劇ナビFUKUOKA(福岡)

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劇ナビインタビュー No3 劇団四季 営業部 福岡公演担当 副部長 竹田 勇太 さん

現在公演中のミュージカル『キャッツ』が好評の劇団四季。福岡のミュージカルのファンを増やし、福岡シティ劇場のオープンとともにミュージカルシーンを彩ってきた歴史を持ちます。福岡シティ劇場は2010年に、常設劇場としての役割を終え、現在は「キャナルシティ劇場」として、新たな歩みを始めています。

ファンに惜しまれながら、「専用劇場としての使用を休止」した劇団四季も、毎年、キャナルシティ劇場でのミュージカル公演を続けています。

劇団四季の竹田さんに、福岡での劇団四季のこれまでとこれからをお聞きしました。

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1990年。福岡初のロングラン公演で福岡にミュージカル旋風!

 水上 竹田さんは、四季に入る前からこの仕事をしていらしゃったんですか?

竹田 僕は福岡の出身なんですが、小学6年生の時に福岡市民会館でニッセイ名作劇場『夢から覚めた夢』を観たんです。作品の世界にすごく引き込まれました。その後、中学1年でももち浜の『キャッツ』を観たんです。

1990年、シーサイドのももち浜にテント式の仮設劇場を造り、当時福岡では数回の公演が限界と言われたなか、その常識を打ち破り、235千人を動員するなど大きな成果を収めました。)

そこで衝撃を受けて、『キャッツ』と『夢から覚めた夢』をやっているところが劇団四季だということを知り、「四季に入りたい」と。高校の時にキャナルの構想が決まっていて、大学卒業後すぐ四季に入りました。入社の時は福岡シティ劇場で『キャッツ』の千秋楽間際です。入って16年目になります。

 

水上 キャッツの歴史と符合するように

竹田 生きてきました(笑)

 

水上 現在のキャッツ、好評ですね。

竹田 15万の席を用意していますが、うち9割の席が販売済で。福岡の方にとっても、『キャッツ』は影響が大きいといいますか、自分のような体験をした方が、いろんなところにいらっしゃるんだなあと感じます。

 

水上 1990年のももち浜での『キャッツ』公演は、一気にミュージカルファンを増やした「事件」でした。1999年に常設劇場での『キャッツ』があり、今回14年ぶりの公演です。客層も広がっているのでは?

竹田 ももち浜の頃に青春を謳歌されていたお客さんが、5060代になり、子どもさんとかお孫さんとか、3世代でお越しになっています。誘う発信源はどこなのかはわかりませんが、観て頂くとミュージカルにすごく興味を持ってもらえる作品だと思います。

『キャッツ』は30年やっていますから、世代を超えて観に来てもらえる。その分、常に新しさを出していかないといけない。

 

 

どうしてもやりたかった『キャッツ』

 

 

竹田 今回の公演の責任者として3年ぶりに福岡に来て、街の人にあいさつに回って、『キャッツ』を持ってこないとダメなんじゃないか、との思いを強く持ちました。

キャナルシティ劇場のキャパシティは1144席ですが、『キャッツ』の演出を他の劇場と同じように体験いただくべく舞台装置を組み込んだ結果、950席まで減りました。そのために、できるだけコストをカットして目標の数字を出しました。どうしても『キャッツ』をやりたかったんです。

 

水上 竹田さんが、『キャッツ』を引っ張ってきたというわけですか?

竹田 僕だけじゃないです。福岡に携わっていた人間が劇団内にたくさんいて、『キャッツ』を持ってきたい、という声も大きかったです。劇団内で「ドーンと行こう。人の気持ちを揺らさないとどんな動きも出てこないよね。」と話し合いました。僕の個人的な思いももちろんありました。ももち浜で出会った作品を福岡に戻ってくるタイミングで、やれるんだったらやってみたい。企業の方の反応も大きく変わると感じました。

 

水上 それが当たったわけですね。

竹田 いいタイミングだったんじゃないかと思います。

新幹線には驚きました、熊本や鹿児島からのお客さまも来て頂きやすくなっているという実感があります。『ウィキッド』の時にも新幹線は開通していましたが、3年経って馴染んできた。人の動きが違うなと感じます。夏休みに県外からも来ていただけると思っています。

 

(続く)

2014.07.03

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劇ナビインタビュー No2 博多座 演劇本部長 佐藤 慎二さん その4

