劇ナビインタビュー
劇ナビインタビュー No8 劇団四季 代表取締役社長 吉田 智誉樹さん

ミュージカル『美女と野獣』が好評のうちに千秋楽を終えました。
福岡で3年間の“キャナルシティ劇場”の専用使用を発表した劇団四季の吉田社長にインタビュー。
浅利慶太氏からバトンを渡され、劇団四季のかじ取りをどのように進めているのか、お話を伺いました。


バトンを受け継いで

水上:浅利慶太さんからバトンを受け継いで2年目になります。浅利さんはカリスマ的なものをお持ちだったと思うのですが、引き継いだ今のお気持ちと意気込みをお聞かせください。

吉田浅利慶太先生は、歴史に何人出るかわからない偉大なカリスマです。本当に多くのことを自らで切り開き、強烈なリーダーシップで組織を率いてこられた。私は凡人ですので、当然同じようにはできません。自分としては、劇団内の各部門と議論し、その上で最善の選択をする。二年間そんな方法で社長業に取り組んできました。これからも変わらないと思っています。
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劇団四季という組織に流れる「血液」の確認

水上:浅利さんはオリジナルのミュージカルも創られていましたが、全国的な劇団四季のこれからをどのようにお考えですか?

吉田:四季は、私が引き継いだ2年前から約1,200名の大きな所帯のままで、俳優が600名、技術者が300名、営業などの経営部門に300名ほどの所属員がいます。浅利先生が退かれた後も、この巨大組織が変わらずに運営され、お客様に作品を届け続けることが一番大切です。幸い、四季には浅利先生の残された理念がある。先生の卓抜したところですが、この理念や、方法論が極めて具体的なのです。抽象的なところが一つもない。俳優、技術スタッフ、経営スタッフ、それぞれに、細かくリアルに残っています。だから、まず我々は、この教えに忠実であろうと考えました。理念を組織の「血液」とすると、全員がこれを共有しなければいけない。カリスマが直接指揮をとることはないが、そのスピリッツで組織を動かすということですね。
しかし、演劇界や日本のお客様も少しずつ変化していきます。教えや理念を尊重することは、それを盲信することと同義ではありません。当然、アジャストは必要になる。時には全く新しいチャレンジも必要でしょう。新体制の3年目以降は、この作業が中心になると考えています。
海外ミュージカルの日本版レプリカを制作することは、今でも問題なく可能です。例えば東京での『アラジン』は大ヒットしていますが、これは新体制になってから作り出したものです。問題はオリジナル作品の創作でしょうか。もちろん、すぐに実現できるとは思ってはいません。ただ浅利先生の時代にも、「昭和の歴史三部作」『ユタとふしぎな仲間たち』など数々のオリジナル作品を生み出していますから、創作を志向するエネルギーは組織の中に蓄積されているはずです。

 

創作のエネルギー

水上:作・演出はやはり劇団内に育てていくのですか?

吉田:いま、その問題を議論しているところです。先ずは劇団内から出てきてくれることを願っています。そのためには、組織の中に才能を発掘し、育てるシステムを作る必要がある。一方で演目の多様性のためには、或いは外部の力を借りた方が良い時もあるでしょう。今年も一つトライアルを行いました。それは『ウェストサイド物語』の再演です。既に四季で1400回ほど上演している定番中の定番作品で、福岡でも09年に上演しています。ただ全体のテンポ感や、今のお客様が求めている躍動感などには課題もあると感じていました。そこで『ウェストサイド物語』を作ったジェローム・ロビンスの財団が公認する演出家、振付家であるジョーイ・マクニーリーさん─07年版の振付担当でもあり、浅利先生とも一緒に仕事をして四季のことも理解している─にリメイクをお任せしてみようということになったのです。

水上:確かにミュージカルは、国内の演出家と限らずに世界中から引っ張ってこられます。

吉田:そうですね。海外作品の上演を契機に生まれた人間関係もたくさんあります。

水上:これは福岡公演も考えていらっしゃいますか?

吉田『ウェストサイド物語』新演出版は、この年末年始に福岡で上演されます。上演時間が15分くらい縮まってテンポが良くなりました。

水上:演出に伴って装置も変わったのですか?

吉田:装置は、舞台美術家の土屋茂昭さんによるニューバージョンです。

 

福岡のポジション

水上:キャナルシティ劇場をこの先3年間専用使用されます。福岡というのは全国の展開の中でどういうポジショニングですか?

吉田:九州地区の拠点ですね。交通のインフラが整い、地域のエネルギーもパワーアップし、九州における福岡のプレゼンスは非常に大きくなっている気がしています。そこに定期的に我々の作品を提供できるのは非常にありがたいですね。大切な場所だと思っています。

水上:3年ということですが、その後の継続はお考えですか?

吉田:まずは与えられた3年間、全力を尽くすことだけを考えています。3年後の社会状況、福岡演劇界全体の動向、劇団の創作能力、上演できる作品の有無などを考慮し、総合的に判断したいと思います。

 

海外戦略について

水上:ほかのプロダクションからも言われることが多いですが、福岡はアジアが近くて、上海は東京に行くよりも近い。釜山も1時間で行ける。四季では海外戦略は考えていらっしゃいますか?

IMG_9525.jpg吉田:例えば、インバウンドのお客様が我々のターゲットになるのかどうか。四季の主力ラインナップは、現状では海外の翻訳ミュージカルです。ブロードウェイやロンドンの名作を翻訳して日本で上演しているわけですが、インバウンドのお客様が求めている作品が果たしてこういうものなのか。意志さえあればロンドンやニューヨークにも行ける方々が、福岡や東京で何をご覧になりたいかをしっかりと分析しなければいけない。インバウンド専用の作品を開発する必要があるかもしれません。まず、海外のお客様が日本のショウビジネスに何を求めていらっしゃるのかを知る必要がありますね。

水上:「福岡に来ているから四季を見てもらおう」ということではない、と?

吉田:宝塚や歌舞伎、文楽などは日本にしかないので、海外の方は興味を持つかもしれませんね。我々は慎重に考えたいと思います。

水上:海外公演に行くことは?

吉田:将来的にはオリジナル作品を海外でも上演したいですね。そういう時代が来るよう努力したいと思います。



ミュージカル『リトルマーメイド』

水上:経営者としても手堅い、堅実な印象をお受けします。福岡では具体的には年末に『ウェストサイド物語』を上演されて、そのあといよいよ『リトルマーメイド』ですか?

吉田:その通りです。そして、キャナルシティ劇場での仕事を再開するにあたり、我々は、2010年に常設劇場からスキームを変更した際の出来事を忘れてはいけないと思っています。発言が二転三転し、お約束した公演も実現できず、お客様に迷惑をかけてしまった。だから今回は、先ずは与えられた3年間の中でしっかりと仕事をしたい。無理のないところからチャレンジを始め、将来を考えていきたいと思っています。また「お客様が何をお望みか」を考えた時、やはり福岡で未上演の“新作”が良いと思いました。『リトルマーメイド』は東京で上演中ですが、非常に強い動員力を持っています。

水上:福岡と東京のダブル公演ではなく、東京の舞台を福岡に持ってくるということでしょうか。

吉田:実は名古屋に新劇場を作り、そのこけら落とし公演も同じ『リトルマーメイド』なのです。今年10月にスタートしますが、福岡公演はこれと並行して開幕します。しばらく福岡、名古屋の2班体制です。

水上:それでは役者を2班作らなくちゃいけない。

吉田:2班並行上演は『美女と野獣』『ライオンキング』で体験済みなので、その困難さは十分わかっています。高度な演技力、歌唱力、ダンス力のある俳優を常時複数名シフトしなければならない。大変ですが、良い作品をいち早くお届けするためにはこの方法しかありません。

水上:それは期待が高まりますね

吉田:セットももう一つ作るので、日本初演と同様のエネルギーが必要です。

水上: 動員目標はどのくらいですか?

吉田:できるだけ長く続けたいですね。先ずは一年のロングランを目標に全力を挙げます。

水上:せめて一年は続いてほしいですね。

 

福岡エリアのポテンシャル

吉田:東京の実績を分析すると、福岡でもそれくらいのポテンシャルは十分にあるはずです。

水上:『ライオンキング』は福岡の最初の公演の動員が69万人です。

吉田:公演回数も700回ですからね。驚くべきエネルギーです。福岡の潜在的な文化力を垣間見た体験でした。

水上:他の都市に比べてこの数字はどうなんでしょう?

吉田:例えば名古屋などと比べても遜色は無いですね。

水上:そうですね、名古屋の方が人口的には福岡の倍以上はいますからね。

吉田:当時の福岡における『ライオンキング』の浸透度、プレゼンスは、名古屋以上のものがあったかもしれません。

水上:新幹線ができてから、「北九州芸術劇場に鹿児島から観に来る観客が増えた」という話もあります。九州の交通環境が変わって、九州各県の人たちが移動する距離が大きくなってきているんでしょう。

 

四季版『リトルマーメイド』

水上:実は私、『リトルマーメイド』を以前、ニューヨークで観たんです。装置はすごいのだけれども、なにか不消化に終わって、、。

吉田:私もニューヨークのオープニングナイトを観劇しました。これは、日本で上演するとなると相当なコストが必要になると感じたのが第一印象です。

水上:なるほど。

吉田:結局、ニューヨーク版は四季では上演しませんでした。その後、ディズニーの幹部から新しいバージョンがオランダで誕生するとの話を聞き、直ぐに観に行きました。実は、四季で最初にこの作品を観たのが私なのです(笑)。ロッテルダムのホテルから当時の浅利社長宛てに、「素晴らしい作品だから上演すべきだ」というリポートを送ったことを今でも覚えています。

水上:まさにブロードウェイ版もヨーロッパ版も見たわけですね。

吉田:ナンバーがいくつか追加になり、ニューヨーク版にはない重唱が使用されるなど、物語が深まっているのが特徴です。登場人物それぞれの心情を、しっかりと観客が理解できるようになっています。

水上:それをやることになったわけですね。実際、劇団四季の『リトルマーメイド』の評判はいいです。

吉田:普段は海外オリジナルの舞台をダウンサイジングして日本に持ち込むことが多いのですが、この作品では逆に、ビジュアル面を更にスケールアップさせました。ディズニーと四季のクリエイティブチームが協力して、魚の種類を増やしたり、船をスケールアップしたり、いろんなテクニックを使ってより豪華にしたのです。これが福岡に来るわけです。

水上:ヨーロッパ版とも違う四季版ということですね。

吉田:世界のプロデューサーがディズニー社に『リトルマーメイド』を観たいと問い合わせると、「日本に行って観てください。それが今の我々のスタンダードだから」と言ってくれるほどです。

水上:東京での上演は3年くらいですか?

