モダンスイマーズ 「トワイライツ」
モダンスイマーズ 「トワイライツ」
2009年 5月31日(日) 14;00~ 西鉄ホールにて

妄想と現実の狭間を行き来する男女相反する2つの世界を描いた恋愛リアルファンタジー。「トワイライツ」は2つの夕日という意味合い。 2つの世界、パラレルワールドを題材に描く。 歌子は血の繋がらない兄、父親と三人暮らし。不安定な生活の中、隣家の男の子、薫が歌子を支えようと、何かと近づいてくる・・・。

●三人の愛しかた
キャストで薫役は三人。それぞれに違うキャラクターで歌子を愛そうとする。一人目は、献身的に尽くそうとするも、結果うだつの上がらないダメ男タイプ、二人目は力を持って歌子を守り経済的にも成功するが、結果、女を縛りつけ自分をも苦しめる俺様タイプ、三人目は、ひたすらに自分を抑え、歌子を陰ながら支える縁の下の力持ちながら、結果、自分を殺しすぎ、愛する相手には引かれてストーカー扱いを受ける自滅タイプ。それぞれのパターンで、もしもシリーズのように恋愛模様が描かれる。

● 「わかるの、見えるの、あなたとは上手く行かないって」
歌子が何回も繰り返すこのセリフ。三回目ともなると、ああ、だったらどういう相手ならいいのさ、と思ったりもする。どんな相手なら幸せになれるというのか。しかしながら、この言葉は、歌子が最も愛する相手から、自らが言われた言葉なのだ、と、最後に明かされる。

● パラレルワールド
三人の薫との恋愛を辿るために、見ていると同じ時間を人物を変えて繰り返し体験している気持ちになる。しかしながら、パラレルワールドならば、全ての世界が同時に存在している、ということ。なるほど妄想と現実の狭間である。出口のない迷路のようで、なんだか苦しかった。作者は、『恋愛をテーマに芝居を書いてみた。一番の理由は、それが大変なことだと思ったからだ・・・中略・・・説明のつかないものを形にしてみたかった』と、あいさつ文に書いていた。

見終わって、ずいぶん前に見た、北九州の劇団ユニット「さかな公団」の明日のマコという芝居を思い出した。あれは、人生をやり直したいと思った女性「マコ」が、最終的にはいろんなパターンの人生で三人のマコになってしまい、誰が残って人生を生きるかで殺しあってしまう、という衝撃の(!)展開だった。話の展開も違うし、作者が男(モダンスイマーズ)、女(さかな公団)の差と括ってしまっては身も蓋もないが、行き止まりのようなパラレルワールドの最後を、淡々と続いていく情景にする事と、争いを尽くしてでもどこかに着地しようとする事、その差を考えるとやっぱり女のほうが逞しいのかなあ、と思ったりした。

歌子の兄役の山本亨さんのセリフ「心配すんな、嫌われりゃいいんだ」のひとことが、何だかいつまでも残る格好良さだった。見ているときは、何だかなあ、と思っていながら、改めて感想を書くといくらでも出てくる。結果、私はこの作品を楽しんで、しっかり味わっていたんだな、と思った。



2009年6月 6日 16:46  カテゴリー: | コメント(0) |
芝居ユニット 裏路地Musica 「雨がやんだら」
芝居ユニット 裏路地Musica 「雨がやんだら」
 5月28日(木) 19;30 ~ 湾岸劇場博多扇貝(サンパレス地下1階)にて

福岡サンパレスに来るのは、とても久しぶり。という事で、しっかり道を間違えた・・・。地図通りに歩いたつもりが方向が違っていた(泣)ついでに強風でコンタクトがずれて目が痛くて(泣)そんなコンディションながら、最近観た中ではぴかいちに良かった!と思う。

都心の外れの海岸にある、見捨てられたようなゴミ捨て場に住む老人と、通りかかった1人の少女の会話を軸とした作品。老人の仕事はごみの在庫を数えること?くものお母さんに拾われた?等々・・・本当か嘘か分らない話が 交錯するストーリー。