演劇の持つ一体感から覚醒するもの

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佐藤 東京や名古屋で劇場が閉館したけれど、それでも斜陽産業ではない。ライブ感は必要だと思う。Jリーグができるとき、プロ野球はなくなるっていう話があったじゃないですか。でもプロ野球はなくならないし。DVDが出た時に映画は終わるって言われ、でも映画は終わらない。新聞だって、テレビができたら終わるって。でも新聞の記事を朝の番組で紹介しています。

演劇も形は変われ、ライブはなくならない。生で感じ得ることは大事なことだから。

劇場の運営は、いろんなやり方がある。北九州芸術劇場みたいに自治体がやるか、うちみたいに半官半民がやるか。あるいは、東宝・松竹みたいに民間がやるのか。それは方法論であって、演劇って人が人である限りなくならないと思います。舞台は一期一会で、毎日やっていることは変わるから面白い。毎日観たいっていう人もいる。舞台を観て涙を流す人もいるし、元気になる人もいるんです。

 

水上 これからの博多座の構想を聞かせてください。

 

佐藤 劇場としてというより、僕個人の意見でいいですか? 

演劇劇場として15年間やってきました。博多だけでなく、九州の人に見てもらうのに、巡業ツアーもしていきたい。とにかく、舞台が面白くて、元気になってもらえたらいい。博多って名前がついてるから博多だけじゃなくて、広島だろうが山口だろうが、みんなが幸せになれば、ということです。方法ではなく、もっと大局的なもので、

まだまだ見たことない人がいっぱいいますから。

食わず嫌いの人に、まずは一回見て欲しい。面白くなかったら、どうやったら面白がってくれるのか、ということを考える。のが、ぼくらの仕事だから。面白くなかった人に来てもらわなくていいとは考えません。どうしたら、来てくれるのか。家の隣まで持ってきたら見てくれるのか。方法をイメージして、バランスを取ってやってみる。それが楽しいんです。

 

佐藤 カーテンコールって、こちらが頼んでしているわけじゃないです。お客さんが、もう一度役者の顔が見たくて拍手するんですから、スタンディングしたりね。そうすると、役者も階段おりて何かやろう、ってなりますよ。一体感です。いかに舞台と観客が一体になるか、それがどんなに感動するか。

「生きてて楽しかった」、「あの時はよかったね」、って家族と話せるのがいいのかな。

「体験する場」が博多座で、そこでどう覚醒するかは、人それぞれ、いろんな可能性があると思います。

 

 

「劇場は人なり」。インタビューを終わってそんな印象を受けました。佐藤さんがいたことで、博多座が動き出した様子がよくわかりました。欠かせない存在だったんですね。また、商業劇場として大きな責任を感じつつ、次に向かってチャレンジしている様子が伝わってきました。演劇という媒体を利用しつつ、いかに都市がブランドを創っていくか。そして演劇を通していかに人生を豊かにしていくか。まだまだ、挑戦は続いていきそうです。

佐藤さん、博多座の自主制作がビジネスとして成功していく軌跡を見守っていますよ。

 

 ※このインタビューの校正中に、2015年3月に、『めんたいぴりりー博多座版ー』の制作発表のニュースが飛び込んできました。

戦後の復興期の福岡を舞台に、明太子を作った夫婦と、明るく力強く生きた博多っ子たちを描く、笑いあり、涙ありの博多の人間ドラマ。

福岡の名産の代名詞「辛子明太子」を日本で初めて生み出した「ふくや」の河原氏をモチーフにしたTNCテレビ西日本の番組を、新たに舞台化するということです。

全国に愛好者が広がった明太子のように、福岡から全国に発信できる作品が生まれることを期待しています。

 

取材:水上徹也(シアターネットプロジェクト代表)

2014.06.23

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劇ナビインタビュー No2 博多座 演劇本部長 佐藤 慎二さん その3

750万人のお客様が来場―潜在的な九州の文化

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水上 福岡でこの分野で活躍する人が増えてきてほしいですね。さて、ちょっと違う角度から伺います。年間50万人のお客さんを集めています。とてつもない数字です。どうやってやってこられたんですか。

 

佐藤 博多座だけじゃなく、福岡には演劇文化を振興するいろんな組織・団体がある。行政では文化振興財団、民間では西鉄ホール、イムズホール、エルガーラホール、キャナルシティ劇場、さらに市民劇場のような団体まで。北九州では北九州芸術劇場とか音楽ではアクロス福岡とか、いろんなところが頑張って、こういう文化を作ったんだと思います。

