【万能グローブガラパゴスダイナモス10周年記念 リレー対談第4弾】
ガラパ:椎木樹人 VS ギンギラ:大塚ムネト
~成功のための必要条件と十分条件~
椎木樹人(万能グローブガラパゴスダイナモス 代表)
大塚ムネト(ギンギラ太陽’s 主宰 作・演出・出演)
進行: 水上徹也(シアターネットプロジェクト 代表)
水上 今日は、ガラパ10周年記念の第4弾です。最終回のゲストに大塚ムネトさんに来て頂きました!
椎木 大塚 よろしくお願いします!
水上 お久しぶりです。
大塚 ご無沙汰してます。
水上 ギンギラの歴史の節目は全部観てるつもりなんですけどね。
大塚 お互い「福岡で何ができるのか」ってことをそれぞれの立場で色々話してますよね。
椎木 へ―何年くらい前からですか?
水上 ギンギラが出来る前から知ってます。一番最初はイムズマンだっけ、その頃から。
椎木 すごい。それはかなわんな(笑)
水上 西鉄ホール進出の最初のも観に行きましたしね。
大塚 1999年の「西鉄ホール地元こけら落とし」は僕らがやらせてもらったんで。
椎木 そんな頃からの。
水上 一番最初のロングランって何ステージでしたっけ?
大塚 いちばん最初は西鉄ホールで週末5回。2000規模の公演ですね。
椎木 週末5回・・・。
大塚 西鉄ホールがキャパ400ですから。その前は、福岡ドームのスポーツバー(現在は王監督の記念館)という、お客様が飲食しながらライブを楽しむお店で上演していて。そこでキャパ1000の公演が即完するようになったんですね。この売れ方なら、倍の2000キャパに挑戦してみようと思って。ありがたい事に満員御礼でした。
好きなことを仕事にするという事
椎木 スポーツバーは、自主公演としてやっていたんですか?それとも依頼があってやったんですか?
大塚 僕たちはね、策を立てて、そして策に溺れ、そこから一所懸命這い上がってきたんです。元々ギンギラは「どうしたら一般のお客様が舞台を観に来るのか」って、もがくところから始まりました。
椎木 僕たちと一緒ですね。
大塚 演劇未体験の方に、いきなり「劇場で2時間観てくれ」っていうのは難しい。だから、役者3人くらいで、照明も音楽もなくてもやれるようなソフトを作って、こっちからお客様の所に出かけて行こうと。我々の【作戦その1】は、こちらから出前できるソフトを作る。わかりやすい街を題材にして、被り物で、今のギンギラの前身みたいな内容で5分くらいのコントを作った。次に【作戦その2】はいかにお披露目をするか。「ギャラは出ないけどやっていいよ」っていうお店を見つけて、そこで上演。目先の利益なんかいらない。目的は「地元の色んな人に知ってもらってそこから繋がりを作る」という事だから。そして、福岡ドームの関係者が観てくれて、「うちのスポーツバーで毎月やらないか」っていう話になって。もちろん予算がある仕事としての契約です。・・・ここまではビックリするぐらい順調に進みました。ところが、この後に、2つ大変なことが起きます。
椎木 水上 (笑)
大塚 いきなり赤裸々に喋ってるよね(笑)一つは、好きなことをやるという事と、それが仕事になるという事の違いがね。
椎木 なるほど。
大塚 憧れていたはずなんですよ。「好きな事を仕事にできたらいいな」って。ところが、毎月新作を作るという事をいざやりはじめたら、それは大変なわけです。でもそれが仕事なわけですからね。これが一つ目の甘かったこと。で、二つ目の誤算は、ギンギラ太陽‘sのコントには、お客様も来てくれるけど、別の劇場を取って劇団で公演をやると、そっちにはお客様は来てくれなかった。この2つで、第一次ギンギラ太陽‘sは動員1000人までいったところで、みんな力尽きてしまった。
椎木 それは大塚さんいくつの時ですか?
大塚 24とか5じゃないかな。
椎木 早いですよね。1000人即完で、しかも演劇だけやれてる時期がその時にあったってことですよね。24歳の時に。それは早いと思いますけどね。
大塚 自分はね、実はその前にもがいていた10年っていうのがあるので。
椎木 そっか、その前に更に10年があるのか。それがすごいですよね。
東京コンプレックス?
