかけは何だったんですか?

小磯 生の舞台を観ることが好きで、もともとは観客でした。創る側の楽しさを知りたくなったんです。創ることを知らないド素人だったので、経験をしたかった。まどかぴあの面接のときに「あなたは、大野城まどかぴあで何をしたいですか?」と聞かれ、ふと頭の中によぎったのが、面接の半年くらい前に東京で観た野田秀樹さんの“贋作・桜の森の満開の下”で、口から出たのが「野田秀樹さんの演劇をしたいです。」素人だから言えた。「それは売れますか?」と聞かれた問いに「わかりません。でも、売ります。」って何の根拠もなく言ってました。(笑)

 

最初の企画公演

 

水上 その後は、どんな経験を積み重ねられたんでしょう?

小磯 平成17年にまどかぴあに採用されたので11年になりますが、最初はまず企画をどういう風に立てていったらいいか。予算をどう積み上げたら良いのか、先輩に聞いたり過去の資料を読み漁ったりしていました。2年目でわかってきて、3年目でやりたいことが見えてきました。

平成18年が開館10周年でしたので、「記念公演で何をやろうか」と考えた時に「宝塚歌劇団の公演をやりたい」、と思ったんです。ただ純粋に宝塚歌劇団が好きだったんです(笑)

それで、事務所に電話をして「ぜひお呼びしたい」とお願いしました。宝塚の方から「客席数は何席ですか?その席数では赤字が出るんじゃないですか?」って心配してもらって、まどかぴあでできる宝塚OG企画を紹介してくださったんです。そこに連絡すると地方ツアーにぎりぎり間に合うことがわかり、早速、上司や同僚に相談して企画が決まりました。

 

水上 好きだと思う企画をやろうと思った。直接事務所に聴いて、ダメだといわれても可能性を探った。そして企画を通した。凄いですね。

小磯 これだけの予算を使わせてもらうのだから、絶対満席にしないといけないって思いましたね。当時の上司には企画の段階で席の半分が埋まっていないと難しいと言われました。いろんな方に助けていただきました。恥も外聞もなく思いつく限りの方に聴きました。

博多座や北九州芸術劇場の方にも売り方はとはどういうものか、一から教えていただいた。皆さん本当に丁寧に惜しげもなく教えてくださったんです。人に恵まれていました。

 

水上 バイタリティがありますね。

小磯 まどかぴあに入った時は42歳で、新しいことを始めるのは勇気がいりました。

好奇心が旺盛なんです。最初からあきらめるんじゃなくて、とりあえずやってみよう。すると、いろんな人たちと繋がったんです。その当時は、わからないことばかりでしたし、何も失うものがなかったので、聴いたら教えてくださるんじゃないか、って思っていました。

その時の公演は初めて自分で企画をした事業で、完売することができたので、とても嬉しく今でも印象に残っている事業ですね。

その後、いろんな事業をやる中で、音楽と演劇の違い、創ることと売ることの違いを学びました。創造事業は特に労力もかかるし大変な仕事だなと思います。

でも大変さをクリアして当日を迎えた達成感は、買い公演にはないものがあります。

 

アウトリーチ・プログラム

 

水上 まどかぴあでは、いわゆる社会包摂事業があるのですね?

小磯 開館当初からアウトリーチ事業は実施していたようです。

私が入った頃は、公演に付随したワークショップ、宝塚一日体験や、能狂言のワークなど、劇場に来てもらう事業が多かった。

平成19年に地域創造の演劇ネットワーク事業に手をあげました。それはアウトリーチが必須の事業でした。市内の小学校10校、中学校5校、高校1校と市内の全校を廻りました。

当時は、時期も講師も決まった事業の受け入れをしてくれる学校を探しましたが、なかなか決まらなかったです。同じネットワーク事業に参加している他の劇場では決まっていくのに、大野城だけが最後まで決まらない状況でした。

その時の講師が内藤裕敬さんでした。先生を説得するときに付いて来てくださって「僕に任せてください。僕がちゃんとやりますから」と言ってくださって実施できました。

それから23年、学校を廻りました。「こういうことが、まどかぴあはできます」と。順調になるまで5年かかりました。

今はお断りをしないといけないくらい申し込みがあります。

 

水上 頑張った証しですね。image (20).jpgのサムネール画像

小磯 職員が育つにも良い事業です。自分たちは「良いことやってる」つもりでも、外から見たら本当に求められていることなのか見直す上でも重要ですね。お断わりしている学校を全部受け入れられるようにできないか、今考えています。

 

水上 内容はどんなものですか?