吉田:そうですね、東京では3年以上上演し、ほぼ満席ですね。

水上:リピーターが多いんでしょうか?

吉田:リピーターのお客様もいらっしゃいますが、初めてのお客様も多いかな。一番多いのはお嬢さまのいるご家族ですね。この作品は娘をお嫁に出す話です。だから、終演時の表情を拝見していると、どのご家庭でも、一番感動しているのはお父様ではないかと思われます(笑)。

水上:それは気になりますね。(笑)アニメと同じ内容ですか?

吉田:ストーリーは同じですが、キャラクターそれぞれの「背景」が追加して描かれ、ドラマが深まっています。アリエルがなぜ陸を目指すのか、エリックがなぜ海に向かうのかという「動機」が、観客に分かりやすく伝わるようになっているのです。

水上:アニメと違って舞台になるとリアリティが大事になりますね。その他には?

吉田:もう一つ特徴を申し上げておくと、フライング技術でしょうか。全てコンピュータープログラムで、動きはプリセットされています。吊られている人はその動きを頭に入れて、ポジションにつくときにどういう演技をするのかを覚えておくわけです。これは普段と逆で、人間が機械に合わせるんですね。

水上:それは難しそうですね。

吉田:とても難しいです。しかし人間が手で綱を引くことでは不可能な、細かい動きが表現できます。「水をたゆたう人魚」を、お客様にリアルに感じていただけるわけです。

水上:その印象は覚えています。ニューヨークで観た時にも本当に水の中のような印象を受けました。
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 ⓒDisney


九州の俳優たち

水上:俳優の人たちが2班なので、たくさん必要という話でしたが、九州出身の俳優の方はいらっしゃいますか?

吉田:ボーカリストは九州出身の人たちが多いですね。そういう意味でも九州での仕事を継続し、これからもミュージカルを志す人たちが四季を目指してくれるといいなと思いますね。

水上:浅利さんがおっしゃっていましたけど、九州の人は喉が強い、だから歌がうまい人が多いと。

吉田:実際にそう感じます。俳優約600名の中で、九州・山口出身者が60名くらいいる。結構な比率ですよね。もちろん東京や大阪の出身者も多いけれど、人口対比だと九州は群を抜いて高くなります。

水上:名古屋と福岡同時ということで、福岡版には九州の俳優が中心になりますか?

吉田:東京初演のオープニングキャストの中に九州出身者が何人かいます。全体のシフトの関係もありますが、彼らが出演してくれればうれしいですね。

 

その次の作品の候補

水上:3年間のうち、最低1年間のロングランを考えてらっしゃるということは、同時並行で『リトルマーメイド』を上演しながら次のことも仕込まないといけないということですよね。

吉田:福岡シティ劇場時代は、企画の決定から上演までの期間が短かった。今回はそれだけは避けようと思います。『リトルマーメイド』を早く発表したのもそのためですし、その次の作品についてもできるだけ早く発表したいと思っています。十分準備に時間をかけて、お客様に周知徹底する機会を作って進めていきたいなと思っています。

水上:その候補は?

吉田:まだ詳しくはお知らせできませんが、新作や、しばらくやっていない作品が対象になります。例えば『オペラ座の怪人』。最後に福岡で上演したのは03年。これは十分再演可能だと考えています。『ライオンキング』も、最後に上演したのは09年。随分時間が経ちました。

水上:前の『ライオンキング』から、もう10年ぐらい経っているんですね。

吉田:再演と新作のバランスをとりながら考えたいですね。

 

人材育成

吉田:作品を供給する体制の整備が目下の最大の課題です。特に「優秀な俳優の確保」ですね。オーディションを行うと、ほぼ毎年、1000名以上の志望者がくるのですが、この人たちを鍛えて、四季の舞台に立てるようにしなければいけません。

水上:毎年1000名の応募があるんですか! その中から何人を採用するんでしょう?

吉田:採用は60名程度ですね。新しい若い才能をどんどん組織に入れて活性化し、彼らが舞台だけで生活できるようにするというのは、浅利先生が作った優れたスキームです。これが四季のエンジンですね。止まらないように常にガソリンを入れていかないといけない。劇団には、もう既に浅利先生を知らない世代もいるんですよ。

水上:すでに知らない人が団員の中にいるんですか?

吉田:俳優、技術、経営を合わせて、毎年100名弱の新人が入団します。新体制になって2年ですから、浅利先生と直接仕事をしたことがない人も徐々に増えている。そういう人たちに、最初にお話したこの組織を貫く「血液」のようなもの、劇団の理念を正確に伝えることが一番大切です。これは、先生から直接教えを受けた我々の責任だと思っている。劇団総会などの機会には、常にこのことに触れています。

水上:ミッションを繰り返し話すことは大事だと思います。

吉田:その通りですね。それだけ大事なことだと思っています。

 

制作という仕事に誇りを

水上:四季に入られたのは経営(営業)スタッフとして入られたんですか?

吉田:そうです。経営の入団試験を受けて内定をいただき、参加しました。今年で29年経ちました。来年30年です。

水上:俳優になりたいとかはなかった?
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吉田:全くないですね。とはいえ、学生時代は演劇をやっていました。初めて演劇部に入ったのは高校時代です。その時は俳優を何回かやりましたけど、もう二度とやるものかと思いました。演技力もありませんし、人前で台詞を言うことが恥ずかしくてたまりませんでした(笑)。昔から裏方の方が性に合っていたのだと思います。そして、裏方には裏方なりの喜びもあります。もちろん我々は、お客様から直接劇場で喝采を受けることはできない。私は若いスタッフに良く言います。「我々は俳優のように直接お客様から拍手をもらうことはない。しかし拍手をして下さるお客様は、我々の仕事の結果、この劇場に足を運んでくれたのだ。そこに誇りを持って、仕事に向き合いなさい」と。

水上:吉田さんの仕事への向き合い方ですね?

吉田:そうですね。不遜かもしれませんが、自分が集めたお客様からの拍手を、「後ろ向きに、最後列で聴く誇り」ですね。
 

 

演劇=観客とセットで成り立つ芸術

水上:吉田さんの信念は何でしょう?

吉田:これも浅利先生から何度も教えていただいたことです。演劇は常に同時代のお客様に劇場に来ていただかないと成り立たない芸術です。絵画、小説、音楽などは書かれた作品が残るので、同時代には酷評されても、百年後に発見されて価値が再評価される可能性はあるわけです。でも演劇にはそれは絶対にない。何故なら演劇の半分の成分は、それをご覧になるお客様だからです。観客の居ない演劇はあり得ない。だから演劇という芸術が成立するには、言葉は悪いけれども、その時代の気分や風俗に寄り添わざるを得ない。そのことを、浅利先生が敬愛していた演出家のルイ・ジュヴェ「恥ずべき崇高さ。偉大なる屈辱」と言っています。本来芸術家は自分の信念だけに忠実であるべきなのでしょうが、演劇だけはそうはいかない。時代におもねる屈辱さ─ある種のプロデュース感覚─が不可欠であり、演劇という仕事の秘密を解くカギはそこにあるという意味なんですね。私は仕事を続けながら、いつでもこの言葉には大きな「実感」を持っています。

水上:今のお話は、舞台芸術の仕事に携わっている者としてとてもよく理解できます。

吉田:だから演劇の仕事では、先ずお客様から見える舞台の「玄関」を出来るだけきれいにして、どんな方にも入りやすいようにしなければならない。芸術的な深みを求めるなら、玄関をお入りになった後、お客様と一緒に奥まで歩んでいけばいいわけです。

水上:台本がしっかりしていると、奥まで歩むことが出来ますからね。

吉田:例えば、先日福岡で千秋楽を迎えた『美女と野獣』には、「人間に戻りたい」というナンバーがあります。物に変えられてしまった人たちが人間に戻れる日を夢見ている歌ですが、幸せに生きるとはどういうことかを問いかける、一種の「幸福論」が歌詞になっている。非常に奥深いことを歌っているんですね。これを、どれだけ深い余韻、含蓄と共にお客様にお伝えできるかが、その舞台の真の実力なのだと思います。

 

街に必要な要素=劇場

水上:福岡で『キャッツ』を上演されて20年くらいになります。

吉田:90年ですから26年前ですね。私が初めて福岡に赴任したのもその時です。入団2年目の広報担当でした。人間関係も何もない中で、名簿一つ持って、演劇担当の記者の方を一人ずつ訪ね歩きました。皆さんからいろいろなことを教わった。自分の仕事のベースを作ってくれた街です。
『キャッツ』初演後も福岡での仕事に縁があり、旧福岡シティ劇場を作ってくださった福岡地所、旧福岡シティ銀行(現西日本シティ銀行)の方から、「良い街に必要な要素はいろいろある。まず一つは相撲の場所、もう一つが野球とサッカーのチームがあること、そして劇場があることだ」と聞いたことがあります。プロスポーツや相撲など、社会的なインフラと同列に演劇や劇場を考えてくださったということがすごく嬉しかった。我々も、このご支援に応えるべく一生懸命やってきたつもりです。

水上:また新たな挑戦がこれから始まるということですね。

吉田:格別の思いがありますね。

水上:今日はありがとうございました。3年を乗り越えて、さらに続いていくことを願っています。
 

※インタビューを終えて

吉田さんの口から、何度も「議論しています」というフレーズが出されました。戦略を練り、集団をまとめ、組織的に前に進む。経営者としては当たり前のことのようですが、「浅利慶太の四季」というイメージが強かった今までの劇団四季という組織を、次のステップに向ける、大きな仕事をされていることがひしひしと伝わってきました。
日本のミュージカル界に優秀な俳優を輩出してきた劇団四季の役割は大きいし、福岡でもミュージカルファンを育ててきました。今後、劇団四季がどのような舞台を創り、新たな人材を輩出していくのか、期待は高まります。
 

取材:水上徹也(株式会社シアターネットプロジェクト 代表取締役)
 

2016年10月 6日 11:42  カテゴリー: No8 劇団四季 劇ナビインタビュー | コメント(0) |
劇ナビインタビュー No7 大野城まどかぴあ 文化芸術振興課係長 小磯 上(こいそ ほずる)さん

大野城まどかぴあが、2016年にプロデュース公演を制作すると発表しました。

作者には、劇団☆新感線の座付作家:中島かずきを迎え、南河内万歳一座の座長:内藤裕敬が演出、俳優:池田成志が出演という豪華な布陣が、福岡の演劇関係者を驚かせました。プロデュース公演の仕掛け人である小磯さんに、まどかぴあの行っている事業とここに至る経過、これからの課題をお聞きしました。

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水上 小磯さんが、この仕事を始めたきっかけは何だったんですか?

