池田成志インタビュー

プロデュース公演にむけての第一弾です。

まずは、公演に出演される、池田成志(いけだなるし)さんに突撃取材。

プロデュース公演の関連企画として2015年11月にワークショップが開催されましたが、俳優の池田成志さんも講師としてかかわっていらっしゃいます。

3日間にわたって行われた「表現力を養う!実践演技編」の終了直後でお疲れのところ、福岡の演劇人についての感想や、ご自身の役作りの秘訣について、興味深い話をお聴きしました。


日時:2015年11月23日ワークショップ終了後
場所:まどかぴあ楽屋・客席

聞き手(撮影):水上徹也(シアターネットプロジェクト代表)

主催の大野城まどかぴあ文化芸術振興課の小磯 上(こいそ ほずる)係長にも同席していただき、貴重な情報をお聴きしました。

 

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水上 ワークショップが終わったばかりですので、ワークショップ参加者の印象からお聞きします。参加者は福岡で演劇に関わる人が多かったですが、どんな印象ですか?
成志 ステレオタイプの子が多い気がしますね。「違うやり方もあるんだよ」って思うんだけど、間口が狭いですね。「会話していない」し、「聞いていない」。これって福岡っぽいのかな?ヒエラルキーの枠の中で「俺の背中を見ろ」みたいな演技をしているんじゃないのかな。それだと楽しくないと思う。
相対的には元気がない感じです。やらせるとどんどんやる人もいますけど、暴れる奴がいないし、「ダメでしょ」っていう奴もいない。平均的な人が多い。
人のセリフを聞いてられない、だから聞いてる演技しちゃうんです。古い演出家に習ってるんじゃないの?と思っちゃう。

水上 ワークショップに使っていたテキストはコントなのに重たい印象でした。
成志 最初、みんな楽しげにやろうとして、軽かったんです。僕が「ドラマみたいにやって」と言ったことが多少尾を引いちゃった。

水上 「ウエットにやらないで」と指示を出していました。
成志 3人の中心がウェットだとウェットになる傾向がありましたね。刑事の役なんかでも、「刑事だよね、刑事らしくやろうよ」、ってことがスタートラインなんですが、持って生まれた血がウェットだとそこに引きずられちゃう。ウェットになる。元々軽いのりの刑事がドラマチックにやってるって、発想に展開しなくなるんですねえ。そこをひっくり返す共演者になってほしいのになあ。カラッとやっていた子がいたけど、ああいうことなんだよね、本来は。これ、コントですからね。ちょっとグルグルしちゃいました。これは説明不足だったかもです。

水上 池田さんは存在感がある役者で、今までいろんな舞台を踏んで来ていますが、個性的な役が多いです。役作りはどうやっているんですか?
成志 何も考えてないんです。役作りを考えたことないです。考えてないからダメと言われる(笑)よく誰かの真似をしようと考えますね。「よし今日は風間杜夫みたいなトーンで行こう」ってやっても、誰もそれが風間杜夫だと思わない。俺が思ってるだけでね。それが面白かったらそれで行こう、って(笑)真似しても、ズレが生じるからいいんですよ。正直なところ、基本は、頭を空にして臨みます。

水上 ワークショップの参加者に「その動き、謎なんだけど」と、細かい動きのアドバイスをしていました。役作りと関係しますか?
成志 僕は、自分から仕掛けなきゃいけないときは考えるけど、向こうが仕掛けてきたらこう返す。「こう来られるか~」、それを感じようとしています。基本、反射芸です。

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水上 反射芸ですか?
成志 吉本新喜劇の人って、こける演技をしますよね。それって、聞いてなきゃこけられない。当然、注意深くならないといけない。それだけなんだけどなぁ。それを積み重ねていったら何かが生まれてきたり。だから「こういうふうにしよう」、って最初に思わないほうがいいんじゃないの。という考え方なんです、僕は。

水上 その役の個性とかは?
成志 稽古に入る前、はじめは広いところで役をとらえていて、「これ明るい役だな」とか、「これははじけない役だな」とか。僕ははじける役が多いんですけど(笑)。というところから始めて、芝居の稽古は一か月あるから、明日はこんな風にしてみようかな?それが層になって積み重なっていくから面白いんです。

水上 池田さんの芝居の面白さの秘訣みたいですね。
成志 それを、最初から「この役はこうじゃないかな」なんて、できるかい。(一同笑)
そんな複雑な演技が簡単にできたらみんなアカデミー賞とれちゃう。それを若い子がそういうことをいうから問題なんですよ。

水上 確かにワークショップでも、すごい背景を作って役を持ち込んで来ていた人がいましたね。
成志 薄っぺらい面積に役を塗り込めようとするのは、考えが違うと思っちゃう。そういう人を見ると、「よし、どうやって殺そうかな」(一同笑)。そういう人は多いですけどね。
自分には自信がある。でも結局、何にも動けない。無心でいたほうがいいんじゃないの?と思うんですけどね。

水上 池田さんはいろんな演出家の人と仕事をしてきました。演出家が変わる時はどんな臨み方をされますか?
成志 27歳から1つの劇団にいないのでそれが日常なんです。現場のたびに演出家が違う。何の心の臨み方もしない。(笑)

水上 常にフラットということですか?
成志 常に次は違う演出家ですから。できれば違う色の作品をやってみたい。「今回はしゃべらない役だろうな」、と思って稽古に行くわけですよ。「あれ、いつの間にか俺しゃべっちゃってる」。基本、その演出家の色に染まりに行ってます。

水上 演出家の色がありますからね。
成志 そうでないと面白くない。演出家から「どうかなぁ?」って言われて、「こうしたほうが良いんじゃないかな?」って、自分が今までやって来たことをふまえて提示してみたりもしますが、基本は、その演出家に寄り添う形で臨みますね。

水上 まどかぴあのプロデュース公演は内藤さんが演出です。
成志 内藤さんは、初めてなんです。「俺に任せとけ。大丈夫」っていってました(一同笑)。

水上 市民オーディションと一緒の舞台です。
成志 最初は荷が重いと思いました。
最初は、作品として良い作品を作らないといけないと思ったんですけど、あんまりそういうこと考えないほうが良いよな、って今は思ってます。厳しく望むというよりは、緩やかにいったほうがいいんじゃないかなあという、漠然とした勘はあります。それは楽しく稽古しようということでもないですし、厳しい目で作品を社会的にブラッシュアップしていくつもりでも、全くないです。なんていうか言い方が難しいけど、「のんびりなんだけど、落ち着いてちゃんと芝居してる」雰囲気になればいい。ちゃらついてないのがいいな。漠然としてて申し訳ないですけど。

水上 中島さんの脚本です。新感線みたいになりますか?
成志 新感線のテイストをやると問題になる(一同笑)。まったく期待してない。中島さんだから、福岡の歴史を絡めて書いてくるんじゃないかなあ?
それに内藤さんの演出だから、集団としての関係性を重視した作品になったらいい。
「作品的にはとんがってないけど、関係性は取れてたね」、「こういう話だったね」、「登場人物が生き生きしてたね」、みたいなことがやれたらいいと思ってますけどね。
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水上 大野城の出身で、まどかぴあの舞台に立つことはいかがですか?
成志 こういう企画自体はじめてなんで、まったく想像もつかない。どうなるんだろうと思ってます。

水上 アマチュアの人と一緒に芝居することが初めてなんですか?
成志 そうそう。でも、こっちもアマチュアみたいなもんですからね(一同笑)。

水上 いや~、違うでしょ。
成志 たどってきた道ですから。「面白そうだな~」と思われればいいなと思ってるだけです。僕もそうやって参加するつもりです。だから、俺が滝沢修さんみたいにドーンとした「主役です!」みたいな芝居にしないでね、と思います。

水上 ならないと思います(笑)
成志 ならないと思います(笑)。ま、かずきさんはちゃんとお話を作ってくるタイプだから、お任せしています。でも、稽古でどうなるかわからないし、不安で楽しみです(笑)


水上 そうですか。
成志 何か波乱の匂いはしますが……

水上 匂いますか?
成志 かずきさんと内藤さんは水と油ですからね。よくそんな組み合わせになったな(一同笑)。かずきさんのいいところは、提示したものを演出家に料理されるのは大丈夫な方なんですよ。それをどう料理していくか、されるか?お二人とも百戦錬磨なんで、そこはすごく信頼してますけどね。

水上 あてがきをするそうですね。
成志 あてがき、やめたほうが良いんじゃない。(一同笑)誰をあてがきするの?
小磯 最初は過去の作品の書き直しという案だったのですが、「新作描き下ろし、あてがき」になりました。

成志 出る人決まってないじゃん。
小磯 オーディションの後に書かれるそうです。

成志 良く知りもしないのに、あてがきって?
小磯 ワークショップ参加者のことを聞かれるかもしれませんね。

成志 ええ!?そんな無茶な!でも、今回のワークショップの参加者は全員通してもいいんじゃない?
小磯 全くわかりませんけど、かなり絞られるのではないでしょうか。審査員にお任せしますけど。
成志 それは大変だ。

水上 あっという間に時間になりました。ありがとうございました。
成志 こんな話で大丈夫ですか?俺が一番ウエッティじゃないか?(一同笑)

 

2016年2月 5日 17:54  カテゴリー: まどかぴあプロデュース公演 | コメント(0) |
仲間由紀恵主演の「放浪記」は、現代に林芙美子を甦らせる好舞台!