小磯 演劇、音楽、美術、伝統芸能、ダンスです。珍しいものとしては、大野城で人面墨書土器が発掘されているのですが、これは土器に顔を書いて川に流すと疫病が取り払われる、という奈良時代のものだそうです。まどかぴあ生涯学習センターの陶芸講座の講師に依頼をして、土器を創るところから校庭で野焼き体験をするところまで指導してもらっています。

今年は、学芸会で演劇の発表をしたいので指導してほしい、という要望も来ています。通常は40分×2コマですが、期間が延びるかもしれないです。学校側と調整しながら進めています。

 

水上 学校の他にも行かれるのでしょうか?

小磯 施設に出かけています。福祉協議会の協力を得てコミュニティセンターなどに。

 

水上 成果としては?

小磯 始めは断られる立場だったのが断らないといけないくらい要望が寄せられる様になったので、やり続けて来てよかったなというのが実感です。どこかでくじけていたら、この結果は得られなかったです。

職員も成長できました。やっぱり人ですかね。担当した職員の対応が悪かったりしたら、こんなに申し込みが増えなかったと思います。

きちんと目に見える報告を市民の方にしないといけないと思っています。

 

子どものための舞台創造プログラム

 

水上 鑑賞事業の方はどうですか?

小磯 平成23年に方向性を見直しまして、参加創造型と教育普及型に力を入れていこうと。鑑賞がメインの事業実施だった頃は、プロモーターから買う事がほとんどでした。

今はほぼ創造事業です。アーティストは連れてくるけど、内容は自分たちで創っています。

 

水上 創造事業について聞かせてください。

小磯 かつて「演劇のまどかぴあ」と呼ばれていた頃があって、演劇に力を入れていた劇場でした。過去もそうそうたる人達に協力してもらって、一緒に創っていました。「KINDO芝居」など九州の劇団の人達が大野城に来てプロに評価されることもありました。

平成16年にまどかぴあの体制が変わって市の職員が撤退され、残ったのは全部嘱託職員。みんな頑張っていたけど、なかなか以前のレベルまで行けなかった。やっぱり人が人と関わることで制作ができる。その人がいなくなった時、その人が繋がっていた人とのつながりが薄くなるし、すこしづつ後退していたように思います。それでも職員はこの仕事が好きで少しずつでも前人たちに追い付けるよう頑張っていました。

 

小磯 創造事業は「子どもミュージカル」を10年間実施しました。10年経過した時に応募数が減ってきたんです。その原因を話し合ったとき、周りをみたら、民間の方もあちこちでやり始めていて、「このままやり続けていいのか」「やっぱり創り続けなければ」、当時の職員で議論しました。その結果、やはり創り続ける事にしました。地元の作家、地元の演出家、地元の出演者という枠組みを変えてみよう、と。職員体制、予算を考慮した結果、毎年は難しいので隔年で行う「子どものための舞台創造プログラム」に変えました。

実施していく中で、保護者の考え方も時代で変わって来たんです。「子どもを舞台に立たせるのに、こんなに親がかかわるの?」「あっちの事業は親は何もしなくていい」云々…

まどかぴあでの普及の役割は果たした、と思いました。

いったん、子ども向けは終わりにしてもいいんじゃないか。でも、すっごく悩みました。

創り上げた時の子ども達、そして職員の達成感、感動を知っていましたから。

その結果、お休みをしよう、別のことを考えよう、と当時の職員全員で話して決めました。その時に、「何か創る」というのはみんなの気持ちの中に残りました。今度は子どもに限定した事業ではなく創ろう。それが今回のプロデュース公演の始まりです。

 

中島かずきさんの一言

 

小磯 職員はそれぞれいろんな研修に行って、情報を仕入れ、「公共ホールはやっぱり創らなきゃダメだよ。」って言われ。劇場法にも出ていますよね。私の中にも「創らなきゃ」って焦る気持ちがありました。そんなある時「『創りたい』思いが『創らなきゃ』」を超えていったんです。

「創りたい」と思ってる時期に、中島かずきさんとある懇親会で同席して「50歳を過ぎてきて、地元福岡で何かやりたいねって思うんだよ。」と話されたのを聞いて、心の中でほくそえみました。すぐにみんなに「書いてくれないかなあ」「書いてくれますかね」「書いてもらえたらすごいよね。ワクワクするよね。」って勝手に盛り上がって。

実は、大野城まどかぴあ開館当初に劇団☆新感線の公演をやったことがあるんです。いろんなアンケートに毎年書かれます、「またやって欲しい」と。アドバイザー委員会でも「やれないの?」と聞かれたこともあります。

それで、何年か前に劇団に聞いてみたことがあるんです。すると制作の方が「所帯が増えて、

移動など大変ですし、800のキャパでは難しいですね」、まどかぴあのキャパ諸々をご存じだからおっしゃって下さったことだと思います。

あきらめていたところに、中島さんの一言だったんです。

創造事業って、お金がかかるんです。一事業で莫大な予算を使うことは難しい。

構想を練り始めたその時が2013年でした。3年後がまどかぴあ開館20周年。20周年だったら一つの事業に多めの予算をかけてもいいんじゃないかと考えました。目標を2016年、平成28年度に置きました。

