【万能グローブガラパゴスダイナモス10周年記念 リレー対談第4弾】
ガラパ:椎木樹人 VS ギンギラ:大塚ムネト
~成功のための必要条件と十分条件~
椎木樹人(万能グローブガラパゴスダイナモス 代表)
大塚ムネト(ギンギラ太陽’s 主宰 作・演出・出演)
進行: 水上徹也(シアターネットプロジェクト 代表)
水上 今日は、ガラパ10周年記念の第4弾です。最終回のゲストに大塚ムネトさんに来て頂きました!
椎木 大塚 よろしくお願いします!
水上 お久しぶりです。
大塚 ご無沙汰してます。
水上 ギンギラの歴史の節目は全部観てるつもりなんですけどね。
大塚 お互い「福岡で何ができるのか」ってことをそれぞれの立場で色々話してますよね。
椎木 へ―何年くらい前からですか?
水上 ギンギラが出来る前から知ってます。一番最初はイムズマンだっけ、その頃から。
椎木 すごい。それはかなわんな(笑)
水上 西鉄ホール進出の最初のも観に行きましたしね。
大塚 1999年の「西鉄ホール地元こけら落とし」は僕らがやらせてもらったんで。
椎木 そんな頃からの。
水上 一番最初のロングランって何ステージでしたっけ?
大塚 いちばん最初は西鉄ホールで週末5回。2000規模の公演ですね。
椎木 週末5回・・・。
大塚 西鉄ホールがキャパ400ですから。その前は、福岡ドームのスポーツバー(現在は王監督の記念館)という、お客様が飲食しながらライブを楽しむお店で上演していて。そこでキャパ1000の公演が即完するようになったんですね。この売れ方なら、倍の2000キャパに挑戦してみようと思って。ありがたい事に満員御礼でした。
好きなことを仕事にするという事
椎木 スポーツバーは、自主公演としてやっていたんですか?それとも依頼があってやったんですか?
大塚 僕たちはね、策を立てて、そして策に溺れ、そこから一所懸命這い上がってきたんです。元々ギンギラは「どうしたら一般のお客様が舞台を観に来るのか」って、もがくところから始まりました。
椎木 僕たちと一緒ですね。
大塚 演劇未体験の方に、いきなり「劇場で2時間観てくれ」っていうのは難しい。だから、役者3人くらいで、照明も音楽もなくてもやれるようなソフトを作って、こっちからお客様の所に出かけて行こうと。我々の【作戦その1】は、こちらから出前できるソフトを作る。わかりやすい街を題材にして、被り物で、今のギンギラの前身みたいな内容で5分くらいのコントを作った。次に【作戦その2】はいかにお披露目をするか。「ギャラは出ないけどやっていいよ」っていうお店を見つけて、そこで上演。目先の利益なんかいらない。目的は「地元の色んな人に知ってもらってそこから繋がりを作る」という事だから。そして、福岡ドームの関係者が観てくれて、「うちのスポーツバーで毎月やらないか」っていう話になって。もちろん予算がある仕事としての契約です。・・・ここまではビックリするぐらい順調に進みました。ところが、この後に、2つ大変なことが起きます。
椎木 水上 (笑)
大塚 いきなり赤裸々に喋ってるよね(笑)一つは、好きなことをやるという事と、それが仕事になるという事の違いがね。
椎木 なるほど。
大塚 憧れていたはずなんですよ。「好きな事を仕事にできたらいいな」って。ところが、毎月新作を作るという事をいざやりはじめたら、それは大変なわけです。でもそれが仕事なわけですからね。これが一つ目の甘かったこと。で、二つ目の誤算は、ギンギラ太陽‘sのコントには、お客様も来てくれるけど、別の劇場を取って劇団で公演をやると、そっちにはお客様は来てくれなかった。この2つで、第一次ギンギラ太陽‘sは動員1000人までいったところで、みんな力尽きてしまった。
椎木 それは大塚さんいくつの時ですか?
大塚 24とか5じゃないかな。
椎木 早いですよね。1000人即完で、しかも演劇だけやれてる時期がその時にあったってことですよね。24歳の時に。それは早いと思いますけどね。
大塚 自分はね、実はその前にもがいていた10年っていうのがあるので。
椎木 そっか、その前に更に10年があるのか。それがすごいですよね。
東京コンプレックス?
大塚 ギンギラにたどり着く前。「地元福岡で演劇で生きていきたいけど、どうしたらいいんだろう」ってもがいている10年が一番きつかったかな。
椎木 25歳でそういうこと考えているってのがすごいなって思います。僕だってやっとこの10周年でホントにいままでは楽しくやってきたけど、やっとなぜ福岡でやるのかとか本気で考えるとこに来たので。だからやっぱり、若いですよ。
水上 以前は、演劇で地方で食べていくってことは有り得なかったですよね。まあ有り得ないっていったらおかしいけど、基本的にみんな東京に行きましたからね。
椎木 今以上にそうですよね。
水上 それこそ、大濠高校を出た連中はみんな東京に出たりとか、そういう時代ですよ。
椎木 大塚さんは一回東京に行って帰ってきたんですよね。
大塚 えっとね、これもまたちょっと長くなるけど大丈夫かな。
椎木 (笑)インタビューみたいになってますね。
大塚 僕の話になってない?(笑)
椎木 大丈夫です(笑)
大塚 夏休みに遊びに行く「おばあちゃんの実家」が東京だったんですよ。しかも江戸川区のかなり田舎なところで。だから小さいころから僕にとって東京は「福岡より田舎な町」。これが今思うと、東京を意識しないですんだ、とっても僕にとってプラスになっていると思うんです。
僕は福岡の小郡市で産まれて育って、毎週日曜日に家族で出かける天神が都会なわけですよ。だから僕にとっての都会は福岡の天神、岩田屋デパートでした。だから西鉄電車で岩田屋に行くことがものすごく楽しいし、最先端なわけです。夏休みに江戸川のおばあちゃんのところにいってもバスはほとんど来ないし、江戸川区の田んぼしかないところだったから。秋葉原もあるし新宿もあるけど、東京だって田舎もあるよねっていう感じ。第二の故郷が東京だったので、そのおかげできばって東京に行かねばならないんだ、みたいなのが全然なかったんですね。それは恵まれていたかな。だから高校演劇くらいからボチボチ演劇を初めてて、今の話みたいに「演劇やるなら東京行かないかん」みたいなことを言ってる時に「そうなのかな?」と思えたのはよかったよね。
水上 東京コンプレックスがないってことだよね。
大塚 そうですね。それは今思うとよかったな、と思いますね。
椎木 僕はそれこそ高校を卒業したら東京に行こうと思っていたんですよ。日芸に行きたくて、日芸に入れなくても東京にいって、あっちの盛んな演劇サークルに入ることを考えていたんです。それが、「福岡に残らざるを得ない」ってなってから「福岡でやってやろう」って切り替わった。元々は東京志向が強かったんです。
大塚 そうなんだ。椎木の場合は最初から福岡でではなく、状況の中で福岡でやる道を探すことになったんだね。
椎木 そういうことですね。その頃高校演劇がすごく盛り上がっていたので高校卒業してそのまま大学生になって演劇続けるのが普通の時代だったんですよ。やるなら東京でと思っていたけど行けないなら福岡でっていう気持ちで始めたんです。だからその頃、「福岡で食っていく」とは考えてなかった。ただ福岡でやるからには言い訳はしたくない。「東京に行った奴はいいな」とか、(その頃ちょうど北九州芸術劇場が出来た頃で)「北九州はいいよね」、みたいなことを言うのだけは嫌だったのでそこは意識していました。でもその時は、福岡で演劇をやって生きていかなければいけないって、こんなに真剣に考えてはなかったです。逆に、「ダメだったら東京に行こうかな」くらいの気持ちではいたかもしれないですけどね。
大塚 東京の様子を見に行ったりしてた?
椎木 いや、その時はしてないんですよ。それこそコンプレックス、憧れですよね。この4〜5年で東京に行くようになって冷静に考えられるようになったんですけど、昔はホントに東京の事よく知らないけど「役者やるなら東京かな」という思いはありました。
大塚 でも、ある程度形になるまで行かないでよかったかもしれないね。まさにガラパゴスな感じで独自進化をして。それでちゃんと他の環境でも生きていけるくらい強くなってから外に乗り出して。よかったんじゃない?(笑)
椎木 それはよかったですね。
大塚 (笑)うっかり進化する前だったら変わってたかもしれない。
椎木 潰されてたかもしれないですしね。でもそれもギンギラ太陽‘sの存在が大きいです。
ギンギラという太陽。ギンギラという武器。
椎木 正直、当時からギンギラは何千人っていうお客さんを集めていたけど、ギンギラが僕らの世代では相当でかい存在でした。「福岡でも劇団やれるじゃん」の第一歩、「大塚さんも大濠高校出身なんだ」、って励まされました。
水上 自信になるし、目標になりますね。目指す先輩の劇団があって活躍しているということがね。
椎木 僕は高校が大濠で、先輩には井上ひでのりさんがいますけど、井上さんだけだったら東京に行ってたと思うんですよ。大阪か、東京か。でも大塚さんが福岡でやっているっていうのは、すごく影響があったと思いますね。ギンギラがなかったら何も考えてなかったと思います。
大塚 でも一応、東京とはどんなものなのかっていうのは取材には行ったよ。東京の事を知らないで福岡の事を一番っていうのは、それは違うと思ったので。東京の学生演劇も手伝ったし、有名な劇団とかも手伝ってた。
水上 それはギンギラの前ですね?
大塚 はい。実際に、東京のいろんな劇団を経験してみて、結局東京の劇団も自分達らしさがなければ埋没していくわけです。東京がマストじゃないことを確認して安心して福岡に戻って来て福岡で活動を始めたんです。ただし、そこから10年はもがいてました。
必要条件はわかったんですよ。必要条件は『自分にしかできないものを見付ける』、『それが福岡でしかできないものを見付ける』、というこの2つ。この2つの必要条件さえ見つければ福岡でも表現者として生きていけるはずだと。でも、答えが見つからなくて。
水上 方法論が確立してなかったんですね。
椎木 ギンギラのスタイルってのはどうやって思いついたんですか?