大塚 ギンギラにたどり着く前。「地元福岡で演劇で生きていきたいけど、どうしたらいいんだろう」ってもがいている10年が一番きつかったかな。
椎木 25歳でそういうこと考えているってのがすごいなって思います。僕だってやっとこの10周年でホントにいままでは楽しくやってきたけど、やっとなぜ福岡でやるのかとか本気で考えるとこに来たので。だからやっぱり、若いですよ。
水上 以前は、演劇で地方で食べていくってことは有り得なかったですよね。まあ有り得ないっていったらおかしいけど、基本的にみんな東京に行きましたからね。
椎木 今以上にそうですよね。
水上 それこそ、大濠高校を出た連中はみんな東京に出たりとか、そういう時代ですよ。
椎木 大塚さんは一回東京に行って帰ってきたんですよね。
大塚 えっとね、これもまたちょっと長くなるけど大丈夫かな。
椎木 (笑)インタビューみたいになってますね。
大塚 僕の話になってない?(笑)
椎木 大丈夫です(笑)
大塚 夏休みに遊びに行く「おばあちゃんの実家」が東京だったんですよ。しかも江戸川区のかなり田舎なところで。だから小さいころから僕にとって東京は「福岡より田舎な町」。これが今思うと、東京を意識しないですんだ、とっても僕にとってプラスになっていると思うんです。
僕は福岡の小郡市で産まれて育って、毎週日曜日に家族で出かける天神が都会なわけですよ。だから僕にとっての都会は福岡の天神、岩田屋デパートでした。だから西鉄電車で岩田屋に行くことがものすごく楽しいし、最先端なわけです。夏休みに江戸川のおばあちゃんのところにいってもバスはほとんど来ないし、江戸川区の田んぼしかないところだったから。秋葉原もあるし新宿もあるけど、東京だって田舎もあるよねっていう感じ。第二の故郷が東京だったので、そのおかげできばって東京に行かねばならないんだ、みたいなのが全然なかったんですね。それは恵まれていたかな。だから高校演劇くらいからボチボチ演劇を初めてて、今の話みたいに「演劇やるなら東京行かないかん」みたいなことを言ってる時に「そうなのかな?」と思えたのはよかったよね。
水上 東京コンプレックスがないってことだよね。
大塚 そうですね。それは今思うとよかったな、と思いますね。
椎木 僕はそれこそ高校を卒業したら東京に行こうと思っていたんですよ。日芸に行きたくて、日芸に入れなくても東京にいって、あっちの盛んな演劇サークルに入ることを考えていたんです。それが、「福岡に残らざるを得ない」ってなってから「福岡でやってやろう」って切り替わった。元々は東京志向が強かったんです。
大塚 そうなんだ。椎木の場合は最初から福岡でではなく、状況の中で福岡でやる道を探すことになったんだね。
椎木 そういうことですね。その頃高校演劇がすごく盛り上がっていたので高校卒業してそのまま大学生になって演劇続けるのが普通の時代だったんですよ。やるなら東京でと思っていたけど行けないなら福岡でっていう気持ちで始めたんです。だからその頃、「福岡で食っていく」とは考えてなかった。ただ福岡でやるからには言い訳はしたくない。「東京に行った奴はいいな」とか、(その頃ちょうど北九州芸術劇場が出来た頃で)「北九州はいいよね」、みたいなことを言うのだけは嫌だったのでそこは意識していました。でもその時は、福岡で演劇をやって生きていかなければいけないって、こんなに真剣に考えてはなかったです。逆に、「ダメだったら東京に行こうかな」くらいの気持ちではいたかもしれないですけどね。
大塚 東京の様子を見に行ったりしてた?
椎木 いや、その時はしてないんですよ。それこそコンプレックス、憧れですよね。この4〜5年で東京に行くようになって冷静に考えられるようになったんですけど、昔はホントに東京の事よく知らないけど「役者やるなら東京かな」という思いはありました。
大塚 でも、ある程度形になるまで行かないでよかったかもしれないね。まさにガラパゴスな感じで独自進化をして。それでちゃんと他の環境でも生きていけるくらい強くなってから外に乗り出して。よかったんじゃない?(笑)
椎木 それはよかったですね。
大塚 (笑)うっかり進化する前だったら変わってたかもしれない。
椎木 潰されてたかもしれないですしね。でもそれもギンギラ太陽‘sの存在が大きいです。
ギンギラという太陽。ギンギラという武器。
椎木 正直、当時からギンギラは何千人っていうお客さんを集めていたけど、ギンギラが僕らの世代では相当でかい存在でした。「福岡でも劇団やれるじゃん」の第一歩、「大塚さんも大濠高校出身なんだ」、って励まされました。
水上 自信になるし、目標になりますね。目指す先輩の劇団があって活躍しているということがね。
椎木 僕は高校が大濠で、先輩には井上ひでのりさんがいますけど、井上さんだけだったら東京に行ってたと思うんですよ。大阪か、東京か。でも大塚さんが福岡でやっているっていうのは、すごく影響があったと思いますね。ギンギラがなかったら何も考えてなかったと思います。
大塚 でも一応、東京とはどんなものなのかっていうのは取材には行ったよ。東京の事を知らないで福岡の事を一番っていうのは、それは違うと思ったので。東京の学生演劇も手伝ったし、有名な劇団とかも手伝ってた。
水上 それはギンギラの前ですね?
大塚 はい。実際に、東京のいろんな劇団を経験してみて、結局東京の劇団も自分達らしさがなければ埋没していくわけです。東京がマストじゃないことを確認して安心して福岡に戻って来て福岡で活動を始めたんです。ただし、そこから10年はもがいてました。
必要条件はわかったんですよ。必要条件は『自分にしかできないものを見付ける』、『それが福岡でしかできないものを見付ける』、というこの2つ。この2つの必要条件さえ見つければ福岡でも表現者として生きていけるはずだと。でも、答えが見つからなくて。
水上 方法論が確立してなかったんですね。
椎木 ギンギラのスタイルってのはどうやって思いついたんですか?