ここのエンタメブログへの観劇レビュー、実に2年ぶりとなってしまいました。

ずいぶん怠けていたものですが、このところゆっくりとレビューを書く暇がなかった。というのは言い訳ですが、久しぶりに良い舞台を観ました。

博多座1月公演「放浪記」です。

 

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「放浪記」と言えば森光子、森光子と言えば「放浪記」。まさに森光子の当たり役であり、森光子の代名詞となった舞台だ。今回、博多座での仲間由紀恵版「放浪記」を観て思ったことがいくつかある。

まずは、森光子は林芙美子そのものであったということ。実は筆者は博多座の舞台を観た時はそれを感じなかった。森光子自身、実力がありながらもスポットライトがあたらなかった時期があり、後に「放浪記」の主役に抜擢される。自分の実人生と重なるような林芙美子の半生を演じることで自らを解放し観客の共感を得た。まさに水を得た魚の様に、その後、華やかに活躍する。

しかし、森光子の「放浪記」を始めて博多座で観た時は2003年8月。実に初演から42年が経ち森光子は80歳を過ぎていた。上演回数はすでに1500回を超えるころで、「森光子の噂の名舞台を観れる」ことが嬉しかった。
もちろん、森光子の演技は貫録十分で、作品の完成度も高い。だが、「放浪記」で演じる林芙美子は10代後半から40代。リアリティよりも型で見せる演技となっていた。だから、演技は楽しんで観たが、林芙美子の人生と森光子が重なっていなかった。

そのことに気づかせてくれたのが、仲間由紀恵だ。
仲間由紀恵の林芙美子は若い。カフェの女給を、男に裏切られ続ける女性を、苦闘する小説家を、同世代の女性として、活き活きと演じている。そして、明るい。
林芙美子の役と人生を重ねた森光子と違い、仲間由紀恵は舞台・映画・ドラマと代表作をいくつも持つ国民的な女優だ。演技は折り紙つき。だが、「放浪記」は「別物だった」と思う。それほど作品と演者のイメージが重なっていたからである。その不安を払拭する作品に仕上がっている。
共演陣とのアンサンブルも良い。日夏京子役の若村真由美、安岡信雄役の村田雄浩、白坂五郎役の羽場裕一など、全編に登場するメンバーの役の押さえ方、母役の立石涼子の尾道のシーンでの演技、木賃宿での絵描き役の永井大、福地貢役の窪塚俊介も印象に残った。新しい「放浪記」メンバーが生まれたようだ。

林芙美子は、大正末期から戦争を挟む時期に活躍した。子ども時代は北九州を転々とし、貧しい時代を送った。戦争へ向かう重苦しい時代の中、林芙美子の小説が大衆の心を癒す。「貧しいが清らか」などと薄っぺらの言葉ではなく「貧しさ」の後に「業=欲」を肯定する逞しさ。
この舞台は、今を生きるすべての人が、自分の人生を肯定できる。決して、「貧しさからの成功物語」ではない。
失恋しても、騙されても、食べるものがなくてひもじい思いをしても、会社をくびになっても、それでも生きていける。卑怯な手を使っても、言い訳しても、生き延びる。そんな、「人間の業」を肯定する。人生を生き抜くことがどれほど厳しいものか、そして人生を貫いたとき、どれほど尊く美しいか。そんな生き方を教えてくれている。

「苦しみながらも生きていくのよ。休まず働き続けるの。」
林芙美子の生き方を描く舞台「放浪記」を通して、林芙美子が、森光子が、そして仲間由紀恵が、僕らにそんなメッセージを投げかけてくる。それは苦しくも愛おしいわが人生。生きる勇気をもらえる舞台だ。


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博多座の「大入り祈願鏡割り」(1月5日)にて/撮影:大工昭

2016年1月21日 13:50  カテゴリー: エンタメ | コメント(0) |
まどかぴあプロデュース公演始動!

大野城まどかぴあが満を持して演劇製作に乗り出します。

開館20周年記念事業として、プロデュース公演の制作を発表したのは、2015年7月。

「まどかぴあ舞台創造プログラム」として、2016年9月の「プロデュース公演」と、公演に先駆けた関連企画「俳優になるためのワークショップシリーズ」を2015年9月から11月にかけて行いました。

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劇ナビでは、プロデュース公演に向けての取り組みを一年をかけて追いかけていきます。

内藤裕敬さんや池田成志さんへの公演についてのインタビューや、オーディションの発表、演劇製作の裏話など、読み応えのある記事を紹介していきます。

ご期待ください。

2015年12月26日 12:47  カテゴリー: まどかぴあプロデュース公演 | コメント(0) |
劇ナビインタビュー No7 大野城まどかぴあ 文化芸術振興課係長 小磯 上(こいそ ほずる)さん

大野城まどかぴあが、2016年にプロデュース公演を制作すると発表しました。

作者には、劇団☆新感線の座付作家:中島かずきを迎え、南河内万歳一座の座長:内藤裕敬が演出、俳優:池田成志が出演という豪華な布陣が、福岡の演劇関係者を驚かせました。プロデュース公演の仕掛け人である小磯さんに、まどかぴあの行っている事業とここに至る経過、これからの課題をお聞きしました。

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水上 小磯さんが、この仕事を始めたきっかけは何だったんですか?

小磯 生の舞台を観ることが好きで、もともとは観客でした。創る側の楽しさを知りたくなったんです。創ることを知らないド素人だったので、経験をしたかった。まどかぴあの面接のときに「あなたは、大野城まどかぴあで何をしたいですか?」と聞かれ、ふと頭の中によぎったのが、面接の半年くらい前に東京で観た野田秀樹さんの“贋作・桜の森の満開の下”で、口から出たのが「野田秀樹さんの演劇をしたいです。」素人だから言えた。「それは売れますか?」と聞かれた問いに「わかりません。でも、売ります。」って何の根拠もなく言ってました。(笑)

 

最初の企画公演

 

水上 その後は、どんな経験を積み重ねられたんでしょう?

小磯 平成17年にまどかぴあに採用されたので11年になりますが、最初はまず企画をどういう風に立てていったらいいか。予算をどう積み上げたら良いのか、先輩に聞いたり過去の資料を読み漁ったりしていました。2年目でわかってきて、3年目でやりたいことが見えてきました。

平成18年が開館10周年でしたので、「記念公演で何をやろうか」と考えた時に「宝塚歌劇団の公演をやりたい」、と思ったんです。ただ純粋に宝塚歌劇団が好きだったんです(笑)

それで、事務所に電話をして「ぜひお呼びしたい」とお願いしました。宝塚の方から「客席数は何席ですか?その席数では赤字が出るんじゃないですか?」って心配してもらって、まどかぴあでできる宝塚OG企画を紹介してくださったんです。そこに連絡すると地方ツアーにぎりぎり間に合うことがわかり、早速、上司や同僚に相談して企画が決まりました。

 

水上 好きだと思う企画をやろうと思った。直接事務所に聴いて、ダメだといわれても可能性を探った。そして企画を通した。凄いですね。

小磯 これだけの予算を使わせてもらうのだから、絶対満席にしないといけないって思いましたね。当時の上司には企画の段階で席の半分が埋まっていないと難しいと言われました。いろんな方に助けていただきました。恥も外聞もなく思いつく限りの方に聴きました。

博多座や北九州芸術劇場の方にも売り方はとはどういうものか、一から教えていただいた。皆さん本当に丁寧に惜しげもなく教えてくださったんです。人に恵まれていました。

 

水上 バイタリティがありますね。

小磯 まどかぴあに入った時は42歳で、新しいことを始めるのは勇気がいりました。

好奇心が旺盛なんです。最初からあきらめるんじゃなくて、とりあえずやってみよう。すると、いろんな人たちと繋がったんです。その当時は、わからないことばかりでしたし、何も失うものがなかったので、聴いたら教えてくださるんじゃないか、って思っていました。

その時の公演は初めて自分で企画をした事業で、完売することができたので、とても嬉しく今でも印象に残っている事業ですね。

その後、いろんな事業をやる中で、音楽と演劇の違い、創ることと売ることの違いを学びました。創造事業は特に労力もかかるし大変な仕事だなと思います。

でも大変さをクリアして当日を迎えた達成感は、買い公演にはないものがあります。

 

アウトリーチ・プログラム

 

水上 まどかぴあでは、いわゆる社会包摂事業があるのですね?