● 「綺麗」なゴミ捨て場?
会場に入ると、その狭さ、天井の低さにびっくりしながらも、雰囲気がよくて、好きな感じだった。この空間いいなあ、と思いつつ舞台を見てまたびっくり。よく作ってあるなあ!ゴミ捨て場という設定ながら、色合いといい、奥行きといい、何だかレトロでいい。どこまでも手がかかっていて綺麗だ。

● 名演と熱演
老人役、というのは、どんな年齢の人がやっても難しい気がする。わざとらしい感じ、違和感が少しは出るものである。しかし・・・この老人、ホームレスという設定で異様に厚着なのがまたリアルで、暑いのか次第に汗ばんでくる顔が、小汚くて(すいません・・・)終始、足腰悪そうな動きも完璧。すごいなあ。

● 目ヂカラ少女
出てきた瞬間、まず目が印象的。見張ったような瞳、可愛らしい衣装と細い足首。一瞬で「少女」だ、と受け入れる。鍋で作ったぬるそうなラーメンを食べてしまう所では、おなか壊さないかなぁ、と心配してしまった。役者は年齢も時代も飛び越える力を持っている、というけれど、それは本当だと思った。可愛かった!そしてその可愛らしさが、後々のシーンで逆転した凄みを生むのである・・・。

● にわとりか卵か
戯曲が役者を引っ張るのか、はたまた逆か。いろんなパターンが存在するのだろうけど、まず戯曲という土台があって、そして上演時間いっぱいいっぱいに、役者は観客を引っ張っていたと思う。目が離せなかった。何なんだ?次はどんなホラが・・・?と思ったり、なんとそんな事実が!?と一瞬寒くなったり、そんなの触って埃付かない?って心配したり、蜘蛛の話にぞーっとしたり。忙しかったことである・・・!

● 構想10年、上演準備3年。上演時間は約1時間
これは、とあるHPに紹介されていた一文である。構想がまずすごいけど、準備に三年!道理で・・・この完成度。この1時間の重みが増すばかりだ。そしてチケット。こんなに可愛いチケットはなかなか無い気がする。地図まで手作り感あふれている。フライヤー共々味わい深い絵柄。全部が丁寧な光に満ちているなあ、と感心する。

不思議なお話だった。ふっと迷い込んだ世界は、深みにはまりそうな勢いだった。私は、いい芝居とは、どれだけ見ている人を日常から連れ去ってくれるかが基準だと思っている。はるか遠くへ行けば行くほど、帰って来るのに時間がかかる。見終わって帰り、バスを待つのももどかしく、タクシーに乗り込んだ。何故か家路を急いでいた。頭がぐるぐるしていた。このお芝居は、間違いなく、私をはるか遠くへ連れ去っていたのだと思う。

ところで、構想10年、準備に3年ということは。次回作は一体いつになるのであろうか。と、思ったことである。


2009年6月 6日 16:44  カテゴリー: | コメント(0) |
劇団アントンクルー アトリエ公演 「熊 /結婚申し込み」~チェーホフ笑劇集
劇団アントンクルー アトリエ公演
「熊 /結婚申し込み」~チェーホフ笑劇集 

2009年 5月23日(土) 16;00~ 福岡女学院大学 学生ホールにて

大学というのは・・・広いなあ!と思いながら学内を歩いた。目指すはハウイ会館とやらである。思いっきりハワイ会館と読み違えて、何だかアロハ・・・と思っていた。ミッション系なのにハワイは無いだろう、と自分にツッコミを入れる。

会場はこじんまりとしてはいるが、照明や客席など雰囲気もしっかりあって、なかなか良い感じ。ただ舞台の造りの感じが、よく言えばキッチュ、何となく放生会みたいな・・・昭和レトロ?な感じがするのに不安をおぼえる。苦手な分野なんだよなあ、と思いつつ、劇は幕を開けた。

出入りをするドア?みたいな所の周りの電飾に、そして役者さんの衣装に、あーヤラレタ、と目を反らしながらも、まずは「結婚申し込み」である。お隣同士の家族、お互いまあまあいい年の男女がいて、男のほうが、隣家の主人に「娘さんをお嫁さんにください」と言いに来る・・・という筋書き。何かと言い争いになるも、最後は絶妙のハッピーエンドに着地する。