 

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中島かずきさん

 

 

小磯 懇親会という飲みの場、世間話でおっしゃった一言。本心なのか根拠がない。

いつもどおり、あたって砕けろで、お電話をしました。「書いていただけませんでしょうか?」、すると「2年後なら調整ができるんじゃないかな」温かい言葉をいただいて。中島さんのスケジュールが埋まらないうちにと、早速東京に伺い正式にご依頼をしました。

初めは、「過去作品を手直ししようかな」というお話で、「それでも十分です」と思っていました。

後日、演出に内藤さんが決まってお顔合わせをした際に、中島さんが「新作書きます」って言ってくださって。「いいのかな?」、「あて書きします」。「なんと贅沢な。ありがとうございます」って。新作描き下ろしになるとは思いもよらなかったので、本当に夢のようです。

 

内藤裕敬さんの一言

 

小磯 実は一番最初に内部で決まっていた条件は、池田成志さんに出ていただくことでした。

やはり、開館20周年の記念事業ですから、大野城出身の池田成志さんは外せない。

中島さんが書くことが決まった後に、誰に演出をお願いしようか、職員でいろんな話を何度もしました。まどかぴあと縁がない人ではダメ、この人なら大丈夫じゃないか、たくさんの時間を費やしたどり着いたのが内藤さんでした。個人的には、アウトリーチ事業で携わって

くださった方だし、まどかぴあも開館当初に関わってもらっていました。地方の劇場との信頼関係を大事にされる方だったんです。地域とのかかわり方が一番大変で悩んでいた時に

「僕がちゃんとやればいいんだから心配しないで。また何かあったら手伝うよ」と言って下さったことも頭の片隅にずっと残っていました。内藤さんにお願いしたら、「わかった、やろう」って言って下さった。ホッとしました。

 

内藤web (2).jpgのサムネール画像内藤裕敬さん池田成志web (2).jpgのサムネール画像池田成志さん

池田さんの出演は、内藤さんが演出に決まって、正式にオーケーをもらったんです。内藤さん演出が池田さんの出演の決め手になったと思います。最終的な決断は内藤さんの一言じゃないかなぁ?また助けられた気がします。

先日キャナルシティ劇場で開催された劇団☆新感線の「チャンピオンまつり」に池田さんが出演していましたね。その時初めて、中島かずきさん、内藤裕敬さん、池田成志さん、

この三人が係るプロデュース公演の情報を知ったファンから、ツイッターで、「はぁ?、まどかぴあ?」って(笑)。

 

水上 なぜこの3人なのかが分かりました。この3人が決まった時点で、この企画が出来上がりましたね。

小磯 2年前だったからこそ、スケジュールが空けられたと思います。実際は3年先の話でした。後でわかりましたが、新感線と万歳一座は、同時期に立ち上げられた劇団だったんですね。全く知らない3人ではなかった。タイミングがあったんだと思います。

また、「この三人、よく揃えたな」って言われますが、ネームバリューで揃える、という気持ちは全くなかった。まどかぴあに関わりがある方が揃いました。きっと、その時その時の職員がきちんと対応していたから、まどかぴあに悪いイメージがなかったから、受けてくださったんだと思います。過去からの積み上げの事業だな、今の職員だけの力ではないな、と感謝しています。

そして、その時のスタッフ全員の気持ちが一つにならないとできないし、今だとできるかな。土台ができていれば揺るがないと思った。

2013年2月に中島さんに会いに行って2年半かかって、ここまで来ました。

「満を持して創ります。」という思いです。

「仮チラシの色を何色にします?」って言われて「赤!って(笑)」。意気込みの赤、挑戦の赤です。そうでもしないと、だんだん怖くなってきた。「これは絶対コケられない。きちんと市民の方々に伝えないといけない。」

 

若い人たちの挑戦を待っている

 

水上 これから具体的な作品の制作に入るわけですが、事業の目標は?

小磯 地域演劇の活性化という目的がありますが、福岡の劇団の皆さんは一生懸命で、応援したいと思います。いつも同じメンバーでやっていると、違う人たちとやることで得ることがあると思うんです。地方で活動している役者さんが外に出ていくことは難しい。だから挑戦してほしい。偉そうには言えませんが福岡だけで完結するんじゃなくてプロで活動している人と一緒に体験してほしい。刺激を受けてほしい。という思いがあります。

九州沖縄の範囲で募集しますので、九州にどんな役者がいるのか見たい、現在の九州の役者がどれだけの力を持っているのか知りたい、という気持ちを中島さんも内藤さんも持っていると思います。

小磯 応募するのは演者さんで、審査員は中島さんと内藤さんですが、私のわがままで、「最初の門だけは広くしたいので、高校生からでいいですか?演劇じゃなくてダンスの人も演者として良いですか?」とお願いしました。意欲がある方、挑戦してみたい人の芽は摘みたくない。