小磯 開館当初からアウトリーチ事業は実施していたようです。

私が入った頃は、公演に付随したワークショップ、宝塚一日体験や、能狂言のワークなど、劇場に来てもらう事業が多かった。

平成19年に地域創造の演劇ネットワーク事業に手をあげました。それはアウトリーチが必須の事業でした。市内の小学校10校、中学校5校、高校1校と市内の全校を廻りました。

当時は、時期も講師も決まった事業の受け入れをしてくれる学校を探しましたが、なかなか決まらなかったです。同じネットワーク事業に参加している他の劇場では決まっていくのに、大野城だけが最後まで決まらない状況でした。

その時の講師が内藤裕敬さんでした。先生を説得するときに付いて来てくださって「僕に任せてください。僕がちゃんとやりますから」と言ってくださって実施できました。

それから23年、学校を廻りました。「こういうことが、まどかぴあはできます」と。順調になるまで5年かかりました。

今はお断りをしないといけないくらい申し込みがあります。

 

水上 頑張った証しですね。image (20).jpgのサムネール画像

小磯 職員が育つにも良い事業です。自分たちは「良いことやってる」つもりでも、外から見たら本当に求められていることなのか見直す上でも重要ですね。お断わりしている学校を全部受け入れられるようにできないか、今考えています。

 

水上 内容はどんなものですか?

小磯 演劇、音楽、美術、伝統芸能、ダンスです。珍しいものとしては、大野城で人面墨書土器が発掘されているのですが、これは土器に顔を書いて川に流すと疫病が取り払われる、という奈良時代のものだそうです。まどかぴあ生涯学習センターの陶芸講座の講師に依頼をして、土器を創るところから校庭で野焼き体験をするところまで指導してもらっています。

今年は、学芸会で演劇の発表をしたいので指導してほしい、という要望も来ています。通常は40分×2コマですが、期間が延びるかもしれないです。学校側と調整しながら進めています。

 

水上 学校の他にも行かれるのでしょうか?

小磯 施設に出かけています。福祉協議会の協力を得てコミュニティセンターなどに。

 

水上 成果としては?

小磯 始めは断られる立場だったのが断らないといけないくらい要望が寄せられる様になったので、やり続けて来てよかったなというのが実感です。どこかでくじけていたら、この結果は得られなかったです。

職員も成長できました。やっぱり人ですかね。担当した職員の対応が悪かったりしたら、こんなに申し込みが増えなかったと思います。

きちんと目に見える報告を市民の方にしないといけないと思っています。

 

子どものための舞台創造プログラム

 

水上 鑑賞事業の方はどうですか?

小磯 平成23年に方向性を見直しまして、参加創造型と教育普及型に力を入れていこうと。鑑賞がメインの事業実施だった頃は、プロモーターから買う事がほとんどでした。

今はほぼ創造事業です。アーティストは連れてくるけど、内容は自分たちで創っています。

 

水上 創造事業について聞かせてください。

小磯 かつて「演劇のまどかぴあ」と呼ばれていた頃があって、演劇に力を入れていた劇場でした。過去もそうそうたる人達に協力してもらって、一緒に創っていました。「KINDO芝居」など九州の劇団の人達が大野城に来てプロに評価されることもありました。

平成16年にまどかぴあの体制が変わって市の職員が撤退され、残ったのは全部嘱託職員。みんな頑張っていたけど、なかなか以前のレベルまで行けなかった。やっぱり人が人と関わることで制作ができる。その人がいなくなった時、その人が繋がっていた人とのつながりが薄くなるし、すこしづつ後退していたように思います。それでも職員はこの仕事が好きで少しずつでも前人たちに追い付けるよう頑張っていました。

 

小磯 創造事業は「子どもミュージカル」を10年間実施しました。10年経過した時に応募数が減ってきたんです。その原因を話し合ったとき、周りをみたら、民間の方もあちこちでやり始めていて、「このままやり続けていいのか」「やっぱり創り続けなければ」、当時の職員で議論しました。その結果、やはり創り続ける事にしました。地元の作家、地元の演出家、地元の出演者という枠組みを変えてみよう、と。職員体制、予算を考慮した結果、毎年は難しいので隔年で行う「子どものための舞台創造プログラム」に変えました。

実施していく中で、保護者の考え方も時代で変わって来たんです。「子どもを舞台に立たせるのに、こんなに親がかかわるの?」「あっちの事業は親は何もしなくていい」云々…

まどかぴあでの普及の役割は果たした、と思いました。

いったん、子ども向けは終わりにしてもいいんじゃないか。でも、すっごく悩みました。

創り上げた時の子ども達、そして職員の達成感、感動を知っていましたから。

その結果、お休みをしよう、別のことを考えよう、と当時の職員全員で話して決めました。その時に、「何か創る」というのはみんなの気持ちの中に残りました。今度は子どもに限定した事業ではなく創ろう。それが今回のプロデュース公演の始まりです。

 

中島かずきさんの一言

 

小磯 職員はそれぞれいろんな研修に行って、情報を仕入れ、「公共ホールはやっぱり創らなきゃダメだよ。」って言われ。劇場法にも出ていますよね。私の中にも「創らなきゃ」って焦る気持ちがありました。そんなある時「『創りたい』思いが『創らなきゃ』」を超えていったんです。

「創りたい」と思ってる時期に、中島かずきさんとある懇親会で同席して「50歳を過ぎてきて、地元福岡で何かやりたいねって思うんだよ。」と話されたのを聞いて、心の中でほくそえみました。すぐにみんなに「書いてくれないかなあ」「書いてくれますかね」「書いてもらえたらすごいよね。ワクワクするよね。」って勝手に盛り上がって。

実は、大野城まどかぴあ開館当初に劇団☆新感線の公演をやったことがあるんです。いろんなアンケートに毎年書かれます、「またやって欲しい」と。アドバイザー委員会でも「やれないの?」と聞かれたこともあります。

それで、何年か前に劇団に聞いてみたことがあるんです。すると制作の方が「所帯が増えて、

移動など大変ですし、800のキャパでは難しいですね」、まどかぴあのキャパ諸々をご存じだからおっしゃって下さったことだと思います。

あきらめていたところに、中島さんの一言だったんです。

創造事業って、お金がかかるんです。一事業で莫大な予算を使うことは難しい。

構想を練り始めたその時が2013年でした。3年後がまどかぴあ開館20周年。20周年だったら一つの事業に多めの予算をかけてもいいんじゃないかと考えました。目標を2016年、平成28年度に置きました。

 

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中島かずきさん

 

 

小磯 懇親会という飲みの場、世間話でおっしゃった一言。本心なのか根拠がない。

いつもどおり、あたって砕けろで、お電話をしました。「書いていただけませんでしょうか?」、すると「2年後なら調整ができるんじゃないかな」温かい言葉をいただいて。中島さんのスケジュールが埋まらないうちにと、早速東京に伺い正式にご依頼をしました。

初めは、「過去作品を手直ししようかな」というお話で、「それでも十分です」と思っていました。

後日、演出に内藤さんが決まってお顔合わせをした際に、中島さんが「新作書きます」って言ってくださって。「いいのかな?」、「あて書きします」。「なんと贅沢な。ありがとうございます」って。新作描き下ろしになるとは思いもよらなかったので、本当に夢のようです。

 

内藤裕敬さんの一言

 

小磯 実は一番最初に内部で決まっていた条件は、池田成志さんに出ていただくことでした。

やはり、開館20周年の記念事業ですから、大野城出身の池田成志さんは外せない。

中島さんが書くことが決まった後に、誰に演出をお願いしようか、職員でいろんな話を何度もしました。まどかぴあと縁がない人ではダメ、この人なら大丈夫じゃないか、たくさんの時間を費やしたどり着いたのが内藤さんでした。個人的には、アウトリーチ事業で携わって

くださった方だし、まどかぴあも開館当初に関わってもらっていました。地方の劇場との信頼関係を大事にされる方だったんです。地域とのかかわり方が一番大変で悩んでいた時に

「僕がちゃんとやればいいんだから心配しないで。また何かあったら手伝うよ」と言って下さったことも頭の片隅にずっと残っていました。内藤さんにお願いしたら、「わかった、やろう」って言って下さった。ホッとしました。

 

内藤web (2).jpgのサムネール画像内藤裕敬さん池田成志web (2).jpgのサムネール画像池田成志さん

池田さんの出演は、内藤さんが演出に決まって、正式にオーケーをもらったんです。内藤さん演出が池田さんの出演の決め手になったと思います。最終的な決断は内藤さんの一言じゃないかなぁ?また助けられた気がします。

先日キャナルシティ劇場で開催された劇団☆新感線の「チャンピオンまつり」に池田さんが出演していましたね。その時初めて、中島かずきさん、内藤裕敬さん、池田成志さん、

この三人が係るプロデュース公演の情報を知ったファンから、ツイッターで、「はぁ?、まどかぴあ?」って(笑)。

 

水上 なぜこの3人なのかが分かりました。この3人が決まった時点で、この企画が出来上がりましたね。

小磯 2年前だったからこそ、スケジュールが空けられたと思います。実際は3年先の話でした。後でわかりましたが、新感線と万歳一座は、同時期に立ち上げられた劇団だったんですね。全く知らない3人ではなかった。タイミングがあったんだと思います。

また、「この三人、よく揃えたな」って言われますが、ネームバリューで揃える、という気持ちは全くなかった。まどかぴあに関わりがある方が揃いました。きっと、その時その時の職員がきちんと対応していたから、まどかぴあに悪いイメージがなかったから、受けてくださったんだと思います。過去からの積み上げの事業だな、今の職員だけの力ではないな、と感謝しています。

そして、その時のスタッフ全員の気持ちが一つにならないとできないし、今だとできるかな。土台ができていれば揺るがないと思った。

2013年2月に中島さんに会いに行って2年半かかって、ここまで来ました。

「満を持して創ります。」という思いです。

「仮チラシの色を何色にします?」って言われて「赤!って(笑)」。意気込みの赤、挑戦の赤です。そうでもしないと、だんだん怖くなってきた。「これは絶対コケられない。きちんと市民の方々に伝えないといけない。」

 

若い人たちの挑戦を待っている

 

水上 これから具体的な作品の制作に入るわけですが、事業の目標は?