大塚 もがき疲れた頃に、福岡が再開発でにぎやかな事に気がついて。
椎木 街を歩いている時に、「これちょっと人にしてみたら面白いかな」って思ったんですか?
大塚 だって、東京を探りに行って帰って来て、天神の駅で降りて目の前見たら金ぴかのビルが建ってるし。
椎木 (笑)
大塚 「うわーなんだこの金ぴかのビル!!」って。今でこそイムズビルは福岡の人気ビルだけど、一番最初は天神の真ん中に金ぴかのビルが出来ているのにびっくりして、ソラリアが出来て、西鉄福岡駅ビルもできる。100年に一度の大工事っていわれてる駅ビルの南下工事があってて、街があっちこっち工事してものすごく動いていたんだよ。「あ、この街を題材にしたら面白いぞ」って。だから、ギンギラが誕生したのは福岡という街のおかげ。街が元気だったから、街に気づかされたってのはあるかな。
椎木 その建物同士のストーリーと関係がギンギラのお話になってるわけじゃないですか。それは街をみてて、こいつはこういうキャラクターでこういう性格で、って見ながら思ったんですか?
大塚 それはさっき話したギンギラ第一次バブル崩壊の話に繋がるんですけど、今日は僕の話ばっかりですけど大丈夫ですか?(笑)
椎木 「先輩の話を聞こう!対談」になってます(笑)
水上 ガラパの話は後半がっつりとお願いしますね。
大塚 ギンギラと演劇を、当時の僕らは分けていた。そこで、作品の底が浅くなって行き詰って。さあ解散かという時に、「僕が脚本を書くから活動を続けよう」と説得して。
椎木 元々大塚さんはギンギラでは書いてなかったんですか?
大塚 かぶりモノ製作と役者だけだったね。
椎木 そうなんですね。
大塚 僕がずっと探していた「自分にしかできないもの」「福岡でしかできないもの」のきっかけは、終わろうとしていたギンギラにあると思った。僕がやったのはギンギラを演劇としてきちんと作ること。一つひとつ取材をして、それぞれの成り立ちや抱えている哲学や生きてきた人たちの想いを反映して、きちんとキャラクターを作る。そして、それぞれの想いを持ったキャラクターたちを集めて、エンターテインメントな芝居を作り上げる。これが第二次ギンギラに繋がっているんですね。長いことご清聴ありがとうございました(笑)
水上 椎木 (笑)
唯一無二になりたい!
大塚 どうして良いかわからない10年があって、さらに初期のギンギラでの苦労があって。やっと、僕が主宰になってからの17年に繋がって来てるんです。もがきまくりでしょう?(笑)それを椎木は、「自分が始めたときはギンギラが福岡でやってたんで自分も福岡でがんばりました」って(笑)お前はいいなあ、もう(笑)
椎木 (笑)ホントそう。
大塚 羨ましいなあ(笑)前を走ってくれる人がいればなぁ(笑)
椎木 でも、悔しいところもあります。僕は馬鹿みたいですけど、唯一無二の存在になりたいわけです。教科書に載るのが夢です。(笑)
大塚 (笑)おもしろいねえ。教科書に載りたいの?
椎木 なんでもいいんです。福岡の文化史でも演劇史でもいいです。「初めてやった」人間になりたいっていう夢を昔から思ってるんです。子どもの頃からそういう子どもでした。
大塚 子どもの頃から?(笑)
椎木 そうなんです。「特別な人間になりたい」って、僕60になっても言ってると思います(笑)
大塚 表現やってる人間は何かしら知ってもらいたいって思ってるから、それは皆同じだけど、その言い方はちょっと面白いね。
椎木 「忘れ去られたくない、語り継がれたい」と思っています。でもそれがね、大塚さんがいるせいで、福岡には大塚さんが既にいるから「初めて」ではない(笑)
大塚(笑)
椎木 これを僕がどう越えていくのか。やっぱり歴史に残ろうと思うとギンギラを抜きたい。「俺しかできなかった『これ』っていうのを作る」っていうのは苦しい。でも越えるべき人がいるから目標になるんですよね。どんなに今ガラパがやっても、その前にギンギラ太陽’sがある。それはとても有難いことでもすごいことでもあって、負けたくないって気持ちはいつも持っている。
水上 これから10周年を迎えるにあたって、唯一無二な存在になることの明確なイメージを絞っていかないといけないですね。
水上 何か見えてきたものはありますか?
椎木 僕らのやっている演劇の作品自体は、シチュエーションコメディを作ることに興味があってやっている。だけど、僕らしかできないことが何なのかっていうのが実はまだ見つかってないんです。ただ、クオリティの高い全国区のシチュエーションコメディと比べてもガラパのコメディはすごく面白い、クオリティが全国的に負けない作品を作っている自負があります。それが僕らが福岡でやってることに付加価値が付いてくる事だと、今は思っています。
それと、大塚さんに先にやられちゃっているから悔しいんですけど、演劇を観ない人達、知らない人達にアプローチしていくっていうこと。僕は最近東京の若い劇団に関わるようになって彼らの方がある意味視野がせまいと思うんです。東京は演劇界というものがあって、絶対的な観客数が福岡とはやっぱり違うのでそれでやっている人たちがいる。でも福岡と規模が違うだけで、実は観客層の実数はすごく少ない。例えば外を歩いている人に演劇を楽しんでもらいたいという思いは少ない気がするんですよ。福岡でずっと思い続けてきたのはそこなんですよね。演劇を知らない人に観て欲しい、演劇嫌いだった人達に好きになってほしい。
そのためには僕らは「街に出ていかなきゃいけない」って特に最近思っています。それを先にギンギラがやっている(笑)ギンギラはそれでお客さんを増やしてきたし、僕にとっての理想の形。ただ幸運なのは、違うスタイルの芝居をやっていること。被り物だったらまさに比べられるので(笑)だから僕らは大塚さんが作ってきた道を僕らのスタイルでやりたいんです。
10年の節目に想うこと
大塚 ギンギラにしてもガラパにしても2つ「とっても幸せなこと」があって、ひとつは自分たちの戦い方を見付けたっていう事、もうひとつはその見付けた戦い方をいいねって言ってくれるお客様に出会えたこと。
椎木 それは本当にそうですね。
大塚 ずっと芝居をやっていく中で、自分の武器を見付けることにみんな苦労をしている。毎回「この武器は違う」「この武器も違う」って苦労することが多いじゃないですか、表現者って。たまに「この武器かな」って思ってもその武器を「いいよ」って言ってくれる人に出会えなかったりとか。だから、自分たちの戦い方を見付けて、それをいいよって言ってくれるお客さんに出会えたことは、頑張ってきたからこそなんだけどとても幸せなことだよね。だけどこの幸せに節目が来るのが大体10年目くらいで。幸せのはずが、10年経つと麻痺して当たり前に感じるようになって、それぞれの方向性とか、いろいろな落とし穴が・・・。
水上 椎木 (笑)
大塚 これはもう自分が経験してますから(笑)。
どう?ガラパは10年やってきて。最初は「やったー」って思うじゃない?やってることがお客さんに受け入れてもらえることは大事なことなんだけど、演劇が仕事になり始めてくる。当然仕事だから「動員してもらわないと困るよ」ってなるだろうし、「総予算の中で面白いことをしてくれないと困る」っていうのも出てくる。でもこれは目指していたことだし幸せなことなんだけど、この辺り、10年続くとどうですか?
椎木 いやいや、まだその穴に落ちてないのかもしれないですけど、僕も川口さんも昔からプロ志向は強いです。僕らはアーティスティックに「俺らがやりたい表現を誰もわかってくれなくてもいい!」みたいなタイプではなく、たくさんの人に楽しんでもらいたいとかもっと大きな規模でやりたいとか、そっちにモチベーションがある。
なので、僕としては今こうやって規模が大きくなってきて、予算も増えてきて、色んなことをやらせてもらえるようになってきたのが嬉しいし楽しい。「これがやりたかったんだよ!」って思っています。ただ、劇団としては、昨年一昨年でいっぱいメンバーが抜けていったんですよ。もちろん色んなことがあったんですけど、それは違うんだよねっていう人たちが辞めていった。
ただ僕と川口さん2人に関しては「それがやりたかったんだよね」「やっとそういう風になってきたよ」っていうテンションの上がり方を今している。ちょうど過渡期というのがあったので、そこは色々あったなとは思うんですけど。これから苦しくなる時も来るんでしょうけど、やっとこういうことが出来るようになってきたんだなってすごく思います。
大塚 アートとエンタメは対立みたいに言ってたけどそういう風にしないほうがいい。それぞれが表現を磨けばいい訳で。お客様に来てほしいことと、自分たちの表現を磨くことは両輪で続いていくものだから。
椎木 違います違います(笑)この表現を分かってくれなくてもいい、わかる人に分かればいいっていう、そのスタイルの話です。僕らはもちろんいいもの創りたい、沢山の人に観てもらいたいっていうモチベーション。だからモチベーションの違いだけです。こだわりはあるんですけどね。
大塚 ギンギラも、『演劇じゃない』っていわれた時期とかがあって。そもそも、もし、福岡でギンギラが切り開いたっていう何かがあるとすれば地方でもエンターテイメントをやるというやり方のきっかけは作ったのかな。どうしても地方で演劇だと芸術的なものを助成金をもらいながらやるという道しか難しくて。
そんな時に僕は自分で作ったものを、ちゃんとソフトとしてお客様に評価をして頂いてお客様から入場料を頂いて形にしていくものにしたいと思って始めた。どうしてもアート的なものと敵対はしているつもりはなかったんだけど、なんとなく違うところにあるみたいな感じがしてしまって。そういうときに、当時地方っていうのは演劇を評価する仕組みがアート的なものしかなかったから、結構そういう人たちに批判されるわけですよ。でもお客さんはいっぱい来てくれるようになった。そしたら今度は『ギンギラは福岡でしか伝わらないよ』、なんて言われるようになって。全国ツアーをすることで、地域を越える「普遍的なモノ語りの力」を実感できたし、エンターテインメントきちんと評価できる方々とも出会えてよかったですね。僕はエンタメやってるんだからエンタメの世界の人たちの評価にちゃんと向き合えばいいんだなーって思ってね。それに気づいてからは随分楽になったんだけど。
椎木 ホントに、僕は敵対は全然してないです。ただ、僕らの作品を面白いって思って欲しい。アートとかそういうの取っ払って、演劇として面白いものを作っていると思ってるんで。
今いるところの指標は?
