劇ナビインタビュー No2 博多座 演劇本部長 佐藤 慎二さん その3

750万人のお客様が来場―潜在的な九州の文化

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水上 福岡でこの分野で活躍する人が増えてきてほしいですね。さて、ちょっと違う角度から伺います。年間50万人のお客さんを集めています。とてつもない数字です。どうやってやってこられたんですか。

 

佐藤 博多座だけじゃなく、福岡には演劇文化を振興するいろんな組織・団体がある。行政では文化振興財団、民間では西鉄ホール、イムズホール、エルガーラホール、キャナルシティ劇場、さらに市民劇場のような団体まで。北九州では北九州芸術劇場とか音楽ではアクロス福岡とか、いろんなところが頑張って、こういう文化を作ったんだと思います。

もともと九州にあったんでしょうけど、無くなってしまっていた。その間は、演劇ファンの人たちは東京まで観に行ってたわけですね。それが、博多座が出来て、観てみたら「面白いな」となったと思います。

 

佐藤 もうひとつは、劇場を大事にしていこうという周りの人の力だと思います。

博多座がなくなると、九州の文化がひとつ減る。と思っていただいている。

九州から東京に情報発信したいという、九州人の考えだったり、アジアの窓口で情報発信したいという福岡の思いだったりするところが潜在的にあって、お客さんが来てる、

博多座の力だけではないと思います。

賛否はあると思いますよ。それをどうにかするのが仕事ですから、今までないことをやっていく。

 

佐藤 八百屋だと野菜を買う前に見て買ってもらいますが、僕らは、観たことがない作品でお金をいただき、日にちも座席も指定され、というような特殊なサービス業です。そういう商売をしているんですから、お客さんが来てくれるもの、観たことがなくても買いたくなるくらいのものを創らないといけない。しかも、一回観ると目が肥えてきますしね。

 

サービス日本一の劇場に

 

佐藤 病院が体を治すように、劇場は心をいやしたり、元気づけたりする。劇場がそういう所であり続ける限り、劇場の大きさは別にして存在意義はあります。それがある間は、やれることはやって後ろにバトンタッチできるようにできたらな、と思っています。

劇場経営も今日明日のことじゃなくて、3年後や5年後、僕らの時代からもっと遠くの時代が見えるような、そういう劇場をつくっていきたい。そういうところに視点を置いて、スタッフの背中を押し上げていきたい。

 

佐藤 お年寄りは日本の宝だと思いますね。その人たちが戦後の復興をやらなかったら、こんな日本はできていない。みなさんが頑張ったおかげで今がある。博多座では、ほかの劇場ではできないサービスをやります。博多座が博多座である限りやる。

たとえば、車いすのケアや体調の悪くなった人のケアは、よその劇場より、お客様に対して場内の案内の人数が多い。施設にしても、トイレ一つとってもそうです。優先順位はお客様が一番ですし、そのことだけは崩してはいけない。そのためにもスタッフは大切にしないといけない。

場内のスタッフは日本一だと思います。芝居を作るほうはまだ日本一ではないですけど。

だからみなさん安心してきてくれると思います。年取ってたって、車いすで来たり、杖ついて来たりできる。それでも安心して来られる劇場、っていうのが、箱としてというより、人と人とのつながりの大切さを感じます。お客さまからお礼状を頂きますが、それを読んで感じます。

 

水上 スタッフの人たちが劇場の顔ですからね。

 

佐藤 ミスターか、ミスか、ミセスか、わかりませんがそれぞれが「博多座」です。現場で接客する人たちとか、役者と一緒に芝居を作る制作とか、宣伝を作るディレクターとか。現場が汗かいて今があると思います。現場が一番大切です。

 

(続く。次回は6月23日公開の予定です)

2014年6月16日 15:15  カテゴリー: N02 佐藤慎二さん 劇ナビインタビュー | コメント(0) |
劇ナビインタビュー No2 博多座 演劇本部長 佐藤 慎二さん その2

自主制作の始まりー追い込まれるところからそれは始まった

 

水上 博多座での制作がこのところ増えています。以前にも制作された時期がありましたが、20123月に『101回目のプロポーズ』を自主制作されて、今年5月の『コロッケ薫風特別公演』まで、3年間で5本です。

福岡で演劇を製作して東京や大阪で上演するというのは僕にとっても夢でした。実際は大変だったと思います。短い時間で制作力を作りましたが、その辺りのことをお聞かせ下さい。

 

(博多座での近年の自主制作作品

■2012年3月時代劇版「101回目のプロポーズ」10月「コロッケ特別公演」、

  ■2013年3月「水戸黄門」、

■2014年1月「五木ひろし新春特別公演」4月「武田鉄矢・前川清特別公演」5月「コロッケ薫風喜劇公演」

 3年間で6作品を生み出しています)

 

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佐藤 土俵際に追い込まれることです。

会社が「赤字になりました。」「今までは買い興行で黒字でした。」それまで血の滲むような苦労はしていなかった。「世の中代わって赤字になりました。どうするっ?」ていう話になって、劇場が追い込まれた。それまでは言われるだけお金を払っていたんです。

パン屋でいうと、赤字になるまでは、パン工場からパンが来て、それを並べて売ってるようなパン屋さんですね。

「パンの仕入れが上がりました」「お客さんが買っていく数が減りました」「そのパン屋さんはなくなるよ」、っていう話ですよ。わかりやすい論理です。じゃあ、収支を立て直そう。そのために、まずパンの作り方を学ぼう。