小磯 地域演劇の活性化という目的がありますが、福岡の劇団の皆さんは一生懸命で、応援したいと思います。いつも同じメンバーでやっていると、違う人たちとやることで得ることがあると思うんです。地方で活動している役者さんが外に出ていくことは難しい。だから挑戦してほしい。偉そうには言えませんが福岡だけで完結するんじゃなくてプロで活動している人と一緒に体験してほしい。刺激を受けてほしい。という思いがあります。

九州沖縄の範囲で募集しますので、九州にどんな役者がいるのか見たい、現在の九州の役者がどれだけの力を持っているのか知りたい、という気持ちを中島さんも内藤さんも持っていると思います。

小磯 応募するのは演者さんで、審査員は中島さんと内藤さんですが、私のわがままで、「最初の門だけは広くしたいので、高校生からでいいですか?演劇じゃなくてダンスの人も演者として良いですか?」とお願いしました。意欲がある方、挑戦してみたい人の芽は摘みたくない。

「演劇はやったことがないけれども表現をしている人がいる」「演技はできないが表現する」、挑戦してくれるならしてほしい。役者じゃない人が舞台に立つかも、あて書きなので。出演者には出演料を払います、少ないですが(笑)

 

小磯 悩んでいる人たちに前段としてワークショップを体験してほしかったので、今年の9月から11月にワークショップ事業をやって、来年2月にオーディション、2016年の9月10日、11日公演。稽古期間は1ヶ月集中で実施します。舞台監督も決まりました。

助成金申請していますが、足りないので協賛企業を募ろうと思っています。

 

肝心な発信力と継続力

 

小磯 「福岡だけで終わるのはどうなの?」と言われて、9月いっぱい池田さんのスケジュールを押さえてもらっています。追加公演は九州で考えています。東京、大阪の劇場は経費が膨らむので。

「これで終わりになるなら意味がないからね。」とも言われています。創ろうとは思っていますが、同じ規模のものは厳しいだろうなと思っていますので、2年おきくらいになります。予算と業務量は現状では難しい。一年空けると体制も気持ちも薄らぐのでしっかり準備をして、ワークショップの年と公演の年になるのかな?

 

水上 どういう継続事業にするんですか?

小磯 構想を練らないといけないです。ワークショップを見て、ちゃんと考えなきゃいけない。

 

水上 この事業の大きさ、大野城市の職員の方はどんな認識ですか?

小磯 税金を使ってこの事業をする。まどかぴあ職員も覚悟して行う。それを見てほしいです。

きちんとやりたいと思っています。参加して下さった方も、観てくださった方も、携わってよかったと思ってほしい。

「まどかぴあ舞台創造プログラム」、事業名はこれで行こうと決めました。長くやり続けたいからです。

 

水上 やっていることが目に見えるようにしないといけませんね。image (23).jpg

小磯 はい、まどかぴあで足りないものは、目に見える形で市民の方に報告ができてないこと。報告に力を入れている劇場は市民の方に評価されています。きちんと目に見える報告を市民の方にしていかないといけないと思う。残念ながら未だに「まどかぴあってどこ?」

って聞かれることがあります。チラシまいただけじゃダメで、興味を持った人しか来ない。

今後、劇場が街にとってどんな存在になるのかが問われます。

池田満寿夫が初代館長だったことを知らない人がいる。「芸術を発信する施設」として開設されたので、その原点に返って新たなる挑戦です。

 

 

 

 

 

 

取材を終えて

「芸術を発信する施設」として、全国に「演劇のまどかぴあ」の名前が広がった時期がある。「劇団☆新感線」や「第三舞台」の公演を招聘し、九州の舞台人を「KINDO芝居」で発掘。竹内銃一郎や松田正隆や今回のスタッフに加わる内藤裕敬や池田成志がセミナーやワークショップで人材育成を行う。その事業が途絶えたことは、事業の影響力と劇場への期待が大きかっただけに地域の演劇の活力を失速させ地域の財産まで失う危惧を抱かせた。

今回の取材を通して、底流で地下水脈が脈々と流れていたことを気づかせてくれた。その水脈を掬い取ったのが小磯さんだった。そのバイタリティでプロデュース公演は走り出した。制作の作業はこれから。どんな人たちがオーディションに参加してくるのか。どんなディスカッションが生まれるのか。舞台装置は、音楽は、照明は。そして作品の仕上がりは。小磯さんは「怖いけどワクワクしています」と言った。こちらもワクワクしながら作品に出合うのを待っています。小磯さんの見据えている先は長い。

 

取材・文責:水上徹也 シアターネットプロジェクト代表

劇ナビ&ガラパ合同企画 リレー対談第4弾

【万能グローブガラパゴスダイナモス10周年記念 リレー対談第4弾】

ガラパ:椎木樹人 VS ギンギラ:大塚ムネト

~成功のための必要条件と十分条件~

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椎木樹人(万能グローブガラパゴスダイナモス 代表)

大塚ムネト(ギンギラ太陽’s 主宰 作・演出・出演)

進行: 水上徹也(シアターネットプロジェクト 代表)

 

水上 今日は、ガラパ10周年記念の第4弾です。最終回ゲストに大塚ムネトさんに来て頂きました!

椎木 大塚 よろしくお願いします!

水上 お久しぶりです。

大塚 ご無沙汰してます。

水上 ギンギラの歴史の節目は全部観てるつもりなんですけどね。

大塚 お互い「福岡で何ができるのか」ってことをそれぞれの立場で色々話してますよね。

椎木 へ何年くらい前からですか?

水上 ギンギラが出来る前から知ってます。一番最初はイムズマンだっけ、その頃から。

椎木 すごい。それはかなわんな(笑)

水上 西鉄ホール進出の最初のも観に行きましたしね。

大塚 1999年の「西鉄ホール地元こけら落とし」は僕らがやらせてもらったんで。

椎木 そんな頃からの。

水上 一番最初のロングランって何ステージでしたっけ?

大塚 いちばん最初は西鉄ホールで週末5回。2000規模の公演ですね。

椎木 週末5回・・・。

大塚 西鉄ホールがキャパ400ですから。その前は、福岡ドームのスポーツバー(現在は王監督の記念館)という、お客様が飲食しながらライブを楽しむお店で上演していて。そこでキャパ1000の公演が即完するようになったんですね。この売れ方なら、倍の2000キャパに挑戦してみようと思って。ありがたい事に満員御礼でした。

 

好きなことを仕事にするという事

 

椎木 スポーツバーは、自主公演としてやっていたんですか?それとも依頼があってやったんですか?

大塚 僕たちはね、策を立てて、そして策に溺れ、そこから一所懸命這い上がってきたんです。元々ギンギラは「どうしたら一般のお客様が舞台を観に来るのか」って、もがくところから始まりました。

椎木 僕たちと一緒ですね。

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大塚 演劇未体験の方に、いきなり「劇場で2時間観てくれ」っていうのは難しい。だから、役者3人くらいで、照明も音楽もなくてもやれるようなソフトを作って、こっちからお客様の所に出かけて行こうと。我々の【作戦その1】は、こちらから出前できるソフトを作る。わかりやすい街を題材にして、被り物で、今のギンギラの前身みたいな内容で5分くらいのコントを作った。次に【作戦その2】はいかにお披露目をするか。「ギャラは出ないけどやっていいよ」っていうお店を見つけて、そこで上演。目先の利益なんかいらない。目的は「地元の色んな人に知ってもらってそこから繋がりを作る」という事だから。そして、福岡ドームの関係者が観てくれて、「うちのスポーツバーで毎月やらないか」っていう話になって。もちろん予算がある仕事としての契約です。・・・ここまではビックリするぐらい順調に進みました。ところが、この後に、2つ大変なことが起きます。

椎木 水上 (笑)

大塚 いきなり赤裸々に喋ってるよね(笑)一つは、好きなことをやるという事と、それが仕事になるという事の違いがね。

 

椎木 なるほど。

大塚 憧れていたはずなんですよ。「好きな事を仕事にできたらいいな」って。ところが、毎月新作を作るという事をいざやりはじめたら、それは大変なわけです。でもそれが仕事なわけですからね。これが一つ目の甘かったこと。で、二つ目の誤算は、ギンギラ太陽sのコントには、お客様も来てくれるけど、別の劇場を取って劇団で公演をやると、そっちにはお客様は来てくれなかった。この2つで、第一次ギンギラ太陽‘sは動員1000人までいったところで、みんな力尽きてしまった。

椎木 それは大塚さんいくつの時ですか?