大塚 もがき疲れた頃に、福岡が再開発でにぎやかな事に気がついて。
椎木 街を歩いている時に、「これちょっと人にしてみたら面白いかな」って思ったんですか?
大塚 だって、東京を探りに行って帰って来て、天神の駅で降りて目の前見たら金ぴかのビルが建ってるし。
椎木 (笑)
大塚 「うわーなんだこの金ぴかのビル!!」って。今でこそイムズビルは福岡の人気ビルだけど、一番最初は天神の真ん中に金ぴかのビルが出来ているのにびっくりして、ソラリアが出来て、西鉄福岡駅ビルもできる。100年に一度の大工事っていわれてる駅ビルの南下工事があってて、街があっちこっち工事してものすごく動いていたんだよ。「あ、この街を題材にしたら面白いぞ」って。だから、ギンギラが誕生したのは福岡という街のおかげ。街が元気だったから、街に気づかされたってのはあるかな。
椎木 その建物同士のストーリーと関係がギンギラのお話になってるわけじゃないですか。それは街をみてて、こいつはこういうキャラクターでこういう性格で、って見ながら思ったんですか?
大塚 それはさっき話したギンギラ第一次バブル崩壊の話に繋がるんですけど、今日は僕の話ばっかりですけど大丈夫ですか?(笑)
椎木 「先輩の話を聞こう!対談」になってます(笑)
水上 ガラパの話は後半がっつりとお願いしますね。
大塚 ギンギラと演劇を、当時の僕らは分けていた。そこで、作品の底が浅くなって行き詰って。さあ解散かという時に、「僕が脚本を書くから活動を続けよう」と説得して。
椎木 元々大塚さんはギンギラでは書いてなかったんですか?
大塚 かぶりモノ製作と役者だけだったね。
椎木 そうなんですね。
大塚 僕がずっと探していた「自分にしかできないもの」「福岡でしかできないもの」のきっかけは、終わろうとしていたギンギラにあると思った。僕がやったのはギンギラを演劇としてきちんと作ること。一つひとつ取材をして、それぞれの成り立ちや抱えている哲学や生きてきた人たちの想いを反映して、きちんとキャラクターを作る。そして、それぞれの想いを持ったキャラクターたちを集めて、エンターテインメントな芝居を作り上げる。これが第二次ギンギラに繋がっているんですね。長いことご清聴ありがとうございました(笑)
水上 椎木 (笑)
唯一無二になりたい!
大塚 どうして良いかわからない10年があって、さらに初期のギンギラでの苦労があって。やっと、僕が主宰になってからの17年に繋がって来てるんです。もがきまくりでしょう?(笑)それを椎木は、「自分が始めたときはギンギラが福岡でやってたんで自分も福岡でがんばりました」って(笑)お前はいいなあ、もう(笑)
椎木 (笑)ホントそう。
大塚 羨ましいなあ(笑)前を走ってくれる人がいればなぁ(笑)
椎木 でも、悔しいところもあります。僕は馬鹿みたいですけど、唯一無二の存在になりたいわけです。教科書に載るのが夢です。(笑)
大塚 (笑)おもしろいねえ。教科書に載りたいの?
椎木 なんでもいいんです。福岡の文化史でも演劇史でもいいです。「初めてやった」人間になりたいっていう夢を昔から思ってるんです。子どもの頃からそういう子どもでした。
大塚 子どもの頃から?(笑)
椎木 そうなんです。「特別な人間になりたい」って、僕60になっても言ってると思います(笑)
大塚 表現やってる人間は何かしら知ってもらいたいって思ってるから、それは皆同じだけど、その言い方はちょっと面白いね。
椎木 「忘れ去られたくない、語り継がれたい」と思っています。でもそれがね、大塚さんがいるせいで、福岡には大塚さんが既にいるから「初めて」ではない(笑)
大塚(笑)
椎木 これを僕がどう越えていくのか。やっぱり歴史に残ろうと思うとギンギラを抜きたい。「俺しかできなかった『これ』っていうのを作る」っていうのは苦しい。でも越えるべき人がいるから目標になるんですよね。どんなに今ガラパがやっても、その前にギンギラ太陽’sがある。それはとても有難いことでもすごいことでもあって、負けたくないって気持ちはいつも持っている。
水上 これから10周年を迎えるにあたって、唯一無二な存在になることの明確なイメージを絞っていかないといけないですね。
水上 何か見えてきたものはありますか?