買ってくるだけじゃなく、材料を仕入れるパン屋さんにもなろう、と考えました。

最初はまずいパンかもしれないけど、やっているうちに、おいしいパンを作ろう。お客さまの顔を見ながら、成果は来場者の数字でわかるから、まずはそこだと。

今までは買い付けて、公演料は聖域といわれて言われるままに払っていた。その聖域に手を付けるかどうか。黒字だとやらないんですよ。

営業と制作は両輪だから、創るほうもちゃんと創り、売るほうもちゃんと売らなきゃいけない。一生懸命売っても、創るほうの値段が高ければ、70%、80%の稼働率があっても赤字になることがあるんですね。それっておかしくないか。よその劇場で50%で黒字になるものが、稼働率70%でも赤字になるのはおかしくないか。じゃあ、パンを作ろうかという話になったんです。

でも、ここのパン屋さんは誰もパンを作ったことがない。ただ作っているのを見たことがあるよ、というレベルでした。だったら、パン職人を雇って作り方を学ばないと、パンは作れない。5年も10年も作り方を試行錯誤するよりも、家庭教師を呼んできて教えてもらったほうが自分たちで勉強するよりは結果が早く出る。おまけに時間もない。村田さん(元明治座でプロデューサーとして活躍)を引っ張ってきた。

企画を提案した当初は自主制作は無理だと言われたんですが、3年前の2月。忘れもしない。社長から、「村田さんと一緒に、おまえは創れ。」と指示が出た。

 

佐藤 あれっ、どっかで聞いた話だな。と思ったら、博多座に出向するときと同じ話だな、と思いました。

結局、自分ですることになった。それまでは宣伝の仕事を担当していたものが制作の仕事に携わることになった。いろんなところから批判もありますが、それでも、頑として揺るがず、そこで一生懸命作品を創る環境をつくりました。

 

佐藤 初演の武田鉄矢さんの芝居も賛否ありましたが、僕は武田さんの若いころからファンだったので、無理やり引っ張りだした。武田さんには恩義をもらいました。『母に捧げるバラード』を村田さんが作っていたこともあり、武田さんに白羽の矢が当たった。縁があったのか、そこがひとつのターニングポイントでした。

 

自主制作を始めて見えてくるもの

 

佐藤 この商売、不思議なのは、「一式3億円」という見積もりが来るんです。役者がいくら、床山さんがいくら、衣装代がいくら、それがまったくわからない。だから交渉もできない。それが知りたかった。

制作を始めると、だんだん見えてくるんです。東京等で芝居を作って、博多座に回す仕組み。それがわかってくる。

そこを知っている人を引っ張ってきて、やりだした訳です。

村田さんも前の仕事を辞めるときは誰も見向きもしなくなった。その時に支えてくれた人を村田さんも忘れずに大事にしている。そういう「人を大事にした仕事」を博多座でやって行こう、と話し合いました。

 

水上 制作を始めるには、大変な覚悟と意思があったんですね。俳優では、武田さん、前川さん、コロッケさんといった九州ゆかりの方が多いです。誰を使うのか、原作は何をやるのか。どうやって決めているのでしょうか?

 

佐藤 「創るなら、みんなで本を読もう。」と村田さんの呼びかけで、制作のみんなで本を読みました。山本周五郎や司馬遼太郎や。「この小説面白い」、というものをやろう。創るなら一からですよね。原作者にお願いに行く。面白いから、これやろうか。脚本にしてもらって、役者どうする?タレント名鑑をみんなで探したり。村田さんのツテを頼ったり。

パンの小麦は、どこの畑にあるんだろう?どこの畑のがおいしい?まずは自分たちで探しに行く。家庭教師から教えてもらいつつ、いろはのいから、演出家、脚本家に交渉しています。まだ発展途上ですけど。

創るのは大変です。福岡では創れない。東京の稽古場を借りて、役者も一人づつ事務所に交渉して進めていく。作品を買ってくるのの10倍も20倍も大変です。

でも、さっきのパン屋の話です。全部は創れないにしても、自分のところで創っていかないと、劇場の再建はできないと思った。自分の劇場のヒット商品をつくりたい、と思います。それが、九州・福岡の情報発信になる。そんな大義大志を抱いてやった。

 

千秋楽で号泣したい

 

佐藤 もうひとつあったのは、村田さん曰く「自分で1本作って、千秋楽の緞帳が閉まった後に、感動して泣く。ぜったい号泣するよ」って言われた。その一言で、「最近泣いたことないよな、泣いてみたい」と思って、自主制作を頑張って創ろうって思いました。仕事で感動して泣くことってなかなかないじゃないですか。それを感じるって、人間として「うるうる」なる。それっていいことかな、って思った。みんなそういうことを体験してほしいんです。

博多座の劇場内で落し物がないか、女性スタッフがストッキング破りながら、床に膝ついて客席の下を懐中電灯で照らして、一生懸命確認している、そういう人が報われるようなモノ作りの場。みんなが喜んでくれる空間。そういう劇場にしたいなと思って、頑張ってます。それは自分一人ではできないけど、周りの人に支えられてきました。

 

水上 人の姿が見えるお話ですね。

 

佐藤 僕は運が良かったと思います。博多座に来てなっかたら、こんな楽しいことはできてないだろうし。役者さんと直に話すこともできなかった。周りの人たちに非常に感謝していますね、

 

働いている人が楽しくないと

 

佐藤 働いている会社が赤字になって、そこに働く人間が、「給料は上がらないボーナスは出ない」ということは、どうなんだろう、って思いました。僕らの世代はもうすぐリタイアするけど、博多座で生計立てている人や、演劇が好きでやってる人がいる。彼ら彼女らのためにはそれはいけない。「職場がつぶれるかもしれない」って、将来がある人にそれはいけない。だから、始めたんです。みんなのためにふんばろうといったら偉そうに聞こえそうだけど。でも、自分のためじゃなくて利他的に頑張ろうと思った。