大塚 自分たちの道を間違えないように行くというか自分たちが今どこにいるのか確認するための拠り所みたいなところはどこにしてる?
椎木 僕はそれはお客さんだと思ってます。
大塚 もちろんそう。お客様とのやり取りも大切だけど、全国ツアーをした時の各地のプロモーターの方とか、エンタメ系のプロダクションの人間とか、きちんとビジネスにしている人達の言葉は聞くかな。
椎木 僕らは、そこまで行けてないですね。
大塚 でもガラパはガラパで色んな劇団との繋がりとかあるでしょ?
椎木 そうですね。ただ、、、。
大塚 ヨーロッパ企画との繋がりとかいい刺激になってるんじゃないの?
椎木 ヨーロッパ企画にもすごく影響を受けてっていうのもありますけど、えーっと、わかりました。そこは課題ですね。いや、わかってたんですけど、お客様もたくさんいて、喜んでくださる人も沢山いる。だけど例えばギンギラにせよ、ヨーロッパ企画にせよ、劇団新感線にせよ、エンタメのなかで、何か大きなものを動かせる人達の目に留まった。僕たちはまだ引っかかってないってことですね。だから目指すのは次はそこですね。お客様が居ればそれだけでいいってわけでもないですし、自分たちのことを認めてくれる人達に出会いたいし、そういう人達に評価される作品を作りたいですね。「この人に評価されたのが嬉しかったと指標になってる人」にまだ出会ってないのかもしれない。色々お世話になって可愛がってくださる方もいますけど、それは結局まだかわいがってくれてるレベルだってことですよ。「お前らしか出来ないな」っていうとこにはまだ行けてない。そこにいきたいですね。
大塚 でも10年やってきて、かわいがってもらえるレベルまでいけたってのはすごいですよ。
水上 幸せなことだよね。
椎木 MONOの土田英生さんとかヨーロッパ企画の上田さんとか、かわいがってくれてます。
大塚 お客様と向き合うのは毎回の公演で確認できるし、上手く行ったかどうかは生々しくわかるじゃない?だからもう一つ自分たちのやりたい表現の高みを目指す時の叱咤激励をしてくれる人がどれくらいいるのかっていうのはこれから先ものすごく大切なことだよね。
椎木 そうですよね。それって、突然出会うものなんですか?
大塚 えっとね、僕は自分で会いに行ったりもしたよ。で、お前はまだ早いとか言われたりしたこともある。あるプロデューサーに会いに行って、僕エンタメをやりたいんですけどっていったら、僕と仕事が出来るところまで君たちはまだ来ていないからねって、わかりました出直してきますって(笑)
椎木 僕らもね、尊敬する方とかも沢山いて、プロデューサとかも沢山いるけど、まだその状態ですね、「まだ早いよ」っていう(笑)
大塚 名前を出すと手紙が殺到しそうだから出さないけど、有名なプロデューサーで、やっぱり手紙を3回もらうと心が動くかなっていう方がいましたね。手紙で切々と思いを訴えられてそれが3回続くとちょっと機会があったら観に行こうかなって。いきなり会ったこともないのに映像のDVDを送り付けられたってそんなの見ないけどって。
椎木 あー、そんなに言われたら困ってきたな。まだ自信がないのかなって気がしてくるんですよね。
水上 まさにそこにいくんだけど、今度の作品どうですか?
大塚 「けどね」っていわないの!(笑)
水上 そうですよ。だからその作品ね、もうすぐですよ。
椎木 いやいや、自信はあるんですけどね。
大塚 これまで作ってきたガラパの芝居がお客様に評価されて支えられている。なにより、エンタメのプロであるイムズの皆さんがガラパを応援しているわけじゃない。これはすごいことだから。もうガラパを目指している若手はたくさんいるんじゃない?
水上 いますよ。目指されてるよね。
椎木 だから悔しいですよねー。まだまだだと思っているから。もっといい作品を作りたいです。
大塚 まだオレらはゴールじゃないぞって?
椎木 いや、目指してもらうのは嬉しいけど、僕ら全然満足していないですよね、なんか。何にも成し遂げてない。頑張ってるのは頑張ってると思いますけど。
10年目の幸せ
大塚 「10年の節目」でも話したけど、ずっとやっていると幸せに麻痺してくるんだよね。だって君らイムズホールで公演できるんだよ。これまでも東京・大阪とか各地でやって、これは既にすごいことなんだ。
椎木 えー。
大塚 すごいんだよ。決して「ダメだ―」とかっては思わなくていいよ(笑)
椎木 ダメじゃないんですけど、ねえ・・・。もっといい芝居が出来ると思ってるんですよ。
大塚 それは大事だよ。だってもうやることなくなった思ったらそこで終わっちゃうじゃない。僕だって、「代表作は次回作」ですっていつまでも言っていたいし(笑)。大事なのは挑むことなんじゃないのかな。
椎木 いや、だから、今ちょうどそういう年齢なんですよ。来年30でね、僕は腹くくってますけど、やっぱりもっとやれるって思うんですよ。
大塚 今じゃあ、やれてないことってどんなことがある?
椎木 もういっぱいありますよ。やっとスタートラインです。
大塚 始めた頃から比べても仕方ないけどでもイムズホールというちょっとやそっとじゃできないところでやり、地元でしっかり認められてるし、ツアーもしてるし、お客様もしっかり来てくれていて後何をやってないんだ?
椎木 いや、まだ何もやってないですよ。まだやりたい劇場も沢山ありますし。
大塚 あー、いいね。
椎木 もっと僕の演技でお金稼ぎたいです。単純に売れたいですし、大きな舞台に立ちたいですし映像もやりたいですし、自分の演劇だけで稼いだお金で子ども育てたいですし車も欲しいですし、そういう欲はいっぱいあります。劇団がここまでなったのもここ数年ですし、それまでは自分たちで参加費出してお金集めて公演をやってましたから。それがやっと、ちょっと出演料もらえるとかそういうところに来て。
でもやっぱりスタートなんですよね。で、もっとやりたいんですよ。もっともっとお客さんを楽しませたいしもっともっと色んな仕事したいしもっと認められたい。
大塚 スタートっていったけど少なくともほとんどの人がここに立てないわけで、今聞いてるとじたばたしている感じがあるけど僕からみると充分スタートしてもう何周も入ってるように見えるよ。だけどずーっと走り続けるマラソンだから、よくわからなくなるんじゃないかな。俺も同じ。もう17年目だけどさ、一応イメージとしてはぐるぐる回って回りながらちょっとづつ上がってせめて螺旋であってくれたらいいな、みたいな(笑)最初の頃って目標がわかり易いよね。あの劇場に行った、切符が売れるようになった、知られるようになった、とかさ。でもあるところからはそこに到達できてることが既にすごいことなんだけどその先って実はよくわからなくなってくる。
椎木 だって大塚さんパルコいったじゃないですか。それは僕ら行けてないですから。行きたいですもん、パルコ。あれは僕羨ましかったですよ、単純に。
大塚 あれは、地震で公演が中止になって途方に暮れてるところに助けの手が差し伸べられたわけで。うちは元々食べたかったら博多に来んと食べさせんばいっていうのでやってきて、食べさせんばいって言いよったら、地震が来て公演中止になった!パルコ劇場がその悔しい思いをうちの劇場にぶつけてみませんかって言ってくれて。公演中止が無かったら、どうなっていたかわからない。
水上 10年前ですよね。
大塚 そうですね。西方沖地震の時だから。17年目の今から後ろを振り返ると、進んできた道は一本道なんだけど、進んでるときは、いくつも分岐点があって、しかも自分の意志で選んでいない選択肢もあって、全然一本じゃなかったよ。
椎木 そうですよね。
大塚 福岡にしかできないこと、自分にしかできないことをやるぞっていうスタートこそ自分で切ったけど、作品に地元企業を無許可で登場させてたから、「無許可で勝手にやるな」って怒られてたら、そこでギンギラは終わってた。でも、みんなが面白いねって応援してくれて、先に進む事が出来た。
水上 見てる人は見てるからね。今のパルコの話で言えばあの時に大塚さんの事を知っていた人がいたから声をかけられた訳ですよね。「ギンギラの表現は他にはない。面白いな」って思ってくれる人は周りにいっぱいいたわけで、人の繋がりが間違いなくありますね。だからさっき椎木君がいってたのは、そのチャンネルというかルートというか、それがまだないということですね。でも、まさにこの対談シリーズでやってきたのは、その人脈とかチャンネルの繋がりを作って行こうとしてきたんだよね。僕なんかも、こういう仕事しようと思ってからはやっぱり色んな所をリサーチしましたから。まず、自分の武器が何なのかがわからないことにはできないけど、どちらも一緒にやらないといけないことですよね。
椎木 そうですよね。大塚さんやっぱりすごいですよね。最初からそれがわかって帰ってきた、自分にしかできない表現をつくらなければいけない、とか。
水上 でもあれも、きっとずっと続けてきた中から出てきたんだよね。
大塚 アイデアとかひらめきと一緒ですよね。突然湧くんじゃなくて、何なんだ何なんだていう必要条件を意識していたり、アンテナをはりながら悩んでたら結びついたりする。でも10年かかって辛かったけどね(笑)
椎木 じゃあ僕ら、そろそろですかねぇ。
大塚 水上 (笑)
椎木 誰か教えて欲しいんですけどね。「ガラパにしかないものってこれだよ」って。
大塚 集団力がすごくいいと思うけどね。ガラパってみんなで分担してHP作ったりとかショートムービー作ったりとか。ヨーロッパ企画みたいにある種同じように志をもって楽しんでいる人たちとの出会いもあって。
椎木 劇団には自信があるんですけどね。
大塚 それは大事だよ、すごく。いいじゃんそれで。で、それを続けていくことじゃないの?だから10年目からの課題は、続けていくことですよ。
椎木 「ガラパしかないよねこれは」っていわれる時が来るんですかね。
大塚 来る来る!あるから10年続いているんだと思うよ。楽しみだね今度の公演。家を建て込むんでしょ?