小磯 生の舞台を観ることが好きで、もともとは観客でした。創る側の楽しさを知りたくなったんです。創ることを知らないド素人だったので、経験をしたかった。まどかぴあの面接のときに「あなたは、大野城まどかぴあで何をしたいですか?」と聞かれ、ふと頭の中によぎったのが、面接の半年くらい前に東京で観た野田秀樹さんの“贋作・桜の森の満開の下”で、口から出たのが「野田秀樹さんの演劇をしたいです。」素人だから言えた。「それは売れますか?」と聞かれた問いに「わかりません。でも、売ります。」って何の根拠もなく言ってました。(笑)

 

最初の企画公演

 

水上 その後は、どんな経験を積み重ねられたんでしょう?

小磯 平成17年にまどかぴあに採用されたので11年になりますが、最初はまず企画をどういう風に立てていったらいいか。予算をどう積み上げたら良いのか、先輩に聞いたり過去の資料を読み漁ったりしていました。2年目でわかってきて、3年目でやりたいことが見えてきました。

平成18年が開館10周年でしたので、「記念公演で何をやろうか」と考えた時に「宝塚歌劇団の公演をやりたい」、と思ったんです。ただ純粋に宝塚歌劇団が好きだったんです(笑)

それで、事務所に電話をして「ぜひお呼びしたい」とお願いしました。宝塚の方から「客席数は何席ですか?その席数では赤字が出るんじゃないですか?」って心配してもらって、まどかぴあでできる宝塚OG企画を紹介してくださったんです。そこに連絡すると地方ツアーにぎりぎり間に合うことがわかり、早速、上司や同僚に相談して企画が決まりました。

 

水上 好きだと思う企画をやろうと思った。直接事務所に聴いて、ダメだといわれても可能性を探った。そして企画を通した。凄いですね。

小磯 これだけの予算を使わせてもらうのだから、絶対満席にしないといけないって思いましたね。当時の上司には企画の段階で席の半分が埋まっていないと難しいと言われました。いろんな方に助けていただきました。恥も外聞もなく思いつく限りの方に聴きました。

博多座や北九州芸術劇場の方にも売り方はとはどういうものか、一から教えていただいた。皆さん本当に丁寧に惜しげもなく教えてくださったんです。人に恵まれていました。

 

水上 バイタリティがありますね。

小磯 まどかぴあに入った時は42歳で、新しいことを始めるのは勇気がいりました。

好奇心が旺盛なんです。最初からあきらめるんじゃなくて、とりあえずやってみよう。すると、いろんな人たちと繋がったんです。その当時は、わからないことばかりでしたし、何も失うものがなかったので、聴いたら教えてくださるんじゃないか、って思っていました。

その時の公演は初めて自分で企画をした事業で、完売することができたので、とても嬉しく今でも印象に残っている事業ですね。

その後、いろんな事業をやる中で、音楽と演劇の違い、創ることと売ることの違いを学びました。創造事業は特に労力もかかるし大変な仕事だなと思います。

でも大変さをクリアして当日を迎えた達成感は、買い公演にはないものがあります。

 

アウトリーチ・プログラム

 

水上 まどかぴあでは、いわゆる社会包摂事業があるのですね?

小磯 開館当初からアウトリーチ事業は実施していたようです。

私が入った頃は、公演に付随したワークショップ、宝塚一日体験や、能狂言のワークなど、劇場に来てもらう事業が多かった。

平成19年に地域創造の演劇ネットワーク事業に手をあげました。それはアウトリーチが必須の事業でした。市内の小学校10校、中学校5校、高校1校と市内の全校を廻りました。

当時は、時期も講師も決まった事業の受け入れをしてくれる学校を探しましたが、なかなか決まらなかったです。同じネットワーク事業に参加している他の劇場では決まっていくのに、大野城だけが最後まで決まらない状況でした。

その時の講師が内藤裕敬さんでした。先生を説得するときに付いて来てくださって「僕に任せてください。僕がちゃんとやりますから」と言ってくださって実施できました。

それから23年、学校を廻りました。「こういうことが、まどかぴあはできます」と。順調になるまで5年かかりました。

今はお断りをしないといけないくらい申し込みがあります。

 

水上 頑張った証しですね。image (20).jpgのサムネール画像

小磯 職員が育つにも良い事業です。自分たちは「良いことやってる」つもりでも、外から見たら本当に求められていることなのか見直す上でも重要ですね。お断わりしている学校を全部受け入れられるようにできないか、今考えています。

 

水上 内容はどんなものですか?

小磯 演劇、音楽、美術、伝統芸能、ダンスです。珍しいものとしては、大野城で人面墨書土器が発掘されているのですが、これは土器に顔を書いて川に流すと疫病が取り払われる、という奈良時代のものだそうです。まどかぴあ生涯学習センターの陶芸講座の講師に依頼をして、土器を創るところから校庭で野焼き体験をするところまで指導してもらっています。

今年は、学芸会で演劇の発表をしたいので指導してほしい、という要望も来ています。通常は40分×2コマですが、期間が延びるかもしれないです。学校側と調整しながら進めています。

 

水上 学校の他にも行かれるのでしょうか?

小磯 施設に出かけています。福祉協議会の協力を得てコミュニティセンターなどに。

 

水上 成果としては?

小磯 始めは断られる立場だったのが断らないといけないくらい要望が寄せられる様になったので、やり続けて来てよかったなというのが実感です。どこかでくじけていたら、この結果は得られなかったです。

職員も成長できました。やっぱり人ですかね。担当した職員の対応が悪かったりしたら、こんなに申し込みが増えなかったと思います。

きちんと目に見える報告を市民の方にしないといけないと思っています。

 

子どものための舞台創造プログラム

 

水上 鑑賞事業の方はどうですか?

小磯 平成23年に方向性を見直しまして、参加創造型と教育普及型に力を入れていこうと。鑑賞がメインの事業実施だった頃は、プロモーターから買う事がほとんどでした。

今はほぼ創造事業です。アーティストは連れてくるけど、内容は自分たちで創っています。

 

水上 創造事業について聞かせてください。

小磯 かつて「演劇のまどかぴあ」と呼ばれていた頃があって、演劇に力を入れていた劇場でした。過去もそうそうたる人達に協力してもらって、一緒に創っていました。「KINDO芝居」など九州の劇団の人達が大野城に来てプロに評価されることもありました。

平成16年にまどかぴあの体制が変わって市の職員が撤退され、残ったのは全部嘱託職員。みんな頑張っていたけど、なかなか以前のレベルまで行けなかった。やっぱり人が人と関わることで制作ができる。その人がいなくなった時、その人が繋がっていた人とのつながりが薄くなるし、すこしづつ後退していたように思います。それでも職員はこの仕事が好きで少しずつでも前人たちに追い付けるよう頑張っていました。

 

小磯 創造事業は「子どもミュージカル」を10年間実施しました。10年経過した時に応募数が減ってきたんです。その原因を話し合ったとき、周りをみたら、民間の方もあちこちでやり始めていて、「このままやり続けていいのか」「やっぱり創り続けなければ」、当時の職員で議論しました。その結果、やはり創り続ける事にしました。地元の作家、地元の演出家、地元の出演者という枠組みを変えてみよう、と。職員体制、予算を考慮した結果、毎年は難しいので隔年で行う「子どものための舞台創造プログラム」に変えました。

実施していく中で、保護者の考え方も時代で変わって来たんです。「子どもを舞台に立たせるのに、こんなに親がかかわるの?」「あっちの事業は親は何もしなくていい」云々…

まどかぴあでの普及の役割は果たした、と思いました。

いったん、子ども向けは終わりにしてもいいんじゃないか。でも、すっごく悩みました。

創り上げた時の子ども達、そして職員の達成感、感動を知っていましたから。

その結果、お休みをしよう、別のことを考えよう、と当時の職員全員で話して決めました。その時に、「何か創る」というのはみんなの気持ちの中に残りました。今度は子どもに限定した事業ではなく創ろう。それが今回のプロデュース公演の始まりです。

 

中島かずきさんの一言

 

小磯 職員はそれぞれいろんな研修に行って、情報を仕入れ、「公共ホールはやっぱり創らなきゃダメだよ。」って言われ。劇場法にも出ていますよね。私の中にも「創らなきゃ」って焦る気持ちがありました。そんなある時「『創りたい』思いが『創らなきゃ』」を超えていったんです。

「創りたい」と思ってる時期に、中島かずきさんとある懇親会で同席して「50歳を過ぎてきて、地元福岡で何かやりたいねって思うんだよ。」と話されたのを聞いて、心の中でほくそえみました。すぐにみんなに「書いてくれないかなあ」「書いてくれますかね」「書いてもらえたらすごいよね。ワクワクするよね。」って勝手に盛り上がって。

実は、大野城まどかぴあ開館当初に劇団☆新感線の公演をやったことがあるんです。いろんなアンケートに毎年書かれます、「またやって欲しい」と。アドバイザー委員会でも「やれないの?」と聞かれたこともあります。

それで、何年か前に劇団に聞いてみたことがあるんです。すると制作の方が「所帯が増えて、

移動など大変ですし、800のキャパでは難しいですね」、まどかぴあのキャパ諸々をご存じだからおっしゃって下さったことだと思います。

あきらめていたところに、中島さんの一言だったんです。

創造事業って、お金がかかるんです。一事業で莫大な予算を使うことは難しい。

構想を練り始めたその時が2013年でした。3年後がまどかぴあ開館20周年。20周年だったら一つの事業に多めの予算をかけてもいいんじゃないかと考えました。目標を2016年、平成28年度に置きました。

 

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中島かずきさん

 

 