「演劇はやったことがないけれども表現をしている人がいる」「演技はできないが表現する」、挑戦してくれるならしてほしい。役者じゃない人が舞台に立つかも、あて書きなので。出演者には出演料を払います、少ないですが(笑)

 

小磯 悩んでいる人たちに前段としてワークショップを体験してほしかったので、今年の9月から11月にワークショップ事業をやって、来年2月にオーディション、2016年の9月10日、11日公演。稽古期間は1ヶ月集中で実施します。舞台監督も決まりました。

助成金申請していますが、足りないので協賛企業を募ろうと思っています。

 

肝心な発信力と継続力

 

小磯 「福岡だけで終わるのはどうなの?」と言われて、9月いっぱい池田さんのスケジュールを押さえてもらっています。追加公演は九州で考えています。東京、大阪の劇場は経費が膨らむので。

「これで終わりになるなら意味がないからね。」とも言われています。創ろうとは思っていますが、同じ規模のものは厳しいだろうなと思っていますので、2年おきくらいになります。予算と業務量は現状では難しい。一年空けると体制も気持ちも薄らぐのでしっかり準備をして、ワークショップの年と公演の年になるのかな?

 

水上 どういう継続事業にするんですか?

小磯 構想を練らないといけないです。ワークショップを見て、ちゃんと考えなきゃいけない。

 

水上 この事業の大きさ、大野城市の職員の方はどんな認識ですか?

小磯 税金を使ってこの事業をする。まどかぴあ職員も覚悟して行う。それを見てほしいです。

きちんとやりたいと思っています。参加して下さった方も、観てくださった方も、携わってよかったと思ってほしい。

「まどかぴあ舞台創造プログラム」、事業名はこれで行こうと決めました。長くやり続けたいからです。

 

水上 やっていることが目に見えるようにしないといけませんね。image (23).jpg

小磯 はい、まどかぴあで足りないものは、目に見える形で市民の方に報告ができてないこと。報告に力を入れている劇場は市民の方に評価されています。きちんと目に見える報告を市民の方にしていかないといけないと思う。残念ながら未だに「まどかぴあってどこ?」

って聞かれることがあります。チラシまいただけじゃダメで、興味を持った人しか来ない。

今後、劇場が街にとってどんな存在になるのかが問われます。

池田満寿夫が初代館長だったことを知らない人がいる。「芸術を発信する施設」として開設されたので、その原点に返って新たなる挑戦です。

 

 

 

 

 

 

取材を終えて

「芸術を発信する施設」として、全国に「演劇のまどかぴあ」の名前が広がった時期がある。「劇団☆新感線」や「第三舞台」の公演を招聘し、九州の舞台人を「KINDO芝居」で発掘。竹内銃一郎や松田正隆や今回のスタッフに加わる内藤裕敬や池田成志がセミナーやワークショップで人材育成を行う。その事業が途絶えたことは、事業の影響力と劇場への期待が大きかっただけに地域の演劇の活力を失速させ地域の財産まで失う危惧を抱かせた。

今回の取材を通して、底流で地下水脈が脈々と流れていたことを気づかせてくれた。その水脈を掬い取ったのが小磯さんだった。そのバイタリティでプロデュース公演は走り出した。制作の作業はこれから。どんな人たちがオーディションに参加してくるのか。どんなディスカッションが生まれるのか。舞台装置は、音楽は、照明は。そして作品の仕上がりは。小磯さんは「怖いけどワクワクしています」と言った。こちらもワクワクしながら作品に出合うのを待っています。小磯さんの見据えている先は長い。

 

取材・文責:水上徹也 シアターネットプロジェクト代表

2015.09.02

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劇ナビインタビューNo6 テレビ西日本 編成制作局 ゼネラルプロデューサー 瀬戸島正治さん

瀬戸島1 (2).jpgのサムネール画像「めんたいぴりり」プロジェクト始動!

20138月にTNCテレビで放送された「めんたいぴりり」は、福岡で制作されたドラマです。全国的に話題を呼び、2014年の民放連賞ドラマ部門「優秀賞」、ギャラクシー賞「奨励賞」、ATP賞「奨励賞」を受賞。

北は北海道から沖縄まで国内およそ20局で放送され、さらに海外でも、プサンの放送局・KNN(共同制作)の他に、台湾、カンボジアなどでも放送され、世界に福岡で生まれたドラマを発信しました。この2月には、「めんたいぴりり2」の放送、さらに、3月には博多座で舞台版「めんたいぴりり」の上演が始まります。

プロデューサーとして番組制作に関わった瀬戸島氏に、制作の舞台裏とこれからの展望を語ってもらいました。

(取材は201312月に行われました)

 

 

 

朝の連続ドラマというチャレンジ

水上 「めんたいぴりり」はTNC55周年記念ドラマですね?