椎木 僕らのやっている演劇の作品自体は、シチュエーションコメディを作ることに興味があってやっている。だけど、僕らしかできないことが何なのかっていうのが実はまだ見つかってないんです。ただ、クオリティの高い全国区のシチュエーションコメディと比べてもガラパのコメディはすごく面白い、クオリティが全国的に負けない作品を作っている自負があります。それが僕らが福岡でやってることに付加価値が付いてくる事だと、今は思っています。
それと、大塚さんに先にやられちゃっているから悔しいんですけど、演劇を観ない人達、知らない人達にアプローチしていくっていうこと。僕は最近東京の若い劇団に関わるようになって彼らの方がある意味視野がせまいと思うんです。東京は演劇界というものがあって、絶対的な観客数が福岡とはやっぱり違うのでそれでやっている人たちがいる。でも福岡と規模が違うだけで、実は観客層の実数はすごく少ない。例えば外を歩いている人に演劇を楽しんでもらいたいという思いは少ない気がするんですよ。福岡でずっと思い続けてきたのはそこなんですよね。演劇を知らない人に観て欲しい、演劇嫌いだった人達に好きになってほしい。
そのためには僕らは「街に出ていかなきゃいけない」って特に最近思っています。それを先にギンギラがやっている(笑)ギンギラはそれでお客さんを増やしてきたし、僕にとっての理想の形。ただ幸運なのは、違うスタイルの芝居をやっていること。被り物だったらまさに比べられるので(笑)だから僕らは大塚さんが作ってきた道を僕らのスタイルでやりたいんです。
10年の節目に想うこと
大塚 ギンギラにしてもガラパにしても2つ「とっても幸せなこと」があって、ひとつは自分たちの戦い方を見付けたっていう事、もうひとつはその見付けた戦い方をいいねって言ってくれるお客様に出会えたこと。
椎木 それは本当にそうですね。
大塚 ずっと芝居をやっていく中で、自分の武器を見付けることにみんな苦労をしている。毎回「この武器は違う」「この武器も違う」って苦労することが多いじゃないですか、表現者って。たまに「この武器かな」って思ってもその武器を「いいよ」って言ってくれる人に出会えなかったりとか。だから、自分たちの戦い方を見付けて、それをいいよって言ってくれるお客さんに出会えたことは、頑張ってきたからこそなんだけどとても幸せなことだよね。だけどこの幸せに節目が来るのが大体10年目くらいで。幸せのはずが、10年経つと麻痺して当たり前に感じるようになって、それぞれの方向性とか、いろいろな落とし穴が・・・。
水上 椎木 (笑)
大塚 これはもう自分が経験してますから(笑)。
どう?ガラパは10年やってきて。最初は「やったー」って思うじゃない?やってることがお客さんに受け入れてもらえることは大事なことなんだけど、演劇が仕事になり始めてくる。当然仕事だから「動員してもらわないと困るよ」ってなるだろうし、「総予算の中で面白いことをしてくれないと困る」っていうのも出てくる。でもこれは目指していたことだし幸せなことなんだけど、この辺り、10年続くとどうですか?
椎木 いやいや、まだその穴に落ちてないのかもしれないですけど、僕も川口さんも昔からプロ志向は強いです。僕らはアーティスティックに「俺らがやりたい表現を誰もわかってくれなくてもいい!」みたいなタイプではなく、たくさんの人に楽しんでもらいたいとかもっと大きな規模でやりたいとか、そっちにモチベーションがある。
なので、僕としては今こうやって規模が大きくなってきて、予算も増えてきて、色んなことをやらせてもらえるようになってきたのが嬉しいし楽しい。「これがやりたかったんだよ!」って思っています。ただ、劇団としては、昨年一昨年でいっぱいメンバーが抜けていったんですよ。もちろん色んなことがあったんですけど、それは違うんだよねっていう人たちが辞めていった。
ただ僕と川口さん2人に関しては「それがやりたかったんだよね」「やっとそういう風になってきたよ」っていうテンションの上がり方を今している。ちょうど過渡期というのがあったので、そこは色々あったなとは思うんですけど。これから苦しくなる時も来るんでしょうけど、やっとこういうことが出来るようになってきたんだなってすごく思います。
大塚 アートとエンタメは対立みたいに言ってたけどそういう風にしないほうがいい。それぞれが表現を磨けばいい訳で。お客様に来てほしいことと、自分たちの表現を磨くことは両輪で続いていくものだから。
椎木 違います違います(笑)この表現を分かってくれなくてもいい、わかる人に分かればいいっていう、そのスタイルの話です。僕らはもちろんいいもの創りたい、沢山の人に観てもらいたいっていうモチベーション。だからモチベーションの違いだけです。こだわりはあるんですけどね。
大塚 ギンギラも、『演劇じゃない』っていわれた時期とかがあって。そもそも、もし、福岡でギンギラが切り開いたっていう何かがあるとすれば地方でもエンターテイメントをやるというやり方のきっかけは作ったのかな。どうしても地方で演劇だと芸術的なものを助成金をもらいながらやるという道しか難しくて。
そんな時に僕は自分で作ったものを、ちゃんとソフトとしてお客様に評価をして頂いてお客様から入場料を頂いて形にしていくものにしたいと思って始めた。どうしてもアート的なものと敵対はしているつもりはなかったんだけど、なんとなく違うところにあるみたいな感じがしてしまって。そういうときに、当時地方っていうのは演劇を評価する仕組みがアート的なものしかなかったから、結構そういう人たちに批判されるわけですよ。でもお客さんはいっぱい来てくれるようになった。そしたら今度は『ギンギラは福岡でしか伝わらないよ』、なんて言われるようになって。全国ツアーをすることで、地域を越える「普遍的なモノ語りの力」を実感できたし、エンターテインメントきちんと評価できる方々とも出会えてよかったですね。僕はエンタメやってるんだからエンタメの世界の人たちの評価にちゃんと向き合えばいいんだなーって思ってね。それに気づいてからは随分楽になったんだけど。
椎木 ホントに、僕は敵対は全然してないです。ただ、僕らの作品を面白いって思って欲しい。アートとかそういうの取っ払って、演劇として面白いものを作っていると思ってるんで。
今いるところの指標は?