小磯 懇親会という飲みの場、世間話でおっしゃった一言。本心なのか根拠がない。

いつもどおり、あたって砕けろで、お電話をしました。「書いていただけませんでしょうか?」、すると「2年後なら調整ができるんじゃないかな」温かい言葉をいただいて。中島さんのスケジュールが埋まらないうちにと、早速東京に伺い正式にご依頼をしました。

初めは、「過去作品を手直ししようかな」というお話で、「それでも十分です」と思っていました。

後日、演出に内藤さんが決まってお顔合わせをした際に、中島さんが「新作書きます」って言ってくださって。「いいのかな?」、「あて書きします」。「なんと贅沢な。ありがとうございます」って。新作描き下ろしになるとは思いもよらなかったので、本当に夢のようです。

 

内藤裕敬さんの一言

 

小磯 実は一番最初に内部で決まっていた条件は、池田成志さんに出ていただくことでした。

やはり、開館20周年の記念事業ですから、大野城出身の池田成志さんは外せない。

中島さんが書くことが決まった後に、誰に演出をお願いしようか、職員でいろんな話を何度もしました。まどかぴあと縁がない人ではダメ、この人なら大丈夫じゃないか、たくさんの時間を費やしたどり着いたのが内藤さんでした。個人的には、アウトリーチ事業で携わって

くださった方だし、まどかぴあも開館当初に関わってもらっていました。地方の劇場との信頼関係を大事にされる方だったんです。地域とのかかわり方が一番大変で悩んでいた時に

「僕がちゃんとやればいいんだから心配しないで。また何かあったら手伝うよ」と言って下さったことも頭の片隅にずっと残っていました。内藤さんにお願いしたら、「わかった、やろう」って言って下さった。ホッとしました。

 

内藤web (2).jpgのサムネール画像内藤裕敬さん池田成志web (2).jpgのサムネール画像池田成志さん

池田さんの出演は、内藤さんが演出に決まって、正式にオーケーをもらったんです。内藤さん演出が池田さんの出演の決め手になったと思います。最終的な決断は内藤さんの一言じゃないかなぁ?また助けられた気がします。

先日キャナルシティ劇場で開催された劇団☆新感線の「チャンピオンまつり」に池田さんが出演していましたね。その時初めて、中島かずきさん、内藤裕敬さん、池田成志さん、

この三人が係るプロデュース公演の情報を知ったファンから、ツイッターで、「はぁ?、まどかぴあ?」って(笑)。

 

水上 なぜこの3人なのかが分かりました。この3人が決まった時点で、この企画が出来上がりましたね。

小磯 2年前だったからこそ、スケジュールが空けられたと思います。実際は3年先の話でした。後でわかりましたが、新感線と万歳一座は、同時期に立ち上げられた劇団だったんですね。全く知らない3人ではなかった。タイミングがあったんだと思います。

また、「この三人、よく揃えたな」って言われますが、ネームバリューで揃える、という気持ちは全くなかった。まどかぴあに関わりがある方が揃いました。きっと、その時その時の職員がきちんと対応していたから、まどかぴあに悪いイメージがなかったから、受けてくださったんだと思います。過去からの積み上げの事業だな、今の職員だけの力ではないな、と感謝しています。

そして、その時のスタッフ全員の気持ちが一つにならないとできないし、今だとできるかな。土台ができていれば揺るがないと思った。

2013年2月に中島さんに会いに行って2年半かかって、ここまで来ました。

「満を持して創ります。」という思いです。

「仮チラシの色を何色にします?」って言われて「赤!って(笑)」。意気込みの赤、挑戦の赤です。そうでもしないと、だんだん怖くなってきた。「これは絶対コケられない。きちんと市民の方々に伝えないといけない。」

 

若い人たちの挑戦を待っている

 

水上 これから具体的な作品の制作に入るわけですが、事業の目標は?

小磯 地域演劇の活性化という目的がありますが、福岡の劇団の皆さんは一生懸命で、応援したいと思います。いつも同じメンバーでやっていると、違う人たちとやることで得ることがあると思うんです。地方で活動している役者さんが外に出ていくことは難しい。だから挑戦してほしい。偉そうには言えませんが福岡だけで完結するんじゃなくてプロで活動している人と一緒に体験してほしい。刺激を受けてほしい。という思いがあります。

九州沖縄の範囲で募集しますので、九州にどんな役者がいるのか見たい、現在の九州の役者がどれだけの力を持っているのか知りたい、という気持ちを中島さんも内藤さんも持っていると思います。

小磯 応募するのは演者さんで、審査員は中島さんと内藤さんですが、私のわがままで、「最初の門だけは広くしたいので、高校生からでいいですか?演劇じゃなくてダンスの人も演者として良いですか?」とお願いしました。意欲がある方、挑戦してみたい人の芽は摘みたくない。

「演劇はやったことがないけれども表現をしている人がいる」「演技はできないが表現する」、挑戦してくれるならしてほしい。役者じゃない人が舞台に立つかも、あて書きなので。出演者には出演料を払います、少ないですが(笑)

 

小磯 悩んでいる人たちに前段としてワークショップを体験してほしかったので、今年の9月から11月にワークショップ事業をやって、来年2月にオーディション、2016年の9月10日、11日公演。稽古期間は1ヶ月集中で実施します。舞台監督も決まりました。

助成金申請していますが、足りないので協賛企業を募ろうと思っています。

 

肝心な発信力と継続力

 

小磯 「福岡だけで終わるのはどうなの?」と言われて、9月いっぱい池田さんのスケジュールを押さえてもらっています。追加公演は九州で考えています。東京、大阪の劇場は経費が膨らむので。

「これで終わりになるなら意味がないからね。」とも言われています。創ろうとは思っていますが、同じ規模のものは厳しいだろうなと思っていますので、2年おきくらいになります。予算と業務量は現状では難しい。一年空けると体制も気持ちも薄らぐのでしっかり準備をして、ワークショップの年と公演の年になるのかな?

 

水上 どういう継続事業にするんですか?

小磯 構想を練らないといけないです。ワークショップを見て、ちゃんと考えなきゃいけない。

 

水上 この事業の大きさ、大野城市の職員の方はどんな認識ですか?

小磯 税金を使ってこの事業をする。まどかぴあ職員も覚悟して行う。それを見てほしいです。

きちんとやりたいと思っています。参加して下さった方も、観てくださった方も、携わってよかったと思ってほしい。

「まどかぴあ舞台創造プログラム」、事業名はこれで行こうと決めました。長くやり続けたいからです。

 

水上 やっていることが目に見えるようにしないといけませんね。image (23).jpg

小磯 はい、まどかぴあで足りないものは、目に見える形で市民の方に報告ができてないこと。報告に力を入れている劇場は市民の方に評価されています。きちんと目に見える報告を市民の方にしていかないといけないと思う。残念ながら未だに「まどかぴあってどこ?」

って聞かれることがあります。チラシまいただけじゃダメで、興味を持った人しか来ない。

今後、劇場が街にとってどんな存在になるのかが問われます。

池田満寿夫が初代館長だったことを知らない人がいる。「芸術を発信する施設」として開設されたので、その原点に返って新たなる挑戦です。

 

 

 

 

 

 

取材を終えて

「芸術を発信する施設」として、全国に「演劇のまどかぴあ」の名前が広がった時期がある。「劇団☆新感線」や「第三舞台」の公演を招聘し、九州の舞台人を「KINDO芝居」で発掘。竹内銃一郎や松田正隆や今回のスタッフに加わる内藤裕敬や池田成志がセミナーやワークショップで人材育成を行う。その事業が途絶えたことは、事業の影響力と劇場への期待が大きかっただけに地域の演劇の活力を失速させ地域の財産まで失う危惧を抱かせた。

今回の取材を通して、底流で地下水脈が脈々と流れていたことを気づかせてくれた。その水脈を掬い取ったのが小磯さんだった。そのバイタリティでプロデュース公演は走り出した。制作の作業はこれから。どんな人たちがオーディションに参加してくるのか。どんなディスカッションが生まれるのか。舞台装置は、音楽は、照明は。そして作品の仕上がりは。小磯さんは「怖いけどワクワクしています」と言った。こちらもワクワクしながら作品に出合うのを待っています。小磯さんの見据えている先は長い。

 

取材・文責:水上徹也 シアターネットプロジェクト代表

劇ナビインタビューNo6 テレビ西日本 編成制作局 ゼネラルプロデューサー 瀬戸島正治さん

瀬戸島1 (2).jpgのサムネール画像「めんたいぴりり」プロジェクト始動!

20138月にTNCテレビで放送された「めんたいぴりり」は、福岡で制作されたドラマです。全国的に話題を呼び、2014年の民放連賞ドラマ部門「優秀賞」、ギャラクシー賞「奨励賞」、ATP賞「奨励賞」を受賞。

北は北海道から沖縄まで国内およそ20局で放送され、さらに海外でも、プサンの放送局・KNN(共同制作)の他に、台湾、カンボジアなどでも放送され、世界に福岡で生まれたドラマを発信しました。この2月には、「めんたいぴりり2」の放送、さらに、3月には博多座で舞台版「めんたいぴりり」の上演が始まります。

プロデューサーとして番組制作に関わった瀬戸島氏に、制作の舞台裏とこれからの展望を語ってもらいました。

(取材は201312月に行われました)

 

 

 

朝の連続ドラマというチャレンジ

水上 「めんたいぴりり」はTNC55周年記念ドラマですね?

瀬戸島 55周年です。

水上 瀬戸島さんは、どの時点でこのドラマの担当になったのですか?

瀬戸島 もともとTNCはドラマを作ってないんです。今回のきっかけは、ふくやさんの創業者・川原俊夫さん生誕の100年とTNC55周年が同じタイミングだったので、ドラマにしたらいいんじゃないか、これは55周年向けの企画ですよっていうことで社内でプレゼンをしました。

水上 瀬戸島さんの方から提案したんですか?

瀬戸島 そうですね。

水上 で、通った。

瀬戸島 そうですね、通っちゃいましたね。とんでもない提案だったと思います。だけど逆に言うとその途方もないことのほうがチャレンジだということで会社の方も乗ってくれたんだと思います。

水上 それは、どういうチャレンジですか?

瀬戸島 NHKような一日15分間、朝の連ドラを一か月放送するというチャレンジですね。僕は会社にすごく感謝しています。どこもやっていないです。フジテレビも朝の連ドラはないですし、九州でも福岡でもやった局はないです。周年事業として、しかも地元の企業をモデルに、チャレンジしがいのあることでした。

 

水上 視聴率はどうだったんですか?