見ていて。なんとなく、方向性が定まってない印象を受ける。難しいけれど、お父さん役の役者さん、申し込みにくる息子役、そして、申し込まれる娘。三人の雰囲気が、微妙・・・な感じなのである。どこがどうと指摘はできないけれども、何となく落ち着かなかった。勝手な意見だけど、息子はハゲ、娘は巨漢、など、マンガちっくに判りやすい「結婚できなかった人キャラ」とかだと、あのテイストに合ったのかもである。息子も娘も、どうして独身なのかなあ・・・と思えるくらい落ち着いていて端整な見た目だから、そう思ったのかも知れない。

次に「熊」。夫を亡くした女のところで、生前にお金を貸したという男が、借金回収に訪れる。いがみ合う男女がやがて惹かれあい・・・という筋書き。これは・・・突っ走っていく感じで、あっという間だった。わりに思った通りの展開ながら、面白かった。椅子が割れてしまうところで笑った。熱演!という感じの借金を回収にきた軍人と、つんとした未亡人の白い横顔が、なかなか役柄に合っていた気がする。恋は、不思議なものなんだなあ、と改めて思った。

全体として・・・チェーホフはすごい。名作と言われるだけあるなあ、と再確認。百年以上前に書かれた作品ながら、この話をもとに、現代劇にもアレンジできるし、昼ドラにもなるし、歌舞伎にも出来そうだし、落語のように一人で話しても面白そうである。物語がどこまでもしっかりしていて普遍的。名作の名作たる所以である。すばらしい・・・。

さてさて。そうは言っても、好きだったシーンもある。借金を回収にきた軍人さんが、80年代っぽいチンピラ風衣装が異様に(笑)似合っていたこと、一本気なセリフ回しが、しまいには格好いいかも?と思わせてくれたこと、未亡人の喪服(!)のスカートが可愛くていいなあ、と思ったこと、そして、結婚を決めて息子の膝に乗ったときの、娘役の動きのきれいさである。まるで、体重が無いかのようだった。地面に寝転がって、あああーと嘆くときの足の動きも、きれいだったなあ。

結論として、私は峰尾さんのファンなわけで、あの髪型はちょっと悲しかったのでテンション下がっただけかも・・・なのであった(ホタルノヒカリ風ちょんまげスタイル!)


2009年6月 6日 16:43  カテゴリー: | コメント(0) |
ふくおか市民能
ふくおか市民能 5月6日(水) 14;00~  住吉神社能楽殿にて

今年の市民能は「五番立て」である。その昔、能は一日がかりで行われるものであったらしい(すごい!)一日の経過を序破急でとらえ、陽が昇り「翁」という儀典的な能をした後、陽が沈むまで狂言を挟みながら五種類の曲目を演じる・・・というのがスタンダード、という何とも豪華な、しかし疲れそうな公演形式。今回の市民能の演目も五種類「神、男、女、狂、鬼」で構成されていた。

○ 三番目の「女」~羽衣
この「羽衣」の頃が、一番舞台の状態が良かった気がする。住吉神社能楽殿は自然光を取り入れての演能が一番だ。季節は五月、新緑がのぞく窓から差し込む日光が舞台を照らし出し、すがすがしい美しさで満ちてくる。時間の経過とともに光の具合も変わり、同時に舞台の明るさも変化していく。自然光で照らされた装束が一番、映える気がする。

○ 「いや疑いは人間にあり」
羽衣の謡の一部「いや疑いは人間にあり。天に偽りなきものを」。何度聞いても、はっとする。今回のシテは女性であるけれど、女性でも男性でもない、中性的な深みと迫力のある声、それでいて醸し出す可憐な雰囲気は女性ならでは。天女にふさわしいシテで見ごたえ十分だった。

○ 能というもの
能を見るようになって・・・初めて見てから、まだ10年にもならないけれど。やっと最近、少し考えるように、いや、考えられるようになってきた。現代物の演劇と違って、能には演出家も音響も照明もない。ここでこう間を取って、と誰かに指示されるわけでもなく、じゃあシテにピンスポットを当てて、という事もなく、音響はここで一気に盛り上げてフェイドアウトね、とは行かない。申し合わせはあるものの、一回一回、シテの歩みに囃子が附いて行く。附いてはいくけど、お互いに拮抗している。馴れ合いではない。うまくいくまで何度もリハーサルをする訳でも無い。