大塚 自分たちの道を間違えないように行くというか自分たちが今どこにいるのか確認するための拠り所みたいなところはどこにしてる?
椎木 僕はそれはお客さんだと思ってます。
大塚 もちろんそう。お客様とのやり取りも大切だけど、全国ツアーをした時の各地のプロモーターの方とか、エンタメ系のプロダクションの人間とか、きちんとビジネスにしている人達の言葉は聞くかな。
椎木 僕らは、そこまで行けてないですね。
大塚 でもガラパはガラパで色んな劇団との繋がりとかあるでしょ?
椎木 そうですね。ただ、、、。
大塚 ヨーロッパ企画との繋がりとかいい刺激になってるんじゃないの?
椎木 ヨーロッパ企画にもすごく影響を受けてっていうのもありますけど、えーっと、わかりました。そこは課題ですね。いや、わかってたんですけど、お客様もたくさんいて、喜んでくださる人も沢山いる。だけど例えばギンギラにせよ、ヨーロッパ企画にせよ、劇団新感線にせよ、エンタメのなかで、何か大きなものを動かせる人達の目に留まった。僕たちはまだ引っかかってないってことですね。だから目指すのは次はそこですね。お客様が居ればそれだけでいいってわけでもないですし、自分たちのことを認めてくれる人達に出会いたいし、そういう人達に評価される作品を作りたいですね。「この人に評価されたのが嬉しかったと指標になってる人」にまだ出会ってないのかもしれない。色々お世話になって可愛がってくださる方もいますけど、それは結局まだかわいがってくれてるレベルだってことですよ。「お前らしか出来ないな」っていうとこにはまだ行けてない。そこにいきたいですね。
大塚 でも10年やってきて、かわいがってもらえるレベルまでいけたってのはすごいですよ。
水上 幸せなことだよね。
椎木 MONOの土田英生さんとかヨーロッパ企画の上田さんとか、かわいがってくれてます。
大塚 お客様と向き合うのは毎回の公演で確認できるし、上手く行ったかどうかは生々しくわかるじゃない?だからもう一つ自分たちのやりたい表現の高みを目指す時の叱咤激励をしてくれる人がどれくらいいるのかっていうのはこれから先ものすごく大切なことだよね。
椎木 そうですよね。それって、突然出会うものなんですか?
大塚 えっとね、僕は自分で会いに行ったりもしたよ。で、お前はまだ早いとか言われたりしたこともある。あるプロデューサーに会いに行って、僕エンタメをやりたいんですけどっていったら、僕と仕事が出来るところまで君たちはまだ来ていないからねって、わかりました出直してきますって(笑)
椎木 僕らもね、尊敬する方とかも沢山いて、プロデューサとかも沢山いるけど、まだその状態ですね、「まだ早いよ」っていう(笑)
大塚 名前を出すと手紙が殺到しそうだから出さないけど、有名なプロデューサーで、やっぱり手紙を3回もらうと心が動くかなっていう方がいましたね。手紙で切々と思いを訴えられてそれが3回続くとちょっと機会があったら観に行こうかなって。いきなり会ったこともないのに映像のDVDを送り付けられたってそんなの見ないけどって。
椎木 あー、そんなに言われたら困ってきたな。まだ自信がないのかなって気がしてくるんですよね。
水上 まさにそこにいくんだけど、今度の作品どうですか?
大塚 「けどね」っていわないの!(笑)
水上 そうですよ。だからその作品ね、もうすぐですよ。
椎木 いやいや、自信はあるんですけどね。
大塚 これまで作ってきたガラパの芝居がお客様に評価されて支えられている。なにより、エンタメのプロであるイムズの皆さんがガラパを応援しているわけじゃない。これはすごいことだから。もうガラパを目指している若手はたくさんいるんじゃない?
水上 いますよ。目指されてるよね。
椎木 だから悔しいですよねー。まだまだだと思っているから。もっといい作品を作りたいです。
大塚 まだオレらはゴールじゃないぞって?
椎木 いや、目指してもらうのは嬉しいけど、僕ら全然満足していないですよね、なんか。何にも成し遂げてない。頑張ってるのは頑張ってると思いますけど。
10年目の幸せ
大塚 「10年の節目」でも話したけど、ずっとやっていると幸せに麻痺してくるんだよね。だって君らイムズホールで公演できるんだよ。これまでも東京・大阪とか各地でやって、これは既にすごいことなんだ。
椎木 えー。
大塚 すごいんだよ。決して「ダメだ―」とかっては思わなくていいよ(笑)
椎木 ダメじゃないんですけど、ねえ・・・。もっといい芝居が出来ると思ってるんですよ。
大塚 それは大事だよ。だってもうやることなくなった思ったらそこで終わっちゃうじゃない。僕だって、「代表作は次回作」ですっていつまでも言っていたいし(笑)。大事なのは挑むことなんじゃないのかな。
椎木 いや、だから、今ちょうどそういう年齢なんですよ。来年30でね、僕は腹くくってますけど、やっぱりもっとやれるって思うんですよ。
大塚 今じゃあ、やれてないことってどんなことがある?