瀬戸島 55周年です。

水上 瀬戸島さんは、どの時点でこのドラマの担当になったのですか?

瀬戸島 もともとTNCはドラマを作ってないんです。今回のきっかけは、ふくやさんの創業者・川原俊夫さん生誕の100年とTNC55周年が同じタイミングだったので、ドラマにしたらいいんじゃないか、これは55周年向けの企画ですよっていうことで社内でプレゼンをしました。

水上 瀬戸島さんの方から提案したんですか?

瀬戸島 そうですね。

水上 で、通った。

瀬戸島 そうですね、通っちゃいましたね。とんでもない提案だったと思います。だけど逆に言うとその途方もないことのほうがチャレンジだということで会社の方も乗ってくれたんだと思います。

水上 それは、どういうチャレンジですか?

瀬戸島 NHKような一日15分間、朝の連ドラを一か月放送するというチャレンジですね。僕は会社にすごく感謝しています。どこもやっていないです。フジテレビも朝の連ドラはないですし、九州でも福岡でもやった局はないです。周年事業として、しかも地元の企業をモデルに、チャレンジしがいのあることでした。

 

水上 視聴率はどうだったんですか?

瀬戸島 最高で8.8%、占拠率は29.3%だったかな。占拠率で言うと、テレビをつけてる3人に1人が「めんたいぴりり」を見ていたっていう事でこれはかなり胸を張っていい数字なんじゃないかなって思いますね。

水上 朝9:50から10:05まで15分間。普通のサラリーマンが見れる時間帯じゃないですよね。

瀬戸島 お母さんやおじいちゃんおばあちゃん、夏休みの子ども達に見てもらえるような番組ということであの時間帯になったんです。特に子ども達に見てもらいたい。食についての大切さ、家族の絆、平和のありがたさをどうしても伝えたい、食べ物を作る人達の思いを伝えることがテーマですね。せっかくドラマを作るならそこまで作りたいと思いました。そして、昭和という時代の光と影を描くこと。それは今も「めんたいぴりり」のテーマとしてずっと引き続いています。

 

 

1時間半ドラマと連ドラとを制作

水上 放送したのは2013年の8月の1ヶ月間ですね。初回は1時間半のドラマで、「戦前編」でした。

瀬戸島 そうですね、「エピソード0」みたいな感じです。通常の連ドラがいわゆるコメディだったので、そこの世界観になるまでの前フリというか、人間関係や登場人物が背負ってきたものを「エピソード0」のほうにぶち込んだ。

水上 連ドラで描くドラマとはかなりテイストが違いますよね。

瀬戸島 はい、主人公のモデルとなった川原夫妻は、沖縄戦や大陸からの引き上げを経て福岡にたどり着いた。また、占領下の釜山で生まれ育った人でもあるので、コメディではやりづらい。そこはちゃんと向き合った上で彼らがなぜ明太子を作る事になったのか、そこは真正面に描いていこうと監督と話し合いました。

水上 江口カン監督ですね?撮影はいつから始まったのですか?

瀬戸島 撮影は2013年の3月だったんです。寒かったですね。山笠を3月に走らせるという無謀なことにチャレンジしました。平尾台や福岡市西区の旧忍者村を街に見立てて山笠を走らせました。

 

場所取り合いの海外ロケ

水上 海外ロケもしたんですね。

瀬戸島 そうです、釜山でロケをしました。実際に川原俊夫さんが明太子に出会った市場が今もあるんです。そこでロケをしようと。あとは釜山から2時間半位離れたハプチョンという場所に映画のオープンセットがあって、戦前の日本人の住宅街が作ってあるんです。たまたま、テレ朝の55周年ドラマ「オリンピックの身代金」や、妹尾河童さん原作の映画「少年H」と撮影スケジュールが丸かぶりで、同じ所でロケしてるんです。まっ先に交渉して、「この日からこの日までやりますんで、どこにも撮らせないでください。」って韓国サイドに頼み込みました。

水上 プロデューサーの手腕だったわけですね、そこは。

瀬戸島 釜山のフィルムコミッションに偶然紹介してもらった場所だったんです。そのおかげですごい世界観が描けたと思います。

 

台本は、作家/東憲司が「聞き取り」しながら

水上 台本は誰がかいたんでしたっけ?

瀬戸島 劇団桟敷童子の東憲司さんです。何回も福岡に来てもらって、ふくやの川原正孝社長や健相談役に何度も聴き取りをしてもらい、お孫さんの武浩統括部長にも話を聴いたりして、一個一個肉付けしていきました。その中からフィクションの部分を塗り重ねていきました。

水上 聞き書きして本にまとめるのにどのくらいかかったんですか。

瀬戸島 一緒に釜山にシナリオハンティングにも行き、撮影の直前まで、福岡にこもって書いてもらいました。ものすごく忙しい劇作家さんなので、「ここだけスケジュール開けてください」って頼み込んで書いてもらいましたね。

水上 もともとは原作ですよね?