椎木 はい。建て込みます。
大塚 そういう無茶が羨ましいよね。舞台に家建てるって(笑)それを聞いて、馬鹿だなぁって(笑)これ、ほめ言葉だよ?舞台に家建てるって羨ましいなぁって。家一軒建ててそこでシチュエーションコメディやるのかーって(笑)面白いことしてるよ。
椎木 そうですかね。自信はあるんですけど。いや、がんばります。だから、後でわかるってことですよね、大塚さん。
大塚 新作ってどれくらいぶり?
椎木 一年半です。
大塚 一年半ぶりの新作って超楽しみだね。
水上 楽しみですね。
椎木 しかもメンバーもガラッと変わってね。いい作品に、楽しんでもらえる作品には絶対にします。今思えば5周年の時こうだったって思えることが沢山あるから。今の10周年、これから福岡でどうやって行こうかみたいなのはあと5年10年したら振り返られるかもしれないですね。
大塚 すごく恵まれた所にあると思うよ。多分、集団で面白いと思っていることをやればやるだけどんどん繋がっていくところに今来てると思うよ。
椎木 確かに、それはすごく感じていて。だから今からだなって思うんですよ。今くじけたらだめだなって思うんです。
大塚 (笑)そうね。10年目のどうなってるんだろう、進んでるのかなっていう不安がね。でも傍から見るとお前そこまでやっといて羨ましいっていわれるかもしれんけどね。そこを越えると、僕は17年目だけど、もう全然楽しい。
椎木 そういうことですよね。
大塚 楽しすぎて自分のコントロール見失って仕事引き受けすぎてちょっと反省しながらね(笑)もう50歳になってしまったからね。今いくつなの?
椎木 僕29です。来年30歳です。
大塚 わー、羨ましい。だって僕がギンギラにたどり着くまでのどうしていいかわからない10年をガラパやってたってことでしょ。羨ましいなあー。いいなぁー。
椎木 水上 (笑)
大塚 悩め10年(笑)羨ましいなぁー。なんか最後にものすごく嫉妬してしまいました(笑)
椎木 こうやって先輩の話を聞くと、よし、今だぞって思います(笑)
大塚 今と思いますよ(笑)50歳の、徹夜も辛くなってきた私から見ると30代、働き盛りじゃないですか。
椎木 大塚さんの10年目当時よりも僕が前に進んでおけば、大塚さんは越えれるってことですね。
大塚 いいなぁ、もうどうすることもできないからね。嫉妬するしかない、この若さに(笑)
水上 お互いに嫉妬し合ってるってことですね。
椎木 いやいや大塚さん嫉妬してないでしょ。
大塚 してるって!
水上 いや、お互い嫉妬してるってことはお互い認めてるってことだからいいことだよ。
大塚 きっとこれからガラパが、ガラパにしかできない皆が羨ましいと思ういろんなことをやっていくんだろうなって。実際そこをやっていけるところまで来てる。同じ地元の表現者として、とても楽しみですね。刺激も受けます。
水上 ワクワクしますね。楽しいと思いますよ。
椎木 僕も、楽しみです。がんばります。本当に、ここからかもですね。
これからを展望して
水上 さっきギンギラの表現が始まった時の街の話をしたけど街がそんな雰囲気だったんだね。日本中がバブルの時期でもあったと思いますけど、福岡の天神はそういう雰囲気だった。今10年目のガラパってことで考えるとまた違う環境があるから、ガラパにとっての可能性はまだ充分ありますよね。今ちょうど街が変わるときですよね。
大塚 アジアとか向いて作ったりしないの?
椎木 この前の対談で川口も言ってたんですよね?
水上 言ってたね。「来年までに海外公演果たします」と。
椎木 ホントかな(笑)
大塚 でも、今アジアの演劇は熱いですからね。
椎木 ギンギラはどうなんですか?
大塚 思わぬキッカケで全国展開が先になってしまったので、改めて、九州にしっかり根ざしたいと思っています。
椎木 なるほどね。
大塚 だから今年11月の国民文化祭では鹿児島伊佐市で「いさ版ギンギラ」を作る。そして、九州各地での表現がしっかりできるようになったら、ギンギラだけじゃなくて他の福岡の劇団も、各地で公演できるようにしたい。九州中の人たちとつながって、それぞれ面白いお芝居を各地でもってまわったりと、九州演劇祭みたいなことが出来たら良いなと。
水上 いいですね。九州演劇祭。
大塚 今は九州での展開が一番かな。
椎木 僕は個人的にはアジア好きなんですよね。韓国で芝居したこともありますし。
大塚 熱いよね。面白いよね。
椎木 そうですよね。お客さんも熱いですし。川口さん、乗せられただけでしょ。川口さん興味ないでしょ。僕はいつでも行きたいと思ってますよ。
大塚 乗せられるのも良いと思うよ。自分の意志だけで決めてないことが、あとから振り返るとものすごく大事な決断になることもあるし。良いキッカケかもしれないよ。
椎木 やりますか、韓国で。
大塚 それ、もう両方やったら?九州もしっかりやりつつ、アジアもしっかりやりつつ。
椎木 東京も行っちゃって。
大塚 (笑) 若いってのはいいですね。2つじゃなくて3つも4つも。若いって羨ましいな。ギンギラとガラパでもなんか一緒にやりたいよね。
椎木 はい!本当に、そうですよね。是非、一緒にやりましょう!
大塚 僕がまだやんちゃなうちにね(笑)
水上 だって、今度もね、ショーマンシップと一緒にギンギラが公演をやるってことは福岡にとっては事件ですよ。
大塚 お陰さまで、ギンギラでやりたかったことは一通りやったんだよね。これからは他の集団と新しい事に挑戦してみたくて。
水上 いや、とてもいいことだと思います。
大塚 ありがとうございます。
水上 福岡には川上音二郎っていう大先輩がいるわけじゃないですか、ヨーロッパ公演を2回くらいやってますよね。そんな人もいますから。あまり東京東京って意識せずにね。
椎木 いやいや、そんな意識してないですよ。若いころはホントに東京志向が強かったけど、10年目を迎えた今は、福岡で何ができるかなって変わってきましたってことなんです。今福岡で何ができるのか、「福岡でだって面白いことやってどこよりも面白いことをやってやるよ」ってことなんです。東京に行くのは、東京に行きたいってことじゃなくて東京でもやってそこで評価されることも福岡の人にとってもプラスになると思うし、東京でやって東京の人たちが福岡まで観に来てくれるようになればそれが一番いいと思うので。
大塚 それは『飛ぶ劇場』の泊君も言ってたね。作品を東京に持っていくのは「見本市に持っていくようなものだ」って。
水上 そうですよね。
椎木 それもそうだし、「観たいんだったら東京から福岡に来いよ」となってくれば、それは劇団だけの問題じゃなくて福岡自体にもすごくプラスになることがたくさんあるなって。
大塚 東京をはじめ、全国で公演した事で、エンタメのプロにきちんと評価をしてもらえた事はよかったですし、今では全国から観に来てもらえるのでありがたいですね。
水上 「福岡ネタだからわからないだろ」という気持ちがあったけど他の都市でやってみて「どこでも通じるんだ」、のようなことを当時言ってなかったっけ?
大塚 実は地元密着型のエンターテイメントってのは「地元の人でも知ってるようで知らないところ」を作品にしているです。だって、皆が知ってることで物語を作っても驚きが無いでしょう。皆が知らないところを「ちゃんとわかるように構成して作品化」することで、実はどこの人でもわかるように物語は作っているんです。そこがしっかり受け止めてもらえたっていう事ですかね。
椎木 そうですね。
大塚 最後に、一つ。今回のガラパには、ギンギラ古株の杉山英美が出るんだよね。それが僕はすごく楽しみで。2回目なのかな?ヒデさんが出るのは。
椎木 そうです。2回目です。
大塚 だからギンギラで暴れていたヒデさんが、ガラパの世界でどう暴れるのかを、是非ギンギラをみているお客様にも観てほしいなと。
水上 3ヶ月この対談シリーズをやってきて。ある意味、ガラパのこれからの決意表明を聞いてきた気がします。それの成果発表みたいなものが10周年記念公演ですね、それを観に来てくださいってことで終わりましょうか。
椎木 10周年記念公演っていってますけど、僕は集大成だとは全く思ってなくて。変な意味じゃなくて本当にスタートだと思っているんですよ。それは大塚さんとの対談でもお話しましたし、この3ヶ月色んな先輩とお話させて頂いて、自分たちが今からやりたいと思ってることが僕は改めて信じられるなって思ったので今回のこの10周年の公演から、もちろん今までのものも財産として、更にやりたいことに向かって進んでいくスタートになるんじゃないかと思う。作品は決意表明をみせる作品ではなくて単純に本当に面白いコメディを、どんな人でも、きっと演劇嫌いな人でも好きになってもらえる。また好きな人もまた更に好きになってもらえる、そんな作品だと思いますので是非観に来て頂いて、イムズでお食事して楽しんで頂けたらと思います。ホントに、皆さんとお話して決意を持てたので、頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。
この対談は2015年6月5日に行いました。10周年記念公演は6月24日から28日までイムズホールで開催されています。
データ編集:橋本理沙(万能グローブガラパゴスダイナモス)
構成編集:水上徹也(シアターネットプロジェクト)
2015.06.25
カテゴリー:ガラパ10周年リレー対談
川口大樹(万能グローブガラパゴスダイナモス 脚本・演出)
竹清仁(モンブラン・ピクチャーズ株式会社 代表取締役・監督)
進行 水上徹也(株式会社シアターネットプロジェクト 代表取締役)
水上 今回は映画監督の竹清仁さんにお越しいただきました。竹清さんご自身のされていることを聞かせて頂いてもいいですか?