瀬戸島 最高で8.8%、占拠率は29.3%だったかな。占拠率で言うと、テレビをつけてる3人に1人が「めんたいぴりり」を見ていたっていう事でこれはかなり胸を張っていい数字なんじゃないかなって思いますね。

水上 朝9:50から10:05まで15分間。普通のサラリーマンが見れる時間帯じゃないですよね。

瀬戸島 お母さんやおじいちゃんおばあちゃん、夏休みの子ども達に見てもらえるような番組ということであの時間帯になったんです。特に子ども達に見てもらいたい。食についての大切さ、家族の絆、平和のありがたさをどうしても伝えたい、食べ物を作る人達の思いを伝えることがテーマですね。せっかくドラマを作るならそこまで作りたいと思いました。そして、昭和という時代の光と影を描くこと。それは今も「めんたいぴりり」のテーマとしてずっと引き続いています。

 

 

1時間半ドラマと連ドラとを制作

水上 放送したのは2013年の8月の1ヶ月間ですね。初回は1時間半のドラマで、「戦前編」でした。

瀬戸島 そうですね、「エピソード0」みたいな感じです。通常の連ドラがいわゆるコメディだったので、そこの世界観になるまでの前フリというか、人間関係や登場人物が背負ってきたものを「エピソード0」のほうにぶち込んだ。

水上 連ドラで描くドラマとはかなりテイストが違いますよね。

瀬戸島 はい、主人公のモデルとなった川原夫妻は、沖縄戦や大陸からの引き上げを経て福岡にたどり着いた。また、占領下の釜山で生まれ育った人でもあるので、コメディではやりづらい。そこはちゃんと向き合った上で彼らがなぜ明太子を作る事になったのか、そこは真正面に描いていこうと監督と話し合いました。

水上 江口カン監督ですね?撮影はいつから始まったのですか?

瀬戸島 撮影は2013年の3月だったんです。寒かったですね。山笠を3月に走らせるという無謀なことにチャレンジしました。平尾台や福岡市西区の旧忍者村を街に見立てて山笠を走らせました。

 

場所取り合いの海外ロケ

水上 海外ロケもしたんですね。

瀬戸島 そうです、釜山でロケをしました。実際に川原俊夫さんが明太子に出会った市場が今もあるんです。そこでロケをしようと。あとは釜山から2時間半位離れたハプチョンという場所に映画のオープンセットがあって、戦前の日本人の住宅街が作ってあるんです。たまたま、テレ朝の55周年ドラマ「オリンピックの身代金」や、妹尾河童さん原作の映画「少年H」と撮影スケジュールが丸かぶりで、同じ所でロケしてるんです。まっ先に交渉して、「この日からこの日までやりますんで、どこにも撮らせないでください。」って韓国サイドに頼み込みました。

水上 プロデューサーの手腕だったわけですね、そこは。

瀬戸島 釜山のフィルムコミッションに偶然紹介してもらった場所だったんです。そのおかげですごい世界観が描けたと思います。

 

台本は、作家/東憲司が「聞き取り」しながら

水上 台本は誰がかいたんでしたっけ?

瀬戸島 劇団桟敷童子の東憲司さんです。何回も福岡に来てもらって、ふくやの川原正孝社長や健相談役に何度も聴き取りをしてもらい、お孫さんの武浩統括部長にも話を聴いたりして、一個一個肉付けしていきました。その中からフィクションの部分を塗り重ねていきました。

水上 聞き書きして本にまとめるのにどのくらいかかったんですか。

瀬戸島 一緒に釜山にシナリオハンティングにも行き、撮影の直前まで、福岡にこもって書いてもらいました。ものすごく忙しい劇作家さんなので、「ここだけスケジュール開けてください」って頼み込んで書いてもらいましたね。

水上 もともとは原作ですよね?

瀬戸島 相談役の本(明太子をつくった男)に加えて聞き書きしました。本にはお父さん(川原俊夫さん)のエキスが載ってます。

 

水上 最初の企画で通り、ふくやの川原さんに了解をもらい、脚本家と演出家も決まって、プロデューサーとしては順調にスタートできたということですか?

瀬戸島 そうです。すごい順調です

 

博多華丸に白羽の矢

水上 キャスティングはいつの時点で考えたんですか?

瀬戸島 キャスティングは本ができてからですから、撮影に入る前の年の10月から12月です。富田さんと華丸さんが決まったのはそのへんです。

水上 よくスケジュールがとれましたね。

瀬戸島 ほんとに、よく取れましたね。華丸さんは一ヶ月半、東京と福岡を行ったり来たりでした。千代子役の富田さんは最初から決まってたんです。博多弁をしゃべれる全国的にも有名な女優で奥さん役を任せられるのは富田さんしかいないと思った。俊之役は福岡出身の俳優さんをいろいろ考えてたんですけど、監督が「華丸さんじゃないかな。」って言ったのがきっかけでした。

役者としての経験はそんなにないけど、監督が「やれますよ、彼なら」って言ったので、そこでふっと腑に落ちたんです。

水上 華丸さん自身は主役を受けることはどうだったんでしょうね?

瀬戸島 「うそでしょー。できるわけないじゃないですか」ってもう半信半疑。一回顔合わせをして、台本をちょっと読んでもらって、本人としては「ほらできないでしょ」っていう確認の為だったらしいんですけど。僕と監督はしめしめと。「やっぱいいよねー」となって、その後正式にオファーをしました。

水上 華丸さんはそこで完全に覚悟を決めたわけだ。mentaihana.jpg

瀬戸島 そうでしょうね。華丸さんにとっても大きなチャレンジだったと思います。3月からの博多座公演も大きなチャレンジでしょうけど。

水上 富田さん以外はほとんど福岡の人達でしたよね?

瀬戸島 地元のタレント、地元の劇団、、福岡出身の役者さんを優先しました。もちろんテレビ番組なので数字が取れる人をキャスティングしようということは念頭にありました。光石研さんは頑張ってキャスティングをしました。小松政夫さんはすごく山笠に造詣が深い方です。福岡力を結集してやろうと思いました。

 

美術の世界観

水上 撮影セットは局のスタジオの中ですか?

瀬戸島 VSQのスタジオに組みました。ドラマのセットを作り込むには狭いスタジオなんですけど、美術プロデューサーの山本さんが、すごい世界観を作ってくれました。妹尾河童さんのお弟子さんでフジテレビの美術出身で「タケちゃんマン」を作った大御所です。本物の昭和30年代40年代をそのまま作って頂いた、あれがあったからこそ成立したドラマです。ちゃんとしたものを作りたいと思っていたので。

 

江口カン監督 「福岡にこだわって作ること」

水上 クオリティとしてはかなりこだわったところですよね。

瀬戸島 それは監督のこだわりでもあるんです。ただし、あそこまでこだわるとは思ってなかった。

水上 江口さんも忙しい人でしょう。

瀬戸島 そうですね、でも人一倍福岡でやることに思いがある人です。仕事への向き合い方も、地元のものを地元で作る方がより真剣に向き合えるような気がします。東京から福岡に撮影でやって来て作ったところで、それで地元の人が納得出来るものが出来るのかっていう気持ちは心のなかにずっとあったんです。作るんだったら福岡の人達でやりたいと。現場はCMでやってる江口組とVSQの制作チームです。VSQCM制作で知られていて、福岡には優秀な人達がいっぱいいる、CMは撮ってるんだけどドラマとか映画は撮れていない。でも、撮りたいと思っている人はいっぱいいると思うんです。そういう思いが合致した。

 

水上 音楽も福岡です。

瀬戸島 初めて担当した番組がバンドのオーディション番組で、それで優勝したのが風味堂だったんです。候補はいっぱいいたんですけど、結局全部振られた。じゃあ風味堂を聞いてみてくださいって、監督に提案してみた。オープニングのテーマとしては、監督は「平成の365歩のマーチ」を作りたいってイメージを出して、そこから風味堂に特別に書き下ろしてもらった。音楽が本当にハマったと思います。色んなパズルが組み合わさって出来たっていう感じですね、色んな人の協力があって。

 

プロデューサーの仕事は、ドキドキの連続

水上 瀬戸島さんはプロデューサーとして具体的にはどういった事をされてたんですか?スタッフ、キャストの選定とか?

瀬戸島 なんですかね、プラデューサーって。キャスティングだったり、制作の座組を作ったり。ドラマ自体は通常のテレビの制作体制と違うのでVSQのプロデューサーと相談しながらやらせてもらいました。もっぱら調整役なんでしょうねプロデューサーって。それでも、いろんな作業が抜け落ちていて、その度にいろんな人に助けてもらった。

水上 撮影中、演技で苦労したとか演出家と役者と意見が合わなかったとかは特になかったですか?

瀬戸島 喧嘩はしょっちゅうしてましたね。テレビ局の制作って現場で喧嘩することあんまりないんですけど、CMやドラマや映画を作ってる人達ってみんなプライドがある人たちが多い。良いものを作るための意見の主張は健全なことかなって僕は思います。すごく勉強になる。自分の後輩たちにどんどんその現場を見てほしいです。特に、演出を背負うって事はどんなことなのか感じてほしいなと思います。

 

水上 実際やってみて楽しかったですか?

瀬戸島 苦しい。出来上がったものを見るのは楽しいですけど、ドキドキするっていうか。

水上 ドキドキっていうのは?

瀬戸島 「お前アレやってないやないか」っていうのがいつばれるのかなってドキドキしてる。そもそもやってないことがわかってないから…

 

江口監督について

水上 江口さんはCMで賞もいっぱいとっている方で、演劇も観ましたが、ドラマは初めてですか?

瀬戸島 ウェッブのドラマとか、ショートムービーはすでに演出していました。一方で広告の専門家でもあるわけです。「めんたいぴりり」をどう、今の言葉でいう「バズらせる」かっていう事に関してもアイデアをすごくもらった。テレビ局のルーティンの作業では思いつかないような事も色々アイデアとしてもらったんです。ポスターに華丸を出さずに主役が誰か隠してやることで、「誰だ誰だ」ってザワザワさせる。一方で華丸が坊主になってテレビにでる。そこで「え、なんで華丸が坊主になってんの」ってネットで騒がれる。あるタイミングで情報公開をして、「いや実は華丸が坊主になったのは今回このドラマを撮るためです」って、そこで繋げる。そこでさらに「ワー」ってなる。というのは僕たちではなかなか思いつかない戦略でした。それはずっと広告をやってる人ですので。ポスターのつくり方一つ、ロゴのレイアウトはどこか?どこに置けばいいのか、背景をどうしたらいいのか…スペシャリストの人達と話しをすると、知らない事がいっぱいあった。それはテレビ局の広報だけに限らず、イベントの組み立て方もそうかも知れない。

 

水上 江口さんってどんな人ですか?