もともと九州にあったんでしょうけど、無くなってしまっていた。その間は、演劇ファンの人たちは東京まで観に行ってたわけですね。それが、博多座が出来て、観てみたら「面白いな」となったと思います。

 

佐藤 もうひとつは、劇場を大事にしていこうという周りの人の力だと思います。

博多座がなくなると、九州の文化がひとつ減る。と思っていただいている。

九州から東京に情報発信したいという、九州人の考えだったり、アジアの窓口で情報発信したいという福岡の思いだったりするところが潜在的にあって、お客さんが来てる、

博多座の力だけではないと思います。

賛否はあると思いますよ。それをどうにかするのが仕事ですから、今までないことをやっていく。

 

佐藤 八百屋だと野菜を買う前に見て買ってもらいますが、僕らは、観たことがない作品でお金をいただき、日にちも座席も指定され、というような特殊なサービス業です。そういう商売をしているんですから、お客さんが来てくれるもの、観たことがなくても買いたくなるくらいのものを創らないといけない。しかも、一回観ると目が肥えてきますしね。

 

サービス日本一の劇場に

 

佐藤 病院が体を治すように、劇場は心をいやしたり、元気づけたりする。劇場がそういう所であり続ける限り、劇場の大きさは別にして存在意義はあります。それがある間は、やれることはやって後ろにバトンタッチできるようにできたらな、と思っています。

劇場経営も今日明日のことじゃなくて、3年後や5年後、僕らの時代からもっと遠くの時代が見えるような、そういう劇場をつくっていきたい。そういうところに視点を置いて、スタッフの背中を押し上げていきたい。

 

佐藤 お年寄りは日本の宝だと思いますね。その人たちが戦後の復興をやらなかったら、こんな日本はできていない。みなさんが頑張ったおかげで今がある。博多座では、ほかの劇場ではできないサービスをやります。博多座が博多座である限りやる。

たとえば、車いすのケアや体調の悪くなった人のケアは、よその劇場より、お客様に対して場内の案内の人数が多い。施設にしても、トイレ一つとってもそうです。優先順位はお客様が一番ですし、そのことだけは崩してはいけない。そのためにもスタッフは大切にしないといけない。

場内のスタッフは日本一だと思います。芝居を作るほうはまだ日本一ではないですけど。

だからみなさん安心してきてくれると思います。年取ってたって、車いすで来たり、杖ついて来たりできる。それでも安心して来られる劇場、っていうのが、箱としてというより、人と人とのつながりの大切さを感じます。お客さまからお礼状を頂きますが、それを読んで感じます。

 

水上 スタッフの人たちが劇場の顔ですからね。

 

佐藤 ミスターか、ミスか、ミセスか、わかりませんがそれぞれが「博多座」です。現場で接客する人たちとか、役者と一緒に芝居を作る制作とか、宣伝を作るディレクターとか。現場が汗かいて今があると思います。現場が一番大切です。

 

(続く。次回は6月23日公開の予定です)

2014.06.16

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劇ナビインタビュー No2 博多座 演劇本部長 佐藤 慎二さん その2

自主制作の始まりー追い込まれるところからそれは始まった

 

水上 博多座での制作がこのところ増えています。以前にも制作された時期がありましたが、20123月に『101回目のプロポーズ』を自主制作されて、今年5月の『コロッケ薫風特別公演』まで、3年間で5本です。

福岡で演劇を製作して東京や大阪で上演するというのは僕にとっても夢でした。実際は大変だったと思います。短い時間で制作力を作りましたが、その辺りのことをお聞かせ下さい。

 

(博多座での近年の自主制作作品

■2012年3月時代劇版「101回目のプロポーズ」10月「コロッケ特別公演」、

  ■2013年3月「水戸黄門」、

■2014年1月「五木ひろし新春特別公演」4月「武田鉄矢・前川清特別公演」5月「コロッケ薫風喜劇公演」

 3年間で6作品を生み出しています)

 

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佐藤 土俵際に追い込まれることです。

会社が「赤字になりました。」「今までは買い興行で黒字でした。」それまで血の滲むような苦労はしていなかった。「世の中代わって赤字になりました。どうするっ?」ていう話になって、劇場が追い込まれた。それまでは言われるだけお金を払っていたんです。