僕の親父が52歳で亡くなったんです。僕は52歳を迎えた時、「一回死んだ。」と思っています。今年53歳になる。これからは人のために生きよう、利己的でなく、利他的です。こういう環境で働いているから、お客さんに喜んでほしい。仕事を楽しく思ってほしい。仕事きついけど、そのあとの達成感、感動を感じてほしい。

僕は会社に来るのは嫌だと思ったことはない。そういう人が増えてほしい。

 

佐藤 作ってる人や関わってる人が楽しくないと、お客さんも楽しくない。

お客さんには、来る前からわくわくしてほしい。観終わった後も、感動して誰かに話したいとか、五感が豊かになる。感受性が豊かになってほしいですね。

でも商売だから、そこが難しい。極端に言うと。宣伝も営業もいらなくなるのを目指していますね。口コミで来てくれれば、その分のお金をお客様に振り分けられる。お願いしなくてもみんなが来てくれればいい。そしたら、もっとやれることがある。そこを目指しています。

 

佐藤 このあと、制作をやるためのスタッフがほしい。この場を借りて、呼びかけます。「そういう人がいたら、ぜひ博多座に来て一緒にやりませんか。」男性でも女性でも、「楽しいことがやりたい。創造性のあることやりたい」、という人と、いろいろやりたいです。

 (続く)

2014年6月 9日 14:44  カテゴリー: N02 佐藤慎二さん 劇ナビインタビュー | コメント(0) |
劇ナビインタビュー No2 博多座 演劇本部長 佐藤 慎二さん その1

2回目は、博多座の演劇本部長を務める佐藤慎二さんに登場してもらいました。

大阪以西にある唯一の商業劇場として、今年15周年を迎えました。歌舞伎やミュージカルから、北島サブちゃんの座長公演まで、本格的な舞台が1か月単位で開催されています。一時は赤字報道され地元でも危機感が走りましたが、最近では自主製作作品の興行やプロデュース公演など経営改善の傾向も見えてきています。

開業から携わってこられた佐藤さん、どんなお話が伺えるのでしょうか。

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仕事の動機は好奇心

 

水上 劇ナビインタビューでは、劇場のお話を伺う前に、人となりをお聞きしています。佐藤さんは、アイデアマンでいろいろな企画をすすめています。 最初は印刷の仕事をされていたんですよね。

 

佐藤 新卒で就職したのは印刷の仕事ですが、学生時代のアルバイトで世の中というのを学びました。博多大丸でお中元とかの搬出搬入や、催事場では子ども服を売ったり、サザエのおはぎを造ったり、バレンタインチョコレート売り場のチーフやケーキ屋の店長もやりました。大相撲11月場所が来たら、スポーツ新聞に記事をファックスで送ったり、地元力士の星取表を全部つけたりとか。いろんなことやってました。動機は、好奇心ですね。

印刷会社では、工場管理部門に入りました。コンピューターによる画像処理です。印刷物って4色で成り立つんですが、コンピューターでいかにきれいな画像処理をして発色させるか研究していました。

大濠高校から推薦で九州産業大学芸術学部に行ったんですが、推薦で入学したのは僕が初めてだった。面接のときに聞かれました。「君は何で大濠なのに九産大なんだ」(大濠は福岡大学付属大濠高校です)。「福大に芸術学部があったら福大に行ってました。」言ってしまって、「落ちたな」と思っていたら通ってた。

その頃から、山も登っていたし写真も好きだった。本当は絵が好きだったけど、絵の才能がないので代わるものがカメラになり、自分のうちの押入れを改造して写真を現像していました。おじいちゃんがそういうことやっていたので、DNAですね。とにかく創るのが好きでした。それで印刷の会社に入ったんです。

 

はじまりは企画書の提案から

 

水上 博多座に関わるときは派遣されたんですか?自分から手を挙げたんですか?

 

佐藤 博多座が創業するなら観劇の会員組織ができるだろう。そうなったら、ダイレクトメールを送るシステムを構築しようと考えたんです。たとえばお客様の名前が何万とあったら、それを博多座で入力するとオンラインで端末に届いて端末から印刷機に宛名がプリントアウトされる。そういうラべリングシステムを作りましょう。こっちで入力します。ちょっとした訂正はそっちで直してください。その企画書を作ったんです。

そのためには、博多座にもそういうことができる人がいりますよ。株主になって一人出向で入れましょう。そういうビジネスが成り立ちますよ。という企画書を書いて博多座の準備室に持って行ったんです。福博綜合印刷の役員会にかけてもらって、出向する人間の適正不適正を全部書いて出した。役員会が終わって部長が来て肩をたたかれました。「博多座で頑張れ」っていう話になった。それで出向になった。

こっちでコントロールしようと思っていたら、なんと自分が行くようになった。

その時がターニングポイントで、博多座に来なければ今はない、っていうことです。

 

佐藤 人生にはターニングポイントがあって、節目節目が来るんです。その時にどっちをチョイスするか、です。もともと営業じゃない人間が、色の説明をするときに営業について行ったら、営業じゃなくて君が来ればいい、ってお客さんに言われた。それで、印刷の色のことを説明できる人間を営業にしよう、という話で、会社で初めて現場から営業になった。営業になるのがひとつの節目で、次の節目で企画になって。企画を作ったから出向になった。そんな話です。何もなかったら今、工場で働いています。

 

仕事の流儀―楽しくするのが仕事

 

水上 博多座に来なければ演劇製作に携わっていない。演劇の仕事は楽しいですか?