瀬戸島 クレバーですね。ものすごくクレバーな人だと思いです。あとものすごく乙女です。物作る人はやっぱりどっちかっていうと性格的には女性的な方がいいと思います。一方で会社を経営してらっしゃるのでそこは男だと思いますよ、でも物を作ることに関しては非常に繊細だと思います。同い年だったこともあり、彼がやりたいことや彼の話しを聞いていると、「何かやりましょうよ」っていつのまにか意気投合していたんです。

 

水上 江口さんのこだわりだったり美術家の世界観だったり、すごいクオリティが保たれてると思いました。福岡にこんなドラマがあってそれを丁寧に作ってくれたんだなって、嬉しかったですよ。

 

福岡の「めんたいぴりり」

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水上 これからの展望を聞きたいと思います。まず、2月の第二弾ですね?今度は連ドラではないんですね?

瀬戸島 一時間で前篇と後篇の2話です、2月の20日と27日の金曜日午後7時からです。

今回の「めんたいぴりり2」も昭和の光と影を描くように心がけています。炭鉱が閉山し、一方で西鉄ライオンズの3連覇で福岡が沸き返る。光と影をちゃんとエピソードの中に入れながら、ただ単にコメディにならないように心掛けました。

水上 今後こういったドラマを作っていくのは恒常的になるんですか?

瀬戸島 「めんたいぴりり」に関してはそのもの自体が大きくなりつつあります。55週年で始めたので60周年までは、3回目4回目5回目に向けてという事です。そこで僕がやらないといけないのは「めんたいぴりり」をどう広げるか。どう地元の人や企業にバックアップしてもらえる体制を作るのかっていう所です。

水上 ふくやさんがスポンサーとして関わってもらっているんですね?

瀬戸島 そうですね。早く「福岡のドラマ」「福岡っていえば『めんたいぴりり』だよね」って言われるようにしたいんですよね。そうする為にはできるだけ福岡の数多くの企業の方に応援してもらえるような体制にしたいって思ってます資金的なものも含めてふくやさんの負担をどんどん下げられる位僕たちが福岡のものにしていかなきゃなって思っています、なかなか難しいですけど。

 

水上 僕もずっと番組を見てましたけど、「これは福岡のドラマだ」ってすごく思いました。

瀬戸島 描こうとしているのは福岡の話です。一年中「めんたいぴりり」で展開するにはどうしたらいいかっていうのを考えている最中です。「アニメめんたいぴりり」「連載小説のめんたいぴりり」、「コミック連載のめんたいぴりり」。そういうことで始終福岡や全国の人が「めんたいぴりり」に触れる環境を作る。年に1回のドラマっていうのは広がりにも限界がある。次の戦略を練っているところです。急がないといけないですけどね。

 

水上 ということは「めんたいぴりり」ドラマとしての続編もだし、それが別の媒体としての展開も含めた「めんたいぴりり」という作品の世界をどう広げるかっていう事なんですね?

瀬戸島 はい。イベントや番組をちっちゃい種から育てて大きくしていきながらいろんな人の共感を呼ぶ。そして、番組が収益を産むような仕組みを作っていく。

「めんたいぴりり」が生まれるまでには、ものすごい伏線がありました。華丸さん自体は僕の担当した「中洲ぶらぶらでよかろうもん」っていう深夜番組の企画がきっかけで山笠の中洲流に入ったんですよ。川原さんも中洲流。いろんなものが複雑に繋がっていってできたって思います。狭い街ですからね。種蒔きをしておけばいつかはそうやって芽が出ていって、芽が一杯出てる感じです。「ちっちゃな種からでもおっきくしていけば愛される実になる」っていうのを後輩達には感じてもらいたい。

 

博多座版「めんたいぴりり」

水上 博多座は演出もキャスト女優も変わるのですが、博多座での上演にメッセージはありますか?

瀬戸島 博多座ですからね、ぜひ満員にしたいと思いますし、またこれを2回目3回目と博多座の恒例の演目になれるように僕たちも協力していきたいと思っています。

博多は「めんたいぴりり」のドラマと舞台が毎年ある街だっていう風に認知されるように、福岡といえば「めんたいぴりり」だって言われるような物にしていきたいなと思っています。その一つがやっぱり博多座が重要なポジションに今後なっていくって思ってます。もちろんこれが博多座でヒットすれば大阪、名古屋、東京に持っていける物になる。それが博多座としても大切ですよね。今、博多弁も華丸も旬ですから。ぜひ成功させたいと思ってます。

 

福岡のクリエーターたちとやりたいこと

瀬戸島 他にはアニメができないかなって思ってます。

水上 「めんたいぴりり」のオープニングもちょっとしたアニメですね。

瀬戸島 あれは監督の会社、KOO-KIで作ったものです。福岡は有能な漫画家やイラストレーターがいっぱいいるんです。そういう人たちと一緒にやれれば福岡で制作できる。脚本は地元の劇団の人に書いてもらってもいいんじゃないでしょうか?一杯優秀な作家がいらっしゃるじゃないですか福岡の劇団に。そういう人たちと一緒に作りたい。そういう福岡の人をつなげながらやっていく仕事を優先していきたいって思ってます。、CGのクリエイターだって福岡にはたくさんいらっしゃるんですよね、東京に発注していくよりはそんな人を繋いでいきたい。

水上 色々アンテナ張っておかないといけないですね。

瀬戸島 僕たちは福岡でチマチマやりつつ、チマチマやってる事が周りの人達からかっこいいって言われたい。色々表彰されたんですけどね、賞の論評が「地方」にしては頑張ってますね位の感じだったんで、バカにすんなよと思って。

 

水上 作品がうまれる時って出会いがあったり、ある意味で奇跡的な事が必要ですよね。

瀬戸島 それがうねりみたいになっていくと盛り上がっていくんじゃないかって思う。ここまで来たら後に引けないと思います。

水上 楽しみにしていますこれからの展開に。「めんたいぴりり2」がまもなく放送ですね。

瀬戸島 はい、広げて太くしていく。ドラマもあり、博多座もあり、次の展開があり。でさらにどんどん増えていきながら最後は映画になればいいなぁと思っています。

 

取材を終えて

福岡のテレビ局が朝の連続ドラマを制作する。その番組が全国的に話題になる。パート2が制作される。舞台版が別のプロダクションで生まれる。これらの展開は、「めんたいぴりり」というドラマが生まれるまでは想像もできませんでした。そういうことができたらいいということは僕の夢であり願いでもあったけれど、形にするには至らなかった。そのことを実現し、この原稿が公開されているころには、パート2が放送され、博多座の舞台で劇場版「めんたいぴりり」が上演されている。

福岡で活動しているクリエイターや技術スタッフ、そして、多くの企業の力を結集して、芸術文化産業という新たな雇用を生み出せる街になる。そんな可能性を感じたインタビューでした。

瀬戸島さん、ますます忙しくなりますよ。ドキドキしながら、次の展開を期待しています。

取材・文責 水上徹也 シアターネットプロジェクト代表

劇ナビインタビューNo5 ホルトホール大分 館長 是永幹夫さん その2

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仕事の「原点」わらび座時代

水上 ここでちょっと話がそれます。毎回その人となりを伺っています。こういう仕事に携わったきっかけは? 是永さんがわらび座に入られたのは何年ですか?

 

是永 1975年。29歳の時に入りました。わらび座に37年、大分に帰ってきて3年だから、40年前ですね。まず劇団の編集部からスタートしました。劇団の機関紙を、狭い機関誌ではなく、開かれた「文化の広場」的な月刊誌に変えることから始めました。最初は劇団内で少し抵抗もありましたが、私はいつも「時間が解決する」という哲学を持っていて平気でした。これだけいいことをやってんのに、なぜ狭いのかという疑問を、世間とのチャンネルを一歩一歩つくりながら、解決していきたいという情念が強かったですね。舞台にもっと笑いがあってもいいのにと思い、「笑いは力」という特集を組んでみたり、他の創造団体のいい取り組みをどんどん紹介したり・・・。わらび座のように民族伝統をベースにした歌舞団が、異文化圏と出会うとどんな発酵をするのだろうかとの興味から、国際部を勝手につくって海外公演を始めたり・・・。いまも続けている「資金調達」も海外公演時代に覚えたことです。その後、制作部長、全国公演部長、劇団代表を歴任。仲間とともに、「仕掛けてなんぼ」の劇団営業のシステムをつくり、特に北東北3県では、その県の総人口の5%の県民(数万人)の皆様が、一作品を一時期に一気に鑑賞するという公演形態を実現しました。岩手県とはミュージカル「アテルイ」や「銀河鉄道の夜」、青森県とはミュージカル「棟方志功」、秋田県とはミュージカル「よろけ養安」です。

 

水上 それはどんな作品なんですか?

 

是永 この作品は、鳥海山麓の院内銀山のかかりつけ医者で旅籠や経営者の酒好きの門屋養安の話。秋田県立博物館に所蔵されていた彼の日記を一頁一頁ずつマイクロフィルムに撮り、天保年間から戊辰戦争のあとまで33年間の古い日記をわらび座の民族芸術研究所が7年かけて解読して出版しました。出版から7年後、ミュージカル舞台にしました。日記発見から舞台化まで14年かかった。これが秋田県内で大ヒットした。

 

水上 すごいミッションですね。

 

是永 「地域発信・地域連携」型の舞台創造と運用を柱にかかげて各県の知事にお会いしてミッションを伝えるところから始めたんですが、北東北3県とも県庁あげて取り組んでくださいました。岩手県の場合は「いわて地元学」推進を県政の柱に据えていたときで、まさに「ミッション合意」の全県的な取り組みでした。岩手県内のミュージカル「アテルイ」公演準備で1年間で車で3万8千キロほど走りました。当時あった岩手県の12振興局と12教育事務所を全部訪ねて。

 

水上 行政との関係で公演を作ることの一つのパターンを産み出したわけですね?