大塚 24とか5じゃないかな。

椎木 早いですよね。1000人即完で、しかも演劇だけやれてる時期がその時にあったってことですよね。24歳の時に。それは早いと思いますけどね。

大塚 自分はね、実はその前にもがいていた10年っていうのがあるので。

椎木 そっか、その前に更に10年があるのか。それがすごいですよね。

 

東京コンプレックス?

 

大塚 ギンギラにたどり着く前。「地元福岡で演劇で生きていきたいけど、どうしたらいいんだろう」ってもがいている10年が一番きつかったかな。

椎木 25歳でそういうこと考えているってのがすごいなって思います。僕だってやっとこの10周年でホントにいままでは楽しくやってきたけど、やっとなぜ福岡でやるのかとか本気で考えるとこに来たので。だからやっぱり、若いですよ。

水上 以前は、演劇で地方で食べていくってことは有り得なかったですよね。まあ有り得ないっていったらおかしいけど、基本的にみんな東京に行きましたからね。

椎木 今以上にそうですよね。

水上 それこそ、大濠高校を出た連中はみんな東京に出たりとか、そういう時代ですよ。

椎木 大塚さんは一回東京に行って帰ってきたんですよね。

大塚 えっとね、これもまたちょっと長くなるけど大丈夫かな。

椎木 (笑)インタビューみたいになってますね。

大塚 僕の話になってない?(笑)

椎木 大丈夫です(笑)

大塚 夏休みに遊びに行く「おばあちゃんの実家」が東京だったんですよ。しかも江戸川区のかなり田舎なところで。だから小さいころから僕にとって東京は「福岡より田舎な町」。これが今思うと、東京を意識しないですんだ、とっても僕にとってプラスになっていると思うんです。

僕は福岡の小郡市で産まれて育って、毎週日曜日に家族で出かける天神が都会なわけですよ。だから僕にとっての都会は福岡の天神、岩田屋デパートでした。だから西鉄電車で岩田屋に行くことがものすごく楽しいし、最先端なわけです。夏休みに江戸川のおばあちゃんのところにいってもバスはほとんど来ないし、江戸川区の田んぼしかないところだったから。秋葉原もあるし新宿もあるけど、東京だって田舎もあるよねっていう感じ。第二の故郷が東京だったので、そのおかげできばって東京に行かねばならないんだ、みたいなのが全然なかったんですね。それは恵まれていたかな。だから高校演劇くらいからボチボチ演劇を初めてて、今の話みたいに「演劇やるなら東京行かないかん」みたいなことを言ってる時に「そうなのかな?」と思えたのはよかったよね。

水上 東京コンプレックスがないってことだよね。

大塚 そうですね。それは今思うとよかったな、と思いますね。

DSC03617 (2).jpg椎木 僕はそれこそ高校を卒業したら東京に行こうと思っていたんですよ。日芸に行きたくて、日芸に入れなくても東京にいって、あっちの盛んな演劇サークルに入ることを考えていたんです。それが、「福岡に残らざるを得ない」ってなってから「福岡でやってやろう」って切り替わった。元々は東京志向が強かったんです。

大塚 そうなんだ。椎木の場合は最初から福岡でではなく、状況の中で福岡でやる道を探すことになったんだね。

椎木 そういうことですね。その頃高校演劇がすごく盛り上がっていたので高校卒業してそのまま大学生になって演劇続けるのが普通の時代だったんですよ。やるなら東京でと思っていたけど行けないなら福岡でっていう気持ちで始めたんです。だからその頃、「福岡で食っていく」とは考えてなかった。ただ福岡でやるからには言い訳はしたくない。「東京に行った奴はいいな」とか、(その頃ちょうど北九州芸術劇場が出来た頃で)「北九州はいいよね」、みたいなことを言うのだけは嫌だったのでそこは意識していました。でもその時は、福岡で演劇をやって生きていかなければいけないって、こんなに真剣に考えてはなかったです。逆に、ダメだったら東京に行こうかなくらいの気持ちではいたかもしれないですけどね。

大塚 東京の様子を見に行ったりしてた?

椎木 いや、その時はしてないんですよ。それこそコンプレックス、憧れですよね。この4〜5年で東京に行くようになって冷静に考えられるようになったんですけど、昔はホントに東京の事よく知らないけど役者やるなら東京かな」という思いはありました。

 

大塚 でも、ある程度形になるまで行かないでよかったかもしれないね。まさにガラパゴスな感じで独自進化をして。それでちゃんと他の環境でも生きていけるくらい強くなってから外に乗り出して。よかったんじゃない?(笑)

椎木 それはよかったですね。

大塚 (笑)うっかり進化する前だったら変わってたかもしれない。

椎木 潰されてたかもしれないですしね。でもそれもギンギラ太陽‘sの存在が大きいです。

 

ギンギラという太陽。ギンギラという武器。

 

椎木 正直、当時からギンギラは何千人っていうお客さんを集めていたけど、ギンギラが僕らの世代では相当でかい存在でした。「福岡でも劇団やれるじゃん」の第一歩、大塚さんも大濠高校出身なんだって励まされました

水上 自信になるし、目標になりますね。目指す先輩の劇団があって活躍しているということがね。

椎木 僕は高校が大濠で、先輩には井上ひでのりさんがいますけど、井上さんだけだったら東京に行ってたと思うんですよ。大阪か、東京か。でも大塚さんが福岡でやっているっていうのは、すごく影響があったと思いますね。ギンギラがなかったら何も考えてなかったと思います。

大塚 でも一応、東京とはどんなものなのかっていうのは取材には行ったよ。東京の事を知らないで福岡の事を一番っていうのは、それは違うと思ったので。東京の学生演劇も手伝ったし、有名な劇団とかも手伝ってた。

水上 それはギンギラの前ですね?

大塚 はい。実際に、東京のいろんな劇団を経験してみて、結局東京の劇団も自分達らしさがなければ埋没していくわけです。東京がマストじゃないことを確認して安心して福岡に戻って来て福岡で活動を始めたんです。ただし、そこから10年はもがいてました。

必要条件はわかったんですよ。必要条件は『自分にしかできないものを見付ける』、『それが福岡でしかできないものを見付ける』、というこの2つ。この2つの必要条件さえ見つければ福岡でも表現者として生きていけるはずだと。でも、答えが見つからなくて。

水上 方法論が確立してなかったんですね。

椎木 ギンギラのスタイルってのはどうやって思いついたんですか?

大塚 もがき疲れた頃に、福岡が再開発でにぎやかな事に気がついて。

椎木 街を歩いている時に、「これちょっと人にしてみたら面白いかな」って思ったんですか?

大塚 だって、東京を探りに行って帰って来て、天神の駅で降りて目の前見たら金ぴかのビルが建ってるし。

椎木 (笑)

大塚 「うわーなんだこの金ぴかのビル!!」って。今でこそイムズビルは福岡の人気ビルだけど、一番最初は天神の真ん中に金ぴかのビルが出来ているのにびっくりして、ソラリアが出来て、西鉄福岡駅ビルもできる。100年に一度の大工事っていわれてる駅ビルの南下工事があってて、街があっちこっち工事してものすごく動いていたんだよ。「あ、この街を題材にしたら面白いぞ」って。だから、ギンギラが誕生したのは福岡という街のおかげ。街が元気だったから、街に気づかされたってのはあるかな。

椎木 その建物同士のストーリーと関係がギンギラのお話になってるわけじゃないですか。それは街をみてて、こいつはこういうキャラクターでこういう性格で、って見ながら思ったんですか?

DSC03625 (2).jpg大塚 それはさっき話したギンギラ第一次バブル崩壊の話に繋がるんですけど、今日は僕の話ばっかりですけど大丈夫ですか?(笑)

椎木 「先輩の話を聞こう!対談」になってます(笑)

水上 ガラパの話は後半がっつりとお願いしますね。

大塚 ギンギラと演劇を、当時の僕らは分けていた。そこで、作品の底が浅くなって行き詰って。さあ解散かという時に、「僕が脚本を書くから活動を続けよう」と説得して。

椎木 元々大塚さんはギンギラでは書いてなかったんですか?

大塚 かぶりモノ製作と役者だけだったね。

椎木 そうなんですね。

大塚 僕がずっと探していた「自分にしかできないもの」「福岡でしかできないもの」のきっかけは、終わろうとしていたギンギラにあると思った。僕がやったのはギンギラを演劇としてきちんと作ること。一つひとつ取材をして、それぞれの成り立ちや抱えている哲学や生きてきた人たちの想いを反映して、きちんとキャラクターを作る。そして、それぞれの想いを持ったキャラクターたちを集めて、エンターテインメントな芝居を作り上げる。これが第二次ギンギラに繋がっているんですね。長いことご清聴ありがとうございました(笑)

水上 椎木 (笑)

 

 

唯一無二になりたい!

 

大塚 どうして良いかわからない10年があって、さらに初期のギンギラでの苦労があって。やっと、僕が主宰になってからの17年に繋がって来てるんです。もがきまくりでしょう?(笑)それを椎木は、「自分が始めたときはギンギラが福岡でやってたんで自分も福岡でがんばりました」って(笑)お前はいいなあ、もう(笑)

椎木 (笑)ホントそう。

大塚 羨ましいなあ(笑)前を走ってくれる人がいればなぁ(笑)

椎木 でも、悔しいところもあります。僕は馬鹿みたいですけど、唯一無二の存在になりたいわけです。教科書に載るのが夢です。(笑)

大塚 (笑)おもしろいねえ。教科書に載りたいの?