椎木 もういっぱいありますよ。やっとスタートラインです。
大塚 始めた頃から比べても仕方ないけどでもイムズホールというちょっとやそっとじゃできないところでやり、地元でしっかり認められてるし、ツアーもしてるし、お客様もしっかり来てくれていて後何をやってないんだ?
椎木 いや、まだ何もやってないですよ。まだやりたい劇場も沢山ありますし。
大塚 あー、いいね。
椎木 もっと僕の演技でお金稼ぎたいです。単純に売れたいですし、大きな舞台に立ちたいですし映像もやりたいですし、自分の演劇だけで稼いだお金で子ども育てたいですし車も欲しいですし、そういう欲はいっぱいあります。劇団がここまでなったのもここ数年ですし、それまでは自分たちで参加費出してお金集めて公演をやってましたから。それがやっと、ちょっと出演料もらえるとかそういうところに来て。
でもやっぱりスタートなんですよね。で、もっとやりたいんですよ。もっともっとお客さんを楽しませたいしもっともっと色んな仕事したいしもっと認められたい。
大塚 スタートっていったけど少なくともほとんどの人がここに立てないわけで、今聞いてるとじたばたしている感じがあるけど僕からみると充分スタートしてもう何周も入ってるように見えるよ。だけどずーっと走り続けるマラソンだから、よくわからなくなるんじゃないかな。俺も同じ。もう17年目だけどさ、一応イメージとしてはぐるぐる回って回りながらちょっとづつ上がってせめて螺旋であってくれたらいいな、みたいな(笑)最初の頃って目標がわかり易いよね。あの劇場に行った、切符が売れるようになった、知られるようになった、とかさ。でもあるところからはそこに到達できてることが既にすごいことなんだけどその先って実はよくわからなくなってくる。
椎木 だって大塚さんパルコいったじゃないですか。それは僕ら行けてないですから。行きたいですもん、パルコ。あれは僕羨ましかったですよ、単純に。
大塚 あれは、地震で公演が中止になって途方に暮れてるところに助けの手が差し伸べられたわけで。うちは元々食べたかったら博多に来んと食べさせんばいっていうのでやってきて、食べさせんばいって言いよったら、地震が来て公演中止になった!パルコ劇場がその悔しい思いをうちの劇場にぶつけてみませんかって言ってくれて。公演中止が無かったら、どうなっていたかわからない。
水上 10年前ですよね。
大塚 そうですね。西方沖地震の時だから。17年目の今から後ろを振り返ると、進んできた道は一本道なんだけど、進んでるときは、いくつも分岐点があって、しかも自分の意志で選んでいない選択肢もあって、全然一本じゃなかったよ。
椎木 そうですよね。
大塚 福岡にしかできないこと、自分にしかできないことをやるぞっていうスタートこそ自分で切ったけど、作品に地元企業を無許可で登場させてたから、「無許可で勝手にやるな」って怒られてたら、そこでギンギラは終わってた。でも、みんなが面白いねって応援してくれて、先に進む事が出来た。
水上 見てる人は見てるからね。今のパルコの話で言えばあの時に大塚さんの事を知っていた人がいたから声をかけられた訳ですよね。「ギンギラの表現は他にはない。面白いな」って思ってくれる人は周りにいっぱいいたわけで、人の繋がりが間違いなくありますね。だからさっき椎木君がいってたのは、そのチャンネルというかルートというか、それがまだないということですね。でも、まさにこの対談シリーズでやってきたのは、その人脈とかチャンネルの繋がりを作って行こうとしてきたんだよね。僕なんかも、こういう仕事しようと思ってからはやっぱり色んな所をリサーチしましたから。まず、自分の武器が何なのかがわからないことにはできないけど、どちらも一緒にやらないといけないことですよね。
椎木 そうですよね。大塚さんやっぱりすごいですよね。最初からそれがわかって帰ってきた、自分にしかできない表現をつくらなければいけない、とか。
水上 でもあれも、きっとずっと続けてきた中から出てきたんだよね。
大塚 アイデアとかひらめきと一緒ですよね。突然湧くんじゃなくて、何なんだ何なんだていう必要条件を意識していたり、アンテナをはりながら悩んでたら結びついたりする。でも10年かかって辛かったけどね(笑)
椎木 じゃあ僕ら、そろそろですかねぇ。
大塚 水上 (笑)
椎木 誰か教えて欲しいんですけどね。「ガラパにしかないものってこれだよ」って。
大塚 集団力がすごくいいと思うけどね。ガラパってみんなで分担してHP作ったりとかショートムービー作ったりとか。ヨーロッパ企画みたいにある種同じように志をもって楽しんでいる人たちとの出会いもあって。
椎木 劇団には自信があるんですけどね。
大塚 それは大事だよ、すごく。いいじゃんそれで。で、それを続けていくことじゃないの?だから10年目からの課題は、続けていくことですよ。
椎木 「ガラパしかないよねこれは」っていわれる時が来るんですかね。
大塚 来る来る!あるから10年続いているんだと思うよ。楽しみだね今度の公演。家を建て込むんでしょ?