 

是永 劇団代表として、劇団に入ってきた新人営業の最初の講義をいつもしていましたが、あの大トヨタが逆立ちしてもかなわないのは行政のラインだと具体的事例で話していました。行政のラインを活かせば「山が動く」瞬間はつくれるんですよ。

 

大分の可能性

水上 地域発信の作品の話になりましたが、それを大分ではどのように実践していきますか?

 

是永 私の代で実現しなくても、次の世代が、私が北東北で仕掛けたような「地域発信・地域連携」型の舞台創造と運用を、この大分県で挑戦してほしいと思います。そのための一歩一歩の取り組みを帰郷後におこなっています。大分の人間が大分の題材で、大分の人たちに届ける舞台をと期待しています。

幸い、海を隔てて、豊予海峡の対岸には「坊っちゃん劇場」が大奮闘しています。愛媛の企業とわらび座の共同経営の民間劇場ですが、いまや、全国的にも大きな話題となっていて、文化庁も支援しています。地元の行政・経済界・教育界が束になって応援している「奇蹟の劇場」です。大分県、愛媛県、広島県、高知県、山口県が参加して豊予海峡交流圏事業を実施していて、今年度の1月と2月に大分の音楽・演劇・伝統芸能関係者と「坊っちゃん劇場」との交流事業に支援していただくことになりました。大分県での郷土発信オリジナル・ミュージカル創造のための布石の事業です。

ふるさとに帰郷して仲間たちと動き、「大分市文化芸術振興計画2020」が策定されました。そのビジョンを受けて、大分市立の3館連携の「豊後FUNAI芸術祭」を新年度から始めます。この事業の趣旨は、(1)大分市の舞台芸術振興、(2)市民協働・市民参加、(3)文化施設とまちをつなぐ、です。時間はかかりますが、大分の魅力的な文化的コンテンツと歴史的ご縁のDNAを現代にかたちにしていきたいと考えています。

 

水上 3館というのはここホルトホールと?

 

是永 コンパルホールと能楽堂です。

 

水上 時間がかかるかも知れないと言われたのは音楽にしろ舞踊にしろ、文的資源・財産があっても、それを舞台化するのに時間がかかるけれども、そういったことも考えてやるってことですか?

 

是永 そうですね。大分市は、大航海時代にフランシスコ・ザビエルとイエズス会に出逢い、西洋演劇、西洋音楽、西洋医術、ボランティア発祥の地と言われています。「進取の気風」に富んだ土地柄です。大分から山口や長崎にキリシタン文化は広まった。2015321日、新しいJR大分駅前広場オープンの午後は、ホルトホール大分・大ホールで「ザビエル・サミット」が開催されます。ザビエルがお世話になった鹿児島市、堺市、山口市、平戸市、4つの都市の市長を大分市長がお招きして首長サミットを開催します。大友宗麟と高山右近の二人が数多くいたキリシタン大名の中でも最後まで「心の王国」をちゃんと持っていた。すごいのは宗麟が住んでいた大友館の隣に日本で最初のハンセン病患者の療養所を作った。ボランティアを領民から募っていた。そういう歴史的な縁、土地柄を大事にしたいですね。

ふるさと大分の文化的資源、魅力的なコンテンツ、人材と出逢い、一歩一歩かたちにしていきたいと考えています。そのためにふるさとに帰ってきたとの思いは強いです。

 

水上 わらび座は創造集団ですけど、ホルトホール大分は孵化装置ということで、大分に潜在的にあるものを集めている段階ということですか。

 

是永 ホルトホール大分自体が孵化装置になれるかどうかはこれからです。まだ開館して1年半。市民とともにつくる施設をまっとうすれば、ホルトホールでの出会いと交流からさまざまなお酒が発酵し、ここからさまざまな創造的なかたちが生まれると思います。

高校時代から民俗学者の宮本常一さんが大好きでした。私の人生は、「足元を掘れ、そこに泉が湧く」をミッションにしてきました。このミッションを徹底的に伝えたいと思います。

 

水上 わらび座時代にたざわこ芸術村の創設に関わられました。一団体が地域で実践して全国的な展開をしていったわけです。40年たって帰って来られて、色んな芽があってそれがどう化学反応を起こすのかを今頭の中でいろいろと考えられてる。大分のクリエイティブシティ構想なんかと含めると、文化産業を興していくということですか?

 

是永 わらび座に営業で入社する新人たちの動機として、文化産業として面白い会社、それに地域密着で面白い、その二つで選びましたという理由ですね。非常に明確な目的を持っています。「地の利」「天の利」「時の利」をさらに活かしてわらび座はこれからも展開していくと思います。ふるさと大分では、幸い「ホルトホール大分」という全国的にもまれな複合文化交流施設に関わっているので、その立ち位置をフルに活かして、大分のまちづくりにコミットメントしていきたいと思います。舞台芸術の世界で長く生きてきたので、やはり、文化芸術・アートで食べていける人たちを一人でも多くつくりたい、そのための「つなぎ手」となりたいと思います。

 

水上 クリエイティブシティ構想はいかがですか?

 

是永 「創造都市ネットワーク日本」に大分県と県都・大分市が今年度前半のうちに加盟しました。県と県都が揃って入ってるのは、兵庫県、神戸市に次いで大分県と大分市だけです。大分県は「国東半島芸術祭」の開催や、「県立新美術館」の開館など、「創造県」として発信しています。2020年東京オリンピックで「東京一極集中」がさらに強まることを懸念していますが、逆に2020年までに、2015年夏・秋の21年ぶりのディスティネーション・キャンペーンの活用、この前開催された「国民文化祭あきた・2014」の基本構想や企画に関わらせていただいた経験を活かし、一年前から大分県にも働きかけていますが、2018年に二度目の国民文化祭の大分県開催など、いくつかの「山場」を仕掛けていく動きのなかにいますので、「黒子」に徹して実現していきたいと思います。

もともと創造都市については1980年代後半にイタリアはじめヨーロッパの都市を訪ねるなかで感じていたことですが、秋田のわらび座時代に、大都市・政令指定都市先行型で推進されてきた日本の創造都市論にプラス「田園都市型」創造都市の必要性を、文化庁や理論的牽引者の佐々木雅幸先生に提言してきました。「田園都市型創造都市」の言い方はいまは「創造農村」と称されていますが、クリエイティビティのあるまちづくりは市民権を得つつあります。大分市の職員提案でスタートした「トイレとアート」の「おおいたトイレンナーレ」も、2015年夏が本祭だし、ぜひこの機会に大変貌中の大分市を訪ねて楽しんでいただきたいと思います。

 

水上 それにしても文化芸術はもちろん他のジャンルへの関わりもすごいですね。

 

是永 「多様な主体との協働」をどうつくるかが、これからの市民社会の試金石と言われています。文化はどこにでも関われるんですね。ふるさと大分には全国ブランドになっているだけでなく、唯一という優れものもたくさんあります。より良き社会を創りだそうとしている人たちを黒子になって応援したいですね。公立文化施設の施設予約管理システムやチケット予約管理システムで全国随一のレベルを販売している()オーガス(大分市)はじめ、ある分野で日本のリーディング・カンパニーになっている企業もたくさんあります。個人の仕事でも、「服は着る薬」の鶴丸礼子さんは、障碍者や高齢者の衣服製作のための独自の「鶴丸式製図法」を考案し、全国各地の人たちのための服作りに命をかけています。マグマのような志の高さと実現する技術のすごさと全身全霊の仕事ぶりには誰しも共感し、逆に大いなる励ましをもらっています。私もその一人ですが、各分野に、大分には魅力的な「推進エンジン」の人たちがいます。その人たちと出逢い、「つなぐ」役回りを「天命」にしたいと思います。

 

水上 是永さんの人脈ネットワークの根幹には、「共鳴」があるんですね。もっとお聞きしたいことが山ほどありますが、時間が来てしまいました。一応今日はここまでにさせてもらって、次回につなげたいと思います。ありがとうございました。

 

◆インタビューを終えて

是永さんは、多機能連携施設というフレーズを何度も繰り返されました。福祉・健康、産業、教育・子育て、文化、観光、情報、交流、などの多機能な施設を融合した「孵化装置」ということでした。新しくなる大分駅前のアクセスも活かしながら「市民の家」としてどのような魅力を発信していくのか、そして新たな「大分ブランド」の芸術作品を九州のみならず中国四国さらに全国へ発信していく施設になることを期待しています。

 

取材 水上徹也(シアターネットプロジェクト 代表取締役)

2015年1月12日 10:00  カテゴリー: No5 是永幹夫さん 劇ナビインタビュー | コメント(0) |
劇ナビインタビューNo5 ホルトホール大分 館長 是永幹夫さん その1

大分市は、2014年に「創造都市ネットワーク日本」に大分県とともに加盟した。企業・工場の誘致により発展を遂げてきた「新産都」都市、県都としての行政都市の性格のみならず、文化創造都市への取り組みを打ち出している。

2013720日に開館した「ホルトホール大分」もその拠点施設としての機能と街づくりの中核施設としての役割をもって、2015年春のオープンに向けて建設中のJR大分駅ビルに隣接して建設された。そのホルトホール大分の館長(統括責任者)として、是永氏が運営に携わる。是永氏は、秋田県に拠点を置く「わらび座」で長らく活躍してきた。わらび座は民族歌舞団として発足し、現在は劇団としてミュージカル制作に力を入れているが、自前の劇場を持ち創作活動を行うだけでなく、常設劇場、温泉施設やホテル・レストラン、工芸館、地ビール工房などを併設した「たざわこ芸術村」を運営している。その実績を買われて、氏の出身地である大分市で、新たに誕生した複合文化交流施設の運営を任された。劇ナビでは、地域からの文化の発信を行う施設として、九州の東の中核都市大分での活動を取材した。

 是永.jpgのサムネール画像

水上 是永さんは、秋田県で劇団わらび座の代表として長くかかわっていらっしゃいました。大分市は生まれ故郷だということですが、大分に新しく誕生した公立文化施設の責任者として着任され一周年を迎えられたところです。まず、大分の状況からお話を伺いたいと思います。

 

全国随一の多機能連携型施設

是永 大分市内は、いまハード面、ソフト面で一気に変貌中です。いままで大きなプロジェクトがなかったということもありますが、全国の都市のなかでも随一の大改革が進行中です。いま変わらなければ今後50年間このような好機はない、という危機感が業種や世代を超えてあります。

 

水上 JR大分駅ビルもかなりの規模になるようですね。

 

是永 JR博多駅ビルよりこじんまりとしていますが、屋上庭園が博多駅の1.8倍で、より市民に親しまれるつくりになっています。私の自論は、大分市の場合「JR駅ビル中心の回遊性のまちづくり」が生命線だということです。大分市は現在、福岡地所が仕掛け、大成功しているショッピングモール「パークプレイス」と大分の老舗のトキハデパートの郊外展開のショッピングモール「わさだタウン」はじめ、明野地区や挟間地区のショッピングモールの郊外展開型商業ゾーンになっています。このことは全国の中核都市にどこでも見られることですが、郊外ではない中心市街地に駅ビルを中心にしたもうひとつの商業ゾーンのコアをつくろうとしている。「商都復活」という理念ですね。

 

水上 そのなかでのホルトホール大分の立ち位置は?