椎木 なんでもいいんです。福岡の文化史でも演劇史でもいいです。「初めてやった」人間になりたいっていう夢を昔から思ってるんです。子どもの頃からそういう子どもでした。

大塚 子どもの頃から?(笑)

椎木 そうなんです。「特別な人間になりたい」って、僕60になっても言ってると思います(笑)

大塚 表現やってる人間は何かしら知ってもらいたいって思ってるから、それは皆同じだけど、その言い方はちょっと面白いね。

椎木 忘れ去られたくない、語り継がれたい思っています。でもそれがね、大塚さんがいるせいで、福岡には大塚さんが既にいるから「初めて」ではない(笑)

大塚(笑)

椎木 これを僕がどう越えていくのか。やっぱり歴史に残ろうと思うとギンギラを抜きたい。「俺しかできなかった『これ』っていうのを作る」っていうのは苦しい。でも越えるべき人がいるから目標になるんですよね。どんなに今ガラパがやっても、その前にギンギラ太陽’sがある。それはとても有難いことでもすごいことでもあって、負けたくないって気持ちはいつも持っている。

水上 これから10周年を迎えるにあたって、唯一無二な存在になることの明確なイメージを絞っていかないといけないですね。

DSC03732 (2).jpg椎木 そうですね。

水上 何か見えてきたものはありますか?

椎木 僕らのやっている演劇の作品自体は、シチュエーションコメディを作ることに興味があってやっている。だけど、僕らしかできないことが何なのかっていうのが実はまだ見つかってないんです。ただ、クオリティの高い全国区のシチュエーションコメディと比べもガラパのコメディはすごく面白いクオリティが全国的に負けない作品を作っている自負があります。それが僕らが福岡でやってることに付加価値が付いてくる事だと、今は思っています。

それと、大塚さんに先にやられちゃっているから悔しいんですけど、演劇を観ない人達、知らない人達にアプローチしていくっていうこと。僕は最近東京の若い劇団に関わるようになって彼らの方がある意味視野がせまいと思うんです。東京は演劇界というものがあって、絶対的な観客数が福岡とはやっぱり違うのでそれでやっている人たちがいる。でも福岡と規模が違うだけで、実は観客層の実数はすごく少ない。例えば外歩いている人に演劇を楽しんでもらいたいという思いは少ない気がするんですよ。福岡ずっと思い続けてきたのはそこなんですよね。演劇を知らない人に観て欲しい、演劇嫌いだった人達に好きになってほしい。

そのためには僕らは街に出ていかなきゃいけないって特に最近思っています。それを先にギンギラがやっている(笑)ギンギラはそれでお客さんを増やしてきたし、僕にとっての理想の形。ただ幸運なのは、違うスタイルの芝居をやっていること。被り物だったらまさに比べられるので(笑)だから僕らは大塚さんが作ってきた道を僕らのスタイルでやりたいんです

 

10年の節目に想うこと

 

大塚 ギンギラにしてもガラパにしても2つ「とっても幸せなこと」があって、ひとつは自分たちの戦い方を見付けたっていう事、もうひとつはその見付けた戦い方をいいねって言ってくれるお客様に出会えたこと。

椎木 それは本当にそうですね。

大塚 ずっと芝居をやっていく中で、自分の武器を見付けることにみんな苦労をしている。毎回「この武器は違う」「この武器も違う」って苦労することが多いじゃないですか、表現者って。たまに「この武器かな」って思ってもその武器を「いいよ」って言ってくれる人に出会えなかったりとか。だから、自分たちの戦い方を見付けて、それをいいよって言ってくれるお客さんに出会えたことは、頑張ってきたからこそなんだけどとても幸せなことだよね。だけどこの幸せに節目が来るのが大体10年目くらいで。幸せのはずが、10年経つと麻痺して当たり前に感じるようになって、それぞれの方向性とか、いろいろな落とし穴が・・・。

水上 椎木 (笑)

大塚 これはもう自分が経験してますから(笑)。

どう?ガラパは10年やってきて。最初は「やったー」って思うじゃない?やってることがお客さんに受け入れてもらえることは大事なことなんだけど、演劇が仕事になり始めてくる。当然仕事だから「動員してもらわないと困るよ」ってなるだろうし、「総予算の中で面白いことをしてくれないと困る」っていうのも出てくる。でもこれは目指していたことだし幸せなことなんだけど、この辺り、10年続くとどうですか?

DSC03834 (2).jpg椎木 いやいや、まだその穴に落ちてないのかもしれないですけど、僕も川口さんも昔からプロ志向は強いです。僕らはアーティスティックに「俺らがやりたい表現を誰もわかってくれなくてもいい!」みたいなタイプではなく、たくさんの人に楽しんでもらいたいとかもっと大きな規模でやりたいとか、そっちにモチベーションがある。

なので、僕としては今こうやって規模が大きくなってきて、予算も増えてきて、色んなことをやらせてもらえるようになってきたのが嬉しいし楽しい。「これがやりたかったんだよ!」って思っています。ただ、劇団としては、昨年一昨年でいっぱいメンバーが抜けていったんですよ。もちろん色んなことがあったんですけど、それは違うんだよねっていう人たちが辞めていった。

ただ僕と川口さん2人に関しては「それがやりたかったんだよね」「やっとそういう風になってきたよ」っていうテンションの上がり方を今している。ちょうど過渡期というのがあったので、そこは色々あったなとは思うんですけど。これから苦しくなる時も来るんでしょうけど、やっとこういうことが出来るようになってきたんだなってすごく思います。

大塚 アートとエンタメは対立みたいに言ってたけどそういう風にしないほうがいい。それぞれが表現を磨けばいい訳で。お客様に来てほしいことと、自分たちの表現を磨くことは両輪で続いていくものだから。

椎木 違います違います(笑)この表現を分かってくれなくてもいい、わかる人に分かればいいっていう、そのスタイルの話です。僕らはもちろんいいもの創りたい、沢山の人に観てもらいたいっていうモチベーション。だからモチベーションの違いだけです。こだわりはあるんですけどね。

大塚 ギンギラも、『演劇じゃない』っていわれた時期とかがあって。そもそも、もし、福岡でギンギラが切り開いたっていう何かがあるとすれば地方でもエンターテイメントをやるというやり方のきっかけは作ったのかな。どうしても地方で演劇だと芸術的なものを助成金をもらいながらやるという道しか難しくて。

そんな時に僕は自分で作ったものを、ちゃんとソフトとしてお客様に評価をして頂いてお客様から入場料を頂いて形にしていくものにしたいと思って始めた。どうしてもアート的なものと敵対はしているつもりはなかったんだけど、なんとなく違うところにあるみたいな感じがしてしまって。そういうときに、当時地方っていうのは演劇を評価する仕組みがアート的なものしかなかったから、結構そういう人たちに批判されるわけですよ。でもお客さんはいっぱい来てくれるようになった。そしたら今度は『ギンギラは福岡でしか伝わらないよ』、なんて言われるようになって。全国ツアーをすることで、地域を越える「普遍的なモノ語りの力」を実感できたし、エンターテインメントきちんと評価できる方々とも出会えてよかったですね。僕はエンタメやってるんだからエンタメの世界の人たちの評価にちゃんと向き合えばいいんだなーって思ってね。それに気づいてからは随分楽になったんだけど。

椎木 ホントに、僕は敵対は全然してないです。ただ、僕らの作品を面白いって思って欲しい。アートとかそういうの取っ払って、演劇として面白いものを作っていると思ってるんで。

 

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今いるところの指標は?

 

大塚 自分たちの道を間違えないように行くというか自分たちが今どこにいるのか確認するための拠り所みたいなところはどこにしてる?

椎木 僕はそれはお客さんだと思ってます。

大塚 もちろんそう。お客様とのやり取りも大切だけど、全国ツアーをした時の各地のプロモーターの方とか、エンタメ系のプロダクションの人間とか、きちんとビジネスにしている人達の言葉は聞くかな。

椎木 僕らは、そこまで行けてないですね。

大塚 でもガラパはガラパで色んな劇団との繋がりとかあるでしょ?

椎木 そうですね。ただ、、、。

大塚 ヨーロッパ企画との繋がりとかいい刺激になってるんじゃないの?