竹清 僕がやってるモンブラン・ピクチャーズは、業務としてはクライアント半分で、CMを作ったりとかモーターショー用の映像を作ったりとかホークスビジョンの演出映像を作ったりとか、CGからアニメーションなどまあ色々多岐にわたっています。監督、プロデューサー、CGアーチスト、アニメーター、コンポジターなど、総勢15人一通りそろっていて、コンパクトなチームでなんでも作りますよという会社ですね。あと半分はCGアニメーション映画を作る会社です。僕は監督で、一本目が『放課後ミッドナイターズ』っていう映画を2012年に公開しました。今、数本の企画を進めていて、そのうちの一本の脚本を川口くんに手伝ってもらってます。
川口 僕は最初に出会った感じとしては、脚本のことを一緒に考えたいって紹介して頂いたんで、物書きさんっていうイメージがあります。もう出会って2~3年くらいになりますよね。
水上 それは竹清さんの方からオファーをしたんですか?
竹清 元ギンギラ太陽ズの中村卓二君が、前に僕が作ったアニメ映画に出ていて、『面白い話を創りたい』って言ったら、川口くんを紹介してくれた。
川口 卓二さんの紹介で連れて行ってもらって。僕最初に会う時、相当緊張しましたね。
竹清 えーそんな感じに全く見えなかったけど。
川口 いやいやいや、監督ってちょっと怖いイメージないですか?それで、お会いしたら物腰柔らかというか。特に映画の中でもエンタテイメントであるとかコメディが好きだという話を聞いて、すごくそれがしっくりきた。だから、すごくスムーズに最初から親しくなれたな、と僕は思っています。それが、最初ですね。もう2年くらいになりますけど、竹清さんの中にざっくりとある一番最初のイメージのところから一緒にやっているので、すごく勉強になっていますね。僕、舞台の脚本は書いてましたけどアニメの脚本を書くのは初めてでしたから、なんかその2つのジャンルの違いというか、同じ脚本を書くとしても映画での書き方であるとか舞台での書き方であるとか。似ているところもあるけど違うところもあるしっていう。それが僕は勉強になりつつ、楽しくやりつつ、です。
映像と演劇の共通点
水上 ドラマっていう意味では共通してますけど、映画の場合って時間も空間もなんでもありですからね。演劇、特にガラパの舞台はシチュエーションコメディで一つの空間ですから制約がかなりありますよね。
川口 そうですね。
竹清 でも、一緒に進めているやつもそうなんですけど、CGアニメーションって実は演劇にすごく似ているんです。どんな表現物も予算がないと作れないじゃないですか。お金がないと。日本の場合、マーケットが主に日本の中だけだってこともあってそんなに予算をかけられないんですよね。そうなると内容を工夫しないといけない。で、CGアニメーションの場合は背景を全部作らないといけないんですよね。演劇で言うと建て込みですよね。舞台セットを作らないといけない。ただ、作れば作るほどお金がかかるのでこれをコンパクトにするのが一工夫なんですよ。CGアニメーションは限られた予算しかないから、ある意味密室劇みたいな感じでやるんですよね。だから、すごく似ているんです。
水上 なるほど、生の映像だったらスタジオにセットを作りますが、CGアニメはいわゆる画面にセットを作らないといけないんですね。
川口 そこは実は共通していて。アニメだったら自由にポンポン変えれそうなものだなって思うけど、でも逆に僕はそういうのが苦手なんですよね。限定された空間の方がどちらかというと得意だし。そういう意味ではちょうどよかったな、って思いますね。
竹清 ある意味、今一緒にやってもらっているやつもシチュエーションコメディですね。キャラクターが人間以外の奴も色々出てくるっていうジャンプの仕方で。
水上 演劇は生の人間がやるけど、アニメーションはキャラがたってるキャラクターがやる。どう動かすかとか、その辺はちょっと違うんじゃないですか?
川口 そうですね。そこは全然違うけど、それは逆に楽ですね。限られたシチュエーションの中という縛りさえ守ればカットは割れるわけですし。あとアニメーションだからちょっと無茶なことも出来てしまうわけだし。普段舞台で書いている時に、あーここで屋根からびゅんと落ちたら面白いのになーとか、生身の人間だったら大変だったりすることがブレーキをかけずに書けるってのがすごく面白かったですね。それはなんか発散になる(笑)人間に対する限定をちょっと飛ばせるから、それはいいですよね。銃撃戦とかレーザービームとかも書いちゃってもいいわけだし。
竹清 まあ、大変なんですけどね(笑)大変だけど、出来なくはない。
川口 でも水はだめなんですよね。水の中は難しい。
竹清 水はね非常にお金がかかるんですよ。鬼門ですね。こういうちょっとしたコツはいろいろあるんですね。これ面白いでしょ?っていわれて、面白いけどねーお金がかかるんだよねーみたいなことは、まあちょいちょいありますね(笑)
水上 じゃあ制約もあるってことですね。
竹清 あります。やっぱり全ての表現物って制約との戦いですよね。でも多分制約があった方が面白いものが書ける。
川口 そうですね。確かに縛りがあった方が燃えるし、逆に縛られなかったら、例えば登場人物を無限に出していいよとかっていわれるとどうしたらいいかわかんなくなる。だから竹清さんと一緒に作ってた時も、土台の設定をかなり密に組んで、キャラクターの性格や関係性はかなり考えましたね。そういう作業もかなり演劇と似てるなって思いましたね。
竹清 頭から書き進めて言ったらこんなラストになっちゃったって演劇ってあるじゃないですか。映画ってそういうのはなくて、逆算なんですよ。ラストシーンがあって、そこから構築していく。
川口 この作業は僕は普段あまりやらないんです。いわゆるプロットと言われるやつですよね。脚本を書くにあたって避けて通ってきたとこです。
水上 そうなんですか?
川口 避けて通ってきましたねー。プロットが出来たらもう書けたも同然だって(笑)。人にもよると思うんですけどプロットを書いちゃうとつまんなくなるって思うんです。
仕事を通しての影響
水上 竹清さんとの仕事は影響があったんですね。
川口 そうですね。物語の構造の所はちゃんと考えましたね。竹清さん映画がものすごくお好きだから。
竹清 (笑)すぐ映画の例がでちゃうんだよね。川口くん意外と観てないから、レンタル屋でこの映画借りてみといてって(笑)
川口 名作と言われるものにはある程度共通する構造があって、映画は映像がいくらでも残っているから構造の分析がすごくし易い。演劇って基本的に映像として残すものではない。
竹清 僕はこれはビジネスの話で、観るお客さんの数の違いなのかな、と思っていて。映像は複製して色んな所に広げられるから、マスの大衆に向かってのエンターテイメントじゃないですか。大枠は大多数の人に観てもらうもの。そうすると雛形みたいなものが出来ますよね。川口くんとはその辺の話もいっぱいしましたね。それを踏まえたうえで僕らならではの面白いものを作ろうという。
川口 そうですね。だから僕はどちらかというとそっちの世界の方に足を踏み入れて考えました。演劇の方法論ではなくて映像の方にシフトして考えて、すごく勉強になりましたね。
水上 作品を作るときのモチーフはどうですか?映画の場合だと誰でも興味を持てるようなものでないとお客さんって来てくれないじゃないですか。今度の『ひとんちでさよなら』のモチーフでのスタートラインはどんな風に思ってる?
川口 元々がエンターテイメント思考で、出来るだけ沢山の人に受け入れられたいという思いは元々持っているので、それをよりひっかかりなく出すということは考えています。その方法論の一つとして、内的問題・外的問題とかそういう構造の問題があります。物語が始まるときに登場人物の状態がこうであって、最後にはこうであるべきだっていうことを今まで意識せずに書いていたんですけど、竹清さんと一緒にやるようになって、そういうのを教えてもらいました。登場人物の変化がストーリーの中でどうなるのかっていう細かいやり取りは演劇の流儀でいかないと難しいところはあるんですけど、すごくでっかい枠組み、物語をこういう風に持っていくんだ、それでお客さんにこう捉えてもらうんだっていう考えかたは、影響を受けた部分ではあると思いますね。
竹清 でも、元々そんな感じで作ってたんじゃない?
創作をロジカルに語ること
水上 何回かガラパの作品は観られているんですか?
竹清 僕はすごく好きです。シチュエーションコメディで、キャラが立ってて、あとクレバーに全体の構造がカチッとなっていて。僕もそういうのは好きなので、毎回面白いです。一緒にやってることで言語化されたってことかな。
川口 そうですね。すごく明確になったっていうのはありますね。映画とか舞台とかみて、『面白い』と思う作品と『そうでもない』と思う作品があるじゃないですか。僕は何が違うのかってことが言語化できない、感覚でしか捉えていないんですよね。だから竹清さんと話すとすごくわかりやすいんですよね。
竹清 いや、難しいですよ。未だに『面白いって何か』っていうのはね。これがわかったら大儲けですよ。
水上 (笑)確かに
竹清 人によっても違うし。
川口 外国では理論化されて、分析されているんだっていうことが、面白かったですね。よくそんなこと知らずにやってきたなと思いましたね。演劇にも脚本の書き方みたいな本があるんですけど、やっぱりよくわかんないんですよね。あまりロジカルではない。僕は結構ロジカルなタイプなので、理屈で知りたいタイプなんですけど、竹清さんとしゃべってたらロジックで組み立てられていて、なるほどって思えるんです。
水上 どこからそういう経験を得たんですか?
竹清 『放課後ミッドナイターズ』っていう一本目を作った時には正直わかんなかったんですよ。いや、わかっているつもりだったけど今から振り返ってみるとやっぱりわかってなかった。脚本を書いてくださったのが小森さんという『海猿』とか『S』っていう作品を書いている方で、福岡に居る方ですけど、その小森さんに一本やっていただいて、作った後にこういうことなんだなぁ、とそれから色々発見もしたんです。
水上 ロジック的な竹清さんの作品の作り方はどこで学んだんですか?