パン屋でいうと、赤字になるまでは、パン工場からパンが来て、それを並べて売ってるようなパン屋さんですね。

「パンの仕入れが上がりました」「お客さんが買っていく数が減りました」「そのパン屋さんはなくなるよ」、っていう話ですよ。わかりやすい論理です。じゃあ、収支を立て直そう。そのために、まずパンの作り方を学ぼう。

買ってくるだけじゃなく、材料を仕入れるパン屋さんにもなろう、と考えました。

最初はまずいパンかもしれないけど、やっているうちに、おいしいパンを作ろう。お客さまの顔を見ながら、成果は来場者の数字でわかるから、まずはそこだと。

今までは買い付けて、公演料は聖域といわれて言われるままに払っていた。その聖域に手を付けるかどうか。黒字だとやらないんですよ。

営業と制作は両輪だから、創るほうもちゃんと創り、売るほうもちゃんと売らなきゃいけない。一生懸命売っても、創るほうの値段が高ければ、70%、80%の稼働率があっても赤字になることがあるんですね。それっておかしくないか。よその劇場で50%で黒字になるものが、稼働率70%でも赤字になるのはおかしくないか。じゃあ、パンを作ろうかという話になったんです。

でも、ここのパン屋さんは誰もパンを作ったことがない。ただ作っているのを見たことがあるよ、というレベルでした。だったら、パン職人を雇って作り方を学ばないと、パンは作れない。5年も10年も作り方を試行錯誤するよりも、家庭教師を呼んできて教えてもらったほうが自分たちで勉強するよりは結果が早く出る。おまけに時間もない。村田さん(元明治座でプロデューサーとして活躍)を引っ張ってきた。

企画を提案した当初は自主制作は無理だと言われたんですが、3年前の2月。忘れもしない。社長から、「村田さんと一緒に、おまえは創れ。」と指示が出た。

 

佐藤 あれっ、どっかで聞いた話だな。と思ったら、博多座に出向するときと同じ話だな、と思いました。

結局、自分ですることになった。それまでは宣伝の仕事を担当していたものが制作の仕事に携わることになった。いろんなところから批判もありますが、それでも、頑として揺るがず、そこで一生懸命作品を創る環境をつくりました。

 

佐藤 初演の武田鉄矢さんの芝居も賛否ありましたが、僕は武田さんの若いころからファンだったので、無理やり引っ張りだした。武田さんには恩義をもらいました。『母に捧げるバラード』を村田さんが作っていたこともあり、武田さんに白羽の矢が当たった。縁があったのか、そこがひとつのターニングポイントでした。

 

自主制作を始めて見えてくるもの

 

佐藤 この商売、不思議なのは、「一式3億円」という見積もりが来るんです。役者がいくら、床山さんがいくら、衣装代がいくら、それがまったくわからない。だから交渉もできない。それが知りたかった。

制作を始めると、だんだん見えてくるんです。東京等で芝居を作って、博多座に回す仕組み。それがわかってくる。

そこを知っている人を引っ張ってきて、やりだした訳です。

村田さんも前の仕事を辞めるときは誰も見向きもしなくなった。その時に支えてくれた人を村田さんも忘れずに大事にしている。そういう「人を大事にした仕事」を博多座でやって行こう、と話し合いました。

 

水上 制作を始めるには、大変な覚悟と意思があったんですね。俳優では、武田さん、前川さん、コロッケさんといった九州ゆかりの方が多いです。誰を使うのか、原作は何をやるのか。どうやって決めているのでしょうか?

 

佐藤 「創るなら、みんなで本を読もう。」と村田さんの呼びかけで、制作のみんなで本を読みました。山本周五郎や司馬遼太郎や。「この小説面白い」、というものをやろう。創るなら一からですよね。原作者にお願いに行く。面白いから、これやろうか。脚本にしてもらって、役者どうする?タレント名鑑をみんなで探したり。村田さんのツテを頼ったり。

パンの小麦は、どこの畑にあるんだろう?どこの畑のがおいしい?まずは自分たちで探しに行く。家庭教師から教えてもらいつつ、いろはのいから、演出家、脚本家に交渉しています。まだ発展途上ですけど。

創るのは大変です。福岡では創れない。東京の稽古場を借りて、役者も一人づつ事務所に交渉して進めていく。作品を買ってくるのの10倍も20倍も大変です。

でも、さっきのパン屋の話です。全部は創れないにしても、自分のところで創っていかないと、劇場の再建はできないと思った。自分の劇場のヒット商品をつくりたい、と思います。それが、九州・福岡の情報発信になる。そんな大義大志を抱いてやった。