 

是永 ホルトホールは複合文化交流施設ですけれども、その多機能性では全国随一の公共施設です。文化・教育・福祉・健康・産業・情報・交流の7分野が37,000平米の施設内で連携している。「21世紀は多機能連携の時代」と私は公言していますが、とくに「3.11」のあと、その考え方はますます大事になってきています。開館以来、全国各地からの視察が続いています。北は秋田県庁、秋田市議会、南は那覇市役所と全国津々浦々の自治体の視察、国省庁の視察が多いです。

ホルトホール大分のなかの多機能連携推進と同時に、新生・大分市の回遊性のあるまちづくりの促進装置・孵化装置だと考えています。そのための連携・連動の動きを進めることに心砕いています。

 

水上 ホルトホール大分の仕事へのかかわりきっかけは?

 

是永 いまから9年前に九電工本社のお誘いがありました。私が定年後にふるさと大分市に帰るという情報も含めて同社は持っていて、福岡で「顔合せ」があり、その春に同社の役員・スタッフが、わらび座が経営する秋田のたざわこ芸術村に泊まり込みで来てくださいました。同時に共同経営の愛媛の「坊っちゃん劇場」にも同社スタッフが泊まり込みで視察に行かれました。同社の動きは早かったですね。

私はいわゆる文化会館・市民ホールだけだったら受けるつもりはなかったんです。多機能連携施設だから面白いと思いました。それは地域と協働して展開している多機能で経営しているたざわこ芸術村の経験があったからですね。

ホルトホール大分は、市民ホール、市民図書館、中央こどもルーム、会議室、トレーニングルーム、健康福祉増進関連機能、障碍者福祉、ひとり親家庭支援の機能、保育所、市社会福祉協議会などなど、しかも目の前の芝生広場「大分いこいの道」(長さ444m、幅80m)と一体となった市民のためのリフレッシュゾーンの展開ができることへのワクワク感がありました。ホルトホール大分という名称は正式名称かつ愛称です。ホルトノキが大分市の木なんです。

 

水上 開館一年間の利用者が200万人を超えたとのことですが?

 

是永 開館初年度で年間208万人を超える市民の皆様に来ていただきました。すごいことです。すっかり「市民の家」になっています。開館2年目も200万人を超える予定です。三世代を超えた四世代の皆様がリピーターとなり、良く使ってくれています。ホルトホール大分の多機能の施設のなかで、一番の集客は市民図書館、次が市民ホール、そして17ある会議室です。

 

市民の家

是永 ホルトホール大分には3つのミッションがあります。まずひとつめは「市民の家」づくり、二番目に「回遊性」づくり、それから「大分ブランド」づくり、この3つのミッションで大事にしています。

まず「市民の家」。一日平均6300人が利用しています。

 

水上 毎日6000人ですか。

 

是永 特に土日が多くて4世代が集います。若い人がとても多いってのはほんとに私たちスタッフの背中を押してくれますね。まだよちよち歩きの子どもたちもご家族と一緒に良く来ます。我が家のように使ってくれています。

市民ホールにしても、舞台に立って発表する人たちがとても多く、表現活動の盛んな土地柄ですね。

 

水上 なるほどね。じゃあ稼働率もかなり高いんですね。

 

是永 平均90%超えてます。17室ある会議室も公民館並の貸室料なので、駅から2分の立地の抜群の良さともあいまって、多い日は一日で40団体ほどに借りていただいています。地域にはこんなにさまざまな団体があるのかと感心しますね。

 

水上 一階にケーブルテレビのスタジオも併設されていますね。

 

是永 大分県はケーブルテレビの加入率が75%で、九州7県の中でダントツです。大分ケーブルテレコムさんがホルトホール大分内に立派なスタジオをつくり、番組制作もしています。同社はわが国でも有数なケーブルテレビ会社で、地域貢献のミッションも高いです。開館に合わせて「市民チャンネル1」を開設しましたが、放送枠が満杯になって、今年度から新チャンネル2の「ホルトチャンネル」も開設してくださいました。県内のもぎたて情報や市民ホールのイベントの無料収録と全県放送をおこなっています。大分市出身の南こうせつさんが顧問をしているNPO法人かぐや姫の大島事務局長がディレクターになって、毎週のように県内の子ども神楽やキッズダンスチームの活動を放送しています。

 

回遊性のあるまちづくり

是永 二本目のミッションは「回遊性のあるまちづくり」。大分市ぐらいの都市だと、ピンポイントでも成り立つ大東京とは違い、とにかく「回遊性」をどうつくるかが生命線です。ホルトホール大分は幸い「情報文化交流拠点施設」の位置づけもあるので、「回遊性」を促していく格好の公共施設でもあります。目の前のJR大分駅ビルをコアとした回遊性のあるまちづくりに貢献する施設として、日々まちづくりのさまざまな団体の皆さんと動いています。ホルトホール大分がオープンして駅構内の「豊後にわさき市場」の売上が2割増えたという報告もいただいています。

 

水上 駅の活性化にも貢献しているんですね。

 

是永 JR利用者が増えていることは確かですね。列車の本数を増やすらしいです。

 

水上 まさに駅と一体ということですか。

 

是永 ちょっとした連携は日常的に実施しています。JRウォーキングの宣伝など、集客数がダントツに多いホルトホール大分で宣伝することでの効果があります。市内外、県外の団体の宣伝も、適合性があれば、できるだけチラシ等を置くようにしています。県都の情報文化交流拠点施設でもあるという使命ですね。

 

大分ブランド

是永 三つ目は「大分ブランド」です。大分の食材・食の魅力はもうブランドができています。他にも温泉県おおいたとかね。私の仕事は文化芸術のブランドづくりです。そのためには文化庁や総務省系の補助金とか、県・市の補助金などの支援もいただき、地元の皆さんとの連携で「文化芸術の大分ブランド」づくりを推進していくようにしています。

 

水上 具体的にはどのような事業を?

 

是永 全国的に高く評価されている事業の一つとして、大分県の民謡の活性化事業です。文化庁の「文化遺産を活かした地域活性化事業」の支援をいただき、一年目は大分県の代表的な民謡120曲の五線譜化をし、全五巻の民謡譜集を発行し、後継者育成、ふるさと教育や次世代教育に活用し、2年目は収載された120曲のCD化です。新年度の3年目は、その成果をもとに「ふるさとの唄を求めて」のテーマでの発表会です。この大事業は、萬謡会という民謡研究会あってこそですね。地元の魅力的な民謡コンテンツを半世紀以上の長い歳月かけて顕彰し発信している団体があることの強みと評価の仕事を手伝っています。

大分に帰郷して立ち上げた実行委員会の一つ「おおいた民謡・民俗芸能活性化委員会」の事業として一過性でない継続性のある方法をみんなでつくっています。

 

水上 今年度は舞踊支援にも力点を置かれるとか?

 

是永 ホルトホール大分開館年の前年度は、演劇支援に力点を置いて、地元の若手脚本家の書下ろし新作上演も含めた開館記念作品と40年ぶりの演劇「大友宗麟」上演を文化庁と総務省系の補助金もプラスして実施しました。「おおいた演劇活性化委員会」もそのために立ち上げました。今年度は舞踊支援に力点を置き、一つは「コンテンポラリーダンス・カルチャー」大分発信「ダンスパートナー」公演、もう一つは男子新体操界の雄、「Blue Tokyo」と地元大分のY’zカンパニーの安松良道氏の仕事との本格的なコラボレーション舞台「ムーブメント」公演です。大分には舞踊界も全国の第一線の仕事に劣らないレベルの皆さんがたくさんいます。大分の舞踊界の人的資源の魅力の再発見と顕彰の事業でもあります。

 

水上 「ダンスパートナー」はどのような公演ですか?

 

是永 コンテンポラリーダンス界の次世代の騎手の一人、山口華子さんの舞台を大分で3年前に拝見したことが企画の出発点でした。彼女は文化庁派遣で一年間ドイツにダンス研修留学した方です。ピナ・バウシュの薫陶を受けたドイツの舞踊家たちのもとで学び、帰国してすぐの舞台を大分で観たことが今回の企画のスタートでした。大分のモダンダンスの騎手・後藤智江さんたちと話し合い、山口華子さんを招いて、ワークショップをし、その成果も舞台で発表する参加型作品創造と、山口華子さんと国内外でコラボしているトモ・ディモイラ氏たち第一線の舞踊家たちの新作舞台も実現しました。トモ君のお母様は大分市出身で橘バレエ団のプリマ時代のヨーロッパ公演で、ベルギーのディモイラ氏と結婚され、トモ君が誕生したという地縁のある方でもあります。九州・沖縄一円からワークショップに参加され、またとないコラボレーション舞台が実現しました。

 

水上 「ムーブメント」はどのような舞台ですか?

 

是永 青森山田高校や青森大学の男子新体操で全国優勝常勝メンバーがエンターテイメント舞台に昇華していますが、以前から交流のある大分市のダンスカンパニー主宰の安松良道氏のオリジナル企画です。シルク・ド・ソレイユのアクターを送り出している男子新体操の「Blue Tokyo」メンバーを大分に招き、東京や大分でコラボしながら合同作品を創り発表しました。安松氏主宰のダンスカンパニーの中高校生のレベルはとても高く、クオリティが担保されています。この事業もやはり大分に魅力的な人的資源があったからこその事業ですね。日本の第一線と大分をガチンコさせる、というスタンスが大事だと思います。

 

(来週公開 「その2」へ続く。)

2015年1月 5日 17:29  カテゴリー: No5 是永幹夫さん 劇ナビインタビュー | コメント(0) |

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