 

佐藤 好きです。だから、楽しくするのが仕事だと思っています。楽しい楽しくないは、自分の感じ方だから、そこはどこに価値観を見出していくかという話です。楽しい環境は自分で作る。そういうことが僕のポリシーだから。芝居だけじゃなくて映画でもホテルでも同じだと思います。

それぞれの人がいかに楽しんで、一緒に働くスタッフが楽しんで、お客様にいかに喜んでいただくか。潜在的な消費者をいかにお客様にして、その人たちが「よかった」「ありがとう」って言ってもらえるかが醍醐味かな。

 

佐藤 学校で、同じ方向に机向けて、同じようにノートとって同じように先生の話聞くのがいやだった。CMで「レ・ミゼラブル」の音楽が流れているのがありますね。マラソンランナーが走って行って途中でバラバラになっていく。まさしくあれです。「人生はマラソンだ」「でもそうだろうか?」スタートして、ゴールはそれぞれですよね。節目節目でいろんな道がある。その場その場で、環境を自分で作って、いかに周りの人が幸せになるか。そのためには、強くならなきゃいけない。偉くなりたいわけじゃないですが、自分ができることを増やすために役割がある。みんなが困ったときに助けることができたらいい。お互いできることはお返ししていきたい。やるからにはみんなを幸せにしたいと思います。水上さんも僕に騙されて今に至る(爆笑)。でも、一生懸命ですよね。水上さんも努力されている。僕もいろんな企画を考えてみましたが、まだ実現にはいたっていないのが多いです。

 

(このインタビューは、4回に分けて公開していきます。次回は6月9日の予定)

2014年5月30日 14:34  カテゴリー: N02 佐藤慎二さん 劇ナビインタビュー | コメント(0) |
劇ナビインタビューNo1 北九州芸術劇場 館長 津村卓さん 第2回(2)

<劇場文化が街に根づく時>

津村 最近は、演劇やダンスいわゆる舞台芸術をツールに使った街の活性化が徐々にやれるようになってきた。それだけのスタッフ力がついてきたということだと思うんです。

商店街と組んで企画をしたり、TOTOさんと組んだり、安川電機さんのスタッフの人にワークショップに来てもらったり、モノレールでお芝居したりと「一緒に街を面白くしましょう」という動きが23年くらい前から始まりました。

津村 何年か一緒にやっていくことで京町銀店街さんは、ご自分たちでやれるようになったんです。昨年ダンスを300人くらいでやったイベントは、京町銀店街さんが主催でやられた。

水上 街にも劇場のノウハウが伝わっているんですね。

津村 劇場を核にどんどん広げていく作業ですよね。地域の企業さんと組んで、どんな面白いことができるか。これから、どう広げていくか。

今までは間接的に観光だったのが、これからは直接的に観光と結びつくためにどういうことができるのか。派手に「何万人を集める」ではなく。「北九州って面白いね」っていう人が50人単位でできるみ企画を考えてくれ、ダンスとか演劇を使ってやって行くことを考えています。

舞台芸術はその力がある。子どもたちの育成にはもちろん、高齢者の方にも障害者の方にも。舞台芸術の役割があるんですけど、街を面白くしていくツールでもある。劇場としては、作られてきたツールを、いい形のものにしてどう提供していくのか、人に街に落としていくのかが一つの仕事だと思います。そういうことを意識してやっていってください、とスタッフにはずーっと言い続けています。それがやっと実ってきたかな。

 

水上 形になってきているということですね。そういう活動が観客のすそ野を広げているんですね。かつては「鉄の街」。そこから次の時代に移ってきている北九州市。劇場の企画によって活力が生まれる。そんな手ごたえはありますか?

津村 手ごたえですか、抽象的な印象でいうと、初めて来た13年前に比べると、笑顔の人が多くなりましたね。街が明るくなったかな、そういう感じは見受けます。「なんか面白そうなことやっているな。何かわからんけど、最近有名人がよく歩いているな。」そういうことが起爆剤になっていけばいいのかな。

 

<クリエイティブ産業が生まれる町に>

津村 一方、仕掛けているんですが、手ごたえがないのは、新しい産業が生まれてきてないことです。第2次産業の衰退してきた中で次の産業は、クリエイティブなサービス産業があると思うんです。特に北九州は物を作ることを知っている町なので、クリエイティブな産業は理解できるはずです。そこに若い人達のクリエイティブな発想を持った産業というものが作れるはずです。そこが10年経ってもまだ出てきていない。ジレンマは感じているんですね。本当ならもっと勇気をもって若い人たちが起業していく。ただ3年くらい前から、魚町銀天街にリノベーションで、若い作家の人たちが集まってきてます。彼らが起爆剤になって劇場と一緒に何かできることを考えましょうと言っています。

水上 劇場だけで考えられることではないですしね。

 ところで、毎年開催されていますが、先日(216日)の「山海塾」の公演、ほぼ満席でしたね。

津村 増えましたよね(笑)

 

<お客様の目が肥えてきたー俳優からの声>

水上 観客と舞台との関係がすごく良くて、終わった後の拍手も暖かい。山海塾のステージって、観客の想像力が求められる、いわゆるハードルは高いですよね。その作品を受け入れて楽しむことのできる人たちがあれだけ集まっている。凄いことじゃないかと思っています。

津村 増えてきましたね、そういう人が。手ごたえを感じます。お客様のことを言うと、凄く目が肥えてこられました。それはわかります。

俳優側からも言われてます。この10年間、大ホールや中劇場に来られる俳優たちから、「いやー、どんどんどんどん目が肥えてきてますよね」っていうことは言われます。何かっていうと、ウケる瞬間の反応が昔に比べて全然変わりました。(笑)ちゃんとウケるところは大阪以上にウケてくれるし。自分たちも手ごたえのある作品の時は凄いカーテンコールをやっていただける。そうでもないときは2回くらいで終わってしまう。(笑)