瀬戸島 相談役の本(明太子をつくった男)に加えて聞き書きしました。本にはお父さん(川原俊夫さん)のエキスが載ってます。

 

水上 最初の企画で通り、ふくやの川原さんに了解をもらい、脚本家と演出家も決まって、プロデューサーとしては順調にスタートできたということですか?

瀬戸島 そうです。すごい順調です

 

博多華丸に白羽の矢

水上 キャスティングはいつの時点で考えたんですか?

瀬戸島 キャスティングは本ができてからですから、撮影に入る前の年の10月から12月です。富田さんと華丸さんが決まったのはそのへんです。

水上 よくスケジュールがとれましたね。

瀬戸島 ほんとに、よく取れましたね。華丸さんは一ヶ月半、東京と福岡を行ったり来たりでした。千代子役の富田さんは最初から決まってたんです。博多弁をしゃべれる全国的にも有名な女優で奥さん役を任せられるのは富田さんしかいないと思った。俊之役は福岡出身の俳優さんをいろいろ考えてたんですけど、監督が「華丸さんじゃないかな。」って言ったのがきっかけでした。

役者としての経験はそんなにないけど、監督が「やれますよ、彼なら」って言ったので、そこでふっと腑に落ちたんです。

水上 華丸さん自身は主役を受けることはどうだったんでしょうね?

瀬戸島 「うそでしょー。できるわけないじゃないですか」ってもう半信半疑。一回顔合わせをして、台本をちょっと読んでもらって、本人としては「ほらできないでしょ」っていう確認の為だったらしいんですけど。僕と監督はしめしめと。「やっぱいいよねー」となって、その後正式にオファーをしました。

水上 華丸さんはそこで完全に覚悟を決めたわけだ。mentaihana.jpg

瀬戸島 そうでしょうね。華丸さんにとっても大きなチャレンジだったと思います。3月からの博多座公演も大きなチャレンジでしょうけど。

水上 富田さん以外はほとんど福岡の人達でしたよね?

瀬戸島 地元のタレント、地元の劇団、、福岡出身の役者さんを優先しました。もちろんテレビ番組なので数字が取れる人をキャスティングしようということは念頭にありました。光石研さんは頑張ってキャスティングをしました。小松政夫さんはすごく山笠に造詣が深い方です。福岡力を結集してやろうと思いました。

 

美術の世界観

水上 撮影セットは局のスタジオの中ですか?

瀬戸島 VSQのスタジオに組みました。ドラマのセットを作り込むには狭いスタジオなんですけど、美術プロデューサーの山本さんが、すごい世界観を作ってくれました。妹尾河童さんのお弟子さんでフジテレビの美術出身で「タケちゃんマン」を作った大御所です。本物の昭和30年代40年代をそのまま作って頂いた、あれがあったからこそ成立したドラマです。ちゃんとしたものを作りたいと思っていたので。

 

江口カン監督 「福岡にこだわって作ること」

水上 クオリティとしてはかなりこだわったところですよね。

瀬戸島 それは監督のこだわりでもあるんです。ただし、あそこまでこだわるとは思ってなかった。

水上 江口さんも忙しい人でしょう。

瀬戸島 そうですね、でも人一倍福岡でやることに思いがある人です。仕事への向き合い方も、地元のものを地元で作る方がより真剣に向き合えるような気がします。東京から福岡に撮影でやって来て作ったところで、それで地元の人が納得出来るものが出来るのかっていう気持ちは心のなかにずっとあったんです。作るんだったら福岡の人達でやりたいと。現場はCMでやってる江口組とVSQの制作チームです。VSQCM制作で知られていて、福岡には優秀な人達がいっぱいいる、CMは撮ってるんだけどドラマとか映画は撮れていない。でも、撮りたいと思っている人はいっぱいいると思うんです。そういう思いが合致した。

 

水上 音楽も福岡です。

瀬戸島 初めて担当した番組がバンドのオーディション番組で、それで優勝したのが風味堂だったんです。候補はいっぱいいたんですけど、結局全部振られた。じゃあ風味堂を聞いてみてくださいって、監督に提案してみた。オープニングのテーマとしては、監督は「平成の365歩のマーチ」を作りたいってイメージを出して、そこから風味堂に特別に書き下ろしてもらった。音楽が本当にハマったと思います。色んなパズルが組み合わさって出来たっていう感じですね、色んな人の協力があって。

 

プロデューサーの仕事は、ドキドキの連続

水上 瀬戸島さんはプロデューサーとして具体的にはどういった事をされてたんですか?スタッフ、キャストの選定とか?