椎木 はい。建て込みます。
大塚 そういう無茶が羨ましいよね。舞台に家建てるって(笑)それを聞いて、馬鹿だなぁって(笑)これ、ほめ言葉だよ?舞台に家建てるって羨ましいなぁって。家一軒建ててそこでシチュエーションコメディやるのかーって(笑)面白いことしてるよ。
椎木 そうですかね。自信はあるんですけど。いや、がんばります。だから、後でわかるってことですよね、大塚さん。
大塚 新作ってどれくらいぶり?
椎木 一年半です。
大塚 一年半ぶりの新作って超楽しみだね。
水上 楽しみですね。
椎木 しかもメンバーもガラッと変わってね。いい作品に、楽しんでもらえる作品には絶対にします。今思えば5周年の時こうだったって思えることが沢山あるから。今の10周年、これから福岡でどうやって行こうかみたいなのはあと5年10年したら振り返られるかもしれないですね。
大塚 すごく恵まれた所にあると思うよ。多分、集団で面白いと思っていることをやればやるだけどんどん繋がっていくところに今来てると思うよ。
椎木 確かに、それはすごく感じていて。だから今からだなって思うんですよ。今くじけたらだめだなって思うんです。
大塚 (笑)そうね。10年目のどうなってるんだろう、進んでるのかなっていう不安がね。でも傍から見るとお前そこまでやっといて羨ましいっていわれるかもしれんけどね。そこを越えると、僕は17年目だけど、もう全然楽しい。
椎木 そういうことですよね。
大塚 楽しすぎて自分のコントロール見失って仕事引き受けすぎてちょっと反省しながらね(笑)もう50歳になってしまったからね。今いくつなの?
椎木 僕29です。来年30歳です。
大塚 わー、羨ましい。だって僕がギンギラにたどり着くまでのどうしていいかわからない10年をガラパやってたってことでしょ。羨ましいなあー。いいなぁー。
椎木 水上 (笑)
大塚 悩め10年(笑)羨ましいなぁー。なんか最後にものすごく嫉妬してしまいました(笑)
椎木 こうやって先輩の話を聞くと、よし、今だぞって思います(笑)
大塚 今と思いますよ(笑)50歳の、徹夜も辛くなってきた私から見ると30代、働き盛りじゃないですか。
椎木 大塚さんの10年目当時よりも僕が前に進んでおけば、大塚さんは越えれるってことですね。
大塚 いいなぁ、もうどうすることもできないからね。嫉妬するしかない、この若さに(笑)
水上 お互いに嫉妬し合ってるってことですね。
椎木 いやいや大塚さん嫉妬してないでしょ。
大塚 してるって!
水上 いや、お互い嫉妬してるってことはお互い認めてるってことだからいいことだよ。
大塚 きっとこれからガラパが、ガラパにしかできない皆が羨ましいと思ういろんなことをやっていくんだろうなって。実際そこをやっていけるところまで来てる。同じ地元の表現者として、とても楽しみですね。刺激も受けます。
水上 ワクワクしますね。楽しいと思いますよ。
椎木 僕も、楽しみです。がんばります。本当に、ここからかもですね。
これからを展望して
水上 さっきギンギラの表現が始まった時の街の話をしたけど街がそんな雰囲気だったんだね。日本中がバブルの時期でもあったと思いますけど、福岡の天神はそういう雰囲気だった。今10年目のガラパってことで考えるとまた違う環境があるから、ガラパにとっての可能性はまだ充分ありますよね。今ちょうど街が変わるときですよね。
大塚 アジアとか向いて作ったりしないの?
椎木 この前の対談で川口も言ってたんですよね?
水上 言ってたね。「来年までに海外公演果たします」と。
椎木 ホントかな(笑)
大塚 でも、今アジアの演劇は熱いですからね。
椎木 ギンギラはどうなんですか?
大塚 思わぬキッカケで全国展開が先になってしまったので、改めて、九州にしっかり根ざしたいと思っています。
椎木 なるほどね。
大塚 だから今年11月の国民文化祭では鹿児島伊佐市で「いさ版ギンギラ」を作る。そして、九州各地での表現がしっかりできるようになったら、ギンギラだけじゃなくて他の福岡の劇団も、各地で公演できるようにしたい。九州中の人たちとつながって、それぞれ面白いお芝居を各地でもってまわったりと、九州演劇祭みたいなことが出来たら良いなと。
水上 いいですね。九州演劇祭。
大塚 今は九州での展開が一番かな。
椎木 僕は個人的にはアジア好きなんですよね。韓国で芝居したこともありますし。
大塚 熱いよね。面白いよね。
椎木 そうですよね。お客さんも熱いですし。川口さん、乗せられただけでしょ。川口さん興味ないでしょ。僕はいつでも行きたいと思ってますよ。
大塚 乗せられるのも良いと思うよ。自分の意志だけで決めてないことが、あとから振り返るとものすごく大事な決断になることもあるし。良いキッカケかもしれないよ。
椎木 やりますか、韓国で。
大塚 それ、もう両方やったら?九州もしっかりやりつつ、アジアもしっかりやりつつ。
椎木 東京も行っちゃって。
大塚 (笑) 若いってのはいいですね。2つじゃなくて3つも4つも。若いって羨ましいな。ギンギラとガラパでもなんか一緒にやりたいよね。
椎木 はい!本当に、そうですよね。是非、一緒にやりましょう!