そこは、ヨイショしてやってないことは凄く良く分かる。お客様の成長って言ったら失礼ですが、見る目が随分変わりましたね、という意見を俳優の人たちからよく聞きます。

舞台に立っている俳優の声なので、正直な手ごたえとして感じます。

 

水上 劇場文化ということでは、とても大事なことだと思います。客席に座って拝見していると、周りに座っているお客さん達の話していることが耳に入ってきます。この劇場で公演される作品への安心感、劇場が企画し紹介している作品への信頼といったことを感じます。また、以前の公演と比較して今度の公演はどうだろう?という期待感のようなものを感じます。そういったことが、繰り返し劇場に足を運びたくなる動機なのかなあ。

お客が来ないと寂しいですし、「劇場に客が付いている」と言っていいんでしょうか。

津村 それは感じます。

水上 私なんか、いつも福岡から来ますが、新幹線で16分。新大阪から新神戸くらいの時間でしょうか?そのくらい近いですよね。でも、こっちに住んでいる人にとっては、そうとう遠いんですよね。

津村 それはね、最初さんざん言われました。(笑)

水上 だいぶ近くなったんじゃないかという気がします。

津村 作品にもよりますが、福岡からのお客様の比率が増えました。後は、大分、広島のお客様が増えましたね。九州新幹線というのは凄いなと思いますけど、熊本、鹿児島のお客様が増えましたね。熊本まで1時間です。北九州以外の率が全体的に増えた。圧倒的に増えたのは福岡の方です。

水上 そうなんですか。

津村 広島のお客様が新幹線代払っても見やすい劇場で観たい。大きなホールで見るよりも、しっかり観たい。そういう意味でお客様の目が肥えたんだと思います。お芝居って面白いよね。自分が困ったときとか精神的に弱った時にいつでも手が届くところに劇場がある。そこに作品が並べられているということは、大きなことを言いますが、きっと自殺者をも減らす。ちっちゃな要素かもわからないけれども一つの要素だと思っています。それが芸術であり文化だと思います。

だから、いつでも手が届くところに芸術というものがある街にしていかないといけないと思います。民間でも公共でも構わないと思いますが、北九州が民間では成り立たないのであれば、公共がやるべきだと思います。

水上 とても羨ましいですね。

 

<アーティスト イン レジデンス>

水上 北九州のいいところは何だと考えますか?どういうメリットがあるでしょう。

津村 地方のメリットとして、劇場の体力は必要ですが、いろんな作品をバランスよくやれることは大きなメリットです。

もうひとつは、これから進めていこうと思っているんですが、アーティストインレジデンスをするためにはすごくいい街だと思います。作品を創っていくために、アーティストがここで活動するにはいいところだと思います。

ただ、地元のアーティストが育っていくためには、サービス業の少なさは課題ではあります。彼ら霞を食って生きているわけではないので、仕事をしないといけない。

水上 生活基盤が要りますからね。

津村 そこの基盤を保証するサービス産業、クリエイティブ産業的なものが弱い都市産業構造になっていると思います。だから、僕らが作っていかないといけないと思っています。

水上 その課題は、次の課題ですね。大きな課題ですけど。地域としてのいいところはありますか。

津村 いわゆる「どこかで見た景色だな、ミニ東京じゃん」みたいなことが全くない。お客様がちゃんと来て、しっかりと舞台を観てくれる。安いお金で美味しいものが食べれるということで、ほとんどの役者さんが行きたいと行ってくれます。よかったんじゃないかな。

 

<これからの北九州芸術劇場>

水上 べたな言い方ですけど、第二の故郷?のような愛着はできましたか。

津村 もちろんあります。1年に半分以上は北九州で暮らす生活が約12年間も過ぎました。本当に住みやすいいいところだと感じています。ただ、劇場に関しては、世代交代をやらないといけない時期に来たなという思いがあります。劇場プロデュースは20年やっては駄目です。そして人は育ってきました。どういうタイミングで引き継ぐか。僕らの世代が考えていかないといけない、そういう時期にきたと思っています。

僕は28歳で初めて大阪で劇場を任された。公共ホールを任されたのが33歳です。そういう年齢のスタッフは北九州にもたくさんいます。ただ、僕らがいますから、そういう年齢の人で大丈夫ですかって言われますけど、僕らは大丈夫だったんですよ(笑)

大丈夫だから、バトンタッチしていかないといけませんね。

僕らが年齢的な引き際になるとその人たちは40代になる。それでは遅いです。

失敗を3年くらい繰り返してプロデューサーになっていくわけですから、のりしろの部分を見とってあげないと、そのためには30代にバトンタッチをしないとダメだと思います。

 

<次の時代のことを考えないといけない>

津村 僕らは公共ホールの第1世代なのです。どう抜けていくかという時期。同じように仕事をしてきた人の中で還暦を超える人も出てきました。「そろそろだよね。」っていう話をしています。

この劇場のスタッフはいい人たちばかりです。課題はいっぱいありますよ。でも総合的に見て、すごくいい劇場、表現者が安心して公演を打てるし、貸し館の人も安心して舞台を使う。客観的に見ても、いい劇場になったなぁと思います。劇場を使う人、見る人の両方からの声を聞いてもそう言っていただけるので。

水上 ハードもソフトも含めて良いということでしょうね。展望を一言お願いしていいですか。これからの構想を。

 

<地域と向き合う10年に>

津村 今までは、全国的なポジションとしてどう成立させていくのか、地域を見ながら進めてきました。国内外の素晴らしいアーティストの人たちがこの劇場に来てくれるようになりました。そのことで劇場としての成立はしたと思います。全国的に。