瀬戸島 なんですかね、プラデューサーって。キャスティングだったり、制作の座組を作ったり。ドラマ自体は通常のテレビの制作体制と違うのでVSQのプロデューサーと相談しながらやらせてもらいました。もっぱら調整役なんでしょうねプロデューサーって。それでも、いろんな作業が抜け落ちていて、その度にいろんな人に助けてもらった。

水上 撮影中、演技で苦労したとか演出家と役者と意見が合わなかったとかは特になかったですか?

瀬戸島 喧嘩はしょっちゅうしてましたね。テレビ局の制作って現場で喧嘩することあんまりないんですけど、CMやドラマや映画を作ってる人達ってみんなプライドがある人たちが多い。良いものを作るための意見の主張は健全なことかなって僕は思います。すごく勉強になる。自分の後輩たちにどんどんその現場を見てほしいです。特に、演出を背負うって事はどんなことなのか感じてほしいなと思います。

 

水上 実際やってみて楽しかったですか?

瀬戸島 苦しい。出来上がったものを見るのは楽しいですけど、ドキドキするっていうか。

水上 ドキドキっていうのは?

瀬戸島 「お前アレやってないやないか」っていうのがいつばれるのかなってドキドキしてる。そもそもやってないことがわかってないから…

 

江口監督について

水上 江口さんはCMで賞もいっぱいとっている方で、演劇も観ましたが、ドラマは初めてですか?

瀬戸島 ウェッブのドラマとか、ショートムービーはすでに演出していました。一方で広告の専門家でもあるわけです。「めんたいぴりり」をどう、今の言葉でいう「バズらせる」かっていう事に関してもアイデアをすごくもらった。テレビ局のルーティンの作業では思いつかないような事も色々アイデアとしてもらったんです。ポスターに華丸を出さずに主役が誰か隠してやることで、「誰だ誰だ」ってザワザワさせる。一方で華丸が坊主になってテレビにでる。そこで「え、なんで華丸が坊主になってんの」ってネットで騒がれる。あるタイミングで情報公開をして、「いや実は華丸が坊主になったのは今回このドラマを撮るためです」って、そこで繋げる。そこでさらに「ワー」ってなる。というのは僕たちではなかなか思いつかない戦略でした。それはずっと広告をやってる人ですので。ポスターのつくり方一つ、ロゴのレイアウトはどこか?どこに置けばいいのか、背景をどうしたらいいのか…スペシャリストの人達と話しをすると、知らない事がいっぱいあった。それはテレビ局の広報だけに限らず、イベントの組み立て方もそうかも知れない。

 

水上 江口さんってどんな人ですか?

瀬戸島 クレバーですね。ものすごくクレバーな人だと思いです。あとものすごく乙女です。物作る人はやっぱりどっちかっていうと性格的には女性的な方がいいと思います。一方で会社を経営してらっしゃるのでそこは男だと思いますよ、でも物を作ることに関しては非常に繊細だと思います。同い年だったこともあり、彼がやりたいことや彼の話しを聞いていると、「何かやりましょうよ」っていつのまにか意気投合していたんです。

 

水上 江口さんのこだわりだったり美術家の世界観だったり、すごいクオリティが保たれてると思いました。福岡にこんなドラマがあってそれを丁寧に作ってくれたんだなって、嬉しかったですよ。

 

福岡の「めんたいぴりり」

mentairogo.jpgのサムネール画像

水上 これからの展望を聞きたいと思います。まず、2月の第二弾ですね?今度は連ドラではないんですね?

瀬戸島 一時間で前篇と後篇の2話です、2月の20日と27日の金曜日午後7時からです。

今回の「めんたいぴりり2」も昭和の光と影を描くように心がけています。炭鉱が閉山し、一方で西鉄ライオンズの3連覇で福岡が沸き返る。光と影をちゃんとエピソードの中に入れながら、ただ単にコメディにならないように心掛けました。

水上 今後こういったドラマを作っていくのは恒常的になるんですか?

瀬戸島 「めんたいぴりり」に関してはそのもの自体が大きくなりつつあります。55週年で始めたので60周年までは、3回目4回目5回目に向けてという事です。そこで僕がやらないといけないのは「めんたいぴりり」をどう広げるか。どう地元の人や企業にバックアップしてもらえる体制を作るのかっていう所です。

水上 ふくやさんがスポンサーとして関わってもらっているんですね?