竹清 ハリウッドの脚本術を書いた本が沢山出てるんです。それぞれ共通点とそれぞれの書いた人の視点が書いてあるんですけど、きっちり体系化されてる。要するにその話ですね。
水上 ハリウッドは確かに世界の映画工場ですからね。色んなノウハウや経験が詰まってますよね。
竹清 みんなそれにのっとって作るものですから同じになってきてる裏腹な所もあります。ただ、一回作法は身に付けた上でにじみ出ちゃう個性が勝負じゃないですか。だからきちんと勉強しようと思って。
水上 じゃあ今、それを二人で共有してるんですね。
川口 初めて竹清さんに会った時、ちゃんと勉強しようと思っていた頃で、竹清さんが言ってた本と全く同じ本を持っていたんです。それで、これはすごい、ぴったりだと思いました。僕も、何でも型を知ってから壊すことができないとダメだと思います。演劇やっている人って、人によるとは思いますけど、商業的に寄りそうことを嫌う傾向ってあるじゃないですか。別にそれが悪いというわけではないんですけど、僕はわりとそういうことに抵抗がない。むしろそういうテクニックがあるのなら、それをちゃんとものにして作品をどんどん作りたい。土台を作るところでまずはきちんとした知識とテクニックがあってそこから変化球が投げれるようになったらいいなって思います。
水上 そうですね。日本は国立の演劇大学がないですね。音楽はあるし、映像もいくつかありますよね。演劇は役者も演出家も特に体系化されていないってことですね。そういうことを教える機関や施設がないですから。だからそれぞれがそれぞれのメソッドを持ってやっているのが現実ですよね。
川口 だからこそ、突然変異みたいなものが生まれやすいってことが演劇にはあると思うんですけど、効率が圧倒的に悪い。竹清さんは社長ですから、作品を作ることがちゃんとお金と結びついていることがとても良いと思いますね。演劇って、お金とどうしても縁遠い。
竹清 それは向き不向きですよ。川口君の場合はお金と結びついているってこと。
水上 いいじゃないですか。演劇産業、やりましょうよ。
川口 そうですね。本当にお金稼がないと皆辞めてっちゃいますからね、単純に。
水上 演劇が職業化されているところって東京だけだからね。
川口 そうですね。
福岡で仕事をするということ
竹清 福岡はそういう文化がないですからね。
水上 『福岡は芸どころ』っていう言葉があるんですけど、福岡はやりたがりが多いんですよね。だからそれを作品にしてお客さんを集めてそういう仕掛けを作るかって言ったら、それは福岡ではやってないですよね。それをやる人はどんどん福岡の外にいっちゃうんですよね。
竹清 まあ、映像も一緒ですけどね。
水上 だから福岡でそれをやるっていう動きがないんですよね。
水上 竹清さんは東京でなく福岡で活動をされている。それはあえて何か意味があるんですか?
竹清 僕はかれこれ20年映像の仕事を福岡でやっていて、始めた時は『いやーそんなの福岡ではできないよ』って言われてたんです。その頃はちょうどインターネットが使えるようになったくらいの時期だったんです。だから特徴があって良いものさえ作れば福岡でも出来るだろうと思って、そしたら案の定上手くいった。それで、同じ感じで映画や映像エンターテイメントも、これからは携帯で観るようになるだろうし、テレビも変わっていく。もう、地方でも充分出来るだろうなっていう匂いがあるんですよ。今、チャレンジしているところですね。
僕は札幌に産まれていたら札幌でやっていたと思う。でも僕は福岡にいるし、住み心地がいいこともわかっている。住み心地を犠牲にしてまでやりたくないな、と。ちょっと語弊がありますけど(笑)両立できればそれに越したことはないし、福岡は移動の便もいい。空港が近いし本当にストレスないですから居続けてます、というくらいのものですかね。まあ、今からセルアニメを作るには不利ですけど。CGアニメは始まったばっかりなのでみんなチャレンジャーなんですよ。だから、やり方も含めて作ればいいやって思っていて無謀と言えば無謀ですけどやれないことはないと。
水上 福岡らしさとか地方の匂い、山笠とかコンテンツを盛り込んだり、そういう作り方もあるじゃないですか。そのことは考えたりしますか?
竹清 むしろ逆ですね。僕らが作りたい映像は、日本だけじゃなくて世界中の人が観て面白いものを作るっていうのを条件にしています。マーケットが日本だけじゃないから、東京じゃなくてもどこに居てもいいんです。
水上 川口君はどうですか?
川口 そうですね。僕もやっぱり産まれた土地だっていうのがすごく大きいです。演劇は持ち運びが不便なので東京とか大阪がいいとは思うんですけど、東京は演劇でいえばとにかく数が多い。求められている数に対して、圧倒的に分母と数が釣り合ってないのですごい勢いで消費されていくっていう話はよく聞くし、東京って何かに追われるように必死に作品を作って生き残った劇団がやっていける世界だと思います。
もちろん東京に産まれていたらその環境の中でやったんでしょうけど。福岡は良くも悪くもじっくり腰を据えて作る環境があるし、これは演劇に関していえば武器だなって思います。消費されにくい。誰からも求められないっていうことなので欠点でもあるんですけど、逆にいうと未開拓の場所なので福岡のエンターテイメント業界に入り込む余地がある。まだ大半の人が福岡にも演劇があることを知らないわけですから。だから、僕にとっては誰もまだやっていないということが一番の魅力ですね。今なら一番になれるしパイオニアになれる。
水上 フロンティアですね。
川口 正に、フロンティア。歴史に名を刻めるんじゃないかっていう。東京で名を刻もうと思ったらそれは大変ですけど(笑)福岡っていうこの未開拓の場所を開拓していく、これは作業としてとても楽しいことだなと思うんですよね。ガラパで芝居作っていて思うんですけど、僕は演劇観たことのないお客さんにこそ観てもらいたいって気持ちがすごく強い。で演劇観たことのないお客さんがガラパの芝居を観て演劇って面白いねっていわせたい。この僕の思考と福岡っていう街はすごくマッチしている。人口もそれなりに居ますし、街もあるし劇場もある。同時に未開拓の場所っていう魅力をすごく感じますね。
水上 東京には劇団がいっぱいあって、役者もいっぱいいて、その中でちょっと面白いのがあったら、プロデューサーに目を付けられてテレビに出たり映画に出たり、色んな番組があるから仕事として関わったり、業界的なシステムが成り立っています。東京は局がドラマを作ってるけれど福岡は少ない。
だから福岡の劇団は劇団活動だけでやっていきますね。だけど、一週間の公演を一ヵ月間に回数を増やすとなった時に福岡のマーケットでお客さんを増やすことが出来るのかっていう話が第一回目の対談で出ていました。福岡のお客様プラス色んな地域から観に来るお客様が福岡に集まることで成り立つ。それが僕の一つの成功イメージなんですよ。まずは福岡にいっぱいファンを作り、こんな劇団があるよっていうのを東京や大阪や色んな地域に伝えるという。人気のある役者目当てにお客さんが来るといったものとは違うやり方をしないといけないのでは?
竹清 僕は同じじゃないかと思いますね。どれだけ多くの人がこれをお金使ってでも観たい、時間使ってでも観たいと思うほど面白いものを作るか。そして作るだけじゃなくて知らせるか、ですよね。宣伝方法が大事です。それで、ビジネスとしてきちっと成立するっていう。じゃないと継続できないですからね。
水上 それを今、監督兼代表でやっているわけですね。
竹清 もう大変ですよ。なんとかかんとか(笑)でも、結局リスクを負わないとできないってことだけは間違いないので。自分でしょってやるしかない、ってことですよね。
成功の定義
竹清 すごく聞いてみたかったことがあるんだけど、川口くん集客で言うと福岡では一番目?二番目?
川口 二番目ですかね。
竹清 成功している部類ってことですよね。
水上 そうですよね。
竹清 これから10年20年自分のペースで福岡のお客さんのパイで福岡のお客さんが払ってくれる予算の中でずーっとやるのがハッピーなのか、そこで上手く行ったら東京に行くのが成功なのか。成功の定義って人それぞれだと思うんですけど、その辺どうですか?
川口 劇団がずっと福岡にあり続けるってことが一つ成功の定義であるのかもしれないです。ヨーロッパ企画っていう劇団が京都にあるんですけど、ガラパを旗揚げするときにそこを目標にした。シチュエーションコメディという作風も劇団の成り立ちもすごく好きで。あそこは劇団として作品を作るだけじゃなくてコンテンツを沢山作っている。自分たちで映画祭みたいなことをやってみたり、テレビ番組を作ったりしてます。僕は演劇だけをやり続けたりという感覚はあまりないんですよね。
竹清 物書いていたいってよく言うよね。
川口 そうですね。理想は書くことが一番やりたいです。でも劇団という場所もすごく好きなので、一番いいのは劇団の公演は年に一回とか二回、本公演をやりつつ、やってない時期は劇団でもっと別のコンテンツ、例えばテレビでもいいかもしれないし、それぞれが俳優として東京に行って活動してもいいかもしれない。
そういう形がすごく理想だなって。でやっぱり僕は書くことを重点的にやっていきたい。小説も書いてみたいし、テレビの台本も書いてみたい、それを福岡でやれてたらすごく理想的ですよね。あくまでも福岡の劇団だっていうこだわりはあるので。福岡の奴らがすごいもの作って、それを東京からいろんな人が観に来る、そういう漠然としたイメージはありますね。コンテンツはいっぱい作って行きたい。
水上 人の話になりますが、ガラパも、制作の力、プロデューサーの力は大きいですね。
竹清 プロデューサー超大事。プロデューサーの腹の決まり方次第ですよ(笑)
水上 今はそれこそ作品は川口くん、代表は椎木君っていう二本柱で作って、そこに制作の橋本さんの力が入って今みたいな形になって来てると思うんですよね。これからの10年以降の展望で言えば、人の力というのが必要ですよね。
川口 そうですね。福岡には、なんか面白いことしている人が意外にいる。竹清さんと、僕はたまたま卓二さんが紹介してくれたから繋がれたけど、福岡って、色んな人達が繋がっていく仕組みがないですよね。沢山の人と出会って行けたらすごい力が生まれるんじゃないかなっていうのをここ最近考えるようになりました。演劇に限らず、それぞれが自分のいる世界に閉じこもりがちになって見える範囲が狭くなるから、僕自身いつも反省するところです。だから違う世界の竹清さんと話をしているのはいつもすごく解放されます(笑)
竹清 福岡は面白い人がいっぱいいるし、ちょいちょい面白いことがあるんだけど、そこで終わっちゃうことも多いんですよね。自戒も含めて。でも、もうちょっと大きいところになっちゃうと、居心地の良さが逆に弊害になっちゃうときもある。良い悪いじゃないです、本当に。ただ、そういう風な雰囲気だから、気を付けないといけないなって思ってるところはあります。このくらいでいいなって思ったらもう終わりだなって。福岡がではなくて、自分の中がですね。
アンテナを外に向けて
水上 竹清さんの中では、刺激とか情報とか東京のチャンネルはあるんですか?