これから先の10年は、これまで行ってきたことを継続またレベルアップしながら続けることはもちろんのこと、それと併せて地域の伝統芸能や、地域で継承されてきたものとどう向き合っていくか、ということですね。いわば地域の記憶と新しい共感を共有していく作業を次の10年間に行う。全国に発信する10年間はやれたと思っています。次は地域とどう向き合って地域の劇場として成立させていくのかということをやる10年間になります。

そうして、20年目に理想的な公共劇場が生まれると思っています。

地方の公共劇場として、理想的なバランスが取れた、「これが公共劇場の役割なんです」ということがいえる劇場づくりを目指していくつもりです。

 

水上 地域にあるからこそ、存在意義がある。

津村 その地域にどういう意味で存在しているか、言葉で言えないとだめです。理想論は言えるけど、なかなかそうはならない。次の10年をきちんとできれば、言葉として、市民の方々に実績をもとにお伝えできると思います。

そこで何を生むかというのは、後は役所の仕事です。

そのことが20年間、劇場に投資してきた結果が生まれる時だと思っています。

 

<クリエイティブシティのモデルに>

水上 クエイティブシティということが世界的に言われています。そういうことを起こしながら地域産業が生まれていく。日本にとってもこれからの領域ですね。

津村 ここは、ヨーロッパ型概念のクリエイティブシティで、日本で一番モデルになる地域ですよ。ヨーロッパ型はほとんど2次産業がダメになってアートを核に街を再生したわけですから。

北九州がちゃんとできれば、明らかにヨーロッパを手本とした日本型のクリエイティブシティが作れるはずです。

ところが、創造都市のことをよくわかっとらんかったのです(笑)。話したら、「詳しく意味を知らなかった」と言われましたから(笑)。

 

水上 最初にお聞きした、扇町でやられたこととクリエイティブシティのこと、とても共通していますね。

津村 たまたまやりたいなと思ったことだったんですけど、2030年経つ中で、リノベーションも含めて、「時代が来たな」という気がしています。

大阪ガスは、扇町ミュージアムスクエアのツールをそうとう利用しました。民間企業ですから、投資した分の何十倍も返る位の利用をしたんじゃあないでしょうかねぇ()

 

<納税者にお返しする計画を>

水上 行政も劇場に税金を投入されていますからね。

津村 劇場や美術館などで生まれてきたモノをツールに変換し、どう上手に地域に使っていくのか、というのは役所のマネージメントです。

税金をお預かりして、投資するんだったら。何年先になるか分からないけれども、必ず見返り、いわゆるアウトカムがあるっていう風にしていかないとダメだと思いますね。

トータルとして、投資した分をどういう形と内容で、納税者にお返しするかの計画を立てないといけないと思います。

 

水上 それでは、これからの北九州芸術劇場に注目していきたいと思います。ありがとうございました。

津村 ありがとうございました。

 

津村さんとの話は1時間40分にもおよびました。とても興味深いお話で、時間を忘れる程でした。予定枚数を超えるページ数になりましたが、全文ご紹介しました。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

『NODAマップ』の話題作や世界的な演出家ピーター・ブルックの作品など、九州で唯一の招聘を行いながら、オリジナル作品のプロデュースも継続的に行っている。「北九州芸術劇場のブランド化」の10年でスタッフ力を蓄積してきた自負を感じました。同時に、これからの10年を見据えて、公共ホールの理想の姿を描いているところに、頼もしさを覚えました。1回目でご紹介した「扇町ミュージックスクエア」を企画したやんちゃでしたたかな若者の顔も垣間見えました。

九州で全国に通用するレベルの演劇を制作するためには、やはり、東京の人材やノウハウが必要だし、それをコーディネイトするプロデューサーの力が必要、ということを改めて感じさせてくれました。自分たちの世代で何を残し、次の世代に何を渡していくのか、先を見通す力も必要だな、と感じたインタビューでした。津村さん、ますますご活躍を。

取材:水上徹也(シアターネットプロジェクト代表)

2014年4月 7日 11:54  カテゴリー: No1 津村卓氏 劇ナビインタビュー | コメント(0) |
劇ナビ インタビューNo1 北九州芸術劇場 館長 津村卓さん 第2回(1)

<コンセプトは「観る・創る・育つ」三つのミッションにチャレンジ>

水上 さて、お話は北九州芸術劇場に移ります。劇場は2003年にオープンしました。

津村 オープンの2年前から関わりました。キャパ数も決まっていました。基本設計は終わって、実施設計がはじまっていたころです。本来なら設計になかなか口を挟めないですけど、そうとう挟ませてもらいました。(笑)これじゃあ、市長が言われている演劇専用ホールが成立しないですよ。複合施設としてのデメリットを克服するにはどうしたらいいですよ、等々です。

一番大きく変わったのは小劇場ですね。ここが一番メインになるから、なんとか変えてほしいと提言しました。

市長から言われていたミッションをふまえたうえで、どうコンセプトをつくっていくのかがオープン前の時期です。「観る・創る・育つ」というコンセプトです。

正直自信なかったです。3つの大きな車輪を同時に動かすって、これはちょっと無理でしょ、って思ってました。それも北九州で。演劇という文化はあったんですけど、劇場という文化はなかった。すごく大変だったですね。精神的にも怖かった。おまけに福岡の知人から北九州ではチケット売れないでしょ、って相当脅されていましたので。どうなるんやと思いましたね。

 

津村 うちのスタッフに聞くとオープン1年目の記憶がないというんですね。(笑)僕も正直あんまりないです。記憶ほとんど皆無ですというスタッフもいました。毎日がすごいスピードで過ぎていく、あまりの忙しさに。

三つの車輪を同時に動かすというのがそもそも無理で、財団法人地域創造で全国の劇場を見せてもらっているという仕事柄、この車輪を同じだけの荷重で同時に動かしたのは、きっと日本で最初ではないかなって思います。。そこは自負しています。