 

千秋楽で号泣したい

 

佐藤 もうひとつあったのは、村田さん曰く「自分で1本作って、千秋楽の緞帳が閉まった後に、感動して泣く。ぜったい号泣するよ」って言われた。その一言で、「最近泣いたことないよな、泣いてみたい」と思って、自主制作を頑張って創ろうって思いました。仕事で感動して泣くことってなかなかないじゃないですか。それを感じるって、人間として「うるうる」なる。それっていいことかな、って思った。みんなそういうことを体験してほしいんです。

博多座の劇場内で落し物がないか、女性スタッフがストッキング破りながら、床に膝ついて客席の下を懐中電灯で照らして、一生懸命確認している、そういう人が報われるようなモノ作りの場。みんなが喜んでくれる空間。そういう劇場にしたいなと思って、頑張ってます。それは自分一人ではできないけど、周りの人に支えられてきました。

 

水上 人の姿が見えるお話ですね。

 

佐藤 僕は運が良かったと思います。博多座に来てなっかたら、こんな楽しいことはできてないだろうし。役者さんと直に話すこともできなかった。周りの人たちに非常に感謝していますね、

 

働いている人が楽しくないと

 

佐藤 働いている会社が赤字になって、そこに働く人間が、「給料は上がらないボーナスは出ない」ということは、どうなんだろう、って思いました。僕らの世代はもうすぐリタイアするけど、博多座で生計立てている人や、演劇が好きでやってる人がいる。彼ら彼女らのためにはそれはいけない。「職場がつぶれるかもしれない」って、将来がある人にそれはいけない。だから、始めたんです。みんなのためにふんばろうといったら偉そうに聞こえそうだけど。でも、自分のためじゃなくて利他的に頑張ろうと思った。

僕の親父が52歳で亡くなったんです。僕は52歳を迎えた時、「一回死んだ。」と思っています。今年53歳になる。これからは人のために生きよう、利己的でなく、利他的です。こういう環境で働いているから、お客さんに喜んでほしい。仕事を楽しく思ってほしい。仕事きついけど、そのあとの達成感、感動を感じてほしい。

僕は会社に来るのは嫌だと思ったことはない。そういう人が増えてほしい。

 

佐藤 作ってる人や関わってる人が楽しくないと、お客さんも楽しくない。

お客さんには、来る前からわくわくしてほしい。観終わった後も、感動して誰かに話したいとか、五感が豊かになる。感受性が豊かになってほしいですね。

でも商売だから、そこが難しい。極端に言うと。宣伝も営業もいらなくなるのを目指していますね。口コミで来てくれれば、その分のお金をお客様に振り分けられる。お願いしなくてもみんなが来てくれればいい。そしたら、もっとやれることがある。そこを目指しています。

 

佐藤 このあと、制作をやるためのスタッフがほしい。この場を借りて、呼びかけます。「そういう人がいたら、ぜひ博多座に来て一緒にやりませんか。」男性でも女性でも、「楽しいことがやりたい。創造性のあることやりたい」、という人と、いろいろやりたいです。

 (続く)

2014.06.09

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劇ナビインタビュー No2 博多座 演劇本部長 佐藤 慎二さん その1

2回目は、博多座の演劇本部長を務める佐藤慎二さんに登場してもらいました。

大阪以西にある唯一の商業劇場として、今年15周年を迎えました。歌舞伎やミュージカルから、北島サブちゃんの座長公演まで、本格的な舞台が1か月単位で開催されています。一時は赤字報道され地元でも危機感が走りましたが、最近では自主製作作品の興行やプロデュース公演など経営改善の傾向も見えてきています。

開業から携わってこられた佐藤さん、どんなお話が伺えるのでしょうか。

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仕事の動機は好奇心

 

水上 劇ナビインタビューでは、劇場のお話を伺う前に、人となりをお聞きしています。佐藤さんは、アイデアマンでいろいろな企画をすすめています。 最初は印刷の仕事をされていたんですよね。

 

佐藤 新卒で就職したのは印刷の仕事ですが、学生時代のアルバイトで世の中というのを学びました。博多大丸でお中元とかの搬出搬入や、催事場では子ども服を売ったり、サザエのおはぎを造ったり、バレンタインチョコレート売り場のチーフやケーキ屋の店長もやりました。大相撲11月場所が来たら、スポーツ新聞に記事をファックスで送ったり、地元力士の星取表を全部つけたりとか。いろんなことやってました。動機は、好奇心ですね。