瀬戸島 そうですね。早く「福岡のドラマ」「福岡っていえば『めんたいぴりり』だよね」って言われるようにしたいんですよね。そうする為にはできるだけ福岡の数多くの企業の方に応援してもらえるような体制にしたいって思ってます資金的なものも含めてふくやさんの負担をどんどん下げられる位僕たちが福岡のものにしていかなきゃなって思っています、なかなか難しいですけど。

 

水上 僕もずっと番組を見てましたけど、「これは福岡のドラマだ」ってすごく思いました。

瀬戸島 描こうとしているのは福岡の話です。一年中「めんたいぴりり」で展開するにはどうしたらいいかっていうのを考えている最中です。「アニメめんたいぴりり」「連載小説のめんたいぴりり」、「コミック連載のめんたいぴりり」。そういうことで始終福岡や全国の人が「めんたいぴりり」に触れる環境を作る。年に1回のドラマっていうのは広がりにも限界がある。次の戦略を練っているところです。急がないといけないですけどね。

 

水上 ということは「めんたいぴりり」ドラマとしての続編もだし、それが別の媒体としての展開も含めた「めんたいぴりり」という作品の世界をどう広げるかっていう事なんですね?

瀬戸島 はい。イベントや番組をちっちゃい種から育てて大きくしていきながらいろんな人の共感を呼ぶ。そして、番組が収益を産むような仕組みを作っていく。

「めんたいぴりり」が生まれるまでには、ものすごい伏線がありました。華丸さん自体は僕の担当した「中洲ぶらぶらでよかろうもん」っていう深夜番組の企画がきっかけで山笠の中洲流に入ったんですよ。川原さんも中洲流。いろんなものが複雑に繋がっていってできたって思います。狭い街ですからね。種蒔きをしておけばいつかはそうやって芽が出ていって、芽が一杯出てる感じです。「ちっちゃな種からでもおっきくしていけば愛される実になる」っていうのを後輩達には感じてもらいたい。

 

博多座版「めんたいぴりり」

水上 博多座は演出もキャスト女優も変わるのですが、博多座での上演にメッセージはありますか?

瀬戸島 博多座ですからね、ぜひ満員にしたいと思いますし、またこれを2回目3回目と博多座の恒例の演目になれるように僕たちも協力していきたいと思っています。

博多は「めんたいぴりり」のドラマと舞台が毎年ある街だっていう風に認知されるように、福岡といえば「めんたいぴりり」だって言われるような物にしていきたいなと思っています。その一つがやっぱり博多座が重要なポジションに今後なっていくって思ってます。もちろんこれが博多座でヒットすれば大阪、名古屋、東京に持っていける物になる。それが博多座としても大切ですよね。今、博多弁も華丸も旬ですから。ぜひ成功させたいと思ってます。

 

福岡のクリエーターたちとやりたいこと

瀬戸島 他にはアニメができないかなって思ってます。

水上 「めんたいぴりり」のオープニングもちょっとしたアニメですね。

瀬戸島 あれは監督の会社、KOO-KIで作ったものです。福岡は有能な漫画家やイラストレーターがいっぱいいるんです。そういう人たちと一緒にやれれば福岡で制作できる。脚本は地元の劇団の人に書いてもらってもいいんじゃないでしょうか?一杯優秀な作家がいらっしゃるじゃないですか福岡の劇団に。そういう人たちと一緒に作りたい。そういう福岡の人をつなげながらやっていく仕事を優先していきたいって思ってます。、CGのクリエイターだって福岡にはたくさんいらっしゃるんですよね、東京に発注していくよりはそんな人を繋いでいきたい。

水上 色々アンテナ張っておかないといけないですね。

瀬戸島 僕たちは福岡でチマチマやりつつ、チマチマやってる事が周りの人達からかっこいいって言われたい。色々表彰されたんですけどね、賞の論評が「地方」にしては頑張ってますね位の感じだったんで、バカにすんなよと思って。

 

水上 作品がうまれる時って出会いがあったり、ある意味で奇跡的な事が必要ですよね。

瀬戸島 それがうねりみたいになっていくと盛り上がっていくんじゃないかって思う。ここまで来たら後に引けないと思います。

水上 楽しみにしていますこれからの展開に。「めんたいぴりり2」がまもなく放送ですね。

瀬戸島 はい、広げて太くしていく。ドラマもあり、博多座もあり、次の展開があり。でさらにどんどん増えていきながら最後は映画になればいいなぁと思っています。

 

取材を終えて

福岡のテレビ局が朝の連続ドラマを制作する。その番組が全国的に話題になる。パート2が制作される。舞台版が別のプロダクションで生まれる。これらの展開は、「めんたいぴりり」というドラマが生まれるまでは想像もできませんでした。そういうことができたらいいということは僕の夢であり願いでもあったけれど、形にするには至らなかった。そのことを実現し、この原稿が公開されているころには、パート2が放送され、博多座の舞台で劇場版「めんたいぴりり」が上演されている。

福岡で活動しているクリエイターや技術スタッフ、そして、多くの企業の力を結集して、芸術文化産業という新たな雇用を生み出せる街になる。そんな可能性を感じたインタビューでした。

瀬戸島さん、ますます忙しくなりますよ。ドキドキしながら、次の展開を期待しています。

取材・文責 水上徹也 シアターネットプロジェクト代表

2015.02.17

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