椎木 ヨーロッパ企画にもすごく影響を受けてっていうのもありますけど、えーっと、わかりました。そこは課題ですね。いや、わかってたんですけど、お客様もたくさんいて、喜んでくださる人も沢山いる。だけど例えばギンギラにせよ、ヨーロッパ企画にせよ、劇団新感線にせよ、エンタメのなかで、何か大きなものを動かせる人達の目に留まった。僕たちはまだ引っかかってないってことですね。だから目指すのは次はそこですね。お客様が居ればそれだけでいいってわけでもないですし、自分たちのことを認めてくれる人達に出会いたいし、そういう人達に評価される作品を作りたいですね。この人に評価されたのが嬉しかったと指標になってる人にまだ出会ってないのかもしれない。色々お世話になって可愛がってくださる方もいますけど、それは結局まだかわいがってくれてるレベルだってことですよ。お前らしか出来ないなっていうとこにはまだ行けてない。そこにいきたいですね。

大塚 でも10年やってきて、かわいがってもらえるレベルまでいけたってのはすごいですよ。

水上 幸せなことだよね。

椎木 MONOの土田英生さんとかヨーロッパ企画の上田さんとか、かわいがってくれてます。

大塚 お客様と向き合うのは毎回の公演で確認できるし、上手く行ったかどうかは生々しくわかるじゃない?だからもう一つ自分たちのやりたい表現の高みを目指す時の叱咤激励をしてくれる人がどれくらいいるのかっていうのはこれから先ものすごく大切なことだよね。

椎木 そうですよね。それって、突然出会うものなんですか?

大塚 えっとね、僕は自分で会いに行ったりもしたよ。で、お前はまだ早いとか言われたりしたこともある。あるプロデューサーに会いに行って、僕エンタメをやりたいんですけどっていったら、僕と仕事が出来るところまで君たちはまだ来ていないからねって、わかりました出直してきますって(笑)

椎木 僕らもね、尊敬する方とかも沢山いて、プロデューサとかも沢山いるけど、まだその状態ですね、まだ早いよっていう(笑)

大塚 名前を出すと手紙が殺到しそうだから出さないけど、有名なプロデューサーで、やっぱり手紙を3回もらうと心が動くかなっていう方がいましたね。手紙で切々と思いを訴えられてそれが3回続くとちょっと機会があったら観に行こうかなって。いきなり会ったこともないのに映像のDVDを送り付けられたってそんなの見ないけどって。

椎木 あー、そんなに言われたら困ってきたな。まだ自信がないのかなって気がしてくるんですよね。

水上 まさにそこにいくんだけど、今度の作品どうですか?

DSC03800 (2).jpg椎木 いや、そこに挑みたいんですけどね。

大塚 「けどね」っていわないの!(笑)

水上 そうですよ。だからその作品ね、もうすぐですよ。

椎木 いやいや、自信はあるんですけどね。

大塚 これまで作ってきたガラパの芝居がお客様に評価されて支えられている。なにより、エンタメのプロであるイムズの皆さんがガラパを応援しているわけじゃない。これはすごいことだから。もうガラパを目指している若手はたくさんいるんじゃない?

水上 いますよ。目指されてるよね。

椎木 だから悔しいですよねー。まだまだだと思っているから。もっといい作品を作りたいです。

大塚 まだオレらはゴールじゃないぞって?

椎木 いや、目指してもらうのは嬉しいけど、僕ら全然満足していないですよね、なんか。何にも成し遂げてない。頑張ってるのは頑張ってると思いますけど。

 

10年目の幸せ

 

大塚 「10年の節目」でも話したけど、ずっとやっていると幸せに麻痺してくるんだよね。だって君らイムズホールで公演できるんだよ。これまでも東京・大阪とか各地でやって、これは既にすごいことなんだ。

椎木 えー。

大塚 すごいんだよ。決してダメだとかっては思わなくていいよ(笑)

椎木 ダメじゃないんですけど、ねえ・・・。もっといい芝居が出来ると思ってるんですよ。

大塚 それは大事だよ。だってもうやることなくなった思ったらそこで終わっちゃうじゃない。僕だって、「代表作は次回作」ですっていつまでも言っていたいし(笑)。大事なのは挑むことなんじゃないのかな。

椎木 いや、だから、今ちょうどそういう年齢なんですよ。来年30でね、僕は腹くくってますけど、やっぱりもっとやれるって思うんですよ。

大塚 今じゃあ、やれてないことってどんなことがある?

椎木 もういっぱいありますよ。やっとスタートラインです。

大塚 始めた頃から比べても仕方ないけどでもイムズホールというちょっとやそっとじゃできないところでやり、地元でしっかり認められてるし、ツアーもしてるし、お客様もしっかり来てくれていて後何をやってないんだ?

椎木 いや、まだ何もやってないですよ。まだやりたい劇場も沢山ありますし。

大塚 あー、いいね。

DSC03712 (2).jpg椎木 もっと僕の演技でお金稼ぎたいです。単純に売れたいですし、大きな舞台に立ちたいですし映像もやりたいですし、自分の演劇だけで稼いだお金で子ども育てたいですし車も欲しいですし、そういう欲はいっぱいあります。劇団がここまでなったのもここ数年ですし、それまでは自分たちで参加費出してお金集めて公演をやってましたから。それがやっと、ちょっと出演料もらえるとかそういうところに来て。

でもやっぱりスタートなんですよね。で、もっとやりたいんですよもっともっとお客さんを楽しませたいしもっともっと色んな仕事したいしもっと認められたい。

大塚 スタートっていったけど少なくともほとんどの人がここに立てないわけで、今聞いてるとじたばたしている感じがあるけど僕からみると充分スタートしてもう何周も入ってるように見えるよ。だけどずーっと走り続けるマラソンだから、よくわからなくなるんじゃないかな。俺も同じ。もう17年目だけどさ、一応イメージとしてはぐるぐる回って回りながらちょっとづつ上がってせめて螺旋であってくれたらいいな、みたいな(笑)最初の頃って目標がわかり易いよね。あの劇場に行った、切符が売れるようになった、知られるようになった、とかさ。でもあるところからはそこに到達できてることが既にすごいことなんだけどその先って実はよくわからなくなってくる。

椎木 だって大塚さんパルコいったじゃないですか。それは僕ら行けてないですから。行きたいですもん、パルコ。あれは僕羨ましかったですよ、単純に。

大塚 あれは、地震で公演が中止になって途方に暮れてるところに助けの手が差し伸べられたわけで。うちは元々食べたかったら博多に来んと食べさせんばいっていうのでやってきて、食べさせんばいって言いよったら、地震が来て公演中止になった!パルコ劇場がその悔しい思いをうちの劇場にぶつけてみませんかって言ってくれて。公演中止が無かったら、どうなっていたかわからない。

水上 10年前ですよね。

大塚 そうですね。西方沖地震の時だから。17年目の今から後ろを振り返ると、進んできた道は一本道なんだけど、進んでるときは、いくつも分岐点があって、しかも自分の意志で選んでいない選択肢もあって、全然一本じゃなかったよ。

椎木 そうですよね。

大塚 福岡にしかできないこと、自分にしかできないことをやるぞっていうスタートこそ自分で切ったけど、作品に地元企業を無許可で登場させてたから、「無許可で勝手にやるな」って怒られてたら、そこでギンギラは終わってた。でも、みんなが面白いねって応援してくれて、先に進む事が出来た。

DSC03535 (2).jpg水上 見てる人は見てるからね。今のパルコの話で言えばあの時に大塚さんの事を知っていた人がいたから声をかけられですよね。ギンギラの表現は他にはない。面白いなって思ってくれる人は周りにいっぱいいたわけで、人の繋がりが間違いなくありますね。だからさっき椎木君がいってたのは、そのチャンネルというかルートというか、それがまだないということですね。でも、まさにこの対談シリーズでやってきのは、その人脈とかチャンネルの繋がりを作って行こうとしてきたんだよね。僕なんかも、こういう仕事しようと思ってからはやっぱり色んな所をリサーチしましたから。まず、自分の武器が何なのかがわからないことにはできないけど、どちらも一緒にやらないといけないことですよね。

椎木 そうですよね。大塚さんやっぱりすごいですよね。最初からそれわかって帰ってきた、自分にしかできない表現をつくらなければいけない、とか。

水上 でもあれも、きっとずっと続けてきた中から出てきたんだよね。

大塚 アイデアとかひらめきと一緒ですよね。突然湧くんじゃなくて、何なんだ何なんだていう必要条件を意識していたり、アンテナをはりながら悩んでたら結びついたりする。でも10年かかって辛かったけどね(笑)

椎木 じゃあ僕ら、そろそろですかねぇ。

大塚 水上 (笑)

椎木 誰か教えて欲しいんですけどね。ガラパにしかないものってこれだよって。

大塚 集団力がすごくいいと思うけどね。ガラパってみんなで分担してHP作ったりとかショートムービー作ったりとか。ヨーロッパ企画みたいにある種同じように志をもって楽しんでいる人たちとの出会いもあって。

椎木 劇団には自信があるんですけどね。

大塚 それは大事だよ、すごく。いいじゃんそれで。で、それを続けていくことじゃないの?だから10年目からの課題は、続けていくことですよ。

椎木 ガラパしかないよねこれはっていわれる時が来るんですかね。

大塚 来る来る!あるから10年続いているんだと思うよ。楽しみだね今度の公演。家を建て込むんでしょ?

椎木 はい。建て込みます。

大塚 そういう無茶が羨ましいよね。舞台に家建てるって(笑)それを聞いて、馬鹿だなぁって(笑)これ、ほめ言葉だよ?舞台に家建てるって羨ましいなぁって。家一軒建ててそこでシチュエーションコメディやるのかーって(笑)面白いことしてるよ。

椎木 そうですかね。自信はあるんですけど。いや、がんばります。だから、後でわかるってことですよね、大塚さん。

大塚 新作ってどれくらいぶり?