竹清 僕自身は仕事もあって2週間に一度は東京に行って色々な話をしてますし、ここ2年は割と定期的に海外に行って、一緒にやってくれるスタジオとかチームをリサーチして、常に外に目が向くようにしています。ちょっと演劇から話が外れちゃいますけど、この2年間海外に行って、もう超ショッキングでした。日本だけが日本のマーケット用にエンターテイメントを作っている。海外は少なくとも自分の国以外の所も広いマーケットとして捉えて、それ用に内容を作っているんです。
水上 具体的にはどこですか?
竹清 アジア一帯、それからヨーロッパ。びっくりしたのは南アフリカもCGアニメとか作ってて、南アフリカでペイするの?っていったら、いや、僕らのマーケットはヨーロッパだ、と。北米はハリウッドとかもあってきついからEUでペイするって言ってました。内容も人種を越えて理解できるようなものにしている。だからもう商品ですよね。まあ当たり前なんですけど。今の所、日本ではそういう視点ではあまり作っていないですね。
水上 今の話で言うと、確かに演劇でも、韓国は日本の半分しか人口がないから完全に外に向けて作ってますよね。だから台詞のない(=ノンバーバル)演劇を作って、とりあえず日本に持ってきてますね。日本が一番マーケット層が大きいから。日本の場合は日本で作ってそれを他で、というのはあまりない。
川口 僕は自分の作るものが言葉に依存しているものなのでそこまで興味はないんですよね。でも、うちの代表の椎木が前に公演で韓国に行ったんですけど、向こうの人たちはとにかく笑う、と。良くも悪くも、笑いってものに関してはかなりウケがいいらしい。特にこっちでいうところのドリフみたいなことがすごくウケる。だから実はうちの芝居は韓国でいけるんじゃないかって椎木が言ってました。言葉に依存しない、スラップスティックコメディ、チャップリンみたいな見た目で面白いもの、それをもっとコメディにふっているものとか。今、日本から韓国にいってるものって芸術性の高いイメージがあります。身体性のある作品がいってるんですけど、その身体性をもっと笑いによせた作品で持っていくってことはまだやってるところはないんじゃないかなという気がする。分析は出来ていないし、お国柄もあると思いますけど、僕が聞きかじった限りでは、笑いに対しては韓国には通じる可能性がある、そういうイメージはありますね。前例がないのでそれを確かめる術はないんですけど。いずれ挑戦してみたいなという気持はありますね。
竹清 韓国ってオフブロードウェイみたいなとこがあるんでしょ?
水上 ありますね。大学路です。空間的にはガラパがやってるくらいのサイズのものがたくさんありますよね。
竹清 そういうところでぴょっとやったらいいのに(笑)
川口 ぴょっとね(笑)劇場いっぱいあるっていいますもんね。なんか笑いが通じるならちょっとやってみたいとか思いますけどねー。
水上 言葉がね。役者は皆ハングル語とかで(笑)
川口 そうですね(笑)その言葉の部分をどう処理するかですよね。どう伝わるかっていうのが全然未知数だから、ちょっと試してみたい気はしますけど。
水上 やったらいいんじゃない?実験だから(笑)
川口 そうですねぇ。実験か。やってみようかなぁ・・・。まあ、近いですからね福岡。興味はあるんですよ。笑いはやっぱり武器だから、それが通じるんだったらそれはいいですけどねぇ。何が面白いんだろ、韓国の人達って。何見て笑っているんだろう。
竹清 それを確かめるために一回やってみる(笑)
川口 じゃあちょっとスタンダードな笑いで・・・じゃあ、次の10年はどっかで海外公演を。
竹清 いいですねー。
水上 少なくともじゃあ福岡から一時間半程度で行ける海外をくくって、そのエリア内をまず制覇するとか(笑)ソウルでしょ?上海とかあと台湾とかいいかもよ。
川口 誰もやってないからなぁ。
竹清 いやいや、だからいいんじゃない。
川口 そうですよねー。それこそパイオニアですよね。
水上 もう日本ツアーじゃなくてワールドツアーだよ。
川口 それこそ殺陣とかする劇団は行ってるイメージありますね。日本っぽいものを持っていくっていうのは昔聞いたことがあるけれど、そうじゃないものもいいですよね。僕どちらかというと、あんまり福岡とか博多とか日本とかに依存したものを作る気はないんですよ。博多弁とかを使うこともあんまり興味がない。どこに持って行ってもウケるものを作りたいですね。東京とか大阪とか、もちろんそれ以外の地域もですけど。そう考えると海外もおんなじ視点でみても何ら問題はないってことですよね。
水上 一回やって成功したら海外に売れるわけでしょ?
川口 お金がね、もらえるならやりたいですね。
竹清 水上 (笑)お金があるところに行きましょう。
福岡のメリット
川口 演劇の人ってお金稼ぐのあんまり得意じゃないから。でも演劇って労力は使ってますからね。
竹清 さっきの幸せの話になっちゃうかもしれないけど、大塚さんっていう有名な声優さんが本を出していて『声優にだけはなるな』って(笑)。声優って職業だと思うから辛くなるんだけどそれが生き方だったらやらざるを得ない。そういう人がやるべきだ、と。そこにお金を結びつけると一般的な話として成立しなくなるからそういう覚悟のある人だけ来てくださいと。お芝居の役者さんと似た香りがしますよね。
川口 僕もやっぱり、やれって言えないですもんね。知り合いで役者やりたいって子がいたら。まあどっぷり浸かってたらもう仕方ないですけどね。
水上 まあ確かにね、劇団ってうちに来たら儲かるよっていって誘わないもんね。
川口 そんな劇団は嘘の劇団ですね。
一同 (笑)
竹清 でもまあ幸せの尺度はそれぞれ違いますよね。お金とは別で。
川口 まあそうですね。いろんな劇団がいっぱいあっていいと思います。
竹清 水上 (笑)
川口 僕、竹清さんとはフラットに話せるんですよ。演劇じゃないモノづくりをしている人と出会う事ってあんまりなくって。竹清さんと出会った頃はちょうど演劇関係のところに関わらないようにし始めていた時期だったんです。もっと東京の人とか関西の人とか、視野を広く持ちたいというか、福岡の事だけを考えないようにしていたんです。僕にとっては別のジャンルであるってことはすごく俯瞰できるというか、そこからどう見えているのかっていうのがすごく方位磁石だったというか。
竹清 それで思い出しました。福岡でやるメリットって確かにありますね。僕の個人的な感覚だと、業界からアウトローでいられるってことですね。メンタルさえちゃんと自分でコントロール出来ていれば予定調和なものを作らなくて済むし、ちょっとはみ出たものを作るチャンスがある。演劇とはこういうものだ、映像とはこういうものだっていうのが出来ているじゃないですか。でも、実際はそんなことない。むしろそうじゃないものの方が面白いこともある。そういう型にはまった定義みたいなものに対して自由なメンタルで居られる可能性が高くなると思いますね。東京以外の方が。
川口 東京は、若い演劇人なんかは特にちょっと芽がでると刈り取られていって、脚本書かされて、で上手くいかなくなったらポイって捨てられてしまう。でも東京に居たら、そこを目指さなきゃっていう気持にならざるを得ない。自分が意識しても巻き込まれていく。だから福岡みたいにちょっと離れた場所からちょっと俯瞰するのはメリットがあるって言えるんだろうなと思います。ただ居心地が良すぎてダメになるっていうパターンもあると思いますけど。
竹清 いや、ありますよー。
水上 そこは絶対陥ったらいけないとこだね。
川口 ホントですよね。
竹清 表現者としてはね。生活者としてはもう最高ですよ。
川口 そうですねー。東京の人の話とか聞くと、かわいそうになっちゃうときもあるから。ボロボロになって行っちゃう人もいるから。
竹清 えー?でもそれってチャンスじゃない?
川口 そうですね。でももう乗るか反るかですから、そこの勝負に戦い続けていかなければいけないみたいなことがあるんですけど、でもそれも幸せの尺度ですよね。
竹清 そうそう。
これからの10年?
川口 ある時急に、役者やってた子に、最近舞台出てないね。どうしたの?って聞いたら、地元に帰って農業やってるって、急にそんなことをやる気持ちになる流れってなんだろう。ちょっと想像もつかない。
竹清 すごい密度でがーっとチャレンジするんじゃないんですか。それで、納得してもうやりきったからいいや、ってなる気がする。
川口 もう二度と演劇はやらないんだっていう人もいて(笑)大変だったんだなーって思うし、あんなに演劇のこと大好きだったのにって思います。うまく立ち回るってことが出来るのも才能だとは思うんですけど、そういうことも含め色んなことが起きているのが東京だから。
水上 ここまでの話だと、福岡で長く続けることが目標じゃなくって、福岡で新しいことを始めることに重点を置いているってことなのかな。
川口 そうですね。福岡はその前線の基地としてすごくいい場所だなっていう感覚はあります。
竹清 じゃあ今後10年は色々新しいことを仕込む。
川口 色々やっていきたいですね。今までは劇団の規模を大きくしていくっていう一本やりでしかやってきてないので、この方法にも限界がみえてくるんですよね。作品を作って作品の宣伝をすることでお客様を呼ぶっていうやり方だからどうしたって伸び率は鈍くなっている、そこを打破するっていう観点から、違う切り口を考えていかないといけない。それは、他のジャンルとの関わりかもしれないし、違うところに作品を持っていくってことかもしれないし福岡だからこそできるある意味ミニマムなところに何か宝が埋まっているかもしれない。こういう視点を持つ作業はやっていかなきゃいけないと思いますね。もちろん作品創りはベースに持っていますが。
水上 例えば今は演劇でも凝った映像を作ったりしてるじゃないですか、ガラパもあると思いますけどそういう部分を竹清さんと一緒にやるとか。
竹清 そういう話もちょいちょいするんですよね。でもやる以上は商品だから、僕らがやりたいことじゃなくてお金を払ってでも観に行きたいっていう、観たいという部分まで計算してやらないといけないからね。まあ、やるならちゃんとしようとは思ってます。そういう話はしてますよね。
川口 そうですね。だから、10年ですよね。
竹清 10年とか言ってると映像なんてどうなってるかわかんないよ(笑)もう、やるならすぐでしょ。
水上 この公演が終わった次とか(笑)
川口 次はちょっと(笑)でも、それくらいの気持ちでね。スピード大事ですからね。
竹清 スピード大事。
川口 今まで、スピードを大事にしてこなかった、旗揚げ当初はサークル感覚でやってたものだからそこをないがしろにしてきてしまったのは大きな反省ですね。それがある種アマチュアの弱点。スピード=お金っていう感覚がないままやってきてるから、それはよろしくないことだな、と。竹清さんと仕事をやるようになってひしひしと感じた部分です。
竹清 僕むちゃくちゃ厳しいんですよ。広告業界でずっとやってるから、締切が仕上がりなんです。途中の仕上がりとかもね。仕事ですから。
川口 劇団って許されちゃう空間ですから、そうじゃないってことを感じることができて僕はぎりぎりよかったですね。これがあと10年くらい歳とったあとだったら手遅れだったんじゃないかなって思う。
水上 計画を立てるってことは大事ですよね。
川口 演劇は公演を打つ計画しかたててないですよね。当然劇場も押さえないといけないわけですから、一年二年のスパンで考えていますけど。ただ、それをやるって決めたらそれだけしか出来なくなっちゃうから、すごく効率が悪いことだなって思いますね。もっと密に出来ることが沢山あるはずなんだけど、年に二回公演をやるっていう決め事があると期間をフルで使おうと考えちゃうから、締切も許されちゃう。もうちょっとやり方を考えていかないとですね。
自分の作品に自信を持つこと
水上 ガラパは今何人いるの?