 

<レパートリーは日本では劇場はできない>

水上 「創る・観る・育つ」三つ全部聞きたいですが、僕は核になるのは、「創る」ことだと。また北九州のような地域にとっては、劇場に足を運ぶという文化をどうやって作るか、だと思うんです。

津村 創ることに関しては、僕もタッチしてきましたが、能祖 將夫さんにプロデューサーをお願いしています。

全国に打って出る作品と、地元できちんと作る作品、このふたつはきちっとやっていきましょうということですね。日本はレパートリーシステムとしての著作権が海外とは違うんです。契約をきちっとしない限り劇場は著作権が持てない形になっているんです。だから、レパートリー化はすごく難しいですね。プロデュース作品を作った場合、プロデュースをした劇場が最も権利を持てない法的システムになっているので、なかなか難しい。

クオリティの高い作品をこの劇場の財産として貯めていく。そのことをやろうと思うと、全国のアーティストの協力が必要ですし、向き合わないといけない問題がいくつも出てきます。「北九州芸術劇場が九州にできましたよ。これだけのクオリティのものを担保しますよ。レパートリーとして持っていきます。」そういうことを言えることは、この世界ではすごく大きな仕事なんです。

水上 そのとおりですね。

 

津村 ということで創造事業は、劇場としての財産を作っていこう、そのことが一つ。もう一つは、優秀な演出家に北九州にレジデンスしてもらったり、地元の作演出家も含めて、地元で作品を作っていく、二つのベクトルを持って「創る」ことをこの劇場で具現化していく。劇場って、そのことができなければ、「観る」ということにも「育つ」ということにもベクトルが波及していかないんですね。そのことはきちっとやっていこうということです。

 

津村 三つの要素の順番ではないですが、水上さんが言われた通り、「創る」ということは、事業の中の中心的な核ではある、と思います。プログラムでは、僕も何作かは創りましたが、今のプロデュース公演は能祖さんにお任せしています。役割分担では、鑑賞事業=「観る」ということを僕が責任を取っています。1年間やると、なかなか「創る」ことにタッチできないんです。

また、プロデュース公演をすると、「育つ」ということにも関わります。

「観る」と「育つ」は僕が中心に回し、「創る」は能祖 將夫さん。そして館長として劇場の経営は僕が責任を取る、そういう形で二人でやらせていただいています。

 

<地方のメリット>

津村 一方で、一般の方からの視線でいうと観ることも核にしていかないといけない。

劇場にお客さんを集める、劇場を認知してもらうには、強い作品を、皆さんが観たいと思っていただいている作品を持ってきてこそ、なので、それを吟味しましたね。

どういうバランスで、大ホール・中劇場・小劇場の作品をブッキングするか。番組を構成していくか。そうとう考え話し合いました。

手前味噌ですが、外から見てバランスが取れている演目になっているんじゃないかと思っています。東京だとこのバランスが取れないんですよ。

地方のメリットを最大限生かしていると思います。

北九州芸術劇場ってどういう劇場ですか?って質問されたら、「演劇を核にした公共劇場としてはそうとうバランスのとれた劇場」だと言えますね。

注目を集める作品をすべて公演するのは難しいですが、今一番旬なもので大中小の劇場にあわせた演目を散りばめることができるのは、じつは地方の劇場のメリットではあるんですよね。

 

津村 大ホール演劇は佐藤君(佐藤和久:開館時の広報宣伝課の課長・劇ナビ開設にも関わりながら2010年に癌のため逝去)がホリプロにいたことが幸いしました。。毎年シェークスピア作品を中心にした蜷川作品は、彩の国さいたま芸術劇場とホリプロが作品創りを行っているのですが、蜷川幸雄さんに杮落し公演のひとつをお願いし、来ていただいたのですが、その時に蜷川さんが、劇場を惚れて頂けたのが大きかったですね。

 

<スタッフ力を育てる>

水上 演出家が、劇場を気に入ったんですね。自分の作品を表現する場所として。

津村 大きなカンパニーのもの、テクニカル的にも制作的にも劇場が力を持っていないとこなせないものを具現化するのは、スタッフ力を上げないとできない(もちろん、小劇場が簡単であるとは言いませんが)。まず、スタッフ力をどうアップさせていくか。そのことから始まりましたね。

5年目には、地方の劇場として、主要なカンパニーが安心して来られる劇場のトップになったと思います。

今は、全国にツアーを回られている団体も、「北九州芸術劇場に着いたらホッとする」と言っていただいています。創ることと観ることのなかで、多くのアーティストと向き合い作品を創るという力を全スタッフが持っている。経験の積み上げが生んだ結果だろうなと思いますね。そうやってスタッフも育てる。アーティストも育てる。観客も一緒に育っていただくという仕掛けはしています。そこから波及して、子どもたちの育成のため、障碍者の社会参加のため、というカリキュラムを組んでいける状態になったのは、全体が一つになれているからだろうと思っています。

 

水上 とても大切なことですね。

津村 広報がやってくれている情報の発信がベースになっているんですが、関わってくれた表現者側、演出家や俳優、スタッフがみなさん、口コミで広めて言ってくれている。

3つの車輪をなんとか転がせたと思います。今、順調に回っている。そのことが評価されて、文化庁の特別支援劇場に採択されました。

 

<文化庁特別支援劇場(※)として>

津村 九州・中国・四国地方で、文化庁の特別支援劇場に採択されたのは北九州芸術劇場だけです。北九州の事業と運営がこれから地方の劇場のサンプルにされるようになれば嬉しいですね。

 

※「劇場、音楽堂の活性化に関する法律」(劇場法)の制定に伴い、今年度実施する補助事業「劇場・音楽堂等活性化事業」。この中の「特別支援事業」として全国トップレベルの15の劇場・音楽堂が採択された。5年間、支援を受けて様々な事業を行う。」