椎木 一年半です。

大塚 一年半ぶりの新作って超楽しみだね。

水上 楽しみですね。

椎木 しかもメンバーもガラッと変わってね。いい作品に、楽しんでもらえる作品には絶対にします。今思えば5周年の時こうだったって思えることが沢山あるから。今の10周年、これから福岡でどうやって行こうかみたいなのはあと510年したら振り返られるかもしれないですね。

大塚 すごく恵まれた所にあると思うよ。多分、集団で面白いと思っていることをやればやるだけどんどん繋がっていくところに今来てると思うよ。

椎木 確かに、それはすごく感じていて。だから今からだなって思うんですよ。今くじけたらだめだなって思うんです。

大塚 (笑)そうね。10年目のどうなってるんだろう、進んでるのかなっていう不安がね。でも傍から見るとお前そこまでやっといて羨ましいっていわれるかもしれんけどね。そこを越えると、僕は17年目だけど、もう全然楽しい。

椎木 そういうことですよね。

大塚 楽しすぎて自分のコントロール見失って仕事引き受けすぎてちょっと反省しながらね(笑)もう50歳になってしまったからね。今いくつなの?

椎木 僕29です。来年30歳です。

大塚 わー、羨ましい。だって僕がギンギラにたどり着くまでのどうしていいかわからない10年をガラパやってたってことでしょ。羨ましいなあー。いいなぁー。

椎木 水上 (笑)

DSC03894 (2).jpg大塚 悩め10年(笑)羨ましいなぁー。なんか最後にものすごく嫉妬してしまいました(笑)

椎木 こうやって先輩の話を聞くと、よし、今だぞって思います(笑)

大塚 今と思いますよ(笑)50歳の、徹夜も辛くなってきた私から見ると30代、働き盛りじゃないですか。

椎木 大塚さんの10年目当時よりも僕が前に進んでおけば、大塚さんは越えれるってことですね。

大塚 いいなぁ、もうどうすることもできないからね。嫉妬するしかない、この若さに(笑)

水上 お互いに嫉妬し合ってるってことですね。

椎木 いやいや大塚さん嫉妬してないでしょ。

大塚 してるって!

水上 いや、お互い嫉妬してるってことはお互い認めてるってことだからいいことだよ。

大塚 きっとこれからガラパが、ガラパにしかできない皆が羨ましいと思ういろんなことをやっていくんだろうなって。実際そこをやっていけるところまで来てる。同じ地元の表現者として、とても楽しみですね。刺激も受けます。

水上 ワクワクしますね。楽しいと思いますよ。

椎木 僕も、楽しみです。がんばります。本当に、ここからかもですね。

 

これからを展望して

 

水上 さっきギンギラの表現が始まった時の街の話をしたけど街がそんな雰囲気だったんだね。日本中がバブルの時期でもあったと思いますけど、福岡の天神はそういう雰囲気だった。今10年目のガラパってことで考えるとまた違う環境があるから、ガラパにとっての可能性はまだ充分ありますよね。今ちょうど街が変わるときですよね。

大塚 アジアとか向いて作ったりしないの?

椎木 この前の対談で川口も言ってたんですよね?

水上 言ってたね。来年までに海外公演果たしますと。

椎木 ホントかな(笑)

大塚 でも、今アジアの演劇は熱いですからね。

椎木 ギンギラはどうなんですか?

大塚 思わぬキッカケで全国展開が先になってしまったので、改めて、九州にしっかり根ざしたいと思っています。

椎木 なるほどね。

DSC03630 (2).jpg大塚 だから今年11月の国民文化祭では鹿児島伊佐市で「いさ版ギンギラ」を作る。そして、九州各地での表現がしっかりできるようになったら、ギンギラだけじゃなくて他の福岡の劇団も、各地で公演できるようにしたい。九州中の人たちとつながって、それぞれ面白いお芝居を各地でもってまわったりと、九州演劇祭みたいなことが出来たら良いなと。

水上 いいですね。九州演劇祭。

大塚 今は九州での展開が一番かな。

椎木 僕は個人的にはアジア好きなんですよね。韓国で芝居したこともありますし。

大塚 熱いよね。面白いよね。

椎木 そうですよね。お客さんも熱いですし。川口さん、乗せられただけでしょ。川口さん興味ないでしょ。僕はいつでも行きたいと思ってますよ。

大塚 乗せられるのも良いと思うよ。自分の意志だけで決めてないことが、あとから振り返るとものすごく大事な決断になることもあるし。良いキッカケかもしれないよ。

椎木 やりますか、韓国で。

大塚 それ、もう両方やったら?九州もしっかりやりつつ、アジアもしっかりやりつつ。

椎木 東京も行っちゃって。

大塚 (笑) 若いってのはいいですね。2つじゃなくて3つも4つも。若いって羨ましいな。ギンギラとガラパでもなんか一緒にやりたいよね。

椎木 はい!本当に、そうですよね。是非、一緒にやりましょう!

大塚 僕がまだやんちゃなうちにね(笑)

水上 だって、今度もね、ショーマンシップと一緒にギンギラが公演をやるってことは福岡にとっては事件ですよ。

大塚 お陰さまで、ギンギラでやりたかったことは一通りやったんだよね。これからは他の集団と新しい事に挑戦してみたくて。

水上 いや、とてもいいことだと思います。

大塚 ありがとうございます。

水上 福岡には川上音二郎っていう大先輩がいるわけじゃないですか、ヨーロッパ公演を2回くらいやってますよね。そんな人もいますから。あまり東京東京って意識せずにね。

椎木 いやいや、そんな意識してないですよ。若いころはホントに東京志向が強かったけど、10年目を迎えた今は、福岡で何ができるかなって変わってきましたってことなんです。今福岡で何ができるのか、福岡でだって面白いことやってどこよりも面白いことをやってやるよってことなんです。東京に行くのは、東京に行きたいってことじゃなくて東京でもやってそこで評価されることも福岡の人にとってもプラスになると思うし、東京でやって東京の人たちが福岡まで観に来てくれるようになればそれが一番いいと思うので。

大塚 それは『飛ぶ劇場』の泊君も言ってたね。作品を東京に持っていくのは「見本市に持っていくようなものだ」って。

水上 そうですよね。

椎木 それもそうだし、観たいんだったら東京から福岡に来いよ」となってくれば、それは劇団だけの問題じゃなくて福岡自体にもすごくプラスになることがたくさんあるなって。

大塚 東京をはじめ、全国で公演した事で、エンタメのプロにきちんと評価をしてもらえた事はよかったですし、今では全国から観に来てもらえるのでありがたいですね。

水上 「福岡ネタだからわからないだろ」という気持ちがあったけど他の都市でやってみて「どこでも通じるんだ」、のようなことを当時言ってなかったっけ?

大塚 実は地元密着型のエンターテイメントってのは「地元の人でも知ってるようで知らないところ」を作品にしているです。だって、皆が知ってることで物語を作っても驚きが無いでしょう。皆が知らないところを「ちゃんとわかるように構成して作品化」することで、実はどこの人でもわかるように物語は作っているんです。そこがしっかり受け止めてもらえたっていう事ですかね。

椎木 そうですね。

大塚 最後に、一つ。今回のガラパには、ギンギラ古株の杉山英美が出るんだよね。それが僕はすごく楽しみで。2回目なのかな?ヒデさんが出るのは。

椎木 そうです。2回目です。

大塚 だからギンギラで暴れていたヒデさんが、ガラパの世界でどう暴れるのかを、是非ギンギラをみているお客様にも観てほしいなと。

 

水上 3ヶ月この対談シリーズをやってきて。ある意味、ガラパのこれからの決意表明を聞いてきた気がします。それの成果発表みたいなものが10周年記念公演ですね、それを観に来てくださいってことで終わりましょうか。

椎木 10周年記念公演っていってますけど、僕は集大成だとは全く思ってなくて。変な意味じゃなくて本当にスタートだと思っているんですよ。それは大塚さんとの対談でもお話しましたし、この3ヶ月色んな先輩とお話させて頂いて、自分たちが今からやりたいと思ってることが僕は改めて信じられるなって思ったので今回のこの10周年の公演から、もちろん今までのものも財産として、更にやりたいこと向かって進んでいくスタートになるんじゃないかと思う。作品は決意表明をみせる作品ではなくて単純に本当に面白いコメディを、どんな人でも、きっと演劇嫌いな人でも好きになってもらえるまた好きな人もまた更に好きになってもらえる、そんな作品だと思いますので是非観に来て頂いて、イムズでお食事して楽しんで頂けたらと思います。ホントに、皆さんとお話して決意を持てたので、頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。

DSC03917 (2).jpg

この対談は2015年6月5日に行いました。10周年記念公演は6月24日から28日までイムズホールで開催されています

データ編集:橋本理沙(万能グローブガラパゴスダイナモス)

構成編集:水上徹也(シアターネットプロジェクト)

2015年6月25日 16:23  カテゴリー: ガラパ10周年リレー対談 | コメント(0) |

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