川口 劇団員は14人ですね。
水上 モンブランは15人。同じくらいですね。モンブランはそれで、みんなを食べさせてるんですね。
竹清 食べさせているというか、食べさせてもらっているというか(笑)まあ、僕らの仕事は半分はクライアントワークですからエンターテイメントとは種類が違うから一概には比べられないですよ。
水上 でも会社としての経営基盤があるからそれができるわけで。その部分なんですよね。ガラパの場合は日々色んな仕事とかアルバイトとかに縛られながら、年間2本くらいは死守してやってると思うから、公演以外の活動ができればいいですよね。
竹清 それができるのであれば、関係のないバイトよりはテレビ出ますとかテレビで番組やりますとか、そっちのほうがハッピーだよね。
川口 間違いなくそうですね。
竹清 その為にはリスクを冒して先ずはじめないと。誰もやってくれないですよ。
川口 本当にそろそろですよね。やっと今年で劇団も10年で第20回公演。ようやく、演劇公演の作品を作る以外の事をやってもいいのかなって思えてきましたね。特に最初の何年かは大学のサークルのノリでやっていたわけで、それがやっと5年位経った時に劇団として作品が認められたいって気持が生まれてきて、旗揚げして5年目で初めてイムズにいって。6年目で初めて東京に作品を持って行って。こういうことを重ねていって、やっと自分の作っているものがきちんとした商品になりうる可能性があるのかなと思え始めました。時間がかかってしまったとは思うんですけど。僕はずっと劇団をやろうと思って劇団を旗揚げしたつもりでもなかった人間で、特に自分が作るものに対しては自信がないタイプの人間なので、10年経って、やっとちゃんとしたものが作れてるのかなって思えるようになってきた。時間はかかったけど、人の目にさらされる時間が必要だった気もしています。そろそろ自信をもって違うこともやっていいんじゃないのって、ようやく自分を説き伏せることに成功してきましたね。
竹清 例えばなにやりたい?小説とか?
川口 小説とか書きたいですね。いやなんか、テレビとかもそうだし
竹清 出たい?
川口 あ、出たくはないかな。
水上 ドラマを書きたい?
川口 そうですね、物語を書きたいです。それこそ商業みたいな舞台ですよね、まあタレントさんが出ている舞台でもいいだろうし。僕、そいういうものって別の次元のものだと思ってたんですよ。特に劇団始めた頃って、自分たち、いわゆる趣味で集まった劇団とタレントが出て何千円か払ってお客さんが観に来る作品っていうのは別のラインにあるものだと思っていたんです。でも実は別にそんなことはなくて自分の方法論で自分の作品の個性でお客さんを楽しませられるんじゃないかっていう自信は今ならあります。例えばそれがドラマだったとしてもそこに自分のカラーが乗せれる気はしなくもない。ようやくこういう風に思えるようになってきた。こう思えるようになったのは竹清さんと仕事をしたのが大きかったと思います。演劇の業界じゃないところから一緒に話をしていくうちに感じる共通している部分があったり。僕からしたら全然違う世界の人だったんですよ。話してみると決してそう遠い世界ではないんだ、と。僕が書いてきたものを竹清さんが面白いって言ってくれることが僕にとっては衝撃的な出来事でした。
水上 今の川口君の話を聞いてどうですか?
竹清 そう言ってもらえるのは僕も嬉しいです。一緒にやってて面白いですし、ちゃんと想像したものに向いた作品に話しをしながら近づいていく感じが楽しいです。川口くんは映像向いていると思いますよ。作り方とかもね。だからそっちにも広がるといいなと思いますね。そっちでまた川口君の名前がバーンと出たらガラパの公演にもお客さんが増えるかもしれないし、そうやってぐるぐるいい感じでまわるといいですよね。
川口 そうですね。すごく理想ですよね。
水上 それを確認するための今回だったんですね(笑)ガラパがやってきたことを職業化するようなところにいるんだなっていう印象を受けました。
川口 少なくとも昔よりはそういう視点を持つようになってきましたね。恐らく目をそらしていた部分もあったと思うんですよ。目指してしまうと挫折するのが怖いですからね。なんでもそうですけど。
竹清(笑)まあね、ぶっちゃけそうだよね。
川口 自分の作品に自信がなかったのが、今は少しは自信を持とうかなって思い始めてます。
竹清 川口くんの脚本は構成と構造をきちっと固めていくタイプだから難しいよね。書きなぐればいい、とかじゃないもんね。
川口 そうですね。つじつま合わないってことが致命的になるから。それも勢いで行けるもんだったらいいんですけどね。だから、書いてる量はすごい書いてると思います。台詞とかシーンとかは役者のみてない部分で結構書いてるんですけど実際に印刷されてくるのはほんのちょっとだったりしますよね。
竹清 ここで言っておきたい(笑)
川口 (笑)稽古場で言うのはちょっと恥ずかしいので、ここで言います(笑)でもホント、いつまでたっても難しいですね。
水上 クリエーターは一番の自信作は次の作品っていうもんね。
竹清 終わった瞬間にもう次ですからね
川口 なんか批評する自分の目の方がどんどん高くなっていくから嫌なんですよね。昔だったら面白いなって思って書けてたことが、いや、これはもうちょっといけるんじゃないかなって思う気持の方が強くなるからすごく苦しくなった。
水上 去年は昔の作品を4本再演しましたよね、昔の作品やって、どうでした?
川口 昔のやつは意外に面白いなって思いました。結構面白いこと考えてたなぁって思って。なんか技術的につたないなとは思ったんですけど、その時にしか書けない勢いみたいなものは確かにあるんだな、と。そういう意味ではそれもちょっと自信になった、信じて書くしかないなって(笑)それもその時なりに必死で考えて書いたものだから。だからなんか、取り組む姿勢としては変わんないんだなって思いましたね。上手くなったから楽して書けるとか、知識がついたら早くなるとか・・・
竹清 いやー、ないよねぇ・・・。
川口 ないですよねぇ・・・。それはある意味諦めがつきました(笑)もう戦うしかないんだろうなって。だから、大変ですね。未だに泣きそうになります(笑)なんも思いつかん、上手くいかんって(笑)でもきっと昔より自分に高いハードルを課してるから苦しいんだという風に思っているので苦しいのは正解なんだろうなって今は思ってますけどね。(笑)
来年の目標!
水上 そろそろ時間なんですが・・・来年あたり海外公演しますか。
竹清 いいですね(笑)観に行きますよ。
川口 そうですねぇ(笑)でも来年あたり、モンブラン・ピクチャーズと何か一緒にやりたいですね。
竹清 やりますか?まずプロットを書かないとね。
川口 じゃあプロット、企画書を書くってことを次の10年の目標で・・・
竹清 長いよ!次の10月までとかだよ(笑)
川口 わかりました。じゃあそのつもりで、年内に、書きます。でも、やっぱり言わないと始まらないですからね。
竹清 そう!やるって決めてやり始めると始まるんです。
川口 なんか投げてみるって大事ですよね。荒い球でもとりあえず投げるっていうのは癖にしておかないといけないなって、ひしひしと感じるので。じゃあ、今年から来年にかけてバンバン投げてくっ。
水上 きましたね。
川口 そうしましょう。そう、それが大事(笑)これが来年に向けての目標です。がんばります。
竹清 水上 しかと聞きました。
川口 映像にも残ってしまった(笑)ほんと、がんばります。
2015.06.16
カテゴリー:ガラパ10周年リレー対談
■■僕の人格を形成したもの■■
物心つく頃 神社の境内で祭りの時にやってきたドサ回り劇団のチャンバラ芝居
■■小学生時代■■
『ゴジラ』シリーズ
■■中学生時代■■
『小さな恋のメロディ』『ゴッドファーザー』
■■高校生時代■■
『仁義なき戦い』『サンダカン八番娼館』
■■大学生時代■■
年間に観た200本の映画
『子午線の祀り』は演劇体験の原点
『ブロードウェイミュージカル ウィズ』でミュージカル初体験
映画の道に進むつもりが子どもたちに演劇や音楽を見せる仕事に歌舞伎・文楽・能・狂言・落語といった古典芸能から人形劇・バレエ・ジャズ・オーケストラまで、あらゆるジャンルの舞台芸術を子どもたちに届ける もはや演劇のない生活は考えられません
でも演劇に触れたことがない人のほうが多いのが現実 はてさて、その魅力をどう伝えようか
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