 

水上 全国で15劇場が採用されて、そのエリアで北九州の1か所ですか。

津村 首都圏に固まっていますね。

 ※採択された劇場と地域:関東⑦(さいたま芸術劇場・世田谷パブリックシアター・東京芸術劇場・サントリーホール・神奈川芸術劇場・ミューザ川崎・水戸芸術館)、中部④(静岡県舞台芸術センター・新潟市民芸術文化会館・石川県立音楽堂・可児市文化創造センター)、近畿③(びわ湖ホール・兵庫県立芸術文化センター・兵庫県ピッコロシアター)、九州①(北九州芸術劇場)

 

水上 責任重大ですね。

津村 責任重大で重たいです。(笑)

 

<九州でのネットワークは次の課題>

水上 拠点劇場の話も出ましたが、ネットワークのことをお聞きします。

全国でもいくつかの劇場と提携され、作品のクオリティを担保に、北九州芸術劇場のブランド化を図られてきたと思います。

津村 作品のクオリティを保つこと。「ルル」「ファウスト」「地獄八景」「錦鯉」等、全国の劇場を回ることで、ブランディングの戦略はくみました。「北九州芸術劇場プロデュース」として、全国へ発信しようと北海道から仙台、東京、長野県の松本、名古屋、大阪、岡山、広島などで公演しました。。

 

水上 九州のエリアの劇場とのネットワークは考えていらっしゃいますか?

津村 次の課題だろうと思っています。ただ、何を持ってネットワークというのか。

作品を回せばいいんでしょ、といった印象が昔はあった。でも、実は作品を回すというだけでネットワークはできないです。

それぞれの劇場のスタッフがきちっとわかりあい、作品だけではなくて、劇場の環境も含めた形でどうやって結びついていくのかがないと本当の意味のネットワークとは言えないんじゃないでしょうか。

津村 もちろん作品を回していく意思はあります。売り買いで終わっているのではネットワークにならない。どういうネットワークを構築していくか考えている最中です。

ただ、責任ある立場の劇場にはなりましたので、いろんな劇場からの相談や研修は受け入れています。

 

<研修制度や劇場間サポート制度>

水上 どんな研修制度があるんですか?

津村 研修事業を年1回、テクニカル系と制作系で開いています。九州中国四国エリアに情報発信してホールの方だったらどなたでも受けれる研修会を毎年やっています。

その他、オープン前の劇場のスタッフが研修を目的に何か月か入る、受け入れ態勢もあります。

作品を制作していく場合や海外作品の初演などは、うちで最初に作品を立ち上げる。そうすると、スタッフが長時間付きますね。最初の段階でいろいろと調整が必要ですから。そのスタッフが次のホールまで行ってちゃんとテクニカル的なサポートやスタッフが少ないホールに対して公演を制作するサポートといったことも行ったことがあります。今後、どういうネットワークが考えられるのか、ネットワークの意味をお互いがどう理解して組んでいくのか、考えていこうと思っています。

 

<二つのパターンのネットワーク>

津村 ネットワークには、二つパターンがあると思います。

一つは「予算が少ない。スタッフも少ない。でも事業をやりたい」劇場に対して、我々が何らかの協力をやれるネットワーク。もう一つは、同じレベルの劇場同士が組んでいく、という二つのパターンがあると思っています。

 

津村 今までも、埼玉や世田谷等と組ませていただいた。これまでも作品を協力して成立させていくネットワークはやって行かないといけないと思いますが難しいです、ネットワークは。作品だけが中心になっちゃうと劇場間のネッワークというのが、なにを目的にしているのかが見えなくなってしまいます。そういう意味でも劇場同士が多様な考え方をしていかないといけないと思います。

 

<オリジナル作品の共同制作>

津村 作品を制作するとき、共同制作と言う形で制作する場合があります。お互いがスタッフを出し合い、同等の予算を出し合いというところまで創れればいいんですけど、なかなかそこは難しいですね。どうしても、そのようなレベルのものを創ろうとなると現場が東京になりますから。

特に役者をそろえようと思うと、東京を稽古場の中心にしないとどれだけ経費があっても足らないですね。そうなっていくと、東京が中心になっていきますので、うまくお互いの考えが合致しない。どうしても東京の劇場が作品を創ってくれて、こちらが公演の仕方を考えるという話になります。

水上 そうか、そういうことですね。

 

津村 リリー・フランキーさんの「東京タワーオカンとボクと、時々、オトン」という作品を共同製作しましたが、稽古は東京でやるしかないんですよ。あれだけの役者さん達をこちらに連れて来て稽古を積むなんて、無理です。その代わり、加賀まりこさんがこちらに来て、リリー・フランキーさんが住んでいた地域の取材をするときには、うちの劇場が全面的に協力をして、ある種の役割分担をしていました。

それから、北九州で初演を開けることにしました。初演を開けるというのは、準備に日程がかかる。そこをうちが受け取りましょう。そういう形ですね。

役割分担をどうしていくかということにはなっていくと思うんです。

 

水上 東京は突出していますからね。そんな中、北九州は率先して創ってこられましたが、九州というエリアでオリジナル作品を創造していく可能性はあると思いますけど。

津村 うちの劇場だけ良ければいいとは、どのスタッフも考えていないので、いろんな劇場から、相談があれば、必ず応えていこうと思っています。逆にうちから提案をさせていただいたり、協力依頼をすることもあります。

九州圏内で何かを一緒にやっていければいいなとは思っています。


以下(2)に続く

 

 

2014年4月 7日 11:39  カテゴリー: No1 津村卓氏 劇ナビインタビュー | コメント(0) |

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