大塚 僕がまだやんちゃなうちにね(笑)
水上 だって、今度もね、ショーマンシップと一緒にギンギラが公演をやるってことは福岡にとっては事件ですよ。
大塚 お陰さまで、ギンギラでやりたかったことは一通りやったんだよね。これからは他の集団と新しい事に挑戦してみたくて。
水上 いや、とてもいいことだと思います。
大塚 ありがとうございます。
水上 福岡には川上音二郎っていう大先輩がいるわけじゃないですか、ヨーロッパ公演を2回くらいやってますよね。そんな人もいますから。あまり東京東京って意識せずにね。
椎木 いやいや、そんな意識してないですよ。若いころはホントに東京志向が強かったけど、10年目を迎えた今は、福岡で何ができるかなって変わってきましたってことなんです。今福岡で何ができるのか、「福岡でだって面白いことやってどこよりも面白いことをやってやるよ」ってことなんです。東京に行くのは、東京に行きたいってことじゃなくて東京でもやってそこで評価されることも福岡の人にとってもプラスになると思うし、東京でやって東京の人たちが福岡まで観に来てくれるようになればそれが一番いいと思うので。
大塚 それは『飛ぶ劇場』の泊君も言ってたね。作品を東京に持っていくのは「見本市に持っていくようなものだ」って。
水上 そうですよね。
椎木 それもそうだし、「観たいんだったら東京から福岡に来いよ」となってくれば、それは劇団だけの問題じゃなくて福岡自体にもすごくプラスになることがたくさんあるなって。
大塚 東京をはじめ、全国で公演した事で、エンタメのプロにきちんと評価をしてもらえた事はよかったですし、今では全国から観に来てもらえるのでありがたいですね。
水上 「福岡ネタだからわからないだろ」という気持ちがあったけど他の都市でやってみて「どこでも通じるんだ」、のようなことを当時言ってなかったっけ?
大塚 実は地元密着型のエンターテイメントってのは「地元の人でも知ってるようで知らないところ」を作品にしているです。だって、皆が知ってることで物語を作っても驚きが無いでしょう。皆が知らないところを「ちゃんとわかるように構成して作品化」することで、実はどこの人でもわかるように物語は作っているんです。そこがしっかり受け止めてもらえたっていう事ですかね。
椎木 そうですね。
大塚 最後に、一つ。今回のガラパには、ギンギラ古株の杉山英美が出るんだよね。それが僕はすごく楽しみで。2回目なのかな?ヒデさんが出るのは。
椎木 そうです。2回目です。
大塚 だからギンギラで暴れていたヒデさんが、ガラパの世界でどう暴れるのかを、是非ギンギラをみているお客様にも観てほしいなと。
水上 3ヶ月この対談シリーズをやってきて。ある意味、ガラパのこれからの決意表明を聞いてきた気がします。それの成果発表みたいなものが10周年記念公演ですね、それを観に来てくださいってことで終わりましょうか。
椎木 10周年記念公演っていってますけど、僕は集大成だとは全く思ってなくて。変な意味じゃなくて本当にスタートだと思っているんですよ。それは大塚さんとの対談でもお話しましたし、この3ヶ月色んな先輩とお話させて頂いて、自分たちが今からやりたいと思ってることが僕は改めて信じられるなって思ったので今回のこの10周年の公演から、もちろん今までのものも財産として、更にやりたいことに向かって進んでいくスタートになるんじゃないかと思う。作品は決意表明をみせる作品ではなくて単純に本当に面白いコメディを、どんな人でも、きっと演劇嫌いな人でも好きになってもらえる。また好きな人もまた更に好きになってもらえる、そんな作品だと思いますので是非観に来て頂いて、イムズでお食事して楽しんで頂けたらと思います。ホントに、皆さんとお話して決意を持てたので、頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。
この対談は2015年6月5日に行いました。10周年記念公演は6月24日から28日までイムズホールで開催されています。
データ編集:橋本理沙(万能グローブガラパゴスダイナモス)
構成編集:水上徹也(シアターネットプロジェクト)
2015.06.25
カテゴリー:ガラパ10周年リレー対談
■■僕の人格を形成したもの■■
物心つく頃 神社の境内で祭りの時にやってきたドサ回り劇団のチャンバラ芝居
■■小学生時代■■
『ゴジラ』シリーズ
■■中学生時代■■
『小さな恋のメロディ』『ゴッドファーザー』
■■高校生時代■■
『仁義なき戦い』『サンダカン八番娼館』
■■大学生時代■■
年間に観た200本の映画
『子午線の祀り』は演劇体験の原点
『ブロードウェイミュージカル ウィズ』でミュージカル初体験
映画の道に進むつもりが子どもたちに演劇や音楽を見せる仕事に歌舞伎・文楽・能・狂言・落語といった古典芸能から人形劇・バレエ・ジャズ・オーケストラまで、あらゆるジャンルの舞台芸術を子どもたちに届ける もはや演劇のない生活は考えられません
でも演劇に触れたことがない人のほうが多いのが現実 はてさて、その魅力をどう伝えようか
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