全て絶妙な繊細なバランスの中で、いつでも最高の技を披露できるように鍛錬したもの同士が、ビギナーズラックまがいの、すれすれの完璧を目指しているような、反復練習する事で得られるものとは違った完璧を演じている、感じがする。

そんな、いっぱしの評論家や、名だたる演者や能楽師の方々が、何度も何度も語って下さっていることを、やっと自分で思いついたかのように、手元で考えることが出来るようになった。それが、能を見てきた年月と見合った私なりの進歩なのかも知れない。



2009年6月 6日 16:43  カテゴリー: | コメント(0) |
肉体の劇場 2009 「海月~環によせて~ 」
肉体の劇場 2009 「海月~環によせて~ 」
詩と朗読/浦歌無子 おどり/峰尾かおり

4月29日(水) 19;30~   Space Terraにて

警固の通り沿いのビル、地下に降りるとこじんまりとしたバーや居酒屋風の店が並んでいた。奥の一軒「Space Terra」に入ると、少し暗めの照明にイルミネーション風のライトがまたたく、小さいながらも雰囲気ある店内に、ぎっしりと観客が入っていた。端の席しか空いてなく、ともかく着席。ピアノの真横である。前方にテーブルが一つ、置いてある。これを使うのかな?

照明が落とされ、始まった。浦さんの囁くような声、骨の名前やビタミン剤が羅列される、病的なほどの繊細さを感じさせる詩の世界は、意識を遠くへ遠くへと追いやる。深い穴の底にいて、はるか高い空を眺めているような、そしてそれは夜空であるような、光ではあっても、それは月光である。そんな世界を、のぞかせて貰った。

と、一人の女が現れる。帽子、ストール、ジーンズ。服装を見て、おや?と思う。おどりにくそうだ、と感じたからである。でもまあ、そういう感じなんだあ、と見ていると、すっと前へ出てピアノのほうへやって来ると、おもむろに・・・脱ぎだした。わあ・・・と、思いつつ、ふわりと軽そうな透ける素材のスカート姿になり、ああ、おどりだ、と思う。

次にあっと思うのは、机に上がった瞬間である。上がっちゃうんだあ・・・と目を凝らす。あの狭い空間で、座ったらいっぱいになりそうなスペースで、何が出来るのか、といえば、わりに動いていて、イメージは縦になっていく。水族館の高い水槽のような、水の中を移動しているかのような、やわらかい動き。

おどりを見るときはいつも、勝手にテーマを決めて見ている。今回は「妊婦」を連想した。でもお母さん、な妊婦さんではない。セクシーな感じ。

いのちを生み出す尊さと、女性のやわらかい色気。相反するようで、それはすぐ隣にあるもの。そんなイメージだった。身籠った女性がそのいのちを抱えて色んな思いを馳せ、そのうち、女性は自らの中にいる胎児と一体化していく。羊水の中でゆらめいていく。

せまい机上のスペースで屈みこむ場面で、すんなりと白い足が組まれ、衣装のスカートがふわり、と揺れる。透ける素材を通して裏地の生地がするすると下がり、足が隠れていく。一瞬だ。でも狙ったかのように美しい。絶妙に照らし出すライティング。

やがて、何事もなかったかのように、また衣装を替え帰っていく。

公園。子どもたちが遊んでいる昼下がり。帽子を被りベンチに座る女。傍目には判らないが彼女は妊娠している。よみがえる様々な記憶。意識の中で女は揺らぎ、漂う、そこは・・・海?いろんな映像が頭の中を駆け巡る。ひとからひとが生まれる。神秘であり、尊いことであり、同時に測り知れない不気味さを感じると言ってしまえば、母性本能がない女だと言われるのであろうか。可能性を生み出すことに怖さを感じてしまうからだろうか。

詩の朗読から連想した月光。照らし出されたものは何だったのか。なんとなく、この世で一番うつくしい形は「祈り」である、という言い回しを思い出した夜だった。


2009年6月 6日 16:42  カテゴリー: | コメント(0) |

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