印刷会社では、工場管理部門に入りました。コンピューターによる画像処理です。印刷物って4色で成り立つんですが、コンピューターでいかにきれいな画像処理をして発色させるか研究していました。

大濠高校から推薦で九州産業大学芸術学部に行ったんですが、推薦で入学したのは僕が初めてだった。面接のときに聞かれました。「君は何で大濠なのに九産大なんだ」(大濠は福岡大学付属大濠高校です)。「福大に芸術学部があったら福大に行ってました。」言ってしまって、「落ちたな」と思っていたら通ってた。

その頃から、山も登っていたし写真も好きだった。本当は絵が好きだったけど、絵の才能がないので代わるものがカメラになり、自分のうちの押入れを改造して写真を現像していました。おじいちゃんがそういうことやっていたので、DNAですね。とにかく創るのが好きでした。それで印刷の会社に入ったんです。

 

はじまりは企画書の提案から

 

水上 博多座に関わるときは派遣されたんですか?自分から手を挙げたんですか?

 

佐藤 博多座が創業するなら観劇の会員組織ができるだろう。そうなったら、ダイレクトメールを送るシステムを構築しようと考えたんです。たとえばお客様の名前が何万とあったら、それを博多座で入力するとオンラインで端末に届いて端末から印刷機に宛名がプリントアウトされる。そういうラべリングシステムを作りましょう。こっちで入力します。ちょっとした訂正はそっちで直してください。その企画書を作ったんです。

そのためには、博多座にもそういうことができる人がいりますよ。株主になって一人出向で入れましょう。そういうビジネスが成り立ちますよ。という企画書を書いて博多座の準備室に持って行ったんです。福博綜合印刷の役員会にかけてもらって、出向する人間の適正不適正を全部書いて出した。役員会が終わって部長が来て肩をたたかれました。「博多座で頑張れ」っていう話になった。それで出向になった。

こっちでコントロールしようと思っていたら、なんと自分が行くようになった。

その時がターニングポイントで、博多座に来なければ今はない、っていうことです。

 

佐藤 人生にはターニングポイントがあって、節目節目が来るんです。その時にどっちをチョイスするか、です。もともと営業じゃない人間が、色の説明をするときに営業について行ったら、営業じゃなくて君が来ればいい、ってお客さんに言われた。それで、印刷の色のことを説明できる人間を営業にしよう、という話で、会社で初めて現場から営業になった。営業になるのがひとつの節目で、次の節目で企画になって。企画を作ったから出向になった。そんな話です。何もなかったら今、工場で働いています。

 

仕事の流儀―楽しくするのが仕事

 

水上 博多座に来なければ演劇製作に携わっていない。演劇の仕事は楽しいですか?

 

佐藤 好きです。だから、楽しくするのが仕事だと思っています。楽しい楽しくないは、自分の感じ方だから、そこはどこに価値観を見出していくかという話です。楽しい環境は自分で作る。そういうことが僕のポリシーだから。芝居だけじゃなくて映画でもホテルでも同じだと思います。

それぞれの人がいかに楽しんで、一緒に働くスタッフが楽しんで、お客様にいかに喜んでいただくか。潜在的な消費者をいかにお客様にして、その人たちが「よかった」「ありがとう」って言ってもらえるかが醍醐味かな。

 

佐藤 学校で、同じ方向に机向けて、同じようにノートとって同じように先生の話聞くのがいやだった。CMで「レ・ミゼラブル」の音楽が流れているのがありますね。マラソンランナーが走って行って途中でバラバラになっていく。まさしくあれです。「人生はマラソンだ」「でもそうだろうか?」スタートして、ゴールはそれぞれですよね。節目節目でいろんな道がある。その場その場で、環境を自分で作って、いかに周りの人が幸せになるか。そのためには、強くならなきゃいけない。偉くなりたいわけじゃないですが、自分ができることを増やすために役割がある。みんなが困ったときに助けることができたらいい。お互いできることはお返ししていきたい。やるからにはみんなを幸せにしたいと思います。水上さんも僕に騙されて今に至る(爆笑)。でも、一生懸命ですよね。水上さんも努力されている。僕もいろんな企画を考えてみましたが、まだ実現にはいたっていないのが多いです。

 

(このインタビューは、4回に分けて公開していきます。次回は6月9日の予定)

2014.05.30

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